はてなキーワード: 堺雅人とは
日本の演劇界が停滞しているのは「チケットが高すぎるから」か「給料が安すぎるから」か?
https://togetter.com/li/1679865
ここのブコメさあ
演劇のことまっっったく知らんやつが何とかなんかしら言おうとしすぎだろwwww
ほんとは演劇めちゃ見たいんだろwwww
舞台沼とか言ってる人たちが羨ましいんだろwwwwwwww
と思った。
個人的に興味のないエンタメ、たとえばサッカーにあまり興味がないんだけど、
サッカー業界がどうやってこれから発展していくかみたいなまとめにコメントしないもの
そもそも書けることがないし書きたいとも思わんし
なぜわざわざ、知りもしないことを語ろうと思ったの?
好きなんだろ、ほんとは見てみたいしはまってみたいんだろ?
有名な役者を舞台で応援しててワシが育てた顔してみたいんだろ?
テレビでは単なるアイドル的人気かと思ってた俳優の思わぬ身体能力や演技力に驚嘆したりしたいんだろ??
(三浦春馬の身体能力はほんとに素晴らしかった、かえすがえすも惜しい)
ただなーはてなーには演劇楽しむのが難しいってのはねーわかるようんうんよくわかるー
ていうのも演劇って一度「批評する自分」をはずさないと楽しめないからねー
そこはライブと少し似ていると思うんだが
ライブで細かい演奏ミスや歌詞の間違いなんかを気にしてCDと同じ音質を聞こうと思ってたら楽しめないわけじゃん
でもその場の生の体験、プレイヤーと同じ場にいて観客席の中で震える空気を直接感じとる体験をするときやはりそれは得難い喜びがある
なぜかというと、そのライブの場を「楽しかった」ものとして記憶するには、
そのパフォーマンスを「楽しむため」に感覚を全振りしなくてはならないから
集中して、手を叩いて、声をあげて、音楽を楽しむためだけの自分になろうとするし
それが舞台の上に伝わるのがわかる
そこに火はないし水もない、絶世の美女もいないし犬もいない
舞台女優は近くで見たら案外普通だし夜の月明かりは単なる色セロファンだ
でもそれを、騙されるために見る
彼女は絶世の美女で、あのカップには酒が入っていて、血も吹き出ないけど彼は切られて死んだし、いきなり歌をうたいだすのは普通のことだ
そういう意識の開きかたをした先に、演劇でしか味わえない喜びがあるし
そういう意識の開きかたを、よい舞台というのは力ずくに仕掛けてくる
なお一応書いておくと
https://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/sp/
http://www.moon-light.ne.jp/news/tv/
なに見たらいいかわかんない人は普通に賞とったやつ見ればいいと思う
https://www.hakusuisha.co.jp/smp/news/n12020.html
https://www.kinokuniya.co.jp/c/label/20191217150000.html
ところで冒頭のまとめ、今の日本の演劇の現状に課題がないとは思わんが
有名どころのチケットはとりづらくてかなわんくらいだし
むりでしょ? 演劇楽しむの
半笑いで斜に構えてバカにするとこ見つけられる方がかっこいいと思ってるもんね?
いいよいいよそのままの君でいてくれ
追記。
ふつうに興味のある人向けに真面目に演劇関連のリンク張ったところで
演劇題材という時点でにわかウエメセ説教フェチの遊び場になるのが目に見えてたから
とりあえずそいつらがアホに見えるように明らかに文体変えて煽りをおいといたんだが
が好きだ。
厳密に言うと、自殺願望(というよりは自己嫌悪か)が屈折して自己犠牲的に『ヒーロー』に“なりたいと思う”系主人公。なるかどうかは重要ではない。
映画漫画小説フィクションノンフィクションなんでもいい。主人公じゃなくてもいい。
って、このタイトルで注意書きに挙げた時点でネタバレは終わっているようなものなのだが。
わたしがこのテのキャラクターにはまった最初が、『コードギアス』の「枢木スザク」だ。
で、最近、タイトルに該当するようなキャラクターに出くわした。
彼の独白で「誰かのために命をかけてみたい」という台詞の裏に「かっこよく死にたい」とあった。
もう正直に言って、「いつ面白くなるのだろう……?」と思いながら、佐々木はいせになる前の数巻を読んでいたんだが、この台詞で「あ〜読み進めてみてよかった〜」と思ったり、枢木スザクのことを思い出したり、あ、わたしはこういうキャラクターが好きなんだなと思ったりした。
タイトルのようなキャラクターを見つけたくて、「自殺願望 自己犠牲」とかいろいろぐぐったりもしたんだが、これがなかなか見つからない。
堺雅人がトリガーのアニメの声優をしたときのインタビューがヒットして、『プロメア』は観てみようかと思った。
堺雅人のCMみたいに嫌なことあればマック食べてるし、自分を褒めてあげたいような時もマック食べてる。
社会に出たら、何万円もするディナーを食べる機会も増えた。
もちろん美味しいんだけど、食べてる時の幸福度で言ったらマックの方が上だと思う。高級レストラン緊張するし。
一度上げた生活レベルは下げれないっていうけど、マックあるなら余裕で下げれるわ。
たぶん幼少期の幸せと紐づいてるから、こんなに好きなんだろうな。
家から車で30分ぐらいのところに、トイザらスと併設してるマックがあって、おもちゃを買ってもらった後にマック食べて帰るのが定番だった。
おまけにそのマックにはプレイランドがあった。仲良くなったお友達と、ハッピーセットでもらったおもちゃを持ってきて遊んだ。
それが今や人見知りコミュ障だよ。
プレイランド付きのマック、今もあるんだろうか。全然見ないけど、都内在住で車持ってないからかな。
組織に敢然と立ち向かい、「やられたらやり返す、倍返しだ!」という名台詞とともに
毅然とした半沢を演じる堺雅人を思い浮かべては、私もこんな風にやり返したい・・・と思いを馳せている。
私は某役所にて嘱託職員として勤務している。同じく嘱託職員のお局さんが
常習的に有給を不正取得している事に気付き、モヤモヤする日々を送っているのだ・・・。
手口は単純で、有給を取ると言って平日休んだにも関わらず、何の申請も出さずに、
そのまま出勤簿に押印し、あたかも出勤したように見せかけている。
それを、1~2日くらいなら可愛いものだけど(いや、よくない!) 昨年度だけでも7日以上は有給を浮かせている。
誰も気づかないのか?
というツッコミが聞こえてきそうだけど、おそらく誰も気づいていない(私を除き・・・)
嘱託職員の勤怠を管理している正規職員はいるものの、その職員も申請された通りに処理しているだけで、
今時タイムカードもない職場・・・・性善説で成り立っているのだから・・・。
お局のやり方はなかなかズル賢く(?)例えば9月に2回休みを取ったとしたら、
どちらか1日を申請し、どちらか1日を出勤したことにする・・・こんな手法で昨年の1年間、常習的に有給を浮かせてきたようだ。
では、どうして私が気付いたのか?
それは、私が彼女の有給管理簿(管理簿自体は1冊のファイルで個々のページがある)を見たからに他ならない。
一介の嘱託職員に過ぎないのに、職員よりも態度が大きく(それはきっと年数が長いからかな)
私への仕事の割り振りも彼女が決め、業務の分量が私だけやけに多く、
お局は常に暇そうにしている。(その分、隣席の嘱託職員との私語や業務とは無関係のネットサーフィンなどに興じている・・・。)
私の有給残数も気にしているようで、
思い返せば、私が今の部署に入った初日に「〇〇さん(私)有給25日も残ってるんだね!」とお局に言われたので、
どちらかといえば、人の管理簿を先に覗き見したのはお局の方だ・・・!!
お局の有給不正に気付いてから、もともと感じていた不信感がさらに強固なものとなり、
私の中でお局への嫌悪感が少しずつ芽生えていった。
しかし、ここは大人なので表面上では仲良くしているし、立場的には私の方が下なので言われるがままにしている・・・。
堺雅人かっこよすぎるだろ。
人によっては何を今更感あるかもしれないが書きます
先日、プロメアを見たんだが、どうも俺の趣味じゃなかった。堺雅人の演技がスゴイとか評価できる点はあったんだが
しかしツイッターでは多くの絶賛ツイートが溢れかえっていて、俺がズレてるのか?と思い、批判的なツイートもあるだろうと検索した
すると、俺と批判的な意見をツイートしている人間(以下、便宜上アンチと書く)とである一つの共通点が見つかった。
いや実生活では明るい性格だったりするのかもしれないが(俺は違うが)、アンチのツイートをざっと見ていると様々なアニメ、漫画、ゲームを触れては叩き触れては叩き……
不思議なことに長編の作品を半分も見ていない時点から叩き始め、結局最後まで視聴し、最後まで叩き続けていた……
いや、つまらんなら観るのやめたらいいんじゃないのと思ったが、どうも叩くこと自体が娯楽として機能しているらしかった。
おそらく、アニメ業界はこの手の「陰キャオタク」相手に商売をしても儲からないことにとっくに気づいているのだろう
現実世界も楽しめてオタク趣味も楽しめる明るくてひねくれていない陽キャオタクが多くなって、制作側も彼ら彼女らにウケるような作品を作り続けていくはずだ。
今日、片思い相手と映画に行ってきた。ドキドキした。ドキドキしすぎて顔を見ることができない。ちらり、と顔を伺うがすぐに目線を前に戻して劇場へ向かう。
彼は同じサークル、同じ学科の知り合いだ。藤子不二雄の漫画に出てきそうな、極めて平凡でメガネの似合う男子だ。
彼が不意に話しかけた。
「~~~~~~さ、~~からびっくりしたわ…」
わたしには「~~~~」の部分が不明瞭に聞こえる。きちんと私の耳には音が届いているが、どんな内容を言っているのかわからない。
きっと藤子不二雄は「プロメア見に行ったんだけどさ、声優知らずに行ったからびっくりしたわ」と言ったのだろう。
言葉の不明瞭さに慣れてしまうと、会話の前半部分を後半から推測することが自然と出来てしまう。
そして彼は言葉を続けた。
あ、と思う。ここでピンと来た。
「確かにエンドロール出てくるまでずっとケンコバ探してた…!プロメアって使ってる俳優さんみんな上手だよね」と私は返答した。
わかる、堺雅人の演技もすごかったわ~、とニコニコ話す藤子不二雄を見て私はほっと胸を撫で下ろした。よかった。
話が通じた。会話を滞らせることなく相槌を打てた。それから、その後の発言から汲み取ってコミュニケーションをすることが出来た。よかった。
よかった。
文脈からの判断のほかに、重要なのは口の動きだ。私は言葉が不明瞭に聞こえることを自覚する前から、会話するときにはジッと人の顔を見つめ、特に口に注視していた。
友人と話すときは、安心し顔をじっと見ながら話すことが出来るためコミュニケーションに困ることはない。
雑踏の中、聞きづらい状況であっても少し身を寄せ合うことですこし聞き取りやすくなる。顔をじっと見て、近い距離で話す。
好きな人には、それができない。
顔すら見れない。目が合っただけで「ヒュッ」と息が止まる。前しか向けない。会話をしていても、「多分こちらを見てないだろう」という間合いで相手の顔を見る。
普段周囲の人と話すとき、聞き漏れのないよう常に気を張っているが、そこに「好きな人」というどうも理性では計算しがたい、そばにいるだけで沸騰してしまう存在がいるのだ。
聞き漏れのないよう、聞き間違いのないように会話しなければならないというプレッシャーのほかに「めちゃくちゃ片思いしている人と行動を共にしている」度し難い緊張が加わるわけだ。
ましてや劇場に向かう途中、人混みの中話しかけられてもそっと身を寄せ合うこともできない。
こんな、めちゃくちゃ好きな人の15センチ以内にいることなんか出来ないでしょ!!!!!!!!!!!無理!!!!!!!!!!!!!!!!!!
顔も見れないため口元で会話を推し量ることもできない。雑踏に打ち勝つほどの距離で会話もできない。
彼はやさしく私に話しかけるが、なんと言っているのかわからない。なぜなのだろう。私はあいまいに笑い、「えー、そうなんですねぇ」と当たり障りのない返答しかできない。
「えっ、もう一回言ってください」と2,3回繰り返し、藤子不二雄に面倒な奴だと失望されたくない。
私は好きな人が目の前にいる緊張と、うまく聞こえないことへの恐れとプレッシャーで押しつぶされそうだった。
「~~~で、また映画でも見に行きましょう」
聞き取れなかった。一体、なにで、といったのか。
「えっ、なにで?」
「みんな。みんなで、ね」
最後まで私は彼の言葉の不明瞭さに勝つことが出来なかった、かつ、脈なしだったと判明した。
私の恋はあっけなかった。もっとうまく聞き取れていたら、もっとうまく話せただろうか。場は盛り上がっただろうか。
いや、私の感じる言葉の不透明さは病名がつく立派なものでなく、気のせいであるかもしれない。
しかし、色々考えたって無駄だ。何しろ、これからうまく聞き取れたかといって、藤子不二雄と両想いになれるわけではないからだ。
なぜめちゃくちゃ好きな人に限って聞き取られないような仕組みになっているんだ。
めっちゃいろんな美味しい味がする!!!!すごい!!!すごいな!!!えっなにでもこれ飲み込めない!めっちゃのどにつまる!!!なにこれ!!!美味しいのに飲み込めない苦しい!!!ってなって涙目になった。なんで飲み込めないのかって考えたんだけど、やっぱ主人公の「みんなを救う」っていう見得なんだよな。みんなを救うっていうのはやっぱ不可能なことだから狂気をはらむ。その狂気には触れないでケンイシカワ感があるのがすごい違和感。だって石川賢のキャラが「地球を救う」って言ったらだいたい地球は救うけどそれ以外のものはどうなってもしらんっていう狂気を孕んでるじゃん。それって人間にできる範囲をどう切り取るかじゃん。いや、中島先生に石川賢と同じことをしろと言ってる訳じゃない。石川賢を読み、深くリスペクトし、その上で俺はこう描くと決めて作品を書いてるわけだから、そこを否定したいわけじゃない。でもガロはみんなを救うって言ってて、作品は人間の限界をないと定めてるにもかかわらず、なかに普通の人がいるの知っててガンガン船橋部分ぶっ叩くのはヘンじゃん。案の定普通の人はなんの尊厳もなくめっちゃ吹っ飛ばされてんじゃん普通首の骨折って死ぬじゃんそんなの。いや、中島かずき宇宙では人間あの程度のことで死なないんだと思うんだけど、大事にしないのに守るってどういうことなのって思うじゃん。あんな高いとこから打ち落とされて、マクロの空を貫く宇宙戦に乗ってた一万人はどーなったのって思うじゃんマクロスだって変形の時は市民に連絡してたのに!!!まあ連絡したからってどーやってショックアブソーブして市民を守ってたかは知らんけど!!!まあマクロス的な宇宙船の中にはいってた多くの人はポッドの中で守られてて大丈夫だったとしよう。そこはそう落ち着けよう。そこに堺雅人の怪演ですよ。これがまた厄介で、うますぎてまたあじわいをくわえちゃってんのよ。これが舞台ならいいんだ。あれは表現に限界があって、その他大勢の人を描けない。そこでみんなを守るって言っても舞台上の人数くらいだし見てる方も体感としてわかりづらいから概ね「お前と俺」の話になる。だから新感線の芝居は飲み込める。でもアニメは変に一般人を、世界を見せてくるのでもうめっちゃ気になる。子供向けアニメは言うても味わいが単調だからそういうものとして飲み込めるんだけど、プロメアはもうめっちゃ色んなあじがする。モスピーダ的な装着ロボットも歌舞伎的な見得もわたしにいい考えがあってこんなこともあろうかと用意されたアニメ的なお約束もポップな音楽も上手い声優もケンイシカワ的な表情も巨大ロボットの肉弾戦も変形ロボットもエアブラシで描かれたっぽい70年代感ある電脳空間の生き物もBLもまつろわぬものたちも素晴らしい動きの戦闘シーンも思想の対立もいい感じに配置された脇キャラもそのほか色々色々。だから余計に気になるんですよ、ほら火消し+冷静メガネ=め組の大吾だけど、あの作品で曽田先生も描いてたようにみんなを救う英雄は狂ってるし最終的にめっちゃ孤独になるこの世から浮いてしまう。そんなガロの魂をだれがすくうの?あっリオ君?リオくんなの?デビルマンの明と了みたいに?ガロの躯の横に座ったリオ君が「お前はほんとうに宇宙一バカな火消しだな」とか言ってひとすじ美しい涙を見せるの?世界はガロを捨てたのに、でもガロはその世界を何より愛していたから憎むこともできないとしたら、それは了よりつらいんじゃないの?????ひどくない?????中島先生ひどくない???そんなことにならないよう気のいい仲間たちがいるのはわかってんだけど!
痛快娯楽作品として提供されてるんだから痛快娯楽作品として消費すりゃーいいんだけどなんかもーーーーーーわーーーーーもーーーーー!もーーーーー!ってかんじでカードはクレイでした。つかれた。ねる。