だってさ、与えられた役になりきるのが最終目標だろ。
だったら顔が知られてない方が有利だし、ベターじゃん。
どんな役においても名も顔も知られた有名俳優Aが
演じるよりも、全く無名の俳優Bが演じた方が、
見る側の没入感は高くなるはずなんだよな。
主人公の敏腕弁護士Xを水谷豊が演じてたら、
見る側は「あ、杉下右京だ!」って一瞬気が散るよね。
でも、無名俳優Bならば、そうは思われない。
「あ、こいつが敏腕弁護士Xか!」ってスッと入ってくるよね。
でも、この無名俳優Bも顔が知られてくれば、同じ道を辿る。
「あの役者の演技が見たい」ってのもよく聞くけど、
それは役者の演技のクセがウケてる証左で演技の
最終目標である「役になりきる」からはズレてるよな。
堺雅人のセリフ回しが見たい、ってのは役と関係ないから。
てか、そもそも「役になりきる」のが役者の最終目標じゃないのかもな。
もっとフランクに「自分なりの表現で聴衆を楽しませよう」くらいだったりして。
Permalink | 記事への反応(2) | 08:33
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日本人のドラマ視聴者なんてキムタクが出てるから観てたようなのばっかじゃん
あながちそうでもない 役者見続けてると、神回ならぬ神配役に当たる時もあって 本人も「こんなに役になり切ったのははじめて」という役に当たる時あるからなー 本当に見ごたえある