はてなキーワード: 小中学生とは
それは、一理はあるが、頭固いのはお前のほうだよ。
ではその時、最適行動は、反ワクチン派をだますことでしょうか?
違うでしょ。
例えば、いままだどちらでもない小中学生が反ワクチンにならないように、啓発教育を強化するとか。
反ワクチン派の説得力が消えるように、ひたすら正論をぶつけておくとか。
反ワクチン自認だけど、じつはそれほど頑固ではない流動派をこっちに転がすとか。
そういうのが最適だよ。
まあ、長期的に考えたら、正直と誠実に勝る戦略はないということだ。
その割に作法を明示的に教える講義とかもないので、あんまり誰も得してませんね
卒論は希望者だけにして、その分の時間でアカデミックライティングの講座とかやった方が生産的なのではと思うことが多い
とまぁ大学卒業レベルになっても作法を学ぼうとかその程度のことしかできないので、小中学生は肩肘を張らずに結果を気にせず楽しく試行錯誤してほしい
Wikipediaで不足するような研究をまともにできるような人は(研究室のお膳立てを無しにすると)大学にもほとんどおらず、修論でさえそれ新規性ないでしょと思うものばかり
完全に新規の内容が研究できればそれはもう博士号に相当するので、小中学生の自由研究に新しさを求めるのは酷だろう
夏休みが明けるとなんか色々実験しましたみたいな自由研究が回ってくるが、本職の研究者からするとそれは500年前から知られているみたいな話ばかりだし、強いて言えば離島の小学生とかがたまたま(研究者の足の届かないような場所で)偶然新種の生物を発見する、とかでもなければ結局Wikipedia丸写しと大差ないものしかできないと思う。
サマソニでホルモンとKing gnuが炎上してるやつについて、そもそも彼らはなんでそんなことしたのか考えてみた
とはいえ俺はエスパーではないので数多の仮説を展開することしかできない
小中学生並の行動
・友好のメッセージとしてイジった説
悪意がなくてもイジりという行為自体に疑問が投げかけられる昨今、批判はやむなし
なにか言及することで「見てますよ」というアピールをする手法かもしれないがやり方は考えよう
前の説の亜種
実際いじられた側はどっちもめちゃ若い
年功序列に基づく文脈は国内や「界隈」では通用するかもしれないけど、グローバルではないよね
・海外から招かれるイケてるバンドとしがないローカルバンドという構図から茶化した説
サブカルがやりがちなメインストリームを茶化す芸のつもりだったかもしれないが、観衆からしたらあなた達が(あなた達も)メインストリームの側なんです
そもそも児童に「平日1日どれくらいゲームをやるか」と質問して、3時間以上と答えた小中学生が30%もいるのは多すぎる。飽きるだろ。親に聞くか「みまもりswitch」アプリなどを見て、もっと科学的に分析した方が良いのでは。放っておくと「ゲームは悪者」という方針になるので適宜指摘していきたい。
赤松の「飽きるだろ。」の感覚は間違っていてゲームに詳しくないだろうな。
とかアンケート結果のゲーム時間が多いのは正しいだろ、という論点だったら全面的に同意するんだが
お気持ち界隈はお気持ちだけ読んだら残りの日本語が読めなくなるらしい。
どう考えても正しい客観的データこそが正しい結論を導くという当たり前の科学的な結論の導き方は認識としてあるだろう。
お気持ち第一主義だから、お気持ちこそが文章の最重要ポイントと誤読しちゃうんだろうな。
正しいデータ>赤松の感覚 と結論を出す方針なのは文章から明らかだ。
アンケートデータが素人感覚で違うと断じる態度は問題だが、正しいデータの前には意見を変える。
犯罪統計には暗数ガー。GGIに注目するがジェンダー不平等指数は無視する。
フェミニズムのお気持ち主義は赤松の失言レベルでクソだってさ。
のように赤松の間違いを指摘するだけでいい話が、お気持ち第一主義のせいで暴走し始めるありさまがお気持ち界隈の惨状だ。
さすが不利なエビデンスは隠せばいい界隈だぜ。
地元の支援学校と小中学生の交流会ってどんな効果を期待してるんだろう
小中学生には、障害があっても同じ年頃の生きた人間ですよ、っていうのを学ばせたいとすると、
障害者児童はただの動物園の珍獣扱いされてることになりそうな気がするけど。
障害者児童側にとっても、健常児が大勢表れる謎のイベントとか社会見学的な感じで捉えられてるのならイーブンか?
高校の修学旅行で、海外の友好都市の学校に行って、現地の高校生とペアになってお互いの言葉もわからないのに校舎を連れ回されたりしたのにもちょっと似てるな…そう考えたら異文化交流?
中学生の時、バスで30分ほどのところにあった支援学校との交流会で障害者児童とペア組まされて、昼食とかゲームとかやらされたのがすごく嫌だった
昔の田舎で、肢体不自由もダウン症も自閉症もいる感じのところだったから、中学生側との相性(主に体格や性格?)を元に割り振られるんだけど、クラスで男女混合でも後ろから5番目の縦横デカ女だったせいもあり自分よりさらに縦横に体格の良い男の子がペアになった。
支援学校側で交流に参加できる程度の障害がある児童に男子がちょっと多かったんだろうけど、他の体格の良い女子は車椅子の女の子がペアだったり、ほぼ寝たきりみたいな子とペアだったりして、ペアになった大男は何も喋らんし、一体どうしろと…?
記憶はもはや曖昧だけど、移動中ずっとすごい力で手を引かれていて、手は痛いし何も喋らんし、
他はそれなりにコミュニケーション取れてたりして笑い声とか話し声とか聞こえるのに、自分は体育館や廊下を手を引かれて歩いたり突っ立ってぼんやりしてるだけ…
中学生側にクソガキももちろんいるから手繋いでるだけで「お似合い〜!」とか囃したてるヤツもいた
まじであの時間なんだったんだろう
富士急で2時間並んで入った廃病院が全然怖くなかった時くらい意味わからんかったし無駄な時間だったと思ってる
二十年近く前だから今はどうなってるんだろう
一応、小中学生向け作品として書いたつもりだったから、別に俺が中学生が拗らせたみたいな思考をしている訳じゃない、というのは伝えたくて今書いている。
でも、小中学生向けだからといって小中学生に媚びるような作品になっているっていうことだと思うから、それは直していかないとね。
あなたの想像通り、俺は小説を殆ど読んだことが無い。それは俺自身の課題だとずっと思っていて、今読んでいるような状態だ。
小説もまだこの作品で書き終えたのは二作目。書き始めたのもつい最近だから、自分がまともに小説を書けるようになるのは何年も先だと思ってる。
小説家になることを夢みてはいるけど、急いではいないんだ。だって、小説家よりもお金を稼げるようなことを今はやっているからね。
ただ、ブロガーだろうとライターだろうと、物書きをやっていた人間は一度は憧れるよね。「作家」という職業に。
身近な人間だと「読んで感想を言うね~!」と言って結局、何事もなかったかのようにスルーしたりする中、ちゃんと最後まで読んでアドバイスを貰えたの、嬉しかった。
もしよければ、よく書けていたところも教えて貰えると嬉しい。
その発言をした人間はケロロエアプで間違いないと思うが、少なくともアニメのケロロ軍曹は小中学生が見ても楽しいように設計されてるはずだけど、カウボーイビバップはそこらへんの層は特に意識されて設計されてはいないはずなので、比較に上げるのはちょっとズレてる
オレの方がすげーしwを満たすこと>>>人権、良識、常識、社会性
になるのなんなんだろうな、とは思う。
自己顕示欲が加害欲にすり替わるのかな。
自己顕示欲なんて女児、女性でもあるけど他人に危害を加えたり逸脱する方向に向くのが少ない。
マウント取るとか言ってもブランド物買って自慢するとか、メイクがどうとか見た目を取り繕う方向がメインで。
男も時計とかなんか見た目にこだわってれば良いのに他人に危害を加える勇気があるやつ一等賞!みたいな文化がクソださいチキンレースになるのかな。
小中学生にありがちな真面目に何かする(=優等生な振る舞いをする)のはダサい、みたいなのと地続きな部分はありそうだと思う。逸脱してる方がすごい、みたいな。
こんなエロ本読んじゃう俺
○○な俺、という自意識があって、それを皆に認めてもらえないと気がすまないやつが多いのか?文章にするとすごくダサい自己顕示欲って感じだけど。
認めてもらうためなら加害行為も厭わなくなるのはなんなんだろう。
ファンシーショップがまんだらけに苦言呈したとき、店に嫌がらせ行為しに行ってたやつとか、さらにそれを称賛してる仲間がいたのに引いたんだけど、これも根底にあるのは似たようなものかな、オタクとしての自意識を守りたいんだろうな、そのためなら加害行為もするんだな、と感じてしまった。
すごい綺麗事だけど勝ち負けとか、○○な俺、みたいなものが何もなくてもそのままで全然OK!みたいな自己肯定感とかに繋がる話かもしれないけど、そういう文化が醸成されないとなくならないのかもしれない、こういう加害行為は。
俺は好きなものとか○○のファンな俺、とかを他人に特段知ってもらいたいと思わないし、度胸もなかったから度を越した悪ノリとかチキンレース的なコミュニケーションや行動がすごく苦手で結果小さい頃から友だちも少ないし、自己肯定感も高くはないけど、大人になってからの方がそういう悪しきノリなしで人付き合いできることが増えてすごい楽に感じる。
おっしゃる通りです。
俺は継続力がありません。元々持って生まれなかった上に、後天的にそれを獲得する必要がない程度の地頭のおかげで楽に小中学生を生き抜いた記憶が、地道な努力を受け付けません。今から獲得しようと思っても、なんとなく嫌です。面倒だし、大変だからです。
何かを極めようとは思いませんでした。どうせ無理だろうという気持ちが先に出てきてしまいます。
昔から負けるのが嫌いでした。負けるくらいなら勝負を避けました。昔は好戦的だったような気がします。いつからこうなったのかは覚えていませんが、何かを極めようと奮い立ったとしても、その過程で自分よりもそれに精通している人間がいて、ああ勝てないなと思いたくないのです。わかってます。俺は弱くて狡い人間です。
俺の中の冷静なところでは、面倒でも地道に努力をして、人のために生きて、自分も幸せになる、そういう人生を送るべきだとわかってます。
努力の真似事をしていると、なんでこんなことをしているのだろう?と疑問に思います。なんのために、と考え始めてしまえば、いつだって結論は同じです。意味なんてない。目的なんてない。理由なんてない。ならやらなくてもいいじゃないか。そうして、俺は流されてきました。叱られるのは怖いので、逃すと本当に留年しそうな提出物だけは出すという狡さが俺を今ここに立たせています。
できることなら試行錯誤したいです。でもそれをする気力がありません。配信サービスで映画やドラマを垂れ流したり、活字を追って小説や漫画の中にいるときだけは、死ななくてもいいかなと思います。俺の脳の中の「理屈っぽく物事を斜めから見る機能」が物語に浸っている時間だけは忙しく麻痺してくれます。
返信していることからバレてしまうと思いますが、俺は誰かに俺の存在に気づいて何らかの言葉を貰いたかったのだと思います。
俺の今の精神状態では参考には出来ないけれど、いつかもう少し元気が出たら、何か自分にもハマれるものがあると信じて試行錯誤してみるかもしれません。
2位になりますように、みたいな感じで見ていたんだが
ある日ふと「なぜ俺はその日の気分を占いの通りにしないといけないんだ?」って気付いて
それから一切見なくなった
「見ても気にしなければいいだけでしょ」
とか言う人がたまにいるけど、見てしまうと気になってしまって自分の気分を害される
めざましジャンケンとかもダメで、心の中で「グー」とか思ってしまったらそこから勝ち負けが決まって気分を害される
別に占い全般に否定的ではなくて手相だとか星座占いとか血液型占いでさえ勝手にやればいいと思うし
それを聞いても「へー」っていう風にはなるけれど