2019-07-12

頑張り過ぎな日本について

僕はブログだるいとか、つらいとか書いて幾ばくかの金銭を、貰っているのだけどそういうのがつらくないですか、と言われることは良くある、確かに炎上したり批判されたりするのはつらい。匿名の会ったことのないひとに顔面を殴られたらどう思うだろう?Twitterブログでたたかれるというのは、たぶん(すくなくとも僕にとっては)そんな気分だ。

思うに、みんなもっと肩の力を抜いて生きていけばいいんじゃないかな、と思う。就職活動で辛すぎて自殺するなんて、勿体無いと思う。別に会社に勤めなくても結婚しなくても楽しいことはあるのに、インターネット時代のこの時代に。

NHK取材された時に、いまこの社会に足りないものはなんですかと質問された。僕は「寛容さかな」と答えた。たぶん、この国に必要なのは寛容さだと思う。わからないけれども。

電車子供が泣いたっていい

その電車が遅れたっていい

コンビニ弁当割り箸が付いてなくてもいい、怒るほどじゃない

遅刻したっていい

幼稚園弁当冷凍だっていい

僕が言ってることはもちろん、極端な話だ。まじめに一緒懸命に働いて汗水垂らして血を流してそれで成り立っていることだってある。僕が食べてるもの使ってるもの社会サービススマートフォン、それらは努力結晶が生み出したものだ。それは間違いない。別に努力否定してるわけではない。努力は間違いなく尊いものだ。ただ、世の中には程度というものが(少なからず)あると思っていて、不健康になったり、辛くなったり、周りに当たり散らしたり、そういうのを見てると「頑張りすぎじゃないかなあ」と思う。

努力をするのをやめましょう、ということじゃない。無理や無駄自分に不釣り合いなことはやめましょうってことだと思う、たぶん。

  • 少なくとも、今の人たちっていっつも何かに怒ってるのをやめたほうがいいと思う まあいいかの精神を身につけてほしいね

  • でもキモくて金のないおっさんが何か感情表現をしたりキモくて金のないおっさんのせいで電車が遅れたり キモくて金のないおっさんが遅刻をしたりした場合はいい年して何をやってい...

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