数年前、かなり偏った人選でアセクシャル系のツイッタラーをフォローしてた時期がある。
アセクシャルは恋愛感情はあるけど性行為はちょっと……な人を指すらしい。
だから、その界隈ではアセクシャル系の話題が出ると色んな意味で盛り上がる。
誤解しないで欲しい、という意味の主張なのだろうけど、個人的には喧嘩売ってるようにしか見えない。
増田はチキンなこともあり、そんなカッカしないでよ……穏便に行こうよ……とか思ったりして、結局その方々とはアカウント削除により関わりが無くなり申した。
もともと一方的なフォローだったから親密な間柄でもなかったけど、ずっとそんな世界に身を投じられる彼らは強メンタルなのかもしれない。
正しくないことを指摘するのをやめろ、というわけではなく、指摘するのであれば、誤解されるような言い方をやめたほうがよいのではないかという話だ。
恋人いない=年齢な時点で、容姿も中身も不相応だという大前提はある。
が、恋愛って外から見る分にはキラキラしてるけど、己もその道を歩きたいかと問われると、特に希望はないと答えざるを得ない。
これは年齢によるものかもしれないけど、でも小学生のときからアラサーになるまで「恋人ほしー」とか思ったことない。
生物としての末期だ!
というか、そもそも人と交流を持つのって自分が他者に興味があるから始まるわけで、会話してても人の顔を見ずに、背後にある戸棚に目線を向けて相槌をうつような人間が人に興味を持てるわけが無い。
最近知ったけど、人の顔が認識しづらい相貌失認というものがあるらしい。
自分が人の顔を覚えられないのは視力悪いとか他人に興味関心がないとかだと思ってたけど、こういう可能性も考えられるのかと心底驚いた。
点数がひどすぎるからADHDなんじゃない?と話してる方がいた。
今どきはネットが発達したおかげで、あらゆる「普通じゃない」方々がにょきにょき生えていらっしゃる。
それを見てると、普通っていうのはある種の特別なんだなあと思ってしまうのだ。
話を戻すが、増田はアセクシャルかなあと思ってる反面、それは非モテ言い訳の十八番だろとも思ってる。
知り合いたちの結婚ラッシュを見て、早めに死にたいなあと思うくらいには、自分は生物としての責務も果たせないゴミだという自覚はある。
会社の歯車となって働くという点では大なり小なり社会に貢献出来ているのかもしれないけれど、フルリモートでもない環境だとふとした世間話に場違いだなという思いを抱いてしまう。
とは言え、結婚してても愚痴吐きマシーンと化してる主婦らがいるのを目の当たりにすると、このモヤモヤって何なんだろうと更に沼る。