2023-03-18

卍解」という漫画表現って想像よりもかなり凄いんじゃないか

キャラクター表現の延長として存在する特殊能力キャラクターの成長に合わせて段階的に強化することで、心理的な変化を戦闘能力を用いて表現するバトル漫画文脈の一つの到達点なのでは?

個人的マジで凄えって思うのは味方キャラクターサイドにおける最高の成長状態としてここが上限として設定されている所。

バトル漫画ってドンドンインフレしていくからなにかパワーアップしても「でもこれより上があるんでしょ?」になるんだよね。

でも「卍解」が出てきたらそこがそのキャラクターのゴール。

これ潔すぎて凄いんだけど。

それで何が起きるかっていうと、強いキャラ卍解出したときの強さが凄いことになってる。

そのキャラの最大出力がそこで一気に開放されるからオーバーキル気味にさえなる。

それを使わなければいけないっていう状況の緊迫感が「あのキャラ卍解した」というだけで伝わる。

んでもって卍解の強さがそのままそのキャラの全体での強さになる。

言ってしまえば卍解出して負けたらそこまでのキャラだったことになってしまうという諸刃の剣

それまで偉そうに言ってた奴が卍解で負けたらもう悲しいことになる。

卍解を使う」「卍解はまだ使わない(使えない)」ということがかなりの情報量を持つ。

記号化されたバトル漫画演出のものを更に記号化して漫画の中でキーワード化した記号」という構造になってるということ。

卍解と同じことをしてる作品はいくらでもあるんだけど、それをキーワード化して作中で多くのキャラクターが共有して扱う概念にしたのが凄い。

卍解を使う使わないで味方サイドのギアレベルは簡略化されているから「コイツなんかパワーアップしたけどこれって作中でどれぐらいのレベルなんだ?作中全体で今何段階目ぐらい?」という疑問を考えなくてよくなってる。

読者は卍解使ったらそこが最高到達点だって理解すればいいし、そこにはキャラクターの「核となるテーマ」が描かれているから、そのキャラが本当にどういうキャラなのかはそこで確定する。

バトル漫画演出として卍解は本当に出来が良すぎると思うんだよな。

なんかサラっとジャンプ漫画ジャンプ的なことやってるなーと皆が流している気がするんだけど。

これってマンガ表現の再解釈と再構築の完成形みたいな所あるだろ。

ジョジョの「スタンド能力」に匹敵するぐらいの「ある種の表現文化に対しての最適解」じゃないのかと。

  • 漫画表現として優れてたってより、インフレさせない珍しい漫画だったって話に見えた

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