はてなキーワード: PTとは
それはコモンズの問題。社会を維持するためには様々な物が必要で、そのひとつがコモンズ。社会参加者の行動規範もあたえるし、法や制度にまで落とし込まれていない福祉とか地域社会の維持とかもコモンズに寄りかかっている。「みんなが当然だと思ってるから機能している無形のインフラ」はおおよそコモンズ。
もちろん町内会やPTAのように徐々に時代とそぐわなくなる慣習やコモンズもあるんだけど、公園がきれいなのも、人気のラーメン屋に行列ができるのも、コモンズのおかげ。
これがあるからみんなが快適に暮らせているわけなんだけど、これって参加者がそれぞれに行動自制や労力を持ち寄ってるから維持されてるわけ。コモンズによって生きていられるのだから、その維持には全員参加で貢献しなければならない。
日本は比較的恵まれてて豊かな先進国なのだけど、その居心地の良さはコモンズが強力であることが背景にある。悪い方面で評すれば同調圧力だけど、良い方向に評すれば謙虚で几帳面な生活文化があるから。金払ったんだから俺らはお客様だぞー! なんてサッカースタジアムにうんことゲロ撒き散らかしたりはしない。
んでまあ、コモンズは前出したように「みんなが心地よく過ごせるという利益を得ているんだから、みんなも維持に貢献しましょうね」って理屈で動いてるんだけど、それを、子どもに言い含めるように理屈抜きで感情駆動にした表現が「日本は良い国、愛そうぜ」ってものだ。
だから、本質的には愛情は必要ない。愛情なくただコモンズの維持に貢献すればいい。でもそれって普通の人間の精神には難しい。参加コミュへ「参加している意識」が必要で、必要ならば愛着心とか向上心とかあったほうがずっと楽で、多くの場合まっとうだ。愛国心はそこまで必要じゃないけれど、社会貢献は必要だ。
「法に反しない範囲であるのならば暗黙の前提や協定であるコモンズなんて破ってもOKだ」という人間がいるけれど、じゃあ、彼らはコモンズから利益を得ていないかというと、得ている。秩序ある社会の利益は万民にとって有益だから。なので、そういうことを言う人は「社会維持観点でのフリーライダー」だとみなされる。
近年、経済的に厳しさを増す中で、ベンチャー企業のオーナーの発言などが合理主義に偏りすぎて、この種の「コモンズに対する搾取」方向になったりして炎上する(法的には無罪なんだから何言っても/何やっても良いだろう系)。また移民が増えれば、彼らは日本旧来のコモンズ維持の習慣なんかは学習していないわけだから、当然日本のコモンズへ貢献しない(でも清潔や安全や信頼ベースの商習慣などの利益は得る)。そういう光景が日常化して、世間でも、コモンズの維持に敏感になってきているように思える。日本的に言うと「これだから他所者は信用できない」だ。
愛国心を求めるような言説はその文脈に従って理解されるべきだと思う。要するに大事なのは地域社会の心地よさなんだから、そこに参加して貢献すればそれでいいだけだ。
2018/06/10 13:44 追記
なんかブコメいっぱいつけてもらったんで、補足を追記。上記の生地は裏返しても成立する。つまり「国を愛する精神を声高に叫んでも、地域社会の維持に貢献しなければコモンズ的にはタダ乗り」。素人Web論壇みたいなのが花盛りで、そういう「愛国心だけをさけぶひと」が可視化されちゃったのも不幸なことだと思う。公共の場所はきれいに使う、列の割り込みはしない、軽挙妄動せず災害に備えて準備する、子どもがかけだしたら安全に注意する。別に大した話じゃないのに愛国なんとかで締め付けるのは窮屈。良い文化は捨てる必要ないよ。
寄付会員を新設。
会費は通常の会員の10倍程度(月会費300円の学校なら3000円)
寄付会員の特典
希望する場合のみ、当番等(例:登下校時の旗振り)への参加が可能。その場合、寄付会員の希望(旗振りなら、参加日と場所)は通常会員より優先される。
現状、PTAなんてのは給料天引きの年金みたいなもんだと思うんだ。嫌だけど必要だから皆ちゃんと払ってるし、なんだかんだいって社会の役には立っている。ただし無駄が多すぎる。
親が時々学校に行くのは良いことだと思うし、
ただ、クジではずれたりじゃんけん負けたりした時のダメージが大きすぎて困る。貧乏が子供育ててごめんなさいだけど、失業したら本格的に路頭に迷う。
「楽しいですよーやりがいありますよー達成感ありますよー子供のためになりますよー」
仕事をして生活の糧を稼ぎながら育児をしてるわけなので、自分のやりがいのために使う時間なんか睡眠削らないとない人ってけっこういると思う。
それでもどうにか社会的な体面を保ちたいから、もう若くないのに徹夜して、会社にもPTAにも頭下げまくって、肝心の子供にも負担かけまくって、
みんな1回くらい役員やってるわけですよ。
家庭要素
・一人っ子、大人にかこまれて育つ、優しく最初から大人としてのふるまいができる
・文字が読めるようになるのが早く、小学校時点で客観的にかなりおちついて賢いので「学者」(理系)などになることを期待される
・静かなところを好む
・親は高学歴
・始終威圧的な言動をするクラスメイト(男子の場合が多い)がでてきて「教師へのいいつけ」などでも全くコントロールできない(教師は体罰などといわれることを恐れ口頭でやさしく指導するのみ)
・進路を高一時点で理系とかいたが最後文転できない、理系教師は「●●くらいできなければだめだ」といって一方的に煽る
・体調を少し悪くして出席できない場合、「担任教師もだれも」プリントやノートをとどけてくれない。悪くすると春に配る教科書が夏休み過ぎまで3か月届かない。
・いじめ、校内盗難。PTA総会でロッカーにカギをかけさせてくれと質疑しても「持ち物チェックができなくなるからそれはできない」一点張り、それでいてお金や定期券をなくしたのは自分のせいにする(体育の前に預かるという話になっているが実効していない)
・親戚もマウンティング?威圧?してくるように感じられ、ストレスを受け止めきれない
(親の対処の項をここに書いていたが増田の雰囲気が悪く、何を書いてもすぐ毒親といわれることと、悪用されないとも限らないので削除、とても大変だったとだけ書いておく)
・ロッカーにカギをかけてよいこととする。
・威圧的な生徒に対応できない場合の文転、自習、転校(通信制)などの容易化
それでも卒業した。それでも大学生になれた。文転できたのはセンター受けたあとだったから受け入れてくれる大学なんていわゆるFランだけど。
なんでこんなに無駄な労力を払ったのか、なんで子供がこんなにつらい3年間を送ったのかと思うと、学校制度に怒りしかない。
最初からソフバン高校とかニコニコ高校とか行ってればもうちょっと勉強そのものの楽しさを知っていたと思う。
以前の
お子さん側の代弁者はいりませんよ。あなたは単なる小梨だと思います。
たたいたってなにしたって思うようには育ちません。
子供をたたきながら趣味を持てる女性はいません(少なくとも私は知らない)。
趣味を持たせない環境に置くことで子供をたたく女性ならいます。
それとは別に、小学生ごろは本当に最初で最後のママ友づくりの場だとおもいます。
とくに一人っ子だと。
「同一の小学校に通った弟と姉のうち、姉の方のPTAとはより仲良くなれた(弟も可)」
ということはありますが、
「同じ1人の子の小学生と中学生のPTAで中学生のPTAとのほうが趣味を打ち明けられるほど仲良くなれた」は結構めずらしいとおもいます。
高校の母親同士だと、ほぼ無理ではないかと。高度に発達した子育ては労働と見分けがつかない。
父親側は知らないですよ、部活のコーチとかして人脈ひろがる人もいるけどノータッチが多いんでは。
そういう話をしています。
なんで大麻を摂取すると「神経」の解像度があがるのかというと、
結果として、元々1つの神経細胞から多数の神経細胞に情報を伝えていた部分が、
少しの神経細胞にのみ情報を伝えるだけで済むようになるので、情報伝達物質を効率よく働かせられる。
神経細胞間に今までより強い信号が流れるのだから、鋭敏になったと感じるのも当然である。
もちろん、大麻自身には、人間の都合のよいように神経回路を選択的に切る機能は無く、
ほどよく神経を切る効能を上手く利用すると、PTSDのような不快な記憶を忘れさせることも可能なのだそうだ。
毎日、新しい神経接続が生成されるので、たまに整理するという意味でプチプチ切るのは致命的に悪いことではないのだけれど
とにかく、やり過ぎには要注意だ。
4月初め、かわいい我が子と幼稚園の門をくぐったならそのまま「保護者の方はこちらへ」と
そして、前会長がPTAとして幼稚園と関わる素晴らしさを一通り語ると、
この役とこの役と…これを決めてください!と教室の扉の前には前年度委員が仁王立ちし、
上の子どもがいて内容を把握されている方の立候補が一通り終われば、残りの保護者はPTA役員から逃れようと下を向き続ける。
PTAの多くが女性で構成され、働いていようがいまいが協力を要請される。
この我慢大会には前委員からの「なぜPTAをやらないのかわからない!!」とひそひそ聞こえるプレッシャーに耐えなくてはいけないのだ。
時間が無駄になってしまう…このまま決まらないのなら私が…なんて仏心を出したら最後、聞いていた以上の仕事が降ってくる。
(私はここで失敗した。今後この我慢大会に参加される方にはご注意願いたい。)
この役決めに関しては、特定の場所に閉じ込めるという意味では「監禁」、
仕事内容に関しては当初受けていた説明と違うという意味で「詐欺」と私は言いたい。
ちなみに当方は時短で働く兼業主婦、家事も育児も仕事も…あきらめたくはない。
「仕事内容は〇〇だから、働いていてもできるよ~。補佐の協力委員数名いるし平日出られなくても大丈夫!」と確かに私は言われた。
が、現実は違った。(ボイスレコーダーを仕込むべきだったと今では後悔している。)
送り迎えの後の井戸端会議に、PTAエッセンスをプラスしたプチ会議で物事は決まる。
「どーしよー?」「どう思う??」の発言が良しとされ、前に進ませようもんなら、要点つかない返答が返ってくる。
グループLINEへの加入を促され、必要事項のホウレンソウはないまま「う~ん、どうしよ?」が繰り返される。
そして「こんなのやりましたよ(内容はたいしたことない。)」のアピールの場となるのだ。
そしてびっくりなのはPTAには謎の親玉、運営本部があることだ。
つい数週間前に我慢大会の末にババを引いただけかと思いきや、この時点で運営本部の手下となっていたのだ。
だから、ただ役員を引き受けた保護者は子どもたちのために!と同じベクトルを向いて活動するだけだと勝手に解釈していた。
が、私はバカだった。
ほぼ強制的な時間的拘束とウダウダグダグダの足並みを乱すことは決して許されない。
そして女性特有の粘着質な会話を絶えず意識しながら、子どもを人質に取られ親は1年の任期を耐え忍ばなくてはいけないのだ。
あぁ、そうか。
安倍首相の言っていた女性の社会進出の「社会」とはPTAのことだったのか!!
働き方改革、生産性革命とは、PTAの改革のことだったのか!!!
「ベルマークの集計のためにお仕事休めるかな?」って…旦那さんにも同じことが言えるのだろうか?
是非、稼ぎ頭である旦那さんに「明日PTA活動だから仕事休んで」と言ってみてほしいものである。
IT化で作業効率向上やタスクを激減させることができる世の中に、些細な仕事を大勢で取り組むのを良しとするPTA
いや、100歩譲って、教育現場への保護者の関わりが多少必要であったとしよう。
人がやりたがらない仕事こそ価値がある!ならばアウトソースすれば?と思うのは私だけなのだろうか?
予算がない?
やりたがらない保護者から徴収すればいいし、作業をこなした人への謝礼として支払えばいいだけではないだろうか?
「PTA」聞いた事ある組織だが、その中身をしる人は経験した人のみだ。
役員決めでは下を向け!時間は無駄に過ぎ去っているのではない。無駄な時間を耐えることにこそ意味がある!
「PTAへようこそ。あなたもこの素晴らしい仕事をやってみませんか?」
余談
PTAに関連して。
「子どもの学校での活動費になる」と、小さいころからベルマークを集める事を良しとされてきた私は
「なんで(ベルマークのついた袋を)捨てるの?」と怒ったことがある。
ベルマークをパッケージに掲載している企業は「なんとなくいいこと」している企業と思い込んでいた。
が、そのベルマーク集計のために、保護者はPTAからボランティアという名の強制労働を強いられるのだ。
ブラックシステムの元凶である企業に、「なんかいいことしている気がする」というイメージだけで、私は利益に貢献してしまっていた。
非常に恥ずかしい。
小さいころから学校という教育現場でベルマークを集めるという行為こそPTA主管のもとおこなわれる洗脳教育であり、