はてなキーワード: クラシックとは
名称は大学によりさまざまで、早稲田大学だと「文芸・ジャーナリズム論」、法政大学だと「日本文学科文芸コース」、東海大学は「文芸創作学科」などがあり、ここでは旧来の文学部での文学研究ではなく、小説などの実作について教授することになっている。
美大が画家やアーティスト、音大が演奏家・作曲家を養成する場所だとしたら、創作学科は作家・小説家を養成する場所だ。
しかし、今活躍している作家の経歴を見た時、創作学科出身の人がいないわけではないが、特に多いわけでもない。むしろ少数派だ。
美術館に展示される画家のほとんどが美大を出ており、クラシック演奏家のほとんどが音大を出ているのに比べたら、創作学科と作家の関係は、美大や音大とは異なると言えるだろう。
つまり、創作学科を卒業することと、作家になることの間には、あまり因果関係/相関関係がないように思われる。
その理由。
1.入試
美大の入試ではデッサンの実技試験があり、絵心ゼロの人は入学できない。入試に合格するには、美術予備校に通って技能を身に付ける必要がある。
音大に入るにも、プロの演奏家の個人レッスンを早いうちから受ける必要があり、技能や才能がないと音大には入れない。
しかし、創作学科の場合、入試において文芸創作の才能が問われることがない。
英国社の偏差値さえ高ければ、創作学科最高峰の早稲田にも入れてしまう。
小説を書く才能ゼロでも入学できて、卒業してしまうのが日本の大学の創作学科なのだ。
美大を出ている人は一般人よりも絵が上手いし、音大を出ている人なら演奏が出来る。しかし、創作学科出身というだけでは、何の才能も技能も保障しない。カクヨムやなろうの底辺ユーザーよりも才能がないのだって普通だ。
逆に、小説の才能がいくら高くても、ペーパーテストの勉強ができないと有名大学の創作学科には入れない。東京芸大の入試で学力がほとんど問われないのとは対照的だ。
創作学科に入る・入れないが、作家になる才能と全く関係ないのだ。
2.学歴
現代美術の世界では、美大を出ていることが作家や作品の正統性を保障する。一般人が見たら落書きのような絵に何億円もの値段が付くのも、その「落書き」が美術の文脈にありますよと美術界隈の人が思っているからであり、その文脈にあるかどうかを判断する際、美大を出ているかどうかは大きな問題になる。
音楽の場合も、クラシックの場合は、学歴は演奏家の正統性を保障する。ピアノ教師が有名な音大を出ているかどうかで、レッスン料は大きく変わってくる。
このように、美大や音大の学歴は、業界内において正統性を保障するラベルとして機能している。
しかし、創作学科を出ているからと言って、作家が芥川賞・直木賞を取りやすくなったりはしない。
新人賞でも特に有利にはならない。美大や音大のような学歴の効用が、創作学科には全くないのだ。
3.結論
創作学科は作家になりたい若者の気持ちを満足させるだけで、実際のところ大学側の客寄せ以外には役だっていないのではないか。
大学当局も、どこまで本気で作家を養成しようとしているかだいぶ疑問で、大学によっては創作学科でも普通の文学研究者が教えていたりする。
そもそも靴に詳しいわけではない人間がなんとなく靴屋でバイトを始めたら驚くことが多々あったので書き出してみる。
今まで自分の靴のサイズは22.5cmだと思っていたけど、本当は右が22cmで左が22.5cmだった。
左右で数ミリの違いがあって、それがちょうど0.5cm刻みの前後の数値だった。
いっつも右だけサイズ合わないな〜と思ってたけどまさかサイズが違うとは思わなかった。
靴のサイズは縦幅だけだと思ってた。
ワイズは縦幅との比率で決まる。
革靴とかパンプスの裏に書いてある「EEE」みたいなアルファベットがワイズだそうで、Aから順に大きいサイズを表してるとのこと。
スニーカーは書いてないことが多い。
「履きやすいパンプス!」とか書いてある靴は大概EEEかEEなのでワイズが狭い人にとっては履きやすくない。
日本人はワイズが広い人が多いと言われてるけど、20代くらいの年代は狭い人が多いらしい。
スニーカーはナイキとコンバースが幅狭、ニューバランスが幅広で有名だそう。(形によるけど)
踵が細い人と太い人がいる。
同じサイズの靴を履いても踵がカパカパする人としない人はこの違い。
書いておいてなんだけど、これはただの靴屋の店員が言ってたことで専門家の意見とかではないので本当かどうかわからない情報。
コンバースとかでお揃いにしたい親子連れ多いけど、足の形が安定していない子供が底が平たい靴を履くと扁平足になってしまう可能性が大きいらしい(真偽不明)。
ニューバランスとかナイキの子供靴はインソールが立体的なので足の形がおかしくなりにくいとのこと(真偽不明)。
真偽不明なのでお子さんの靴買うときはちゃんと自分で調べてくれ。
靴が伸びるのは本革に限らないけど、縮むのは本革くらいじゃないだろうか。
本革は濡れて自然乾燥すると縮んでしまうので、濡れたら縮み対策の手入れをする必要がある。
あと、本革は合皮や布に比べて伸びるのが早い(馴染みが早い)ので、買うときに丁度いいサイズを選ぶと後々サイズが大きくなってしまうことが多い。
なので本革のパンプスとかはちょっとキツいくらいのサイズ感で買って慣らすのがオススメ。伸びたらインソールで調節。放置は靴ずれの元になる。
自分が生まれてから一回も足にあった靴を履いたことがないことに気付いたのが1番の衝撃だった。
靴は必ず靴擦れするものではないことと歩くときに靴の中で踏ん張るのはおかしいことを初めて知った。
20数年その状態で生きてきたので、「歩く=痛い」という固定観念がある。
子供の頃に足に合った靴を履けていたらもう少し歩くことや走ることを好きになっていた可能性も無くはないかもと思うと靴選びは重要だな〜としみじみ感じた。
まだ足に合う靴には出会えていないので探し続けたい。
靴の選び方や紐の締め方、お悩みなど全て勉強になります。接客に反映させていけるよう精進します。
ZOZOMATすばらしいですね!是非使ってみたいです。申し込みます。
ウィドゥスが正しい発音と初めて知りました!今後は混乱しないよう横幅と記載します。
皆さんやはり悩まされているのは横幅なのですね。4E以上となると確かにメーカーがパッと思いつきません…。
私はまだスニーカー兼レディースのみ担当なのですが、男性革靴のメーカー毎の特徴も調べてみようと思います。
ちなみに採寸表を見返したら私は横幅AAでした。今のところナイキのクラシックコルテッツ(横幅B)が1番足に合うかなーと感じております。パンプスでこの横幅を出しているところはほぼないそうなので、いつかお金が貯まったらショショットさんなどでオーダーしてみたいです。
確か高校の時の友人に誘われて地元の県大会に行った時に上演されていた演劇だと思う。忘れられないと言っても大まかな流れだけなので、以降の台詞は全て意訳である事をご了承願いたい。
登場人物は確かクール系の女の子(以下A)とワンコ系で尽くす感じの女の子(以下B)の二人がメインで、他にも数人の生徒役がいた気がする。そのうち一人は男。
Aは映画かドラマを撮影していてBはその映画の女優として抜擢されていたようだ。Aの撮る作品のためなら何だってすると笑うBと軽く受け流すA。
Aが今撮っている作品はいじめを題材としたもので、話が進むにつれそれはBが実際にクラスメイトから受けていた物を書き起こしたものだと判明する。
Bはいじめられていたあの頃の辛い記憶もAが作品として残してくれる事で素晴らしい思い出に昇華されるはずだと思うと同時に、いじめを受けていない自分はAにとって価値のない存在なのではないかと悩み始める。
Bが当時自分が切った傷の残る左腕を掲げて「Aさんにとっての私の価値ってこれだもんね」と笑うシーンがあり、背筋が冷たくなった。
クライマックスでは自分で用意したナイフで無理やり腕を切ろうとするB、それを止めるためにAはナイフを奪い自らの腕に刺す。Aは自分の傷口を見せながら「貴方の辛かった記憶は此処に残るから、もうやめよう」と泣きつき、二人で抱き合って泣いていた。Bは勿論、今まで大人びた姿を見せていたAの涙がとても鮮明に脳裏にこびりついている。
最後のシーンは楽しそうに撮影をする二人を廊下側から眺めているような構図でそのまま余韻を残す形で幕を下ろした。
あとは確かピアノを弾くシーンがあったと思う。クラシックには疎いので曲名までは正直わからないが、観劇中に既視感を覚えたので恐らく有名な曲目だったんだろう。最初はゆったりしたメロディで途中から激しい曲調に変わる曲だった。情報が少なくてすまない…
他に覚えているシーンは、
・カメラの三脚をスナイパーライフルの如く構えて人を撃つ真似をするB
・高価なカメラを知り合いの大人から借りており、その人の事を尊敬しているA
・Bのロッカーにナイフがある事を知り怯える生徒(Bを昔いじめていた?)
・Bがたくさんお菓子を出してきてそれを二人で食べる
これくらいだろうか
題名も覚えない身で言うのも烏滸がましいが、あれはとても素晴らしかった。ろくに演劇を見てこなかった自分にも真正面から突き刺さって、今でも時々思い出しては感慨深くなる。
出来ることならもう一度見てみたい。
アラフォーになってからカラオケが好きになった。それまでは歌が入っている音楽は聴いてなかった。クラシックとかテクノのみ。J-POPとかは毛嫌いしてた。
時間に余裕が出来てきて、幅広く音楽を聴くようになって、それまでは毛嫌いしていたJ-POPとかが好きになった。
自分が10-20代の頃に流行ったものとかが好きになったときに、あぁ、リアルタイムで聞いて楽しんでいれば良かったな、なんて感傷に浸ったりも。
そこでアラフォーになってはじめてカラオケに行って歌ってみた。面白い。
歌う曲は「歌ってみたい」と思った曲はなんでも。あとは知り合いのお勧めとかあればそれも。
最近のランキング上位の曲、アニソンなどアラフィフが歌うにはちょっと引かれる若い人が好きな曲も歌えるようになった。
若い頃から2回くらい曲を聴くと覚えるタイプだったので、だいたい事前に2回くらいは聞いてから歌えば、まぁ、なんとか。
どうしても歌ってみたい曲はそのあとで何回か聞いて補完する。
ヒトカラやっていると、採点にはまるようになって、どこまで歌が上手くなるだろうということに夢中になった。
DAMで全国1位になる曲は何曲か取れるようになったが、そこが限界。まだまだ世の中には歌が上手い人が多いなぁ、とか思うようになった。
結果「普通の人よりちょっと歌が上手いアラフォー」くらいの人となりました。
そしてそんな数年を過ごしアラフィフになった。
先日、娘とカラオケに行って歌って、パパは歌がうまい、というのがちょっとわかったようで、先日言われたのですが
「パパ、歌の大会とかでればいいのに」と。
「いやいや、さすがにそこまでは、出たくないなー」って返したら、「諦めてはだめ。今からでもやってみたら」と今年10歳になる娘に言われました。
こんな前口上で歌うには何の曲がいいでしょうか?
自分は「バンドやミュージシャンが誰か」で音楽を聴くタイプじゃないんだ。(あ、そういえばダブステップも聴く)
ラジオを聴いて、良いな、と思うものを聴くだけ。その中でも良く聴く、気になるバンド、ミュージシャン、はあるけど。
ぱっと思いつくのは...
シンセウェーブだと、Fixions、Perturbator、MICROCHIP TERROR、The Algorithmなどなど。最近の一押しジャンル。
エレクトロポップだと、Ladytron、The Good Natured、Krause
ハッピーハードコアは、Blumchenをずっと推してる。あとはBrisk、S3RLとか
ユーロビートはavexのSEB系で古いのは聴く(KING&QUEENとかANNALISEとかVanessaとか定番なもの)
トランスやダブステップは、思い出すバンド、ミュージシャンはなくほぼ使い捨てで聴く感じ。
ロックだと、Weezer、Metallica、Museとか定番かな。
ポップスもまぁ聴くけど、これも定番な物がほとんど(Taylor swiftとかAvril LavigneとかLady Gagaとか)
...結構書いたなw
JPOPは挙げるとしたら中田ヤスタカさんかな?シティ・ポップも最近流行りだして聴きなおしてたりします(竹内まりや、山下達郎など)
JPOPは殆ど聴かないなぁ...聴くのは、クラシック、ロック、チップチューン、トランス、テクノ、ユーロビート、シンセウェーブ、エレクトロポップ、ハッピーハードコア、...などなど。よく聴くのは海外のインターネットラジオ。情報入手も海外のWebなどから。
日本人って能動的に音楽を聴く(ディグる)人が少ないと感じる。またメディアは洋楽を殆ど流さないから、一般の人にはなじみが薄く聴きもしないんだと思う。
なぜ流さないかというと、日本のメディアは歌唱力や音楽性よりアイドル性を重要視してて音楽はオマケと思っているからで、作る側もそれに迎合し、カラオケ文化も手伝い、アイドルを目立たせるようボーカルの音量を上げ楽器の音はあからさまに下げるし。
歌詞を捉えること、解釈することにリソースが取られて、テキストに感情移入してしまい、音楽に集中できない。
だからこそ、いい詞だなと思うこともあるけれど、結局聴くのに疲れてしまうから聴かなくなる。
訳文や所々わかる単語から、形にならず、ぼんやり感情が伝わってくる。
曲調もシンプルなものが多くて(同じコード進行繰り返すだけとか)、電車に乗っている時のような心地よさがある。
クラシックもいい。
緊張感や迫力、夢見心地など、自然の中を彷徨っている気持ちにさせられる。
何より音と時間に心を集中できるのだ。
時代背景や作曲家の生い立ちを考えると、伝わってくる意思もあるが、あくまで聴き手の解釈だ。
なかなか理解されないが、ケンリュウの小説に自国語の音楽が苦手って登場人物がいて、嬉しくなったのを覚えている。
私はJpopが悪いとは全く思ってない。
むしろ、伝える力が強すぎて、あまりにも情景がはっきりと浮かびすぎるのだ。