はてなキーワード: メンヘラとは
すごくわかるし建設的な利用方法だと思うが、結果として増田はメンヘラの巣窟みたいになってしまったという諸刃の剣。介護疲れとか鬱無職とかメンヘラとかKKOとか承認されない同人女とかメガ盛りサービスですよほんま。新世紀のデジタル南千住感。
自分も深夜にSNSで死にたいとか呟いては周囲からメンヘラ扱いされていた
そんな中で出会ったのがこのはてな匿名ダイアリーだ
今まで深夜にウジウジしてきたのをここで発信すればいい
普段の発信はSNS、愚痴のような周囲から顰蹙を買いそうな発信はここ。
そうやって使い分けて行こうぜ。
これマジおすすめ。
お前のためになるし周囲もうんざりせずに済む。
まさに一石二鳥よ。
zocっていうクソ歌下手集団も大森っていうメンヘラババアも戦慄かなのも大嫌いだ
そんな戦慄が、大したこともしてないのに卒業とか言って華々しく去っていくらしい
彼女については毎度毎度Twitterやめろって思ってたし暴言吐くから所詮少年院あがりって言われるんだろアホかと思っていたんだけど、まさか卒業するなんて思ってなかった
アイツいなくなればまだzocに肯定的になれそうな気がしていたんだけど、
いざ脱退したらと全然zocの唯一無二な魅力的なもん消え去るしなんか寂しいような
戦慄ってzocにクソピッタリだったんだな……
自分は彼女にSNSの使い方と歌とダンスと謝らない態度さえ改善してもらったら好きになれそう、いやほぼ全部じゃねぇか
やっぱ戦慄かなの大嫌いだ
でも逆に戦慄のいないzocってzocじゃなくなる気がするし、このもやもやが分からない
あんなに嫌いで「戦慄アイドルやめろよ」とか思ってたのにいざ辞められると戸惑ってしまった
あとこのユニゾン汚物アイドルにハロプロが加入してきたのも無理だ
数日前に流行った某Twitter漫画に触発され、私の意見も吐き出してみようと思う。
私はとある大手ジャンル(といっても、最近の流行を代表するほどの人気ぶりではない)でBL漫画を描いてはTwitterに上げてを繰り返している腐女子だ。フォロワー数は4桁を最近越えたくらい。決して神ではないのだが、普通絵師と自称してもまぁ許される程度だと自負している。
そんな私は、承認欲求をこじらせて「こんな雑魚な私が神絵師様とお話してはいけない」などという考えを無意識ながら持っていたことを、今回のTwitterバズ漫画を読んで自覚した。
元から陰キャで対面コミュニケーションが苦手な私。多少はネット弁慶で画面越しなら強気に話せても、対面とならばすぐ声がうわずる筋金入りのコミュ障である。オフ会などがあれば、緊張して前日は寝つけないほどである。
だから、私はおけけパワー中島なる存在が苦手だ。…いや、苦手ではない。嫌いだ。もちろん、私の沼っているジャンルにも、おけけパワー中島によく似た存在のフォロワーが居る。(以降、彼女をそのままおけパ島と呼ぶ。)
私の沼のおけパ島は、成人してから腐ジャンルに転入した陽キャでリッチな美人で、オフ会で出会った時は眩しすぎて目が潰れるかと思った。ブランド物のバックに大量の同人誌を入れ、マツエクの施された美しい瞳でBLを読み、ネイルサロンで整えられた綺麗な手で私が描いたスケブを手に持ち、華が綻ぶような笑顔を私に向ける。こんなん惚れてまうやろ。実際、彼女が私に微笑んでくれるたびに、私はキョドりながら早口でしどろもどろに返事をするのだった。
そんな彼女。もちろん私以外のフォロワーとも仲が良く、しばしばTLにフォロワーとの焼肉写真がアップされる。沼に新規加入してきた神絵師ともすんなり仲良くなり、いつの間にか彼女と神絵師がタメ語で話す間柄に。そんなことが頻繁に起こっている。
私の心境を上手くは表せないが、「なんでフォロワー少ないくせに神と仲良くしてるんだ」という、承認欲求こじらせなクズ思考と、「おけパ島が私以外のフォロワーと仲良くしてるなんて悲しい」というヤキモチにも似たメンヘラ思考が半分ずつ混じっているのだろう。私の沼のおけパ島は誰からも愛される素敵な女性だ。だからこそ嫌い。だからこそ疎ましいのだ。
私も軽率に神絵師にリプしたい。Skypeに誘いたいし、絵チャとやらにも参加したい。それができないのは、この生まれ持ったチキンメンヘラネガティブ思考が邪魔するからだろう。新しいフォロワーが増える度に、そのフォロワーのホームへ行ってフォロワー数を確認するという動作も、人を数で判断しているみたいで気が引ける。しかし、そうでもしないと自分がとるべき態度すらつかめないのがもどかしい。
20年近く前の話。
高校の部活の先輩のネット友達の大学生の文章が好きだった。彼のことも好きだった。
まだテキストサイトがあった頃。村上春樹にかぶれつつダメなオタクの匂いがする彼の日記が好きで繰り返し繰り返し読んでいた。
少しメールのやりとりもしたけど、あんまり覚えていない。うれしかった反面自分が彼に相手にされていないのを感じてかなしかった。
高校生なりたての私からしたら大学生はとてつもなく大人で、扱い方のわからない子供として扱われているのを感じた。
でも文章のリズムがとてつもなく好きで、何度も繰り返し読んでいた。
高校の先輩はその大学生でないネット友達と彼氏になってはしゃいでいた。
性交渉をしたんだろうな、とおもわれる日記を書いたりしていた。私はまだ処女だったけど舞い上がりすぎている先輩には正直ひいていた。
文化祭の日、先輩は彼氏とネット友達を部活の展示に連れてきた。
会ってみたい、話してみたい気持ちはあったけどウブウブのウブなので顔なんて合わせたら一瞬で好きなのがばれてしまうのがこわかった。
私は展示のバックヤードに逃げた。女子校なので、パブリックに見えないところは女子更衣室みたいなものだ。私は複雑な気持ちにぐらぐらしながらも安心していた。
でも、先輩はあろうことかバックヤードに彼らを案内した。複雑な気持ちのエントロピーが全部恐怖と怒りになり、頭が真っ白になった。
私はたまたま手元にあったカッターを手に取って、たぶんものすごい勢いで先輩ごとバックヤードに入ってきた男性たちを恫喝した。
彼らは逃げ、私は先輩に「浮かれるな」とかそんなことを言った。泣かせてしまった。ほかの先輩が慰めていた。
今考えても彼女は実際浮かれてタブーを犯したんだけど、とはいえ思い人に引き合わせてやりたい気持ちもあったんだろう。
誰がどんな気持ちでどんな思惑を持ったかは置いておいて、とうぜんだけど大学生からは連絡が来なくなった。とてつもないものを壊してしまった。
私はあの日どうしていたらよかったのか何年か繰り返しあの日を思い返して苦しくなっていた。
今朝夢に大学生だった彼が出てきて、気持ちがツーンとして久々に思い出した。増田に流して供養する。
あの時普通に会えなくてごめんなさい。男の人を過剰に怖がるあまり、あなたを傷つけてごめんなさい。私はあなたに会う価値なんてないおかしい女の子でした(今もおかしいけど)
---
追記:
> 読み直してようやく人間関係がわかった。ABCD使ってくれていいんやで。
パワハラだの
男が生きづらいだの
なんでもかんでも守るようになったが
一人で生きていける力を維持させ
かつ
人間、自立しなければならない。
それでもお母さんは寝るし、疲れて倒れることもあるし、休む。
何が言いたいか
いっこうにかまわん、当たり前だ
生きづらいと言っている人を守る
いっこうにかまわん、当たり前だ
ただ、「守る人が居てやれなくなったとき」を全く考えずに無責任にただただ守るだけのやつが多くないか
「守れ!守れ!」と声をあげまくってようやくちょっと手助けをする程度だったからよかろう
今はもう、守られまくっているところでは、相当に守られまくっている。
ちょっと「つらい」といったら人事が飛んでくる
いや、あの、うん。
ほんとにそれが辛い出来事がどういう原因で起きているかの、確認作業はいい。
ただそこからろくすっぽうにも確認作業もせずに「オオオオォ~~~~~ヨォオオオチヨチひどいめにあったねェ~~~~~~~~~~~」と守りまくるど阿呆うはいったいなんなんだ
それでそいつが、ほんとにお前なしで生きていけるのか
救った気になってなんにも救えていないクソと何が違うのか
もっと自立させることを考えろ
いくらお前が守ろうとも
お前は絶対どっかでおらんくなるし
守りたいやつよりはよ死ぬやろ
お久しぶりです。最近暑くなってきましたがどうお過ごしでしょうか。
彼女はできましたか?他の女の子達とはどうなりましたか?私は結局、社会人と付き合いました。
彼はとても優しくていつも送り迎えをしてくれるし、趣味も合うし、ノリもいいし、彼の前では自然体でいれて、一緒にいて面白くて幸せです。本当に好きだと思える人です。
私の好きなバンド、syrup16gの「生きているよりマシさ」と言う曲に
君と居られたのが 嬉しい
間違いだったけど 嬉しい
会えないのはちょっと 寂しい
誰かの君になってもいい 嬉しい
という歌詞があるのですが、とても君のことを思い出してしまいます。
しかし、君のことが忘れられないのです。
私が間違った選択をした時、本気で怒ってくれるのは君だけでした。君はいつも意地悪だけど、その奥には真面目さと優しさがありました。
でも、ただの友達とも恋人とも言えない君が怒るのはちょっと踏み込みすぎていたかもしれませんね。
私は今日も些細なことで落ち込んでしまいました。そんな時、君に電話がしたいなぁと思うのです。都合がいいでしょうか。
決して彼が話を聞いてくれないという訳では無いのです。所謂、"メンヘラ"というものに属するであろう私を面倒くさがらずに抱きしめて受け止めてくれます。器が大きいと言いますか、大人だなと感じます。抱きしめられた時、私は彼との差を感じてしまうのです。
君はと言えば、結局どうしたいのか?と私に怒っていましたね。そんな時私はああ、子供だなと思いました。私と一緒の子供なんだと。
もっと違う出会い方をしていれば、もっと違う遊び方をしていれば、君が真面目で無ければ、今でも君と遊べていたのでしょうか。
"好き"という言葉で片付けていいのかわからない、複雑な思いは確かに君に対してありました。それは君もそうでしたね。
だからこそ、今はもう会えないことは正解なのでしょう。
きっと数年後には"懐かしい"と思える日がくるはずです。私はその時を楽しみにしています。
女子高生より
クリエイターの彼・彼女らは、自分と他者の区別がついていないし、自己肯定は他人にして貰うものではない事を理解していないし、謎の嫉妬力を持ってる
他にもたくさんあるけど全部ひっくるめるてクリエイターだからって思うことにしてる
手書きブログからツイッターに移動してきた頃、自分はけっこうな流行ジャンルにはまった。
私はこのジャンルで初めて半ROM状態から絵を描く側に回った。この時の私は社交性がかなりあり、どんな人でもフォローしていたしリプして話かけていたしフォロワーの日常ツイートにも反応したりしていた。とにかくオタクとしての交友が楽しい時期でありジャンルも性癖にあっていたのかどんどん二次創作をした。
そのうちフォロワーも相互フォロワーを介して広まっていき、この頃の自分はCPが合致していれば誰とでも話せるようなそんな人間だった。
そんな中、仲が良かったフォロワーに「スカイプをしないか」と誘われた。
いつもは文字を通して話してるフォロワーと直接言葉を交えて会話できるスカイプは革命的であった。
最新話の感想を語ったりBのいいところ、A×Bのカプ観を時間の制限もなく話した。
リアルの友達とはジャンル自体がかぶらない私にとってその空間はとても幸福なものだった。
基本は仲がいいフォロワーとスカイプをしてそこにフォロワーの友人や自分の仲良い人を誘い、ツイッターでつながっていない人ともスカイプを介して仲良くなった。
週に何回か深夜から朝までスカイプをして萌え語りからリアルの話、ほかのゲームの話や参考になりそうなサイトの話などたくさんの情報を交換した。
そのうちにどんどんスカイプのメンバーは固定化し、いつメンで集まって定期的に雑談するような深い関係になった。
ある日一人の仲がいいフォロワーがヘラりはじめた。きっかけはその人が一番仲良しだった人と喧嘩したからだった。
日に日に自虐的なツイートが増え、スカイプでも自虐がはじまり、自分も励ましはするものの根本的な解決も当事者ではないからできずにいた。
仲が良かったフォロワーは日に日に喧嘩したフォロワーに粘着質になり、匂わせるような発言が増え、その人がいるうちはネガティブなツイートがツイッターに増える為私にとってツイッターは居心地が悪いものになった。
しばらくして活動ジャンルも最終回を迎えフォロワーもちょくちょく次のジャンルに移り始めた。
自分もフォロワーとは関わり続けるのに疲れてしまっていたので逃げるようにジャンルを変えた。
次のジャンルでは自分はあまり積極的に交流はしなくなっていた。
前回のこともあり、自分が好きなジャンルで人間関係のごたごたに巻き込まれたくなかった。
だからフォローも簡単にしなくなったし、相互フォロワーを厳選した。そんな中でも仲良くしてくれる人はいたし、萌え語りを一晩ツイッターでしたりもした。
でも以前のようなスカイプに誘ったりだとか定期的にリプを送りあったりだとかそういうのが目に見えて減りフォロワーと関係を深く保たないようになった。
絵を投下して萌え語りをして去っていく。そんな感じだった。別に気取っているわけではなく、それくらいしかできなくなっていた。
たまにフォロワーが萌え語りに反応してくれてうれしくてリプでリレーをしたりそれだけだった。
でもフォロワーがほかのフォロワーと楽しく話しているのを見かけるたびに、なんでこんなに交流がうまくできなくなったんだろうと思った。
そんな活動をしていく中である日ぱたっとSNSでの二次創作に疲れてしまった。
たまに感想もくるし、フォロワーと交流だってするし、評価に満足してなかったわけではなかった。
前のジャンルの楽しかった頃を思い出してしまうのか、フォロワー間の内輪ノリを見るたびにひどく疎外感を感じてしまい、一人で勝手に疲れてしまっただけだった。
交流するために二次創作を描いていたわけではないが、SNSを続けていたのは交流がしたかったからだ。
だけどそれを理解していてもしばらくの間交流という交流を断っていた自分は今では立派なネットコミュ障になってしまった。
たぶんこれからもずっと、自分は前のジャンルの一番楽しかった頃と今の自分を比較してしまうのだろうと思う。
我ながらめんどくさい腐女子になったと思う。
最後に、二次創作してる人で近場に定期的にヘラるフォロワーがいたら近寄らないほうがいい。
メンヘラはわりと感染するし、自分の精神衛生上すごく良くない。
めちゃくちゃな文章だが吐き出したかっただけなのでここに書く。
おわり。
様々な立場から様々な意見が飛び交い、その意見に対する反応の量も多い。このエントリもその一種である。
自分は完全に七瀬や友川側の人間であるが、本題はおけけパワー中島ではない。むしろそのタイプの同人女のことは好意的に捉えている。
ここで言いたいのは、「七瀬や友川の努力は本当に目標設定からして間違っていたのか?」についてである。
七瀬や友川の自己肯定感について言及した増田がバズっていた。その増田自体は非常に深層の問題の言語化が上手いと感じた。あまり主語が大きい発言はよくないかもしれないが、近年の同人女界隈の問題は多くが大きすぎる拡張自我と自己肯定感の低さ、自他境界の曖昧さなどに帰着されると感じていたので、この結論になると感じる人も多いだろうと思った。
それと並行して、「神も人間なのだから、人間扱いしないと仲良くなれるはずがない」という意見も散見された。
その類の意見に関しても、盲目的に崇拝されるより対等に接してもらえる方がとっつきやすいのは確かだろう。
これらの意見には非常に納得させられたし、全くその通りだ。自己の願望を他人に投影して行動すべきではないし、他人はコントロールできないということをしんから分かっていれば七瀬や友川のような行動は起こさないだろう。
だが、出発点である、憧れの神にフォローバックされたい、同じカプを愛好する者として仲間になりたいという感情自体はそこまで不健全なものではないはずだ。その結果小説の上達を目指した七瀬や友川の選択がそもそもお門違いである、というような意見に対して反論すべくこの増田を書いている。
第一、ここはリアルの教室でも職場でもなく、インターネットの同人社会である。最初にフォローされた時点でフォローバックをするかどうか、これから仲良くなるかどうかを決めるのに、「作品が好みかどうか」は最重要項目ではないのか?(そもそも、フォローバック=仲良くなる、ではないのかもしれない。しかし、私はインターネットで通話をするほど仲良くしている人間がFF外の人間である例はリアルの友人以外である場合以外に見たことがないので、このような考えに至っている。また、七瀬や友川が最初に抱いた感情を「仲良くなりたい」だと定義しているが、ここの解釈と表現に関しては個人差があると思われる)
確かにこのような実利主義を実生活にも反映したらメンヘラ認定間違いなしだろう。だがそもそも、同人を介した人間関係は作品ありきではないのか?
これでおけけパワー中島が見ず知らずのROM専だったら七瀬や友川がやりすぎで気持ち悪いという意見にも納得がいくが、実際は綾城さんはおけけパワー中島に「新刊楽しみです」とコメントしている。
もちろんFF内、果ては作り手でなくてもコミュニケーションを取ろうとする人はいて、だからこそそのような層が七瀬や友川の思考回路に疑問を呈しているのだろう。だが少なくとも私が同人生活で見てきた5つほどのジャンルでは、所謂「神」と呼ばれている人たち、そして私の好きな作り手は自身の好みの作り手のみをフォローしていて、その創作者のコミュニティ内でコミュニケーションをとる例が圧倒的に多かった。このような事実を前に、「仲良くなるために自分の状況如何に関わらずコミュニケーションを取ろう」と思える人間はよほど素直だなと思ってしまうのだが、これはそんなに認知が歪んでいるのだろうか。
綾城さんにとっておけけパワー中島は、友達である以前に「好きな作品の作り手」なのである。
すなわち、同人文化の中で仲良くなるには、まず「作品」ありきで、かつ「コミュ力」も必要なのである。今回の件ではどちらか一方に軸を置いている感想や考察が多いが、私はこれは両方欠かせない要素だと考える。
よって、コミュ力以前にそもそも自分で「大したことがない」と思うような作品しか作っていないし、人の心を動かすようなものを作れてもいないのだろう。この時点で綾城さんに相手にされないと思うのはごく自然なことに感じる。これは数の話というよりむしろ創作に対する態度の問題である。七瀬は解釈を突き詰める方法で、友川はひたすら作品を完成させるという方法で、自分の作品を研いでいった。
(また、今回の件ではあまり触れられていないし、最終的に綾城さんが七瀬や友川の作品を認識するに至っているため杞憂ではあるのだが、そもそも同じカプを愛好するからといって仲良くなれるとは限らない。ほのぼのハピエン好きは死ネタを絶対に読まないし、相手固定派は雑食を先行ブロックしているだろう。これらの流動性はジャンルによるだろうが、確かに存在する)
このように、同人女がまず繋がるためには、作品で認知され、さらに積極的なコミュニケーションをとるという二つのステップが必要なのである。
個人的に綾城さんとおけけパワー中島は長い付き合いだからこそのあの距離感なのだと思っているが、それだって最初の出会いはリア友であったパターンを除けば、互いが互いの作品を良いと思ったからなのではないか?
多くの意見では、七瀬や友川が「自分が上手くなれば綾城さんと必ず仲良くなれる」と思っている、という点について批判されているが、私はそこまでの感情を読み取れなかった。思うに、逆なのである。「綾城さんと仲良くなるためには、仲良くなれるかどうかは定かではないがとにもかくにもまず上手くなる以外道はない」だと私は捉えた。十分条件ではなく、必要条件である。
別に仲良くなれなかったからといって逆恨みはほぼないだろうと思われる。友川の自問自答や毒マロを送りかけた点については私も異常だと思うが、七瀬に関してはふられたショック以上の感情はないように思う。コミュニケーション能力は確かに低いので、作品を認知してもらったこの先も関係は思う通りにならない可能性の方が高いのだろう。だが創作はさまざまな感情の昇華法であり、その頃には本人たちも気持ちに折り合いがついているものと思われる。
巷の反応を見る限り多くの人は同人の人間関係は対価ではないという意見に納得しているようだが、成り立ちからして対価でないという方に違和感を感じてしまう。批判している人たちが日常的に関わっているのは、なんの関係もない無作為に抽出されたジャンル者なのか?相手の生み出すものに何も感じていないのか?私にはその前提がどうしても疑問である。
最後になるが、この件に関して七瀬や友川の批判をしている人は大抵フォロワー数がフォロー数より多い。そんなことに囚われているから弱小なのだと言われてしまうと耳が痛いが、どうしても「パンがなければケーキを食べればいい」と言われている気分になるし、結局は各々が自分の経験に照らした発言しかできないので価値観の相違がもろに炙り出されるのだろうと思う。件の漫画は、同人観をはかる試薬なのである。