はてなキーワード: 独占欲とは
大切な人と会話する人間に嫉妬してイライラして、相手に八つ当たりするのはよくないことだと理解している。
愛する人を独占して不自由にしてしまうことは、フィクションで語られる際に悪しきものとして扱われている。
愛する人が自由で幸せでいられることを、愛しているからこそ大切しなくてはいけないと思う。
その愛こそが清く正しい愛だろう。
それをわかってはいるが、この独占欲を持つ私はどうやって人を正しく愛せばいいのだろうか。
私は自分の持つ独占欲が清く正しい愛ではないことを理解している。
大切な人に嫉妬し苛立つたびに、そんな浅はかで幼稚な自分にも怒りを抱く。
大切な人に幸せでいてほしいと思っているのに。
どうすれば愛する人を真に大切にできるのか。
嫉妬せずに広い心を持てるのか。
本当にどうすればいいのか教えてほしい。
キューブラー=ロスの"死の受容"と同様に異性に対する"愛の受容"までにはいくつかのプロセスがある。
このプロセスはパートナーの両方に発現する場合もあるが、片方にのみ発現する場合も多くその場合、破局に繋がる可能性が飛躍的に高くなる。
しかし、それを乗り切り受容まで至ったカップルはその後、継続的に添い遂げることが多くなる。
このプロセスは画一的なものではない。いくつかのパターンに分かれるし、飛ばされる場合もある。
死の受容との根本的な違いとして、愛は不可避ではないことに留意してもらいたい。受容までに、そのプロセスは途切れることのほうが多いだろう。
初めて恋に気づく。
そこに愛はないが、本能的に異性の気をひくために行動する。
次プロセスである独占の前段階である。他者からパートナー候補を隔離するため、なんらかの方法(それが非社会的であっても)で相手に決定的なアプローチを仕掛ける。
前段階からプロセスが途切れなかった、つまりパートナーを得とくした場合、一時は幸福感が訪れる。しかしそれはあくまでその個体に対する独占欲をある程度満たしたにすぎない。
個体の差異はあれ、数日ないし数ヶ月で絶対的な独占を得ようと行動する。今段階ではパートナーに対し、他の異性への接触を著しく制限する傾向にある。
この傾向により、妊娠を狙った"実力行使"によって相手を強制的に独占するケースも少なくない。いわゆるできちゃった結婚である。
独占欲が充分に満たされ、ある種目処がついた段階になると、今度はパートナーの荒が見えてくる。
それは自分との価値観の差異であったり、仕事や交友関係などの周辺環境に起因する物から、些細な癖まで様々である。
いわゆる倦怠期は、独占期後半から次の依存期までということになる。
この時期は圧倒的に別れる率が高い。特に乖離期前、または初期に結婚した場合は直後にこの段階に陥り、マリッジブルーの原因となる。
また子供が既にいる場合には、子供に向けられないフラストレーションを相手に対して向け、相乗効果で大変苦しい時期になる。
乖離期を乗り越えると、相手には自分しかいないし、自分には相手しかいないと思い込むプロセスへ移る。
ある程度相手の欠点を理解した上で、条件として自分の欠点を認めてもらおうとする。
「この人はここがだめだから自分がしっかりしなきゃ」、というのは愛ではなく依存である。
セックスは増える傾向にある。
依存期を越えると愛の受容に至る。相手を自分の人生の一部であり、恋人から家族に変遷する。
家族とみなしたパートナーについては婚姻に関係なく相手を充分に理解し、自分と相手の両方の利益を総合する。
セックスは減るが、性欲が減退したわけではない。
パートナーに対して充分な愛を享受しあえたことで、別の個体に対してのアプローチが高まる傾向にある。
それは子供に対してであったり、別の異性に対してでも変わりはない。いわゆる浮気である。
アラサー、結婚する予定もない、ガチガチに拗らせている独身女性です。
最近立て続けに、西洋人にセフレの扱いをされて、日本人と西洋人の考える「セフレ」の定義が違うなと感じたのでそのことを書いておく。
日本人:
・セフレ同士の関係の場合、まず初めての性行為後に「付き合おう」だの「彼女だよね?」の確認作業はない。関係は定義せず曖昧なまま。
・関係を定義されていないので、女・男ともに、自分以外のセフレor特定の彼氏彼女がいるかもしれないという暗黙の了解がある。
・自分以外のセフレor特定の彼女がいたとしても、詮索したり、別れて!!と束縛するのはルール違反。
・所詮セフレなので、将来を約束したり好きだのずっと一緒にいたいだの、甘い言葉はかけない。(女が地雷化することを回避する意味合いが強いと思う)
・毎日連絡するのもルール違反。基本会う(ヤる)前に、いつ空いてる?という日程調整のみの連絡。
・セフレだったとしても、相手に他の男がいることを好まない。この理由は独占欲なのか何なのかわからないけど、たぶん性病もらってきたり、他の男の精子が膣内に残るのが汚いって思うからなのかな?と思う。
・セフレだけど、相手のことをダーリンだのハニーだのスイートハート呼びする。さすがにI love youは言われないけどね。
・毎日メッセージが来る。おはよう、おやすみ、今日は何してる、I miss you、、、etc.
こんな感じで、セフレだと思って他の男とデートしてて逆上されたり、逆にガールフレンドって言われてお花畑になって「あれ、これセフレとやってること変わんないよね?」ってなって虚しくなったりするので、何が言いたいかというと、責任を取らない相手に期待を持たせるような態度をしない日本の侍が最高だよってこと。
大学4年生の男です。
本当は自分のnoteやブログにでも書こうかと悩んだのですが、ユーザー名を出して執筆するにはあまりに生々しいというか、自分の考えの醜さを知人に知られることが怖くなり、でも誰かには共感してもらいたい(もしくは役立ててもらいたい)という思いからここに書くことにしました。
多分めちゃくちゃ長いです。推敲も丁寧に行っているわけではないので読みにくい部分もあるかと思います。
私には4ヵ月ほど前に彼女が出来ました。彼女にとって私は初めての彼氏となります。
馴れ初めは2年生から始まるゼミがきっかけで、以降2年間アプローチをし続けました。
2年生でフラれ、3年生でフラれ、4年生になってようやく得た「いいよ」です。
3回目の告白は半ば勢いに任せた告白だったのですが、悩んだ様子も無く即答での返事で、むしろ私の方が「えっ?」と聞き返してしまいました。
しかし自信が無かったわけではありません。
2年生時は小太りでしたがそこから-15kg減、筋肉も付けていわゆる「細マッチョ」に分類されるような身体になりましたし、バイトを接客機会の多いものに変えてコミュ力も磨きました(元々コミュ障だったのでこれは普通に就活でも役立ちました)。
ファッションも季節ごとに勉強し、女性へのエスコートも普段から女友達に対して心がけてみることで、自然と出来るようにしました。
資格勉強やサークル活動にも必死に打ち込み、自分に自信を付ける為ならなんでもやりました。
もし上手く行かなかったら諦める。今までの自分の努力が無駄になるわけじゃない。そういう心持での告白だったので、即答でOKをもらった時の気持ちは言葉では言い表せません。
…ここまでは自分の話。
私の彼女はいわゆる「サバサバ系」です。それを鼻にかけるわけでもない、本当に純粋なサバサバ系です。
趣味がやや男ウケしないということもあるのでしょうが、高校生までは専ら同性としか絡んでいなかったようです。
男子高校生も、わざわざ絡みにくい&絡んでも壁を作る女性にアタックする人は少ないはず。
この点から、軽く酔った際に彼女が「あなた以外の男性を好きになったことがない」とさらっと言っていたのも恐らく本当でしょう。
舞台を大学に移すと、そんな彼女を魅力に思う人がちらほらと現れます。
見た目は整っているし、ぱっと見接しにくそうでも一度関りを持てば同性異性問わず好かれる性格なので当然といえば当然でしょう。
彼女は岩手出身なのですが、彼女とAくんは1年生で同じクラス+同郷、1年生特有の「友達作り」の雰囲気もあって意気投合し、二人で食事なども行っていたようです。
当時から彼女は「Aくんはただの友達だよ」と言っていましたが、少なくともAくんは彼女に好意を抱いていたのは確実です。3年生に入ってから自分の家に招いて宅飲みをしていたようですし。(ここは彼女の警戒心の薄さもやや問題ですが)
しかし彼は紳士的な性格のようで、手を出さないのは勿論ですが、直接的なアプローチは何もしていません。最近になると彼女のTwitterに欠かさずいいねを飛ばし続けてることくらいでしょうか。
つまり僕とBくんも同じゼミなのですが、Bくんは「好きな人が居るけどアプローチする勇気がない。どうすれば良いのか」を周りの友人にずっと相談していたようです。
私のゼミは女性がやや少なく、さらに当時フリーの女性となると私の彼女を含めて3人居たか居ないかです。その上特徴を聞けば、まぁ十中八九彼女のことが好きなんだろうな、ということは分かりました。
2年生の頃から好きだったみたいですが、結局何も出来ず4年生になってしまったようです。
彼らがそうしている間、私はひたすら努力し続け、アプローチし続け、3年生の夏には別の方から告白もされましたが断り、ただひたすら彼女に振り向いてもらうため努力を続けました。
そしてそれに答えてくれて、私と一緒に居てくれることを承諾してくれた彼女。
文面からもなんとなく察することが出来るかもしれませんが、今私にあるのは幸福感と満足感、そして優越感です。
そしてこの「優越感」こそが私の独占欲から来る醜い感覚であり、けれども誰しもが持つであろう感覚なのです。
人間は自然界の他の動物と違って、雌をめぐった争いというのは中々ありません。あったとしても、雄の気付かない所で行われているとか、雌側が完全に乗り換えを決めていて争うまでもなく勝敗が既に決まっているとか、そんなとこでしょう。
でも私は、現在進行形で行われていた争いに見事勝ったのです。さらに言えば、2回フラれている私にはまぁまぁなハンディキャップがあったかもしれません。
周りの友人も私のことを笑いました。彼女が振り向くことはないとか、上手く行くわけないとか、諦めた方がいいとか。
それでも私は勝ちました。
これがどれだけ気持ちの良いことか、感覚的には皆さん分かるかもしれませんが、実際体感したことのある人は少ないかもしれません。
というか、逆に負けた側は今どういう気分なのかインタビューしてみたい気持ちです。
中途半端なアプローチを続けるも敗北し今ではSNSの監視が精いっぱいなAさん、好きだったのに何も出来ずただただ見ているだけだったBさん。
自分でもひどく醜い感情だと理解はしているのですが、恋愛はWinner take all。勝者が全ての世界です。
…ここまで醜い感情をさらけ出す裏(というか表)には、それだけの優越感、ひいては幸福感があります。
本気で好きだった人と付き合えるというのはこれほどの幸せなものです。
私は根がオタクなので、軽い気持ちで付き合うとかは考えられません。だから尚更っていうのもあるんでしょうね。
逆に負ければとんでもない不幸です。人生山あり谷ありとは言いますが、ひたすら勝ち続けて人生終われるならそれに越したことはありません。
負けなんてしないに越したことはないんです。たかが大学生が何人生を語ってるんだと思うかもしれませんが、私はとりあえず勝ちました。なので少しくらいは語る権利があると思います。
私は負けたくなかった。だから頑張りました。
社会に出るとさらなる強者が出てくるかもしれない。彼女が私を見限る可能性だってある。
もし今好きな人が居るという人が居れば、絶対にその人を振り向かせてください。
出来たら必ず幸せになれます。出来なかったら間違いなく不幸になります。それが永遠に続くかどうかは保証できませんが、これは間違いなく訪れます。
タイトルに「恋愛のコツ」と書きましたが、正直コツも何もありません。
ただひたすら自分を磨いて、ただひたすら好きな人を得るために行動する。
愛する人なら静かに見守るのが正解だとか、何回もの告白は嫌われるとかクソ食らえです。
どうせ相手が他の人を選んで付き合ってしまうなら、嫌われる覚悟を持ってアタックする方がマシでしょう。
私は2年間アプローチを続けましたが、告白は1年おきに3回です。勿論期間を空けてひたすら自分磨きに努めていた時もありました。
自分が明らかに「変わった」と思えた瞬間が好機です。それは自信にも繋がりますし、女性は賢いので些細な変化でも気付きます。
自分が明らかに「変わった」と思える瞬間というのはそう頻繁に訪れるわけではありません。なので自然とアプローチの間隔は開きます。
そこを勘違いして、冷却期間と称してただ3ヵ月待てばもう1回告白していいだとか、何もしなくても時間が経てば相手の気持ちが変わるだろうからいけるとか。
勿論それで行けるケースもあるかもしれませんが、結局は相手依存になってしまいますし、何も変わっていないので長続きしないのは目に見えています。
自分がやれることを全てやった上で相手に託してようやく良い勝負になるのが恋愛だと私は思います。
それでも告白を断られることも勿論あると思います。でもそこまで自分磨きを頑張る人から好意を向けられて、その人を嫌いになるわけがないです。
コツらしいコツは何も書けていませんが、とにかく諦めないで自分を磨いて下さい。
もしかしたら自分磨きの最中に別の方から好意を向けられて、そちらの方と上手く行く可能性だってあります。現に私は別の方からも告白されました。
だから諦めずに自分磨きをひたすら行ってください。それは絶対に力になります。
自分でも正直「結局何が言いたいんや」とツッコミたくなる文でしたが、端的に何が言いたいかというと、
これに尽きます。
どうしたらいいんだ?(おわり)
八方美人である自覚がある。個人に懐き、べたべたと付き纏い、トイレにまでついていくような女であるという自認があるから、それを分散させようと躍起になる。行動的な方だと思うし、あまり率先してやりたくないようなことを引き受けて人に感謝されることで悦楽を得ている。座っているだけでお声がかかるような絢爛な人生ではなかったから、少々強引でも人とのコミュニティを構築して回る。そのようにして生きてきたから、結果的にフットワークの軽そうな、誰にでもニコニコと接する、八方美人の尻軽が誕生する。
そうなるとやはり、「他に友達がいっぱいいるから、自分じゃなくてもこの人はいいんだろうな」とか「それなのになぜ誘ってくるのか」などという嫉妬や警戒が人間から生まれてくる。
正確性の高い話をすれば、「本当に誰でもいいんで」ということはほとんどないので、特定の誰かに直接声をかけている時は、やはり何かしらの理由がある。この人とそれをしてると楽しい、この人とこの人なら気が合いそうだ、あるいはこの人とはこのゲームをしたことがないので単純に興味がある、など。
人間にはそれぞれ個性があるのだから、「この人じゃないと絶対に嫌だ」というところまではいかないにしても、声を掛ける理由ぐらいは存在している。もっとポジティブな表現をすれば、一緒に遊んでくれる人がその人しかいないからしょうがなく遊んでいる、といった消極的な理由ではなく、むしろ積極的な理由で人を誘っているのである。だが、「他にも誘う人がいるし、自分じゃなくてもいい」という表現の逆はすなわち「この人には自分しかいないから、仕方がなしで自分の声をかけている」ではないだろうかと思うわけで、多くの人間が自分とそう言った関係になりたいのかというのは、とてもじゃないが思えない。
先述したとおり私は本来は少数の個人にべたべたひっつくタイプなので、一個人に執着するような感情が実際に存在していたとしても、わからなくもない。あるいは単純なわがままとして、ぼんやりとした独占欲を持つのも認められるし、嘘でも(あるいは大きな理由ではなくとも)あなたは特別だ、と言われる嬉しさはわかる。
ただ度合いというものがあるだろう。私はこの感情の度合いを強く持ってしまいがちで、だからこそ回避しようと努力している。「これはあなたじゃないとダメです!!!!!」という強い感情を持たないためにやっているテクニックなので、さも「これはあなたじゃないとダメです」といってほしそうな態度は困ってしまう。実際「じゃああなたじゃないと絶対にダメですって言われたら困りませんか?」ときいたら「それは困るけれど」などと言われてしまうわけである。
どうしてなんだろうか、そしてどうしたらいいんだろうか……。
「推し」って軽くない?尊いとか萌えとか色々な「崇拝対象」を指す言葉はあったが、「推し」に関しては「会いに行けるアイドル」ブームの中で多く使われていたイメージ(いわゆる「推しメン」)からか、
崇拝と同時に親しみも示し、使われ方にもよるが「私のもの」という独占欲まで込められているように感じられる時がある。
「押しも押されぬ」大作家先生に気軽に「推し」という言葉を使っているファンを見た。先生にも見える形で。
先生は年配だし、そういう言葉で表現されてどういう気持ちになるだろう。あと単純に自分も好きな先生だったので嫌な気持ちになった。
「ファンです!」は敬意を感じる。
高校生の時、ほんの少しの間付き合っていたクラスの女の子がいた。
何にでも笑って、誰とでも仲良くなれるタイプで、みんなから好かれるような人だった。
入学して間もない頃に、友達がいない僕とも仲良くなってくれて、なにが途中であったかあまり覚えてないけど、手を繋いでキスをしてどんどん親密になってセックスをした。そしてそれを機に付き合ってくださいと告白して、付き合いはじめたのだった。
週のうち3日くらいを一緒に帰って、休日はだいたい1ヶ月に1,2度遊びに行って、そのときはいつもセックスをした。
別に僕と付き合っていても、当たり前に他の男の子と話すし遊ぶ。付き合い始めると独占欲が沸くもので、今まで気になっていなかったのに、そんなことが気に食わなくなっていった。ある時、その気持ちを伝えた時にとても起こっていたのを覚えている。行動を制限すると怒る、まあよくあることだが、その時の彼女もとても怒っていた。確かに、僕なんかとずっと一緒にいさせてもつまらないだろうし、仕方ないかと思った。
ある日の昼休み、3,4人の男子と話して盛り上がっていた。やたら距離が近いことや、そのうちの1人が彼女の手に手を添えているのが気持ち悪くて、目を逸らした。僕は1人で本を読んでいた。会話が聞こえてくる。チューがどうとか。目をやったら彼女は1人とキスをしていた。
僕は驚いたが、おとなしい性格なので声を出せずに見ていた。「次オレオレ!」という男子とまたしていた。結局そこにいた男子みんなとした。輪に入っていなかったちょっとキモめの男子が、「えーいいな、僕も入っていい??」と言うと彼女は「えー森本くんちょっと臭いからなーー!」と嫌がりつつも、結局した。
そのあと僕が怒ったのか諦めたのか忘れたが、まあしばらくはトラウマだったことは覚えている。あとに分かったことだが、誰とでもえっちをする子であった。誰とでも仲良くなれて、人が喜ぶことが好きで、人に気に入られるために何でもするような、そんなとても良い子だった。そのあとその子はちょっとした地下アイドルになり、そしてそのあとは風俗に落ちた。その間に、どれだけたくさんの人に気に入られてどれだけセックスしたか、想像に難くない。
導入の動機からスムーズで、中盤に家を捨ててアイドルになり、母への憎悪と愛の独占欲の動機まで中盤に出し切ってる。そのあとで妹の歪みを一挙に表出させてゆくわけだけど、その際の妹の演出が上手。事故死直後の葬式の際に「久しぶり」のコマで妹になにか黒い部分があるのではないか、と思わせる一コマを挿入している。一コマで状況説明できるのは力量がある証拠。しかも前後関係からして妹が事故をわざと起こしたのではないか、というミスリードにも繋がっている(後述)。独占欲と妹の心象風景をもって、自分自身に一心に憎悪を向ける妹に独占欲の充足を知る。また、妹は自分と似た独占欲にまつわる憎悪を抱いていて、姉は妹に自分自身を見る。姉の心象風景は自己愛に集中しているので、もうひとりの歪んだ自分(妹)に最大の自己愛を注げるという内容。すべての伏線回収を綺麗に行っている。
ただしエピソードの割に母の死付近の演出が凄惨すぎて、上記のように殺人事件を連想させたのはわざとなのかどうかが気になる。これがわざとならサブシナリオや連載も考えてのことなんだろう。もしそうなら動機から考えて妹は姉へ愛を注ぎ続ける憎悪から母を殺したという話になる。
惜しむらくは押見修造先生のように繊細な心情を語りなくして語り切る手法がないことだけど、これはページ数が足りないか。ちょっとモノローグ説明が多い気がする。初っ端からにじみ出るベテラン感。作者はもともと研究熱心だと思う。
最近、ある作品の二次創作でSSを書き始めたので、感想を書きます。いい大人ですが、今年に入って初めてpixivを見たようなずぶの素人です。
◯書いてよかったこと
作品そのものを読み込むのはもちろん、いろいろなレビューや派生する記事なんかを読んでアイデアを探すことで、新しい発見や解釈をたくさん知ることができた。絵コンテ集とかも買って、設定を学ぶのも楽しい。
・こんな素人の書く文でも読んでくださる人がいて、いいねを押してもらえること
村上春樹が昔、書くことは癒やしと言っていてなんじゃそりゃと思ってたんだけど、今ではそれがちょっとわかる。書いている間は嫌なことが忘れられるし、興奮状態なのがわかった。快感さえある。みんなやりたがるのがよくわかる。あと、自分の書く文が最高に面白く感じる。面白いなーと思って何回も読み返しちゃう。客観的に見られない。
◯書かない方がよかったこと
これはほんと不思議。最初は題材が被ったりしたら嫌だなって思うくらいだったのに、そのうち一番大好きだった書き手の人の作品すら読めなくなってしまった。たぶん、素人のくせに負けたくないような気持ちが出てきたんだと思う。あほらしいと思う。元々負けず嫌いなところが全然なくて負けても気にならない人間だったので、こういう気持ちは今まで感じたことがなかった。これはこれで面白いなとも思う。
・同じく、他の人の考察を読むのがつらくなった
考察というか、クソデカ感情をぶつけてる系のツイートを読むのがつらい。解釈は人それぞれなのが当たり前なのだが、この作品は公式にすら自CPの解釈違いについて文句を言う面倒な人がいて、そういう人は私の書いたものを見て何を思うのかなって考えたら、なんか離れたくなった。
書かない方がよかったことの二つは、私がこの作品にハマった直後に大いに楽しんだものだし、二次を書く動機にもなったものなので、マイナス感情が出て残念に思っている。むしろ全然大して活動もしてないのに、関係ない人に勝手な気持ちを抱いてしまっている自分をアホくさく思ってる。
前のように素直に楽しんでいた頃に戻りたい。修業が足りないのだと思って、もっと書くしかないのかな。承認欲求や独占欲が爆発してるだけのような気もするので、逆効果なような気もするけど。むしろ自分だけの一次創作をした方がいいのかもしれない。