はてなキーワード: 弁当とは
東京って、岡山のディオや、大阪の玉出の198円弁当みたいなのってあったっけ? 298円からだったり、198円弁当あっても内容がショボかったり。しかもそういうのって都内では需要供給が崩れていて貧困層が群がるからすぐ売り切れてしまう。
美味しいラーメン屋のラーメンの値段が600円だったっけ? 「博多天神」みたいなラーメン屋行けばラーメンがワンコインで食べられるけど、地方ではワンコインラーメンは普通だよ。
1000円程度が当たり前で、1500円なんてのもある。
俺は別にセブンの500円弁当でいいんだよ。何故駅構内にセブンを入れないのか?
別に京王百貨店で「駅弁フェア」開くのは勝手だし、1000円払って駅弁食べたいグルメ野郎は駅弁買えばいいと思うが、自分みたいな「質より量」「質より価格」という人間向けに、駅弁の隣にセブンを設置してくれ。(別にファミマでもいいが)
あと、駅構内のレストランって、妙に「地元の名産を調理しました」な、単価1500円なレストランが多数だが、そういうのも「吉野家」「サイゼリヤ」「丸亀製麺」でいいんだよ。
セブンのおにぎりやらパンやら弁当が「新商品」だの「美味しくなって再登場」だの「リニューアルしました」みたいなシール貼ってたら間違いなく値上げのサインなのだが、中身はむしろ劣化してたりする事が多い。
まぁ、セブンはもう積極的に利用する価値ないんだよな。弁当の劣化激しいし、決済方法もローソンのほうが圧倒的に便利だし、コーヒーも他と大差ないし。
セブンって売れ出すと露骨に量減らして値段据え置くから買う気失せるんだよな。後コスト削減で、不味くなったり。カルビ弁当なんて相当劣化したよね。
セブンの牛丼前の方が美味しかった…あとタルタルフィッシュフライのあのパン返して…リニューアルという名の劣化そろそろ辞めませんか…
セブンイレブンが、商品に美味しくなったことを強調する何かを貼っている時はなにかが劣化した時なのだが、今大量のパンにコレが貼ってある。あと焼きそばパンが著しく小さくなったというか、焼きそば分がスカスカになっているというか。
セブンのカスクート、小さく割高リニューアルはまだなんとか許せる。ただバゲットをノーマルパンに劣化させた挙げ句、味付けは従前の濃さとか手抜きにもほどがある。バランス悪すぎ!
ううう。
このままメロンパンの質が落ちることになれば…
僕はブログにだるいとか、つらいとか書いて幾ばくかの金銭を、貰っているのだけどそういうのがつらくないですか、と言われることは良くある、確かに炎上したり批判されたりするのはつらい。匿名の会ったことのないひとに顔面を殴られたらどう思うだろう?Twitterやブログでたたかれるというのは、たぶん(すくなくとも僕にとっては)そんな気分だ。
思うに、みんなもっと肩の力を抜いて生きていけばいいんじゃないかな、と思う。就職活動で辛すぎて自殺するなんて、勿体無いと思う。別に会社に勤めなくても結婚しなくても楽しいことはあるのに、インターネット時代のこの時代に。
NHKに取材された時に、いまこの社会に足りないものはなんですかと質問された。僕は「寛容さかな」と答えた。たぶん、この国に必要なのは寛容さだと思う。わからないけれども。
その電車が遅れたっていい
コンビニで弁当に割り箸が付いてなくてもいい、怒るほどじゃない
遅刻したっていい
僕が言ってることはもちろん、極端な話だ。まじめに一緒懸命に働いて汗水垂らして血を流してそれで成り立っていることだってある。僕が食べてるもの使ってるもの社会サービス、スマートフォン、それらは努力の結晶が生み出したものだ。それは間違いない。別に努力を否定してるわけではない。努力は間違いなく尊いものだ。ただ、世の中には程度というものが(少なからず)あると思っていて、不健康になったり、辛くなったり、周りに当たり散らしたり、そういうのを見てると「頑張りすぎじゃないかなあ」と思う。
努力をするのをやめましょう、ということじゃない。無理や無駄、自分に不釣り合いなことはやめましょうってことだと思う、たぶん。
おまえは勘違いしている。
吉野家で独り牛丼くってる老人は、そんなに悲しい存在ではない。
俺の83歳のじいちゃんは、めちゃ資産家で、まあお前らの生涯稼ぐであろう資産の1000倍は資産がある。
いまは、心臓が悪くて、足腰も重くなり、食事管理され、外出も独りでは禁止されている。
ちょっと前までは、勝手に外出していたが、転倒骨折事故があってから、おとなしくなった。
それでも、たまに俺に小遣いをくれるから、パチンコ屋とか喫茶店に一緒に外出してあげている。
じいちゃんは、実は根っからの牛肉好き。しゃぶしゃぶ、ステーキも高級店ばかりよく連れて行ってもらった。
吉野家も、なんだかんだで、食べていた。
病院食みたいな制限食なので、たまに外食がしたいようで、じいちゃんのために、こっそり持ち帰り弁当を買ってきたこともある。
先日、ばあちゃんが大騒ぎしているから何事かと思ったら、じいちゃんが3時間も姿が見えないとのこと。
みんなが、心当たりに電話している最中、寝間着にカーディガン羽織ったサンダルのじいちゃんが、帰宅。
ばあちゃんとうちのかあちゃんは、カンカンだったけど、外出で羽を伸ばしてきたじいちゃんは、
なんだか楽しそうだった。
うーん。幕の内弁当とかどう?
これ使い方がわからなくて改行とかできないんで読んでくれる人がいたらまず謝る、読みにくくてごめん。
生活のために働いている。それだけじゃない、仕事をしながら、勉強もしている。勉強をしているのは、今のままだと将来が不安だからだ。食べるのに困りそうだからだ。
本当は弁当を持っていきたい。
でも、混んだ電車で持つ荷物を増やしたくないし、弁当を作る時間もない。
うっかり忘れたり、用意できなかったりで、ペットボトルになってしまった日の罪悪感がすごい。
すごい罪悪感だ。
時は金なりっていうけど、こういうことなんだろう。
夕飯に弁当なんてやらなくて済む。
でもとにかく時間がない。
時間は金と同じだ。
金がなくても、時間があるなら、それは必ずしも貧乏とは言えないんじゃないか。
できることがある。
それはある意味、豊かだとも言える。
とにかく自分には時間がない。だから毎日プラスチックのゴミを大量に廃棄して環境汚染に加担し続けてる。
ちょっと前に、発展途上国の人達は、食べ物、安全、衛生の確保のことで頭がいっぱいで、環境保護のことなんて考えてる余裕なんてないって話を聞いた。
自分は日本に住んでるけど、はっきり言ってそれどころじゃない。
冷蔵庫に、同じ種類の魚の切り身が2つあった。今晩全部食べてしまおうと思っていたのに、さっき確認したら、1つは鶏肉だった。
たまにこういうことがあるくらいなら、微笑ましいエピソードで済むかもしれないけれど、私の場合はしょっちゅうなのだ。
昨日も夫に渡すはずの弁当を半分渡し忘れた。
一昨日は、通っているいわゆる作業所に、忘れ物をして帰ってきた。
どうしたって自己肯定感は下がる。
ここで落ち込むと、またメンタルの持病が悪化して、自分も夫も苦しくなる。
発達障害を疑ったが、はっきり否定された。私のは感情障害というらしい。
ゆくゆくは社会復帰したいと思っている。そのためにこの数ヶ月、お金を払って施設に通っている。
年齢も年齢だし、雇ってもらうのも働き続けるのも大変だと思うけど、
ああ、こんなことを書いていたらまた気持ちが落ち込んでしまう。
夕食を作ろう。
2019/06/27
07:55 メカ設計職の朝は早い。工場の作業員と同じロッカーで着替え、同じラジオ体操をする。
08:00 PCが始動しないのでコーヒーを買いに行く。紙コップ1杯 60円。
08:10 ようやくPCが使えるようになる。リースのPCでいらんソフトウェアモリモリなうえに5400rpmのHDDである。
08:45 メールチェックが終わる。ヤバいがすぐに死にはしない案件ばかりだ。
09:40 メール返信が終わらないうちに現場から内線がかかってくる。ASAPで来い、とのことだ。
10:00 現場に到着したらタイミング悪く10時の休憩だ。現場に誰も居ない。
11:15 問い合わせは解決した。部品の左右を間違えるな。ちゃんと指示書を読め。
11:30 デスクに戻ったら書置きがある。試作品納入遅れるとのこと。
12:10 仕出し弁当はカレーだった。冷えて固まっている。レンジは行列だ。
12:20 まだメシに手を付けていない上司から新しい特注部品設計の指示が来る。昼休みは12:45までだが????
14:00 書いた図面に資料をつけて検図(レビュー)に回す。
16:30 試作品の穴の位置が図面と違う。部品検査係はなにを見てるんだ???
17:00 文句言うのもメンドクサイので自分で穴を開けなおす。定時だ。
17:01 「水曜日は定時退社日です」この社内放送は設計部には関係が無い、とされている。
18:00 デスクで残業パンを食う。このパンに会社は1個80円しか支払っていないと噂だ。今日は食パンにジャム塗ったやつ。
18:30 調達部に納期交渉に行く。半日マージンを稼いだので、次は組立課に話を通しに行く。
22:30 月末が近いので勤務時間を申請するエクセルを調整する。月40時間を超えた残業は出退勤時間の調整で無かったことにしなければならない。
先の記事 anond:20190704095800 はたくさんの人に読んでもらえたようで嬉しかったです。もちろんそれは御本家があってのことではありますが。お目汚し失礼しました。
ブクマコメントも楽しく拝読しました。驚くことに、書いてないこともちゃんと見抜かれていてハテナ界隈の方たちのご慧眼に恐れ入りました。だからぼくはハテナのみなさんが大好きです。
なかでも「これはこれで特殊な才能が必要な暮らし方だから、下手に真似しないほうがいいよ」みたいなコメントや「心(精神衛生面)」に興味を持たれているコメントがあって、確かにそのへんのことを書かなかったなあと思ったので、もうちょっとだけ続きます。本当ならあのまま終わりにしておいたほうがキレイなのでしょうが、あえて蛇足をつけて終わりにしたいと思います。
あまり多くの人に読まれなくてもいいけど、届くべき人にちゃんと届いてくれるといいな、と思います。
お金や人の笑顔に直結する能力は「才能」と呼ばれるよ。でも、お金にもならないし誰も笑顔にしないけど他の人には出来ない「能力」もあるよ。これを「異能」と呼ぶよ。
「節約生活がまったく苦にならないどころか、むしろ楽しい」これもきっと「異能」だよ。他にも例を考えてみるよ。
こういうのも「異能」だよ。異能は誰も褒めてくれないし指摘もしてくれないから、自分でも気が付きにくいけど、ちゃんと棚卸しして自覚しておくことが大事だよ。
自分の異能が活かせるフィールドはどこなのか。勝てるフィールドで勝負していくことがだいじだよ。
勝てないフィールドで勝負をするのはやめようね。少なくとも勝てない勝負に全額ベットするのはやめようね。
「社会」では誰もが数字を背負わされて競争させられているよ。学校の先生や病院のお医者さんでさえ、数字を背負わされて競争させられているよ。
でも、何も持たないぼくらは「競争から降りる」という選択肢をもっているよ。
宮本武蔵が「殺し合いの螺旋」から降りたように、ぼくらは「勝てない競争原理」からさっさと降りようね。イチ抜けた。あとはみなさんでどうぞ。
弱いぼくらは、勝てない勝負からはさっさと逃げて、「異能」を活かせるフィールドでサバイブするしかないよ。
この世のあらゆる競争原理からさっさと降りて、らくちんおだやかなせいかつだよ。その穏やかな生活は、あなたにとってお金では買えない価値を持っているよ。
ぼくらはお仕事をする上で仕方なく「時間」と「責任」を切り売りしているけど、「人としての尊厳」まで売り渡したわけじゃないから、その線はちゃんとまもる必要があるよ。
競争原理から降りると、この世のだいたいのことはどうでもよくなるよ。馬鹿が騒いでても頭のいい人が叫んでいても、いっさいどうでもよくなるよ。楽ちんだね。
それでもあなたを競争原理に巻き込もうとする人がいるし、競争してもないのに上下の格付けをしてくる人がいるよ。その人はまだ競争原理の内側にとりこまれているんだね。そんなときは可哀想なケモノを見る目で見てからニッコリ微笑んでこう言ってあげようね。
「そうですか」は魔法のことば。そうですか。そうですかー。そうですか!! そうですか?? そうですかあ? そうですか…。そう…ですか。
「てめえ殺すぞ」と内心思いながら、グッと相手の目をみて「そうですか」とニッコリ微笑めば、丁寧に会話を終わらせることができるよ。べんりだね。
自分のことを虫けらだと思っていると、他人もあなたを虫けらとして踏みつけてくるよ。あなたの自尊心はあなた自身でまもる必要があるよ。誰もまもってはくれないよ。あなただけのものだよ。
「自分の中にある小さな優しさをまもるための最低限の残酷さ」くらいは隠し持ってても誰も怒りはしないよ。
ぼくらは弱いしお金がないけど、この日本に日本人として生まれた時点で、超ラッキーだよ。
考えてご覧。喉が乾いたら公園に行って蛇口を捻れば水が飲めるんだよ。すごくない?
上水道が整備されてるだけじゃなくて、それが飲める国って数えるぐらいしかないよ。しかもそのへんの公園で飲めるんだよ。ちなみに公園の外に水を持ち出すと窃盗になるから気をつけてね。
水だけじゃないよ。スイッチひとつで冷暖房完備だよ。ボタン一つで火がついて料理ができるよ。図書館に行けば本も新聞も雑誌も読み放題だよ。コンビニではおにぎりとお弁当が 毎日たくさん捨てられているよ。
ちょっとすごくない?世界規模でみたら上位数パーセントの環境だよ。この日本に日本人として生まれた時点で、宝くじにあたったような超ラッキーだよ。当たりくじを握って産まれてきたようなもんだよ。お釈迦様もびっくりだよ。
みんな超絶ラッキーなのに、その中でも俺が上とかお前が下だとかいうおばかさんがいるけど、どんぐりの背比べだよ。きっと頭がよわくてなにも見えていないんだね、可哀想なひとだね。
遠慮することないよ。この超絶ラッキーな環境を最大限に活かして愉しめばいいよ。最悪でも生活保護があるからね。
なんなら、自己責任の名の下にぼくらを見捨てたこの日本を、足元から喰らい尽くしてあげようね。
正しいとか正しくないとか良いとか悪いとかじゃないですで。ぼくらには転んでも資産というクッションもなければお金という杖もないので、致命傷を負いやすいし起き上がることすら難しいので。せめて強いこころを。そのからっぽの手に。砂をつかんで立ち上がれ。怒りをこめてふり返れ。
あ、あと背筋を真っ直ぐ伸ばして胸を張って毎日を過ごすことは、とてもだいじです。根拠なんてなくていーです。背筋を伸ばすのにいちいち根拠なんていらないです。
お金の話について | ヨツピー | note anond:20190704095800
続・お金の話について | ヨツピー | note anond:20190707094714
終わりの話について(完結) | ヨツピー | note anond:20190708072506