はてなキーワード: のび太とは
週末に居間でユリイカ1月号を読んでいたら、遊びに来ていた2歳の甥っ子に取り上げられた
硬い紙でできた厚い本をパラパラとめくっては楽しそうにしていた
私が絵のあるページの方がいいかと開くと、パラパラと風を起こすようにめくり繰り返す所作がただ気に入ったらしく絵を見たりはしていなかった
顔に近づけすぎたり、紙で手を切らないように眺めていたら、「読み聞かせ」と言ってきた
詩か追悼文かpanpanyaの評論しか載っていない雑誌を家族の前で甥っ子に音読する気はしなくて困っていると、
さきほどCMか何かを見て「どりゃぇもん」と彼がつぶやいたのを思い出した
棚から『のび太の宇宙開拓史』の漫画版を持ってきて、甥っ子に差しだした
今度は絵ばかりの漫画なので、甥っ子は指差しをして、「こえだえ?(これ誰)」と繰り返し聞いてくる
「ジャイアン、それはスネ夫。それもスネ夫だね。それはのび太。それは中学生」と答えた
なんか先ほど、「どりゃぇもん」と言っていた割には薄い反応で、カバーをめくりとって遊びだしていた
そのあとでPCを触っていたら、「ピぽピぽして」というので、キーボードを操作して、サブスクでドラえもんを検索して、ドラえもんを1話分見せた
適当に選んだ、ドラえもんが風邪を引いてドラミちゃんが看病しようとする回
彼は私の足の上に座っていたので表情は見えなかったけど、「こりゃがどりゃぇもん!」と楽しそうに言った
「これもドラえもんだよ」と先ほどの『のび太の宇宙開拓史』を指さすと、ぶるんぶるんと頭を振って否定をされた
甥っ子にはまだたいして言葉も通じないし、どこまでの思考能力があるのかは知らん
だから、彼の言葉と動作の意図が「アニメで動いているのが僕が見たかったドラえもん」という指摘なのか「この漫画のキャラはドラえもんではない」という直接の否定なのかはわからない
たしかに漫画版と今のアニメのドラえもんは、頭の形や色見が違うなと思いつつ、「F先生のドラえもんがドラえもんじゃないわけないけどな」という気持ちがムクムク浮かんできた
わさび声のドラえもんは原作に近い生意気さと友達感を増しているとどこかで読んだなと思いつつ、注射を嫌がり、ドラミちゃんから逃げ回るドラえもんを二人で眺めていた
これが彼の好きなドラえもんなんだなと思いつつ、私も大山のぶよ声の保護者っぽいドラえもんと、『のび太の創生日記』みたいな入り組んだ話が子供の頃から好きだったんだよなとか考えていた
季節の話題の時、冬の話になると、「冬が過ぎて春になる」という事を、さも希望に溢れた素晴らしい事であるかのように語る人が多くて理解出来ない
いや、春は嫌いなんだが。ずっと冬の方がいいんだが。
暑いの苦手なんだよ…
冬は着込めば寒くないけれど夏は裸になっても暑いってのび太が言っていたけどまさにその通りで。寒い季節と暑い季節だったらどう考えても寒い季節の方がいい。
夏の時にもうすぐ秋になるっていうのをポジティブに語られるのは分かるんだが
冬と春だったら冬の方が快適じゃん
昨日今日は寒くなるって言われてたら期待していたのに全然寒くない、寧ろ暑くてがっかりだよ!
春は嫌いだし夏はもっと嫌い。
あーあーー、早く秋になって欲しい…
青:大澤耕祐@東京36
ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 エイブラハム・リンカーン
・04 [ここからは映画]アルフレッド・ヒッチコック
・05 『世界の中心で、愛をさけぶ』
・06 [ペア]1番と7番
・08 『ニュー・シネマ・パラダイス』
・14 トリュフ
・15 和歌山(県
・16 レインボー
・18 ウニ
・19 [ふるさとクイズ][宮崎県都城市]温水洋一 ぬくみずよういち
・20 [3択](3)(番
・21 犬歯 けんし
・22 インド
・26 ラミレス
・29 綿矢りさ わたやりさ
・32e 合掌(造り がっしょう(づくり
あまりに憂鬱な話題ばかりなので成功事例をいくつか。最近の作品はあまり観てないので、全体に古いのは許して。最近の作品・小説原作・海外版とかは誰かにお任せ!
初回試写を観た藤子Fに、声に自信のなかった大山のぶ代が恐る恐る感想を訊いたら「ドラえもんってああいう声だったんですねぇ」と褒められたエピソードは有名。
もとひら了と芝山努監督の力量もあり、後期に絶妙なキャラ弄りや捻りを加えたオリジナルエピソードを連発した丸尾みほの脚本も最高。のび太の担任教師にフォーカスを当てた回まであった。
現在放送中の第2作第2期(わさドラ)はキャラを原作に過剰に寄せた作画、特にキャラの表情が個人的にはあざとく見えるが、声も含め原作や大山ドラへのリスペクトを感じるので、これは好みの問題。
なお、1973年に日本テレビ(日テレ)で放送された第1作については、藤子F(当時は藤本弘名義)が厳しく苦言を呈している。
アニメ化に使われた原作は〝てんコミ〟版全3巻が底本。実際には全40話ほど描かれていたが、アニメ放映時代にそれらは発掘されておらず、版元の小学館も把握してなかった。学年誌掲載の漫画原稿は雑に扱われる傾向にある。
長寿番組になったが、殆どがアニメオリジナルエピソード。多くの脚本家が手掛けたが、メインで書いてたのは、TVアニメ版サザエさんでの暴走が有名な雪室俊一。2ちゃん等では〝スノールーム〟と渾名が付けられるほど。
しかしファンの不安は杞憂に終わる。藤子Fもお気に入りで毎週楽しみに観ていた、というファンの間では有名な逸話もある。
〈TVアニメ(劇場版は割愛)/1986-1988/フジテレビ〉
初期は、高橋留美子の原作を丁寧に補完することに徹した。中期以降は原作にあった際どいネタを、アニメの方が自粛したこともあったが高橋は納得の上で快諾。
地上波ゴールデンタイムのアニメで「オナペット」という単語が使われたのは本作が最初で最後だろう(空飛ぶ飛行機の音を被せて聴こえにくくしてたが)。
脚本は3人がシーズンごとに交代。特に中期以降を脚色した回を量産した伊藤和典と高屋敷英夫の手腕が見事。伊藤は有名なので割愛するが、高屋敷も実力派。作品を検索すれば納得する筈。
ドラマ化に際し、原作・久住昌之が出した唯一の条件「音楽を担当させてくれ、そしてJASRACには登録しない」をテレ東が守った。
五郎役が発表され、原作ファンは不安しかなかったが蓋を開けたら……後は皆さんご存じの通り。
〈実写TVドラマ/2019、実写TVドラマS2/2023/テレビ東京〉
〈実写劇場版/2023/東宝(制作スタッフはTVシリーズと同じ)〉
個人的には、ここ数年で最も実写化に成功したレアケースだと思う。最近の作品なので詳細は割愛。
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【追記。長文失礼!】
仕事で生活リズム崩れ中、寝る前にフワッと書いたのが起きたら伸びててビビった。炎上というのは、これに付いたブコメのような「他者から集まる意見」ほぼ全てが憎悪ってことだよね。そりゃ怖いわ。
だけど便乗というより、原作レ◯プ・クラッシャーの類例がここぞとばかり過去の怨恨と共に山ほど噴出してるので、せめて評判が良かった作品を思い出し、澱んだ気分に支配されぬようにと思ったのよ。
何だお前のオナニーかよ。そうかもね。それならほとんどの増田もブコメもSNSもオナ。
オリジナルも二次創作もオマージュも、それこそ映像化の監督脚本や役者による改変や解釈さえオナ要素はある。某漫画家が『シン・仮面ライダー』を「予算が潤沢な同人誌」と評してたけど、的を射てると思う。
定義ガバガバ、数が少なすぎ!ってのは自覚してる。個々の説明書いてたら眠くなっちゃったのよw
俺が藤子Fの原作・アニメ共に一番好きな『エスパー魔美』も入ってないし。実写ドラマは微妙だったけど。
成功の定義は、送り手も受け手も人それぞれ。視聴率や興行収入・作画や役者の評価・原作ファンからしても良改変という判断……。だからタイトルを
【〜成功した(とされる)〜】
という曖昧な書き方にした。それでもなお主観からは逃れられない。ドキュメンタリーと同じ。しかも今回はパッと思い付いただけの範囲。年代表記だけは調べたけど、あとは記憶で書いた。
「ドラマ面白かった!→原作読んでみよう→あれ何か違う?でも面白いな」
というケースもあるかもしれない。
コメに色んな意見や作品が溢れてて勉強になる。前述「魔美」みたいに、それ入れるの忘れてた!何で思い出せなかったんだよ俺!ってのも多く出てる。
何にせよ、一からオリジナルを作った原作者ってのは本当に凄いと改めて思ったよ。
書きたいことはまだあるけど、長くなるので一旦〆る。コメくれた皆、ありがとうね。
【追記ここまで】
宮崎駿は原作からかけ離れたアニメを作ることで有名だが、高畑勲はもっと恐ろしい。
高畑勲は原作と別の存在としてアニメを作るのではなく、原作を再解釈し、異なる意味を与えるアニメを作る。だから高畑勲アニメを視聴してから原作を読むと、「アニメとは別モノだね」ではなく、「アニメはおおむね原作通りだったね」という感想を抱きつつ、知らず知らずのうちにアニメの解釈で原作を読んでしまう。
『火垂るの墓』の原作は野坂昭如という作家の自伝的な小説で、それ故にこのアニメは3層構造の原作になっている。
清太=作者なのに、死んだはずの清太が戦後に小説を書いて直木賞を受賞し、歌手デビューしたり、国会議員になったり、テレビのレギュラー番組を多数抱えているのは明らかに矛盾している。
野坂昭如の妹は小説の通り亡くなったが、兄は小説と違い生きている。
高畑勲のアニメでは、そのあたりの冷ややかな視線をさり気なく盛り込まれている。
高畑勲は原作のメインプロットを尊重しながら、原作者に対しこれでもかと悪意をぶつけている。
アニメでは子供時代と大人時代が交互に描かれていたが、原作には大人時代が存在しない。
アニメ版の子供時代の描き方は高畑作品としては珍しく、キャラクターがとても『かわいく』描かれている。このかわいさはジブリアニメとしては異質で、悪く言えば観客に媚びた絵柄とも言える。
一方で大人時代の絵はだいぶ様相が異なる。27歳のタエ子は令和の基準で見ると40代から50代のように見える。成人した子供がいてもおかしくない顔をしている。
自分探しの旅に出て田舎体験する夢見がちなアラサー女と、幻想の世界の可愛らしい少女漫画のキャラクターを残酷に対比させ、「お前らの自己認識はこんな感じの少女漫画キャラだろうけど、現実はコレだよ」と突きつけ、夢から覚めない都会の女が最後は『農家の嫁』になるというハッピーエンドともバッドエンドとも分からない結末で物語は終わる。トトロで田舎を知った気になる人たちへの痛烈な皮肉とも言える。
ジブリの経営を傾かせるほど金と時間と才能を注ぎ込んだにも関わらず、作られたのは昔話そのままのかぐや姫で、公開当時の観客は拍子抜けした。
それは『かぐや姫の物語』というタイトル。教科書にも載ってる原作は『竹取の翁の物語』という題名だ。
竹取の翁の物語はタイトルの通り、竹取の翁が竹藪でかぐや姫を拾った、という形でお爺さん視点で物語が語られる。
一方かぐや姫の物語はストーリーの骨格こそ原作に忠実だが、感情移入する対象が かぐや姫になるように作られている。
『ドラえもん』をのび太視点で描くかドラえもん視点で描くかでぜんぜん違う話になるように、かぐや姫の物語はさり気なく視点をずらして「かぐや姫という異質な存在が周りのみんなを翻弄する話」から「かぐや姫が社会に翻弄される話」にすり替えている。
あまりに見事なテーマのすり替えで、多くの観客が昔話とは別物の作品を見せられているとは気付かなかった。それ故に映画の評価はイマイチで、「作画は凄かったよね」としか語られない映画となった。
しかし水木しげるが妖怪のイメージを上書きしたように、ウォルト・ディズニーがヨーロッパの民話をアニメ化してイメージを上書きしたように、今後数百年のかぐや姫の解釈は高畑解釈で上書きされるだろう。
このところ夢を見ていなかったがコロナで寝込んでたら久々に見て、かつ面白かったので
1.学校?
その教室は普段は普通の見た目をしているのだが、廊下の床?にあるボタンを押すと合体ロボなみに変形しだして、壁のないおしゃれな部屋(ショッピングモールの服屋みたいな?)になる。
一通り用事を済ませ、その部屋を元の状態に戻すが、なにか忘れ物をしてしまう。自分はその部屋の操作方法を知らないため、見様見真似でもう一度変形させようとするが上手く行かない。先生に何してんの、と言われ──このへんまで。
2.ドラえもん
横浜駅近くの青木橋交差点のところでドラえもん、しずかちゃん等いつもの面々と居る。
「鉄人兵団」に出てくるロボの少女(リルル?)が出てくる。よくわからないが再会したようだ。その後別れを告げ、交差点を渡り、青木橋を通り青木通交差点方面へ進んでいく。ここまで。
3.異世界
これが一番怖かった。
ふいに空を見ると、大きな黒い円?球?とその周りに模様みたいなのが出ていて、その黒い円の中、外に白い文字で英文が書かれている。よく意味が分からなかったが、父親いわく警告的な意味らしい。
Xで調べてみるとトレンド下位に載るくらいにはみんな見ているようだった。
更に歩いていると、怒った様子のヨーロッパ風の男、警官?に呼び止められる。そして、父親のコートの内ポケットの中身を無理やり取り出した。すると、見覚えのない身分証明書が出てきた(宅急便の不在通知みたいな、縦長のやつだった)。
警官風の男は何やらドイツ語のような言語で捲し立てる。父親が分からないなりに適当にいなして、その場をおさめた。
また暫く歩いていると、空の表示が別のものに変わった。そしてまた警官らしい男が立っていたが、消えかけている。
恐らくこれは、何かパラレルワールドとの干渉で、それが元に戻ろうとしているのではないか。となると、向こうの世界に引っ張られないためにも自分達の世界の人々と接触しておいたほうがいいのではないか?という結論になった。