はてなキーワード: 幼児とは
若手社員たちに「サボさん」ってあだ名で呼ばれていることが分かった
Eテレの幼児向け番組に出てくるサボテンのサボさんなのかなと思ったが、面倒な仕事を若手に丸投げして
自分はサボってる奴ということでおサボりのサボさんということらしい
(特撮は大人の俳優がやってるってのがでかいし、メカなんかに惹かれる大人もいるが)
幼児の頃見てても忘れるし、内容も幼児向けだと大人の視聴に耐えうるものでもないから
ゆとり第一世代アラサーの自分がこれにあたるのはアンパンマンだな。
アンパンマンのテレビアニメ放送開始は1988年で当初はあまり人気がなかったらしく
それから4,5年かけて、乳幼児が視聴するアニメ、グッズコンテンツの定番の地位を確立したので、
今のアラサー(1986~1994年生まれ)はアンパンマンの過渡期に幼少時を過ごしたことになる。
なのでメディアミックス当初から幼児向けの微笑ましいコンテンツとして認識していた上世代とも
物心ついたときからアンパンマンに塗れた社会で生きている下世代とも異なる独特の印象をこの世代は抱いている。
兄弟姉妹や年下の親戚のお守りとしてしぶしぶアンパンマンのVHSを繰り返し見たというような冷めた思い出だけが強く記憶されているのはこの世代のみ。
「年上イケメン上司から迫られる」女性向作品が存在することへの批判について、
1. 普段ロリ漫画を「二次元と三次元を混同するな」として擁護しているにも関わらず、今回指摘の女性向け作品を現実とごっちゃにして批判しているやつがいる(超超レアケースかもしれんが)。
親切心でいうが、反表現規制派の言い分として使えなくなるぞ。ちょっと論理的に考える能力が欠落していませんか?と言いたい。
2. 次に、元増田(「年上イケメン上司から迫られる」女性向作品が存在する矛盾)の問題について反論しよう。
「上司から迫られて嬉しいシチュエーション」というのは理想上は存在するんだ。
「こういう人がこんな感じで迫ってくれたら嬉しい」と妄想しちゃう女子はいるよ。
だけど現実には起こらない。現実では99.9999999%起こらないような妄想だ。99.9999999%くらいの割合で、迫られたら迷惑。キモい。セクハラ。パワハラということなんだ。
だから、理想を描いたフィクションでは需要があるけど、現実では望まれないってことだ。
望まれるパターンが微粒子レベルで存在するが、望まれないパターンの方が圧倒的に多い上にセクハラだからやめてくれって話だ。
というわけで、「年上イケメン上司から迫られる」女性向作品が存在することは矛盾じゃない。
ちなみにイケメンとかは関係ない。むしろ若い女子から人気のあるイケメン上司が調子に乗って「飲み物もらうよ」みたいに間接キスしてくる、みたいなのはキモい。その瞬間嫌われたからな。
3. 最後に、男性向けロリ漫画がダメで「年上イケメン上司から迫られる」女性向作品は問題ないとする理由だ。(「あ、なんだ、ロリ漫画とか幼児型ラブドールって許されたんだ、へぇ」での指摘に対する反論)
この増田では欲望を強化する、性的に消費しても良いとするメッセージを与えるという2点がロリ漫画と女性向け作品で同じという指摘があった。
確かにロリ漫画では、読者がロリコン欲望を強化されることが問題視されている。
まず、ロリコン欲望を強化された読者が女児を対象にした性犯罪の加害者になることが懸念されていると思う。また読者が女性を実在非実在関わらず性的消費することが性差別であるという指摘もある。
いずれも読者が加害性を持ちうることへの懸念だ。
一方で「年上イケメン上司から迫られる」女性向作品は、読者がイケメン上司に迫られる欲望を強化すると言える部分があるが、懸念しうる読者の加害性はロリ漫画とは異なる。
「イケメン上司から迫られる」というのは受け身であり、「迫られるのに憧れる、迫られるのを待つ」というのは加害にならない。加害にならないことへの欲望を強化されたとしても問題ない。
またフィクションで描かれた理想像は、読者=迫られる側が望む状況である。社内権力を持っていない側が許容すれば犯罪にはならない。
また、フィクションのみでの欲望なので実在男性の消費にはあたらない。非実在男性の消費という視点は、まああるかもしれない。
このように犯罪の加害と実在異性の消費について、「年上イケメン上司から迫られる」女性向作品にはロリコン漫画と同等の問題はないと言える。
(「年上イケメン上司から迫られる」女性向作品を批判される程度は、「年上美女上司から迫られる」男性向作品と同等であるべきだと思う。)
「イケメン上司から迫られる」フィクションが実在男性の消費であることが問題だと思えば、そういう主張をして世間の耳目を集めるべく努力をしてもよいと思う。
「エンジニアならゲームくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、ゲームコーナーで高齢の男性と、幼児連れの男性。高齢の男性はサッサと立ち去ったけど、パパらしき男性はあつ森を手にして俯いたまま。
【追記】「年上イケメン上司から迫られる」女性向作品が存在する矛盾
↑のブコメで「年上イケメン上司から迫られる」女性向作品を擁護する為に「二次元と三次元を混同して考えるなら、ロリ漫画も規制されるべき」とか
「フィクションだから」「反表現規制派の言い分として使えなくなるよ?」という言い分が並べられてるんだけど(なお、増田の追記を読めばそれらが的外れな指摘である事は分かるが、それはそれとして)
あれ?ってならないのかなこの人達
普段と言ってること違うくない?
普段と違わない人は良いよ、そういう人もたくさん居るだろうね?
ロリ漫画や幼児型ラブドールについて「二次元と三次元を混同するべきじゃない」「フィクションだから」「反表現規制派の言い分は成立してる」と思ってるならね?(ラブドールは三次元だが)
でももし、超超レアケースかもしれないけど0.00000001%しかいないかもしれないけど、もしあなたが普段それらと正反対の意見を持ってたとしたら
あなた達の論理的な能力がどの位欠如してるか分からないからどこからどこまで説明すればいいか分からないが
「二次元と三次元を混同して考えるなら、ロリ漫画も規制されるべき(だから二次元と三次元は混同するべきでないし、女性向け作品の傾向と現実での欲望は関係が無い)」が成立する為には、
でないと「二次元と三次元を混同するべきでない」が導けないし、増田への反論にならない
普段ロリ漫画や幼児型ラブドールは「現実でも同様の欲望を持つ人間(ロリコン)に消費されている→ロリコンの欲望を強化する」「女児を性的に消費しても良いとするメッセージを与える」という理屈で攻撃されている訳だが
それが成立するならば、「年上イケメン上司から迫られる」女性向作品を消費する人間は現実でも同様の欲望を持っており、しかも作品は「年上イケメン上司から迫られる」欲望を強化し、「現実で年上イケメン上司から迫られてもよいとするメッセージを与える」も成立する事が推測されるし(ただしこの時点では論理的に証明はされていない)
逆にそれらを否定するなら(「年上イケメン上司から迫られる」女性向作品は現実の欲望に関係が無いとしたいなら)、ロリ漫画やラブドールに対してもその主張を放棄するか、
もしくはロリ漫画やラブドールのみ事情が異なるとする根拠(そんな都合の良いものあると思う?)を提示する必要があるわね
冷静に考えて欲しいんだけど、「年上イケメン上司から迫られる」女性向作品を守りたいがために、そこまで譲歩する必要、あなた達に有るの?
100%親切心で言うけど、無くね?
何と言うか、今更なんだけど、
あなた達その場しのぎで理屈を貼り付けてるだけで、自分自身の複数の主張の間の内的整合性とか、気にし無さすぎじゃないですか?
いや、ちゃんと気にしてる人は居ると思いますよ、でも、おそらくごく一部だとは思いますが(一部だと願いたいですが・・・)、全っ然整合性取れてない方いらっしゃいますよね?
現実とゲーム世界の関わり方のバリエーションがありすぎて好き。
小さいころから、我が家は特殊だった。幼児は自分の置かれた環境を「普通」だと思い込みがちだが、思い込めないほどよその家庭とはすべてが違っていた。
特殊な点その一。母の精神状態が悪く、常に暴力と暴言の嵐であった。
その二。私以外のきょうだいの仲も悪かった。私が生まれる前からいさかいは絶えなかったらしい。あるときなど喧嘩に包丁と金属バットを持ち出してきた。
この状況を「普通」と思い込めるほど、残念ながら私は愚かではなかった。
幼少期は夫婦喧嘩が多かった。そのたびに私はわざと泣き、二人の気をこちらにそらして仲裁の真似事をしていた。
きょうだいがなにか自慢げに「――はこれできるか?」と言いながらなにかを披露してきたときにはできないと答えた。やってみろと言われたらわざと下手に披露した。なにをきっかけに激昂されるかわからなかったからとにかくニコニコしながら過ごしていた。
怒鳴り声は嫌いだ。身体がすくんでしまう。腕を振り上げられるのも嫌い。咄嗟に顔をかばいながら縮こまってしまう。
きょうだいにはよく「――は人にかわいがられるのがうまい」と言われた。たぶん、本当にそうなのだろう。だが私が思うに、顔色を窺って相手の機嫌を損ねないような媚びたふるまいを自然とするようになったのは、絶対に家庭環境由来だ。
小学校の間は母の精神状態は治らなかった。時には下着姿で真冬のベランダに締め出され、時には土下座をさせられて背中を踏みつけられた。塾の成績が落ちた、口答えをした、単に虫の居所が悪かった……結局は暴力に理由なんてない。
その状況で父は特になにもしなかった。だが、私にとっては暴力をふるってこない、怒鳴らないという時点でプラスだと感じていたので父にはなついていた。父も私をかわいがった。遊びに連れて行ってもらったり、父自身の話をしたり。父は話すことが上手だったため楽しかった。母と居るよりは何百倍も。
中学にあがると母に腕力で勝てると思う瞬間が何度かあった。逆襲を察知したのか、母自身の精神状態が比較的落ち着いたのかはわからないが、暴力は減った。そのころにはきょうだいも進学等で家を離れ、両親と私の三人で暮らすこととなっていた。
大学に進学した。絶対に実家から離れたかったため遠方の大学を選んだ。喉元過ぎれば熱さを忘れる。「今回こそは大丈夫かもしれない」とうっすら期待をもって、たまの帰省に挑んでも、毎回実家に着いて1日もたてば「帰ってこなきゃよかった」と思った。このころにはなついていた父に対しても猜疑心が生まれていた。大学の学費を頻繁に滞納し、不必要な高級品はすぐに買う。支払いは父方の祖母がもっていたらしい。昔は母と比較してマシだから、暴力をふるわないから、味方になってくれるから、という理由で父のことが好きだったのだが、改めて思い返せば昔から父はずっと経済DVをしていたのだ。味方だったのは口先だけ。中高の学費すらも払われておらず、祖母が払っていた。本当はずっと見えていた事実だったが、父だけは味方だと信じたいあまりに私自身が見ないふりをしていたのだ。
そんなこんなで、今現在「家族」はバラバラだ。両親は同居しているが、子どもたちはそれぞれ実家から離れた場所に住んでいる。盆や正月でも集まることはない。単体で会うことはあるが、全員集合など冠婚葬祭以外ではありえない、という状況だ。
今まで書き連ねてきたことを読めば、わが「家族」は最初から機能不全状態だったことはよくわかるだろう。だからこそ憧れの「家族ごっこ」がしたいのかもしれない。白羽の矢が立つのは、なぜかいつも私だ。
きょうだいは私とは会いたがる。他のきょうだいとは絶対に会わないくせに。父は私と会うと酒を酌み交わしたがる。そして酒のつまみに他のきょうだいのことを「本番に弱い」「内弁慶」などと評し、嗤う。私のことは「本番に強い」「勢いがある」「いい性格をしている」と言い、ほめる。
みな私のことを「彼氏を尻にしいて振り回しているだろう」「仕事をバリバリやっているだろう」「仕事場でも一番美人だろう」と言う。「どの場所にいても一番強く美しい存在であること」を、なぜか期待されている。
一度酒の勢いで「なぜ母と結婚したのか」と父に聞いたことがあった。答えは「自分の優秀な遺伝子を残したかったから、遺伝的にも本人も優秀な母と結婚した」。グラスを落とすかと思った。「結果として子どもがみんな優秀に生まれたから成功」と笑っていた。幼少期の、あの辛い暴力の日々は父のエゴから生まれたのだ。だけど父は母の暴力にはほぼ無干渉だった。私を救ってくれなかった。ふざけるなと酒をぶっかけて暴れだしたかったが、20年以上培ってきた相手の機嫌を損ねないような媚びスキルが発揮され、笑ってその場をやりすごしてしまった。
父が私に固執する理由は、わかる。成功作であるきょうだいたちの中で、私が一番父の性格に近いのだ。自信家で、楽しいことが好きで、したたか。父は自分のクローンを作りたかった。厳選結果、私が6Vのうえに見事性格一致!厳選成功おめでとう。今までたくさん父の趣味の話も共有したし、私の媚びスキルも相まって父の好きなものは私も好きになったものね。糞くらえ。私は私だ。
きょうだいは父の毒性に気づいていない。単に向き合おうとしていないだけかもしれない。私自身「母よりマシ」という気持ちで長年覆い隠していたのだ、仕方ないという気もある。
父は話をするのが本当にうまい。実際、頭もよくて物知りだ。それに憧れを抱いてしまうのか、きょうだいは父の価値観を内在化しているように感じられる。だからこそ「父にそっくりで、父に愛されている私」を評価してしまうのだろう。私が評価されることできょうだいは確実に割を食っていたのに。そして父の思う「私」は現実の私とは若干の剥離があって、さながらファムファタルのような人物像となっている。甘えた、自由奔放、無邪気、魔性。なんと、この崩壊しきった「家族」を生きるための媚びスキルで覆われた状態こそが真の「私」だと思われているのだ。笑えてくる。わずかながら存在した、幼少期の楽しかった記憶すら今となってはむなしい。昔から、家族のだれも私のことを理解していなかったのだ。
家族にまつわるもの、全部気持ちが悪い。この人生は一体なんだったんだという気にすらなる。父、きょうだいは私に対する理想化をやめてほしい。母の精神性についてはいまだに何一つ理解できず、母自身どんな歪みを持っているのか底が見えなくて気持ち悪い。
極力実家には寄り付かないようにしている。きょうだいとも関わりを持っていない。現在の住所も誰にも教えていない。実質縁切り状態とも言えるかもしれないが、お前らの行動は最悪だった!二度と会わない!と宣言したわけでもなく、しれっと無言で距離を置いているだけにすぎない。なにかあったときには連絡が来るし、実家に帰らざるを得ないこともある。
いつまで媚びスキルでやりすごす段階にいるの?と自分自身に対して思うのだ。毒親、機能不全家族に対する勉強もした、今まで言語化できなかった苦しみをこうして文章化するまでに至れた。甘えたふりでかわす必要、もう無いんじゃないの?怒りの感情だって、泣いてわめいて拗ねたふりでごまかすんじゃなくて、言葉にして、ちゃんと伝えて、一回区切りをつけようよ。……そんなことはできるのだろうか。だが、家族との区切りをつけないと、私自身に成れないような気もするのだ。
家族は呪いだ。血のつながっているだけの他人なのに。「良い家庭」で育った子と会話すると否応なしに私の置かれた環境がどれだけ異常だったか実感させられ、みじめな気分になる。ふとしたときに自分の言動が父や母のそれと酷似していたことに気づき、ゾッとする。染みついたものは変えられない。でも変えていくしかない。
老人と幼児の組み合わせはわりとセーフとされる