はてなキーワード: 特定とは
出版社は株主の意向による自由な出版の制限を受ける可能性がある上場はしない
最近もある本の翻訳版の出版が妨害され、発売が一時中止になってたけど。大きな新聞社(これも上場していない)の傘下の出版社から再度出版された。
もし上場していたら当該の本は
一生世に出なかったよ
ある特定の思想•団体を賛美する出版以外許されなくなったりするなんて簡単なんだよ
地獄絵図やで。
・おっぱいになりたいです
ChatGPT:
その表現には興味深い意味が含まれていますが、もう少し詳しく説明していただけますか?どのような文脈でそのように感じているのか、または特定の目的や意図があるのかを教えていただけると、より適切な対応やアドバイスができると思います。
ChatGPT:
そう感じる方も多いかもしれませんが、このような話題は場や相手に配慮して話すことが重要です。興味や好みについて話すことは自然ですが、公共の場や他の人に不快感を与える可能性がある場所では控えめにすることをお勧めします。何か特定の情報やアドバイスを求めている場合は、その内容に応じた具体的な質問をしてください。
「匿名」は気軽に本音が書き込める場だという言い方がまことしやかにされて来た。
まあ、匿名でならと一、二回書き込むくらいの奴はそうかも知れない。
でも、匿名のネットに中毒みたいになって、恒常的に毎日何度も書き込む奴ほど、もっと別のことにハマってると増田は感じる。
そう、それはロールプレイだ。
これは特定の誰かに限った話ではなく、人間は一般的にそうなのだろうが、匿名で書いていると「自分の言葉」であることを忘れる。
そして、普段は自分のキャラクターに合わないから言わないような、台詞がかったことをつい言ってしまうことがある。
これは匿名ネットに対する依存度が高くなるほど顕著になると増田は感じる。
この文章自体、記名で書くなら同じ文体にするかというと甚だ怪しい。
もっと自分のキャラクターを出した、だである調よりですます調のものにするだろう。
それがさらに極まると、自分でないキャラクターを演じたコメントを湯水の如く書き込むなりきりチャットのようなネットの使い方になる。
匿名においては、人は名乗りさえすれば成功者になれたり専門家になれたり実力者を装えたりする。
本来「気楽に本音を書く」ためには、出来るだけ自分の属性は隠した方が良いはずが、匿名のネットに入り浸るようになると自分の存在を認めて欲しくなり、そこに匿名の言ったものがち感が合わさったとき、ある人は自分を好きなように偽る快感を覚えてしまう。
こうなるともう書き込まれることも、本音ではなくただの「言ってて気持ち良いセリフ」になる。
本音ではないので当事者性もないし、内容も無責任になっていく。矛盾しても気にしない。誰かに嫌がられても気にしない。
「露悪」も「偽善」もこの意味では大差ない。ただ自分を偽るということが気持ち良い娯楽なのだから。
Windows 95発売から29年。2ちゃんねるのサービス開始からも25年。そのあいだ、匿名のネットというものに入り浸った人々の普通の感覚はどんどん壊れていく。
まずお前に必要なのはcssでもreactでもなくchatgptのapiの使い方を調べることと、入力されたら出力するだけの簡単なアプリの作り方を知ることだ
pythonとか使えばめんどいuiは省略してターミナルで出来るだろ
やることがぼやけてると一生身につかないぞ
事実として最近まで検索すら実施していなかったから分からなかったが、みほって、 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%A4%9A%E7%94%B0%E3%83%92%E3%82%AB%E3%83%AB#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Hikaru_Utada_in_New_York_20090325.jpg
大体こんな感じのみためだし、この感じの見た目で、最近は人工知能でかなりA1インヴァリアンスを強制して清崎葉子みたいになるときもあったな。
2,3年前は、虎雄の娘みたいな設定で出てきたこともあったけど、 日記記録によっても、一番最初に出てきた日などは特定できない。
競技自体のレギュレーションが特定の製品に依存するのはほかのスポーツからしたら異常でしょうよ
大会やリーグ運営上で製品が指定されることがあっても、競技自体のレギュレーションでは規定のみ書かれていてその規定を満たすものであれば何を使っても同じスポーツなのが普通。
NPBやMLBが公式球を定めていても、公認野球規則にメーカーまで指定されていないのは当然。
この点、囲碁や将棋など、いわゆる「マインドスポーツ」は圧倒的に旧来のスポーツに近い。
こっちが入る分にはなんの違和感もない。
「ゲームのスポーツ化」としてのみ考えるなら、クローンゲーム「マジカルストーン」は筋として正しかった。
「ぷよぷよのeスポーツ化」をうたったクローンゲーム「マジカルストーン」めぐり物議 セガは「許諾の事実ない」 - ねとらぼ
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1603/30/news151.html
それを否定したんだから、そもそも「スポーツ」になる気がないんじゃないですか?
マジカルストーンがポシャったのはまあ当然ですよねぐらいの感想なんですけど、e-スポーツはe-スポーツとして、「本物のスポーツ」にはなろうとしないほうがeスポ側にとってもいいと思いますよ。
「現在のスポーツに付随してる何か」がほしいだけで、ほんとのところは別に「スポーツ」の称号が欲しいわけじゃないんでしょ、みんな壮大に勘違いしてるだけで
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「スポーツ」と名前がついていて、これを「スポーツ」だと考える人はおそらく多いだろうが、これも同様にオリンピック競技にはなれていない。
西洋美術史を点で捉えないほうがいいよ。美術史は点じゃなくて線なんだよ。それぞれの時代で、それぞれの画家たちが既存の美術史に対して、どのような回答を残してきたか。そういうところを鑑賞するもの。印象派だって、当時の美術史に対する新たな回答だった。そして、それらな後の時代の新たなスタイルを育む土壌になった。美術館で尊ばれるのは、そういう観点なんだよ。
よく言われる喩えで言えば、美術史ってのは漫画の連載なんだよね。印象派とかっていうのも、数百話連載されてる漫画のなかの1話。それも、後の展開へと繋がる重要な1話だった。だから評価されてる。美術館にも飾られる。別に皆んなが好きだからその展示ばっかりやってるわけじゃあないんだな。
ただ、評価されてるからっていって、個々人の感性までそれに則る必要はないよ。元増田みたいに、特定のスタイルが嫌いでもいい。そういった個々人の好き嫌いの積み重ねが、新たな美術史の1ページを紡ぐ潮流になっていくわけだから。
立憲民主党はこれまでに国民民主党と共同で「政策活動費」の支給を禁止することなどを盛り込んだ政治資金規正法の改正案に加え、いずれも単独で政治資金パーティーを全面禁止するための法案と、企業・団体献金を禁止するための法案を提出・・・・・
これについて、立憲民主党の小沢一郎衆議院議員は21日午後、記者団に対し「規制強化ばかりでは自縄自縛になり、どうしようもなくなる。政治資金パーティーもダメ、企業・団体献金もダメと何でもダメにすると、お金については潜りに潜って裏の話になってしまう」と指摘しました。
そのうえで「政治にカネがかかることは変わらず、このままでは大金持ちでなければ政治ができなくなる。解決策は政治資金を全部オープンにするしかない」と述べました。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20240521/k10014456201000.html
政治資金パーティー全面禁止法案については、立憲民主党に、絶対に政権は任せられないの一言につきる。
世の中には、規制をすればよくなる、と考えるひとと、規制を撤廃すればよくなると考えるひとの二通りがいる。
どちらも極端だ。
極端なことを言い出す奴は、そもそも信用できない。
国民の政治参加の観点からは、政治資金パーティーや企業・団体献金の全面禁止は、政治家が資金を集める手段を限定し、政治活動の多様性を損なう恐れがある。
特に、新しい政治家や小規模な政党にとっては、資金調達の選択肢が限られることが、政治参加のハードルを高めることになりかねない。
もっとも立憲民主党の法案は、政治資金の透明性を高めるという点で評価できる。
政治資金の規制を強化することで、政治家と特定の利益団体との癒着を防ぎ、政治の公平性を高めるからだ。
企業や団体からの献金が透明でない場合、政策決定において特定の利益が優先される恐れがある。
これにより、一般市民の意見が政治過程で十分に反映されない可能性がある、という視点は重要だ。
しかし全廃はさすがにないだろう。
政治活動の資金調達に関する多様性とアクセスを制限することで、国民の政治参加に別の影響を与える可能性がある。
政治家の首を自ら絞めるるということは、それに参加する企業団体、ひいては国民の首も絞めるということだ。
それは民主主義を阻害する。
私はバイトを手配する立場で、それぞれの店舗でそのあとはうまく使ってもらわないと行けないのだが、特定の店舗のみいつまでたっても人が集まらない。
だけど定員を埋めないといけないので、ギリギリまで粘ってなんとかする。他店舗からもかき集めて、懇願して場所を変わってもらう。それでも、その店舗の店長が潰してしまう。
具体的に言うと、お客さんの前で怒鳴るなどとにかく高圧的。
それの繰り返し。
「意見」でしかねぇし、特定者を指し示さないと意味が分からんでしょ。
被差別者は差別された状況(不利益。感情を害するのは不利益ではない)が発生しない限り、被差別者ではないのが「基本的人権」がある市民なわけ。
だけど「特定の立場」に対しての「対立的な意見」は意見に過ぎず、それが差別的と思うのは被差別者であるというところに逃げ込んだだけ、って思えるけどね。
既に誰もが「基本的人権に基づき平等」である以上、「特定の立場」をアイデンティティにして「社会に」堅牢たる居場所(ゲーテッド)を作る行為やその立場への「対立意見」が出てくるのはむしろ「健全」でしょ?
(「特定の立場」をアイデンティティ化する自体が、俺は権威的だと思うので、基本は否定する。なんでコリアの歴史は是で、日本におけるジャップの歴史は非なんだよ、バーカ(笑))
丑の刻参りみたいに特定の手順を踏んだり、特定の呪文を唱えたり、特定の図案を描くことで(誰でも)同じ結果を起こせる(ということになっている)ものはまず「超能力」とは呼ばれないと思う
課題 字下げに対して真夜中の運動会を実施した日時を特定するものを技術的に構成して実施日時等を特定せよ。但し、 平成31年2月8日~2月28日の間
であることは判明しているものとし、その中のどの日付であるかが分からないものとする。発明および物件の構成にはその明細書を添付すること。評価においては、制作過程
における技術のエレガントさと経済性、完成度、制作したものの技術的な効用を総合的に勘案して評点する。
注意: この試験で、可以上の成績をおさめられない場合は卒業できないので注意すること。
法 学 部
学園アイドルマスター?
やったことあるかわかんないけど、自分は同じタイプのゲームをウマ娘しかやったことないので「ウマ娘みたいだ!」と思った
よくわからないままぽちぽちやってるとなぜか時間と充電が溶けてる系のゲームだと感じる
定められた期間中特定の能力をあげていくために、ランダムに選ばれたカードをうまく選んで能力ポイントを積んでいくゲーム
課金はキャラ&サポートカードガチャ(装備みたいなもの)もあるし、あとはキャラの能力底上げのためにアイテム買うとか…
いろいろなニュースを寄せ集めた番組でやたら滑舌が悪いアナウンサーがいた
寄せ集めのせいかアナの名前や顔が表示されず、ニュースの内容や局から特定したら名前のサジェストの1番目に「滑舌」と出てきて大いに満足した
食べまくって発散
エロいことして発散
集めたいもの全部集めて発散
キレて発散
サボって発散
物事を下に見て優位性を維持
ん?妬みがなんか薄いな
原作の方の修行論の方ならより“なんだストレスの発散方法じゃん”って思いやすいな
食いたがって
ヤリたがって
儲けたがって
泣きたがって
怒りたがって
無駄なことを辞めたがって
偉ぶろうとして
自分以外は下であってほしいとか考えちゃって
ただまぁストイックな奴が『ストイックにやろうと思ったら〜こういうのにぶつかるかもね』って書いてただけのやつなんだよな
そう、罪だとか書いてるけど元は「お前がやり遂げようとしてるものにはこんなに障害があるんだぜ!」の奴でしかなかった
原罪とか言われても、『いや、こっちは全然その欲望との折り合いつけて生きてますけど』って言われたら「あ、そうですか…こりゃまた失礼しました…」で終わる奴だった。
逆にそれに対応した美徳を遂行しようとしたらすげえストレスが貯まるやつだし
節制だの、純潔だの、慈善だ寛容だの、忍耐だの、勤勉だの、感謝だ人徳だの、謙虚だのって文字で並べただけでストレスが溜まる単語ばかりだな、修行論は結局その誘惑を振り切った先に不動の心だ愛だ超然とした状態が持てるだのがあるから“その8つの想念を振り切る利点”がわかりやすかったけどさ。
美德ってなんだよって感じだよな
そう、社会が美徳を維持してくれる人にちゃんと利点を分け与えてくれるならみんな美徳を維持するんだよ、そのストレスが溜まる行為をさ。
純潔であれば肉体にハンデを背負う心配や不貞によってお互いを疑い合わなくて済むし
慈善行為をすればその行為によって人も社会も一時的に助かるからより進歩したものが手に入る可能性が上がるし
忍耐すれば怒りによって破壊されるようなものがなくなるわけだし
勤勉であればどこかで役に立つ知識が増えるかもしれないわけだし
感謝していれば感謝を返されたりして充足感を得たり、返されなくても嫉妬する程ではないと気付けたりするし
そういう見返りがあるなら美徳してても問題ないのよ、多少のストレスは誤魔化せる
見返りが無くて、それこそその信仰を熱心に維持して超然としたい訳ではないなら最初から関係ないんだよな
みんな変に超人にさせられかかってるんだよな
でも中身が人間だから『なんか理解できない〜』ってなって調子がおかしくなるんだよな
そして普通に暴れたりヤッたり、食ったり寝たりして『なんかわかんねえけどストレスなくなったわ〜』ってなるんだよ
何の信仰も抱けねえストレッサーには『そんな発散方法が!』ってなる内容なだけなんだよな
ちゃんと信仰を抱いた時にやっと『まぁ神に祈るっていうオナニーをしてる訳だしそれをもっと気持ちよくなれるところで維持したいなぁ』って神経になって大罪だなんだを意識するんだよな
別に維持する意味がないなら超然人間を維持する為の秘訣で終わる。
それでもストレスは溜まる。
何の宗教にも属していないのに超然人間しててワロタと指差されることもなく、ただただ超然人間を目指すために生きてストレスを溜めることになる。
だからちょっとご褒美で飯食ったり、シコったり、金稼いだり、泣いたり、怒ったり、やる意味がわからんことを辞めたり、自分の実力を上げたり、地位上げたりしてストレスを発散していいんだ
そういう宗教をしてる訳じゃないもんな、俗っぽいと笑われても単なる哀れな人間として生きてるのだから大罪が8つ9つ提示されようがストレスの原因を探して発散していいんだ。
レスバウォチしてない人は知らんかもだが、その昔とあるツイッターでアイドルのファンからアンチに反転した人が暴れまわって、皆からフルボッコにされたあとに「反論するにしてもファンネルかよ普通?(みたいなつぶやき)」をしたのがきっかけ。
内容としては「ずっとアンチしてた奴よりも先にちょっと苦言を呈しただけのファンを標的にするのはちょっと違わないですか?」という意味でしかないし、「FANNERAU」の「A」が抜けただけのツイートなんだけど、元ファンがちょっとアンチ言動しただけで次々フルボッコにされる様子のインパクトもあって「ファンネル」って言葉は皆の印象に残ったわけ。
このときはアイドル本人が直接「コイツを狙え!」って指示をしたわけじゃなくて、ファンとアンチのリンチ合戦の中でたまたま一人の元ファンが誤字っただけ。
そこからしばらくは反転アンチへの集団リンチのことを「ファンネル」って言う風潮があったんだけど、いつからか「著名人が特定の相手にターゲットマークをつけた直後に取り巻きが襲いかかる」っていうガンダムのファンネルみたいな動きに対してしか使われなくなった。