はてなキーワード: 自発的とは
「B層」という概念は、消費者行動理論とマーケティングにおいて特定の消費者群を指す。以下にB層の定義、特徴、数理的アプローチを考察する。
B層は、消費者の情報リテラシー、社会的影響、意思決定プロセスに基づく分類であり、以下の特性を持つ。
P_i = (I_m * W_m + I_s * W_s) / C
ここでP_iはエージェントiの購買選択確率、I_mはメディアからの情報強度、W_mはメディア情報信頼性、I_sは社会的影響強度、W_sは社会的情報信頼性、Cは情報選択コストを示す。このモデルでB層の情報受容と意思決定を分析できる。
P(i → j) = k_j / Σk_l
ここでP(i → j)はノードiからjへの情報伝播確率であり、k_jはノードjの接続数を示す。このアプローチでB層消費者が社会的影響を受けるメカニズムを分析可能。
人間は 「問題を指摘する人」に問題があると思い込む心理バイアス「自発的特性転移」を持っています
例えば、ある人が「日本には問題がある」と言ったとします。 自発的特性転移が起こると、聞き手は無意識のうちに「問題」という特性を話し手に結びつけてしまい、「話し手が問題だ」と思ってしまいます。
Many adults in East and Southeast Asia support free speech, are open to societal change
たとえ他人を怒らせたとしても自分の意見を公に発言することが許されるべきだ
タイ 59%
韓国 53%
ベトナム 52%
台湾 48%
香港 48%
マレーシア 45%
スリランカ 37%
日本 34%
シンガポール 34%
カンボジア 30%
というか、悪口だよね? 少なくとも、私が誰かについて自発的に「○○さんて変わってるよね」って言いだしたらそれは間違いなく悪い意味で使っている。
そういう前提で生きてきたので、先日友人が
「B先輩に聞いたんだけど、A先輩ってちょっと変わってるらしい!」
と嬉しそうに報告してきたときには、混乱して変な返事をした。え?うん? (A先輩って君の憧れのひとじゃなかった?なんで悪口言われてそんなに嬉しそうなの?)で、気付く。この子にとって「変わってる」は誉め言葉なのね、と。
いや、わかる。「変わってるね」とか「変だよ」と言われると喜ぶ人っているよね。言われて嬉しそうならまだましで、そう言われたくて「私って変なのかな?」とわざわざ聞いてくる人もいる。あと「(自らの所属してるコミュニティ)って変な人しかいないからさ~!」と嬉しそうに喧伝する人たち。
どういう価値観で生きようとその人の勝手だろ、というのはもちろん承知の上で、そうなんだけど、そういう人たちを見ると、果てしなくむずむずする~~!!!
これって多分、高2病というか、そういうやつなんだろうな……。
私の中では「人とは違う自分」への憧れみたいなやつが中2病の価値観で、実際何かに秀でてるとかならいいけど、別にそうでもないことについて「私って変わってる!」と思って(そうに見え)る人を見ると勝手にとんでもなく恥ずかしくなってしまうんだと思う。
ところで、その場にいない人(A先輩)について「変わってるね」という場合は、悪口……ではないにしろやっぱりあんまりいい意味じゃないきがするんだけど、どうなんだろうか。
自己投影して長文になってしまいました。的外れでしたらごめんなさい。
診断がつくかどうか(病名がこれと確定するかどうか)でなく、どうかあなたの「困り感」に寄り添い、対処方法を一緒に考えてくれる病院や医師と巡り会えますように。
「〜感」というとふわっとした実体のない、大したことのないもののように思われるかもしれないけど、生きていく中で苦しみの実感があるにもかかわらず、客観的に診断などの名付けがされないから「困り感」と呼ぶ。名付けられなくてもご本人が辛いのだから、実際にそこにある苦しみにほかならないので。
「待ち合わせに早く着き過ぎてしまう」とか「情報を得なければという義務感」というのには私も心当たりがあります。
私がうつと診断される前や復職してしばらくの間、「焦燥感」からしていた強迫的な行動でした。
何か意味のあることをしなくちゃ、もっと良い人間にならなくちゃ、価値を作り出さなきゃ、そういう焦燥感に駆られて活動するので一見充実して元気に見えるけれど、本人は疲弊しているのに動き続けてどんどん消耗している。
数日間お休みをとられるとのことですが、全く何もしない日だけでなく、普段の日々も意味のない時間や何も生み出さない時間をゆったりと楽しむ気持ちになれるといいと、個人的には思います。
頑張るのは尊いことだけど、義務感だけで満足感がなかったら、自発的にやってみたいことが生まれてくるためのエネルギーまで削られてしまうので。
困っていることをこれだけ言語化して書き出せる方なので、ここに書いてあることから困り感を理解してくれる医師や心理士と出会えたら、ひとつひとつの辛さの正体をほどき、心穏やかに楽しむことができる人生を目指せるようになると思います。
どうか肩の力を楽にすることができますように。
そんなことで距離を置くのは人間としてどうかな、と自分でも思う
これが外国人であったり、年齢であったりするような本人の力でどうしようもないことなら差別だと思うけど
髪をピンクに染めるのは本人が自発的に、意識してやっていることで
お酒で酔うことはあまりなく、二日酔いもほとんどなくて、あっても朝ご飯前には治るのが大半なのだけど、多く飲んだ翌日にお腹を壊してしまう。ウイスキーとかくらいなら数杯飲んでいても顔も赤くならないくらいだけど、よくよく考えると酔う前に気分悪くなるから回復するまで自発的に休憩するようにしているというだけだし、ずっとアルコールに強いと思ってたけど、実は弱い体質なのかも。
ここでどちらが普通であったり、相手側に同情する人の意見を聞きたい。
増田は「生活しやすい空間を作ることが大事。日々使うものを身近に置いて、使わないものは奥へ片づける。例えば、リモコンやティッシュが食卓において手に届くところにあるべきだし、衣類の衣替え等はある程度する」という考え。
相手は「めったに掃除はしない。掃除するときは頑張って見栄えをきれいにしたい。例えばリモコンやティッシュも食卓からどけて片づける。季節の衣替えなんかも見栄えに関係しないからしない。洗濯後の衣類も畳んでその辺に積み上げる」というタイプ。
相手は「近い将来、これを使うかどうか」を考えられないタイプなのだと思う。
だから増田はともかく雑でもいいから、生活圏をある程度きれいにすることを優先してる。
常に70~80点を狙うイメージ。
殆どの場合、来客があるときや、増田に文句を言われて掃除をする。
普段は、食卓や廊下に郵便物を積み上げたり、椅子に洗濯後の乾いた衣類を平気で一日以上放置することもある。
ひとつひとつはキレるほどではないのだが、他のイライラと重なると爆発してしまう。
そのため、常習的にこのことで揉める。
増田としては、「いくらズボラといえど、生活で使うスペースを汚したら、自分の首を絞めるだけじゃないか」と理解が出来ない。
都市伝説の一つ(大本はどっかの作家が作った創作とも言われているけど、その人が都市伝説をパクっただけかも)
収容所に入れられた捕虜達は自分たちの牢の民度の低さに疲れ果て、「そうだ。ここに一人の少女がいると仮定しよう。彼女に恥じないように暮らそうじゃないか」と思いつく。
牢全体が見渡せる位置に椅子が置かれ、そこに少女がいるという妄想を彼らは共有して暮らすことにしたのだ。
たとえば誰かが喧嘩すると「少女にこんなものを見せるのか!男として恥ずかしくないのか?」と諌めたら男達はふるい挙げた拳をそっと下ろしたという。
そんな彼らは過酷な収容所の暮らしの中でも倫理観や規律を守り、誰一人かけることもPTSDを患うこともなく収容所から出られたのだとか。
恋愛をしたことがある人間は多かれ少なかれ背伸びして自分をよく見せようとした経験を持っているものだ。
それは個人的な自己顕示欲による「どうだ。俺はカッコイイだろう」という中二病じみたナルシズムではなく、相手本位で考えて「この人に好かれるには、嫌われないためにはどうしたらいいのだろうか」と考えた経験があるということだ。
恋愛経験がない人間は不特定多数から褒められたいというチャチい自己顕示欲に溺れて格好つけた経験はあっても、身近にいる一人の人間、そのパートナーとして恥じない自分になるために努力した経験がないのである。
つまり、恋愛をするということは、自分の中に「一緒に居て恥ずかしくないような人間になるために頑張ろう」という意識が自発的に生まれ出るということだ。
自分を律しようという意思をもって日々を暮らすことで健全な精神が育まれていくのだ。
多くの人が恋愛を通して一皮むけるのは童貞を捨てて自信がつくからではない。
自分の中に他人の目線を持ち込んで「自分はちゃんと振る舞えているだろうか」と日夜考えるという経験を積むからなのだ。
立派なパートナーとしての自分を誰かに与えるという感覚、これはパパママから「Aクンは立派だね~~~」と褒められようと努力するのとは全く意味が異なる。
パパママに褒められたいから頑張るのは「自分が褒められたい」からでしかなく、「相手に恥じないようにしたい」という気持ちからではないからだ。
逆に言えば、恋愛経験のない人間はそういった経験をすることもなく「僕は毎日こんなに頑張ってるのに誰もいい子いい子してくれない><」と子供じみた泣き言をいくつになっても心の中で唱え続けるのである。
具体例で言えば、女性登用とか工学部の女子入学とか、出産がそう。
自分に「需要がある」気配を感じると、それを使っていかに相手から時間や労力、金を引き出せるかが先に来る。
「今更求められても、もっと支援して設備整えたら?」とか「もっとこっちの気持ちとか考えて欲しい、このままじゃやる気出ない……」とか
「出産してほしいならもっと女性の仕事環境と支援金と働かなくても生きていけるような環境揃えなさいよ」とかとか。
こういう交渉する奴ってそもそも働く気も工学部に入る気も出産する気も無いんだよな。
本来自発的に動くものを、他人に動機求めてる時点で絶対入ってもすぐやめてくのよ。働くのも工学部は居るのも出産も子育ても大変なものだからな。
楽になりたい奴に、大変なものをさせるのに必要なのは純粋に「飢え」なのよ。出産や子育てをしない女性が生きにくい環境作り、働いてない女性は蔑まれる環境作り、
まぁ話し戻すと、搾取されないためには交渉は大事だけど、すぐ性交したがる男が刹那的関係しか作れず結果的に女に嫌われるように
すぐ交渉したがる女って同じように刹那的な利益しか得られず、結果的に嫌われて孤独になっていくのよな。
女の人って世間から需要があるから、瞬間的に交渉する癖がついてるんだろうけど
もう少し交渉すんの我慢して大人しく工学部入ったり、会社で頑張ったりして、そこから交渉入っていった方が
社会に大切にされるし、結果的に生きやすくなると思うんだけどね。
端的に言えば
・他責的
・受け身
・コミュニケーション能力低め
・仕事が遅い
・たまに寝てる
・質問の仕方が悪い
・物覚えが悪い
・仕事出来ないくせに喋り方が偉そう
・雑用が嫌い
うん。
よくある好かれない新人のテンプレみたいな奴で、1周回って面白い奴なんだけど、やっぱ毎日コイツの相手してるとしんどくて少しずつ嫌いになってくるんだよな。
まあ本人なりに頑張ってるんだろうなって分かるんだけどさ、その頑張ってる感の出し方が足りてないんだよね。
電話を積極的に取るとか、ちょとしたことでもとりあえず報告していくとか、そういった「ガムシャラにやるぐらいしか出来ないからガムシャラにやってます!」みたいなポーズを取るのが下手。
あとまあ一番困るのが抱え込みまくって自分の頭の中が時系列さえグッチャグチャになってから周りに相談してくる。
そうやってギリギリまで溜め込む理由はよく分からんから邪推はせんのやけど、なんとなく「チームに貢献したくて頑張ってる」というよりも「自分が傷つきたくないから」なんだろうなと感じるんだよね。
学習能力においても、自分で鍛えるべき部分と他人に鍛えてもらった方がいい部分の切り分け、セルフトレーニングとパワーレベリングの使い分けが下手な印象がある。
総じてヒューマンスキルが低いっていう悲しすぎる現実に行き着くんだけど、これについて俺は脳のバグで「畜生、コイツはきっと俺達のことが嫌いだから牛歩戦術で俺達を苦しめたいんだ」みたいに勘違いしそうになる。
そんなことはなくてただただコイツは学生時代に目先の勉強を最低限こなしていくことしか学んでくなくて、生活・人間関係・学習の効率化を意識せずに暮らしてきてしまっただけの愚鈍なだけの人間なんだってことは分かるんだよ。
分かるんだけどさ、職場で今更になってヒューマンスキルを鍛えるとかしんどすぎて戸塚ヨットスクールみたいな所に投げ込むしかないけどパワハラになるからってことで皆苦しんでるのが今の時代なわけよ。
いい年した成人同士が「知ってる?夜ふかしするより少し早く寝たほうが、脳のホルモンバランスがよくなって仕事が早く終るから結果として遊ぶ時間も増えるし、気持ちが前向きになって毎日が楽しくなるんだよ」みたいな話したくねーわけよ。
本当にどうしようか悩んでる。
悪い奴じゃないのは分かるんだけど、好きになるにはちょっとしんどすぎる。
嫌いになりたいわけじゃないんだけど、やっぱどうしても少しずつネガティブなイメージが溜まってきてしまう。
どうしたらいいんだろうな。
そもそもコイツが変えるべき部分って自分で意識して自発的に変えないと身につかないような部分ばかりだもの。
要は人間として自立するための課程の取りこぼしっていうかさ。
自発的に変えてるんじゃなくて周りの同調圧力に屈し続けてるから何も改善しないんだろと思うわけよ
女の場合、たとえば化粧したくない女は「化粧を全員に強制するんじゃなくしないという価値観も認めてほしい」って化粧が好きな女もいる中でそいつらを否定するわけでもなくちゃんと自己主張してるからな
女性の自己決定権というけれど、それは果たして何処まで真に自分自身の意思なんだ?って思う
美容整形手術と同じに思えるんだよね
女性が自発的な意思で選んでいるかのように思えても、実際のところはルッキズムによる同調圧力によって強いられた結果だったりするし。
不妊手術もそれと同じとしか思えない。女性の自己決定権というよりは、「不良な」子孫の発生を防ぐために優生思想によって洗脳された結果なんじゃないの?
特にアジア人の女性と結婚した米国人男性が不妊手術を許容する事例なんて、一見理解ある夫くんに見えても実際のところ
家政婦兼性処理道具としては適格だけど自分の子供を産ませて遺伝子を受け継がせるという本来の意味での「妻」としては不適格だと思っているからなんじゃないの?