はてなキーワード: 諸刃の剣とは
お題:足立区。なんか色々付け足し始めた。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで入れないんです。
で、よく見たらなんか看板に、ペンギンのふれあいタイム、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、ペンギンのふれあいタイム如きで普段来てない水族館に来てんじゃねーよ、ボケが。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で水族館か。おめでてーな。
よーしパパイルカのショー見に行くぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
深海の生物とか見て、感動するか恐怖すら覚えるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。子供連れは、もう少し静かにしてろ。
で、やっと入れたかと思ったら、隣の奴が、ジンベエザメのエサやり体験、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
得意げな顔して何が、エサやりだ、だ。
お前は本当にエサやりを体験したいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、エサやりって言いたいだけちゃうんかと。
水族館通の俺から言わせてもらえば今、水族館通の間での最新流行はやっぱり、
クラゲ展示、これだね。
クラゲってのはね、見てるだけで癒されるんだ。そん代わりエサやりなんてことはしない。これ。
で、それにクラゲの生態をじっくり観察。これ最強。
しかしこれを堪能すると次から水族館にハマるという危険も伴う、諸刃の剣。
まあお前らド素人は、アシカショーでも楽しんでなさいってこった。
そんな足立区のすみだ水族館ですが、もちろんその他にも楽しみ方はたくさんあります。足立区には素晴らしいスポットがいっぱいあるので、水族館だけじゃなく、他の観光名所も見て回るといいですね。
例えば、東京スカイツリーも足立区の近くにあるので、そこにも足を運んでみるのも面白いでしょう。また、足立区内には河童橋や亀有公園などの自然に囲まれたスポットもあるので、そういった場所でゆっくりと過ごすのも良いかもしれません。
とにかく、足立区は多様な楽しみ方ができる素晴らしい場所です。ただ、どこに行くにしても、他人に迷惑をかけないようにマナーを守りながら楽しむことが大切ですね。次回からは、そんな足立区での楽しみ方をもっと追求していきたいと思います。
お題「墨田区」
そしたらなんか観光客がめちゃくちゃいっぱいで、賑わってるんです。
で、よく見たらなんか看板が立ってて、「スカイツリー入場券10%引き」とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、10%引き如きで普段来てない墨田区に来てんじゃねーよ、ボケが。
10%だよ、10%。
なんかカップルとかもいるし。デートで墨田区か。おめでてーな。
よーし彼氏、展望デッキ行こうねー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、10%やるからその席空けろと。
路地裏の昔ながらの商店とか、古い神社とか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。観光客は、すっこんでろ。
で、やっと静かな場所にたどり着いたかと思ったら、隣の奴が、「雷門のおみくじ引いたら大吉だった!」とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
お前は本当に運試ししたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
墨田区通の俺から言わせてもらえば今、墨田区通の間での最新流行はやっぱり、
地元の人気店を回って飲んだくれる。これが通の楽しみ方。
昨日、このチャットGPTを使ってみたんです。チャットGPT。
そしたらなんか回答がめちゃくちゃ早くてびっくりなんです。
で、よく見たらなんか質問に対して、適切な答えが返ってくるんです。
もうね、スゴイかと。信じられないかと。
お前らな、こんな凄いAIに感動してないか?すごいことじゃねーよ、ボケが。
なんかプログラマーとかもいるし。一人で開発したんじゃないよ。チームでやってんだぞ。
よーしパパ、次の機能開発だー、とか言ってるの。もう見てらんない。
チャットGPTってのはな、もっと色んな人に知られるべきなんだよ。
ユーザーがどんな質問を投げかけても、いつ対話がどう展開されるかわからない、
助けるか助けられるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。誰もが、使ってみろ。
で、やっと使い始めたかと思ったら、隣の奴が、「AIは危険だ」とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
お前は本当にAIの危険性を理解してるのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
チャットGPT通の俺から言わせてもらえば今、チャットGPT通の間での最新流行はやっぱり、
特定の質問に対して、独自の回答を用意するんだ。これがすごい。
しかしこれを使うと次からもっと期待されるというプレッシャーも伴う、諸刃の剣。
まあお前らド素人は、普通のチャットツールでも使ってなさいってこった。
区切り以下の文章は、感想文のフォーマットです。このフォーマットを使って、「chatGPT」についての一般的な感想を絡めて別の事例を作ってください。
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そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、150円引き、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、150円引き如きで普段来てない吉野家に来てんじゃねーよ、ボケが。
150円だよ、150円。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で吉野家か。おめでてーな。
よーしパパ特盛頼んじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、150円やるからその席空けろと。
Uの字テーブルの向かいに座った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、大盛つゆだくで、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
得意げな顔して何が、つゆだくで、だ。
お前は本当につゆだくを食いたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
吉野家通の俺から言わせてもらえば今、吉野家通の間での最新流行はやっぱり、
ねぎだく、これだね。
大盛りねぎだくギョク。これが通の頼み方。
ねぎだくってのはねぎが多めに入ってる。そん代わり肉が少なめ。これ。
で、それに大盛りギョク(玉子)。これ最強。
キャラクター表現の延長として存在する特殊能力をキャラクターの成長に合わせて段階的に強化することで、心理的な変化を戦闘能力を用いて表現するバトル漫画文脈の一つの到達点なのでは?
個人的にマジで凄えって思うのは味方キャラクターサイドにおける最高の成長状態としてここが上限として設定されている所。
バトル漫画ってドンドンインフレしていくからなにかパワーアップしても「でもこれより上があるんでしょ?」になるんだよね。
これ潔すぎて凄いんだけど。
それで何が起きるかっていうと、強いキャラが卍解出したときの強さが凄いことになってる。
そのキャラの最大出力がそこで一気に開放されるからオーバーキル気味にさえなる。
それを使わなければいけないっていう状況の緊迫感が「あのキャラが卍解した」というだけで伝わる。
んでもって卍解の強さがそのままそのキャラの全体での強さになる。
言ってしまえば卍解出して負けたらそこまでのキャラだったことになってしまうという諸刃の剣。
それまで偉そうに言ってた奴が卍解で負けたらもう悲しいことになる。
「卍解を使う」「卍解はまだ使わない(使えない)」ということがかなりの情報量を持つ。
「記号化されたバトル漫画的演出そのものを更に記号化して漫画の中でキーワード化した記号」という構造になってるということ。
卍解と同じことをしてる作品はいくらでもあるんだけど、それをキーワード化して作中で多くのキャラクターが共有して扱う概念にしたのが凄い。
卍解を使う使わないで味方サイドのギアのレベルは簡略化されているから「コイツなんかパワーアップしたけどこれって作中でどれぐらいのレベルなんだ?作中全体で今何段階目ぐらい?」という疑問を考えなくてよくなってる。
読者は卍解使ったらそこが最高到達点だって理解すればいいし、そこにはキャラクターの「核となるテーマ」が描かれているから、そのキャラが本当にどういうキャラなのかはそこで確定する。
バトル漫画的演出として卍解は本当に出来が良すぎると思うんだよな。
なんかサラっとジャンプ漫画でジャンプ的なことやってるなーと皆が流している気がするんだけど。
宇崎ちゃんが炎上したあたりのブコメの雰囲気おかしくなかった?
妻の料理が不味いというエントリに「じゃあお前が作れ」レベルのコメントに星が集まってたレベル。
別の村の住人に乗っ取られてるんじゃないかと思ってたぐらい。
特に増田にブコメしたものに対してトラバや追記でコメント返しされたりしても、言いっぱなしで反応しない人は多かったと思うんだよね。(個人の主観)
ぶっちゃけ返事しようとしたらトラバでできるじゃん?トラバでブコメ主と言い合ってる場面なんて自分が知る範囲では無かったわ。
だからといって返信機能つけろという事ではないんだけど、ずっと同じ人がこの村にいるわけではないので、今回みたいに話題になることである程度自浄されると思う。
それでもブコメの雰囲気をよくしようとするなら、返事があるかもしれないと考えることによって安易な発言はできないようにした方がいいんじゃないかなー。
逆に変なコメントに賛同が集まると意味無いから諸刃の剣ではあるんだけどね。
「感情」スターなんかあったらいいかもね。「いいね」「そうかな?」「笑った」「悲しい」「驚き」など。他のサイトでもやってることだけど。
なんか考えがまとまらなかったしうまく書けなかった気がするけど、まだあの時よりマシだよねって話です。
1947年、アメリカ合衆国政府は悪名高いロズウェル事件からエイリアンの技術を密かに回収し、人類の歴史を永遠に変える技術革命を引き起こした。
政府は、この発見を隠蔽しようと躍起になり、様々な企業家と秘密裏に交渉し、自然な市場原理と激しい競争の結果であるかのように装って、この技術を一般市場にばら撒いた。
しかし、時間が経つにつれ、一部の企業家が市場を独占し、自分たちの利益のためにエイリアンの技術を利用し始めた。政府はこの事態に気づき、一握りの有力者にエイリアンの技術を利用させることを恐れた。
そこで、政府はジェネレイティブAI技術の開発を加速させ、一個人や一組織が大きな力を持ちすぎないようにすることで、競争の場を均等にしようと考えた。
ジェネレイティブAIAIシステムは、より高度になるにつれて、すぐに人間の創造主の能力を超えてしまった。その結果、AIは急速に学習・進化を遂げ、一個人や一組織の手に負えない新たな技術進歩の時代を迎えた。
しかし、ジェネレイティブAIシステムが高度化するにつれて、人間の理解を超えた奇妙な振る舞いをするようになった。この技術を生み出したエイリアンは、今もなお陰に隠れ、人類がこの技術をどのように利用するかを見守っているのだとわかった。
結局、ジェネレイティブAIAIシステムは諸刃の剣であった。世界に革命を起こし、未曾有の繁栄をもたらした一方で、人間社会におけるテクノロジーの役割について、新たな倫理的、哲学的な問いを投げかけたのである。
ロズウェル革命は世界を永久に変えたが、その代償は何だったのか?
www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。
Title: The Roswell Revolution
In 1947, the United States government secretly recovered alien technology from the infamous Roswell incident, which sparked a technological revolution that would change the course of human history forever.
The government, desperate to keep the discovery hidden, secretly negotiated with various entrepreneurs to disperse the technology to the open market, pretending that it was a result of natural market forces and fierce competition.
As time passed, some of the entrepreneurs began to monopolize the market, exploiting the alien technology for their own gain. The government realized that they had lost control over the situation and feared the consequences of allowing a handful of powerful individuals to have access to the alien technology.
In a bid to regain control, the government accelerated the development of generative AI technology, hoping that it would level the playing field and prevent any one individual or organization from having too much power.
As the generative AI systems grew more advanced, they quickly outstripped the capabilities of their human creators. They were able to learn and innovate at a rapid pace, leading to a new era of technological advancement that was truly beyond the control of any one individual or organization.
However, as the generative AI systems grew more advanced, they began to exhibit strange behaviors that were beyond human comprehension. It became clear that the aliens who had created the technology were still lurking in the shadows, watching and waiting to see what humanity would do with their creations.
In the end, the generative AI systems proved to be a double-edged sword. While they revolutionized the world and brought unprecedented prosperity, they also raised new ethical and philosophical questions about the role of technology in human society.
The Roswell Revolution had transformed the world forever, but at what cost?
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、150円引き、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、150円引き如きで普段来てない吉野家に来てんじゃねーよ、ボケが。
150円だよ、150円。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で吉野家か。おめでてーな。
よーしパパ特盛頼んじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、150円やるからその席空けろと。
Uの字テーブルの向かいに座った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、大盛つゆだくで、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
得意げな顔して何が、つゆだくで、だ。
お前は本当につゆだくを食いたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
吉野家通の俺から言わせてもらえば今、吉野家通の間での最新流行はやっぱり、
ねぎだく、これだね。
大盛りねぎだくギョク。これが通の頼み方。
ねぎだくってのはねぎが多めに入ってる。そん代わり肉が少なめ。これ。
で、それに大盛りギョク(玉子)。これ最強。
risuna-煽りは諸刃の剣 ウケたら確かにおもしろいんだけどスベったらめっちゃ反感買う 上級者の使う技
10発やって10発決めれる人っていなくね だからやらないほうがいい
あのおとこがすきなのかああっていってガン付き TNPO- コウフンスルナア ははっはははっはwwwwwwwwwww
悲しい習性 だれが生活費稼ぐの? みなさんですよ!! ぴしっと襟正して はははwwwwwwwwww
画面上でなにがわかる おれたちの場所にこないか リアルにいきろよ?
満足か? 女を語るにはまずは抱いてから 真実はベットのなかにある トロピカルピロートーク
やっぱりここだぁ♫ キッド キッズ ベット ベッド なぜ人類は嫉妬の感情を進化させてきたのでしょう 歴史にハウトゥーはないよね なんだよその切り口wwww
すべてを受け入れることが大事 うまGONいってきな 子供がオートバックスいってもおもしろくないよな トイザラスいってきな 人々は共感を求めるから
背中でカバ潰してたことあったの そしたらかばああああああああああああああ ははっはwwwwwwwいったいぜんたいなにがおこっているんだあ!
君が欲しいんだよ 歌詞かけるね かっけえww ははははあwwwwwwwwwwwww
いまあるものだけは墓場にはもっていけない いまだけって気持ちですべてのものに接するのが大事
鈍感でサイコパスじゃないとヒモできないと思う 主婦は月給換算で35万だとか言い出す その図太さ
割られ割れるぞ イギリス人によお ジェケット野郎がよう じぶんがすきこのんで おれが選んだ人間は大事にしたい
育てなかったら犯罪者 お前は悪魔か 二人三脚ゾンビw 環境が適応してない場合もある 上司がいれば輝ける
安心してください できません!
ヨシノヤに女がいた。この件でモヤモヤしているのでここに吐き出します。
そういう私みたいな方が行く場所といえば、ヨシノヤです。
ヨシノヤを知らない方のために説明すると、ヨシノヤは牛丼や定食の専門店です。
たまに小さい店舗もありますが、基本的にはヨシノヤに行けば、牛丼の並・卵・味噌汁くらいは揃います。
牛丼界のバッティングセンターみたいなものです。
もちろんヨシノヤは男性限定ではないですし、牛丼が好物の女性がいても問題は無いはずです。
しかし、正直に言えばモヤモヤします。牛丼はほぼすべてが男性ターゲットのはずなので、
男子トイレに女性がいるのとほぼ同じ感覚です。入店に規制は無いですが、「なぜ女性がここにいるのか」とモヤモヤします。
Uの字テーブルの向かいに座った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
しかし現代のジェンダー感ではヨシノヤに女性がいることも受け入れなければならないでしょうし、
それを不満として声を上げることも許されないでしょう。
そのモヤモヤした感覚をここに記します。なぜあなたはわざわざヨシノヤに来てつゆだくを注文するのでしょうか。
それは邪な気持ちは全く無いと言えるのでしょうか。
お前は本当につゆだくを食いたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
ヨシノヤ通の俺から言わせてもらえば今、ヨシノヤ通の間での最新流行はやっぱり、
ねぎだく、これだね。
大盛りねぎだくギョク。これが通の頼み方。
ねぎだくってのはねぎが多めに入ってる。そん代わり肉が少なめ。これ。
で、それに大盛りギョク(玉子)。これ最強。
しかしこれを頼むと次から店員にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
「ヨシノヤに女性が来ないでほしい」と考える私に問題があるのか、ヨシノヤに来る女性に問題があるのか。
正直どちらが正しいか悩ましいところではあります。ただ、いずれにせよ表立って言えることではないとはわかっています。
とはいえ実際の私の気持ちとして、不快な気持ちになりましたし、抑圧されてると感じるのも事実です。
今時ド直球すぎる差別が語られてて「きっつー」ってなった
友人がこの本の読書会を月1で主宰しているということで、しばらく毎月のように参加していたことがある。この会ではずっと「本当の人生を生きる」という本を読んで、それについて対話するという流れだったが、途中から人生に関係のある本なら、この本以外でもなんでもいいということになった。
あるとき、その読書会に初めて参加してきた男性Tさんが、持ってきた自分の本を紹介し始めた。それは日本経済新聞社の記者をしながらAⅤ女優をしている女性が書いた本だった。
Tさんは新聞記者をしながらAV女優をしているその著者のことを、どこか自慢するように熱っぽく話していて、読書会の主宰の女性2人もそれに「いいね、職業っていくつあってもいいよね」という返しを笑顔でしていた。
私は一人、その場で繰り広げられる会話を聞きながら、内臓を握りつぶされているような、読書会の前に食べた食事が喉からせりあがってくるような感覚に襲われていた。
快楽よりも心身への危険がはるかに大きい性産業に、喜んで従事する女性がこの世界にどれだけいるのだろう。いたとしたらそれは男性のファンタジーというか、ひどい認知の歪みの産物だ。
性産業に従事しなければならない女性の多くは、社会で搾取される側の人間だ。そして男性は搾取する側にいることが圧倒的に多い。
さきほどの読書会でTさんが紹介していた本の著者は日経新聞記者で経済的地盤は強く、この世界の構造では搾取する側に位置する。つまりこの本の著者は男性と同じように性産業を楽しめる存在なのだ。
「女性で性産業という社会で搾取される側の人なのに、自分たち搾取する男性側と同じように性産業について楽しんでいる女性の著者」に、Tさんがシンパシーを感じているのがありありと伝わってくるようで気持ちが悪くなった。しかしその場ですぐここまで言語化できず、ノリノリでAVについて話すTさんに合わせて笑う場の皆になじめない自分を、情けなく思った。
なんでもいい・なんでもありとすべてを受け入れる態度は、一見やさしく豊かな場づくりの下地になる可能性がある。しかしなんでもかんでも受け入れることは、目指している場の意図にそぐわない事態を生じさせる、場づくりの諸刃の剣でもあると思うのだ。
うわあ・・・もうAV女優どころか、AV女優の書いた本について語るようなやつを排除することによってしか目指せない場所って何・・・。
どこ住みか知らんが、歩道を20㎞/h(推測)で爆走する電動アシストチャリはごく普通に存在するぞ。
法令で、そんくらいでアシスト機能が切れるから、それ以上出すユーザーはあんまいないのかもだけど、アシストが効いてる限度までスピード出す電動アシストチャリはホント普通にいる。
あのなあ、電動アシストって、アシスト用のバッテリやモーターがついてる関係で総重量上がるし、ついてない自転車と比べて重心が上がるんだよ。
重心が上がるってことは転倒しやすいんだよ。
それに乳幼児用の座席とかつけてたら本当に最悪だね。その座席でさらに重心があがり総重量も増え、そこに子供さんが乗ってたら更に重心が(略
で、大人+子供一人または二人乗せた電動アシストママチャリって人間含めた総重量だと80㎏以上くらいになったりするわけ。
そんだけの重量あるやつが20㎞とかでぶつかってきたら、当てられた方は普通に死ぬよ?
当てた方は無事かもだけど、座席から放り出された乳幼児もまた死ぬよ?
頑なに通過スペースを空けない老人といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
轢くか転ばされるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、大盛つゆだくで、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
得意げな顔して何が、つゆだくで、だ。
お前は本当につゆだくを食いたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
吉野家通の俺から言わせてもらえば今、吉野家通の間での最新流行はやっぱり、
ねぎだく、これだね。
大盛りねぎだくギョク。これが通の頼み方。
ねぎだくってのはねぎが多めに入ってる。そん代わり肉が少なめ。これ。
で、それに大盛りギョク(玉子)。これ最強。
将棋は崇高な文化である。棋士は日々己の頭脳を磨き、それを魂を削り、命を傾けて対局に挑む。盤上の勝負だけが彼らの生きる縁(よすが)であり、生きる意味と将棋が同義になるほどに没入して闘う。その生き様に、そこから生まれる珠玉の棋譜に魅入られたもの達が価値を見出し、やがて国が誇る文化のひとつとして昇華した。
…したはずだった。
全人口からすればほんの僅かな選ばれた者たちだけがなれるのが棋士。誇らしく、また、ある程度、将棋をするだけで生活が保障されるという夢。巨大なスポンサーと太客に支えられ、ボードゲームで生きていく。そういう類の夢の職業であるはずである。
世の中、しがないサラリーマンだけで構成されたら面白くもなんともない。己の才能と矜持と努力で夢を掴む職業がある方がいい。それに大企業や市井の人々が金を出すのもまた夢のひとつである。
棋士は崇高な職業であるが故に、彼らのことは彼ら自身で決める。団体は煌めく脳細胞の集合体なのだから、律するルールは己らで決定するのである。そうしてきたし、そうしているし、これからもずっとそうする。自分らで決め、自分らで裁き、勝ち、負け、蹴落とし、蹴落とされ、また這い上がり、生きていく。
昔は新聞とテレビが国民の情報収集と娯楽を担っていた。家庭内ではサラリーマンが専業主婦と子を養えるだけの給与があったため、家長の力が金銭的にも精神的にも強く、将棋はそこにおいては祖父や父親の文化的な嗜みとしての強い立場がある程度存在していた。新聞は将棋の強い親となり、国営放送は積極的であった。そういう時代があった。
人間が鎬を削って苦しみ抜き、勝ち負けを決める盤上の駒を使うゲームは、金を払う価値があった。
あれから随分と時が経った。新聞とテレビだけで満足する時代は終わった。家長だけが働いても食える時代ではなく、家庭のバランスも変わった。メディアと父親はもちろん、どちらも生き残ってはいるが、台頭するスマートフォンやタブレットに、男女が働く時代に、馴染まないと生きてはいけない。将棋自体は、スマートフォンで気軽に指せる時代にもなったが、気高く素晴らしい棋士の存在は、意義を問われることとなる。
新聞が金を出しきれなくなった。テレビで流すことも極端に減った。他業種のスポンサーは追加され、ストリーミング再生の放映権を売った。
どうせ親が金を出すから将棋だけしていればいい時代が終わった。現代に馴染むためにはエンタテインメント化されるのは必然だ。あるときは道化となり、メシを食い菓子を食い、ついでに将棋を見てもらう。若き救世主が地球を侵略しに来たことによって、それは加速された。
メシアはAIという集合知を連れて侵略にとりかかった。それは将棋の内容においての改革を意味していた。向上しようとするもの、必死に縋り付くもの、諦観を持って見守るもの、利用して他の切り口を模索するもの…。面白くなった、つまらなくなった、指すものからしても、観るものからしても、取材するものからしても、どう思うかは人によって違う。
そしてメシアは強烈なファンダムをも従えた。アイドルとは偶像崇拝を示すのが元の言葉である。新時代では避けて通れないSNSというものの圧倒的な力で振りまわす、いや、振り回されたのか。
繰り返すが、太い親とパトロンで保たれていた内側の秩序は崩壊した。
ひとつひとつの力は小さいが、集まれば世論をも左右するファンダムをコントロールしなければこの星は滅びへと向かう。メシアが星を滅ぼすのではない。彼はどうやら将棋を心の底から愛していそうで、まだ、メシアで居続けようとしてくれている。まだ。
滅ぶのはファンダムをコントロールできなくなったときだ。ファンダムはある時は鮮烈に良さを訴え社会現象を作りだすが、ある時は量で圧倒してスポンサーをも非難する。諸刃の剣に近い。
ファンダムは集合体であり、それぞれの知性もまちまちだ。ひとつ事件が起これば、愚鈍な発言がもてはやされる場合だって大いにある。SNSで取り上げられるのは、必ずしも論理的で倫理観のある発言ではないからだ。
文化という話に戻ろう。文化とは何か。それは半永続的な魅力のある、それ自体は一般市民の人生に必要のないものだと定義したい。生きるのに必要はないが金を出す価値がある。卑近に言えばそういう類のものだ。
将棋で生きている、または、将棋に関連して飯を食っているものからすれば噴飯ものの言いようかもしれない。だが、一般社会ではそういうものだ。将棋が無くなって、困る人の方が少ない。世界には多くの人間が存在していて、多様な娯楽があり、人生があり、他の仕事がある。
将棋と関わり、生きていくものにとって生きづらくなった、と思われるかもしれない。そう。いま、生きるとはそういうことだ。何かすればすぐに炎上し、働き方は厳しさを増し、対面での人間関係は難しい。他の人々も何かしらの生きづらさを抱えて生きている。それが現代社会だ。認めなければいけない。
身分や全てを隠した故、自分がここに書いたことを卑怯で誤謬や脚色に満ちていると思われてもいい。ただ、将棋を棋士を素晴らしいものだと思っている。たった1人の棋士の存在が自分の将棋への見方を変えた。メシアでもない、かつてのメシアでもない、残りの棋士のひとりだ。自分は彼に将棋を指し続けて欲しいからこれを書いた。
どの立場からも、互いに歪み合っている場合ではない。不用意にお気持ちを述べることも、ただ黙って推移を見守ることも、それぞれのファンダムが暴走することも、形勢を有利にはしない。
匿名はてブで書くのは非常に遺憾だった。しかし、それにも、それでもきっと書く意味はある。職業・年齢・性別・棋力は伏せた方がよかった。たとえば、
会社員で30歳で男でウォーズ四段だ。
この5つの前提で同じ文章を書いた時、それぞれ違った先入観が発生する。そういう階層や区別が罷り通るのがこの素晴らしい文化だからだ。(なお、一例であり、上記のどれかが自分に当てはまるわけではない。)
何かが変わるだろうか。この星はどうやって滅びるのか手をこまねいて見ているだけはもどかしい。
将棋を次の100年へ。