はてなキーワード: イラストレーターとは
美大卒です。懐かしい。お嬢様校出身で容姿の良い子たくさんいました。話しやすい男子がゲイなのもあるあるです。
私は地方出身でスクールカーストは最底辺で不器量なので、悩みの方向は全然違ったのですが、人に序列をつけず、自分がやりたいことに一生懸命で、温厚だけど自信のある人の集まるサークルに入って救われました。
作品の出来次第で見た目に関係なくチャンスがあるのが美大のいいところです。
ただし、イラストレーターなど個人で活動するには顔がいいとやっぱり有利です。シンデレラバストの人、ボディペイントの人、ゲス乙のジャケットの人、みんなかわいい。
電通おじさんと合コンしてポートフォリオを見せたりとコネ作りに励む人もいます。
やる気が出なかったら二ヶ月くらい海外で遊んできたらどうでしょうか。そのうち絵でもアクセ作りでもやりたくなって元気が出てきます。
http://honeshabri.hatenablog.com/entry/vlookup
神がエクセルを使いこなせたら、聖書はもっとわかりやすかったに違いない。いや、CADが使えれば、モーゼの方舟の設計図も難解な文章ではなく、ビジュアル的に把握できる形式になっただろうし、イラストレーターが使えたら、祭司のコスプレも現代にまで残っていたはずなのに。
と 脱線はここまでにして。
神が理想を唱えると、反逆する者もおり、一方で、神の理想から堕ちてしまう者もでてくる。それは歴史が実証している通りである。エクセル表についてもしかりである。人は罪深い生き物なのだ。
例えば、神が、実用性とビジュアルを兼ね備えた表を作り上げたとしよう。それは、ありがちな技術者が作り上げる実用性が高い"だけ"の表になることなく、再利用性も高いのに視覚的にも把握しやすいものだ。まさに、神のエクセル表。
しかし、このエクセル表を運用するのは、罪深き人間なのだ。エクセル初級者や、さらには、「フォントってなんですか?」と尋ねてくるようなパソコン初心者だったりする。
するとどうだろう。「この表おかしいんですが」 と持ってこられたエクセルデータをみると、"コピー" , "貼り付け" , "挿入" , "削除" 等の「武具」により、無残にもフルぼっこされたかのようなエクセルになっている。
条件付き書式はずたずたに壊され、数式が消え去り、罫線はとぎれとぎれなのだ。
これを繰り返すうち、私は堕天使になることを決めた。「決して理想は求めない」と。いや理想を求めないこそこそ理想なのだと。神の教えを退け、我が道を歩むことに決めた。
初心者の運用に耐えうるできるだけシンプルな、数式や入力規則や関数の入っていない、エクセルを作り上げる。そのほうが、人には、わかりやすく使いやすいのだ。実務が冗長になろうが、人は労力惜しみなく注ぐことには苦を感じないのだ。むしろ、分厚いマニュアルを参照しながら決められた場所に決められた方法で型にはまった仕方で運用することを忌み嫌うのだ。 人は自由を求める。
どうしても、VLOOKUP等使いたい場合は、入力用シートと出力用シートを別々に作成し、INDIRECTを使用し、"武器"による攻撃にもタフに戦えるようにする。要するに、神の存在を感じさせず自由を与え、背後でその世界を操るすべを身に付けたのだ。
技術のたけただけの人が作るエクセル表ほど、使いにくいものはない。
個人的に0から1を生み出す「くりえいたー」になりたい。憧れてる。
そういう人結構多いと思う。
でも多いからか、何か「くりえいたー」じゃないのに「くりえいたー」的な事言いはる偽物も多い。
純血を貶める、なんちゃって「くりえいたー」ども。
純血の「くりえいたー」と一緒にしてはいけない。
歌うだけのヤツは偽物。純血ではない。作詞だけ、作曲だけも同じ。
最終アウトプットが歌である以上、一人でそれを構成しなくてはいけない。
曲も歌にするなインストで売れ、歌うだけの奴はオペラとか古典歌って歌声だけで戦え。
それができない格下だから徒党を組んでいるのに純血ヅラするな。
・漫画家
こちらも同じく最終アウトプットが漫画なので、一人でそれを構成してこそ純血。
原作が純血ヅラしたければ小説家になれ。作画家は絵描きになれ。
一人で漫画家になれないから徒党を組んでるくせに純血ヅラしてはいけない。
また、一人で書いていたとしても企画先行モノは論外。
受注制作しているものは純血ではない。ビジネスに飼われた負け犬。
・絵描き
最近数多いる有象無象の商業イラストレーターの多くは純血ではない。
二次創作は純血どころか、かなりの劣等種。なぜかそのくせ声はでかい。
その多くが純血。
0から自分の体だけで感動を生み出しているので「くりえいたー」と言っていい。
己の体をくりえいとしている。
・写真家
どちらかと言えば「くりえいたー」の成果を掠め取る、「ぷろでゅーさー」に近い。
シャッター押して出来合いのフィルタかけるだけで作った気になれちゃうインスタグラムがいい例。
・映画屋
・アニメ屋
・ゲーム屋
勘違いされがちだがこいつらも偽物。
なぜならば、これら全て産業が巨大で一人で作り上げるのが不可能だから。
商業に染まり、多人数で創るものはどうあがいても純血ではない。
ただ、産業が巨大なので中にいる人間のプライドは高く純血ヅラするものが多い。
でもたまに一人で作っている人も少なからずいる。
純血の定義は一つ。
それ以外は すべて偽物。まがいもの。
純血ヅラしている人間は、今一度胸に手を当てて考えてもらいたい。
そして、
純血は純血のみとしか通じ合えない。
尊敬と畏怖と共に、肝に銘じなければいけない。
つくしあきひと氏の絵を初めて見たのは15、6年前のことである。
当時から彼は特異な才能を持ったイラストレーターの一人として知られていた。当時は彼を含む様々なイラストレーター達が、個性的なイラストをホームページ上にアップロードしており、言わばその時期というのはネット上で活躍するイラストレーターの方々にとっての『黎明期』であったのではないかと今にして思われる。
つまりは僕自身もそんな黎明期――『夜明け』の目撃者の一人であったということだ、何てことが言えるのかも知れない。
まあ、『ワシが育てた』とかそういうことを言いたいわけじゃないけれど。
とにかく当時は、センスに溢れるイラストレーターさん達が、その実力をアンダーグラウンドな世界において遺憾なく発揮していたということである。あるいは彼らは一種の探窟者であったと言うことができるかもしれない。今となっては(つくしあきひと氏を含む)その一部だけしか生き残っていないという辺りも、あるいは彼らと強靭な探窟者達との共通点と言えるのかも知れない。
さて。
というわけで第四巻を先程読み終わった。素晴らしい巻であった。
深淵を辿って降りていく人の中の、もっとも先を行くもの、白笛の『黎明郷』のエピソードが続いている。
度し難い、とは正にこのことだろう。黎明郷の生命力の秘密というのが何なのかについては敢えて口にしないが、その身体に相当な業(ごう)やらメカニズムやらが秘められているという事だけは間違いあるまい。
彼らのような人間は現実にはそう存在しない。まあ一部の創作家とか、何らかの事柄に関する探求者といった人々は、ひょっとしたら白笛達のような度し難い探求者としての一面を持っているのかもしれないが、幸いながら僕はそういう人物との関わりを現実世界で持ったことが無い。大抵そういう人々というのは生活をする中で周囲の人間の尊厳を食い潰していってしまうものらしく、彼らの英雄譚を他人事として安全距離で聞いている内はむしろ幸せであるものの、まあ隣り合わせで生活していくとなってはこれは到底耐え難い事柄と言えるのだろう。パトロンや近親者を精神の淵にまで追いやった何人かの著作家のことを、僕としては数人思い出してみる次第である。
ところで、彼ら『降りる者』の対比として容易に思いつく存在としては、『昇る者』――つまりは登山家の存在があると思う。作中において『黎明郷』の功績の一つに「新たなルート開拓」などが挙げられていたが、これは恐らく現実に存在する登山家の家業を匂わせるような表現だったのではないだろうか。
思うに、『探窟家』の存在が度し難いとするならば、『登山家』の存在もまた相当程度には度し難いと言えるのかも知れない。
例えば、世界中の八千メートル峰の全てを無酸素で登頂した伝説的な登山家「ラインホルト・メスナー」は、登山中に弟を亡くし、自分自身も数本の指を喪った。挙句、そんな地獄の登山行から帰還した後で、実弟の死を巡ってメディアパッシングを受けている。
付け加えて言えば、登山家という職業は命を喪うに易い職業でもある。
エベレスト登頂ルートの途上には、幾つもの凍死体が未だ腐ることも許されず凍じ籠められている。
先日、伝説的な登山家の一人である、スイス出身のウーリー・シュテックが文字通り伝説となってしまった。伝説。登山もまた、探窟と同じくして度し難い……まっこと度し難いスポーツの内の一つなのだ、実際のところ。
さて、この作品はたくさんのインスピレーションを読者に与えてくれる。
何らかの深淵を追い求める中で、人は人間としての尊厳をいかに保っていられるのか、あるいは、いかに失ってしまうのか。
そして、各々の探窟行の果てには何が待つのか。
『成れの果て』となってしまったたくさんの人々は、一体何を語るのか――
そういう意味でもこの作品は優れている。まるで膨大な歴史を辿り、旅をしているような感覚を味あわせてくれる――。弐瓶勉氏の『BLAME』を読んだ時の感覚と似たものがあるかもしれないが、あの作品とこの作品はまた別物である。こちらにはこちらのユニークさがあって、それが読者の好奇心を掴んで離さないのだ。
仁奈「にゃっほーい! 仁奈たち、あんにな! 歌うでごぜーますよ!」
杏「えーもう歌うの?」
仁奈「歌うですよ、杏おねーさん! 準備準備!」
杏「それよりさ、杏仁豆腐食べたくなってこない?」
仁奈「えっ?」
杏「杏仁豆腐食べたい!」
杏仁豆腐「食べないでください!」
解説。
杏と仁奈のカップリングは杏仁と呼ばれており、あんきらに似た食べ物である「あん肝」が食べたくなる杏は
杏仁豆腐といえば、アイドルマスターではおなじみのイラストレーター杏仁豆腐さん。
そんな杏仁豆腐さんを食べようとする杏ちゃんは、棟方愛海ちゃんに負けないぐらい、女の子の柔らかい部分大好きなのかもしれませんね。(唐突に好きなアイドルの話をねじ込む)
落ちは、流行りのアニメけものフレンズの名台詞「食べないでください!」から。
いや、名台詞ではないと思うけども。
○朝食:なし
○昼食:麻婆豆腐定食(麻婆豆腐、ご飯、唐揚げ、杏仁((あんきら狂想曲のふしで)杏と仁奈で杏仁です、あー、杏仁っていうから杏仁豆腐が食べたくなってきたー 杏仁豆腐(イラストレーター)「食べないでください!」っていうギャグを思いついたので誰かブラッシュアップしてください。)サラダ、たまごスープ)
○調子
はややー。
体調が悪いわけでも、用事があったわけでも、眠たかったわけでも、他にしたいことがあったわけでもなく、
本当になんとなくぼーっと、インターネットをして過ごしてしまった。
それも、増田を書いたりブコメを書いたりするのでもなく、本当になんとなくぼーっとしてただけ。
よくない、こういうのよくない。
夜の9時ぐらいふと我に返って、これはよくない! と思い直して気軽に見れるニコニコのアイマスの動画を見たりしてた。
今日見たのは、四月の頭に完結した魔王エンジェルと日高愛ちゃんの卓マス、前は連載を追ってたんだけど、途中であの独特のサムネイルのせいでどこまで見たかわからなくなっちゃって見なくなったので、最初から見返してた。
もちろん数は少ないんだけど、未だに上田夢人アイマスやDSのアイドルの二次創作見れるってのは、幸せなコンテンツだなあ。
それと、少しだけゲームをした。
○SINE MORA
全く関係ないけど、ふと「Xboxのゲームの操作キャラクタをまとめた辞典的コンテンツが作りたい」という謎の欲求が湧いてきた。
増田は網羅性がないから何かレンタルwikiとかブログとかでまとめたいな。
いや、なんでそんなことがしたいのかが、自分でもよくわからないから、一回やってみたら飽きそうだけど。
●3DS
○ポケとる
しょうじき、悪ポケ全員レベル10って目標は先が長すぎるから、やる気がおきないや。
サメハダーレベル20が完成したし、有用な悪タイプのポケモンは大体レベルマックスだから、もういいかなあ。
どっかでイーブイにガツンと課金して、スキルパワーあげしたらもう満足して終わろうかなあ。
ログボのみ。
元増田です。
仰ることはその通りだと思うんですが、それも結局イラストレーターさんの主観なんですよね。全員がそう思ってるわけじゃない。「露骨だ」と感じるボーダーラインは人それぞれ、一律じゃないんです。
鼻息おじさんだって、駅まで必死に走ってきた人と悪意の人をどう見分けますか? 圧力おじさんだって、何かの理由で必死に体勢を直そうとしてるだけかもしれない。変な話、その日の心理状態や、その男性の「外見」にだった主観は簡単に左右されてしまうと思います。
そういう「悪意は見抜ける」と仰る人が非常に多いですが、僕は「それは全ての人に出来ることじゃない」と思います。どれだけ痴漢が非難されようと痴漢行為を働いてしまう男性が根絶されないように、です。
そういう人にあたってしまうリスクは(ゼロにすることはできないまでも)出来る限り下げたいと思うのは人として自然なことじゃないでしょうかね。
でもプロに対して使うのであれば中村佑介くらいは普通に入ってくるよ。
そもそも今はオタク向けのイラストレーターがめちゃくちゃ多いんだから
ボリュームゾーンがそこになるのは当然だよな。
(本来の浮世絵師とかではなく)現代のイラストレーターを指して「絵師」と呼ぶのは、あくまで俗称、スラングなので、そりゃ公の場では使われないし、プロの自称にもならないわな。
「このくらい露骨な人じゃない限り、満員電車で不可抗力に体が触れるのなんか気にしないよ」ということだと思った
デリケートな部位への接触を避けようとする努力が見えるなら、女性だってそうそういきなり糾弾しないのが普通だと思う