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この増田の
週刊サンケイ. 13(46)(697);1964・11・2 国立国会図書館限定 雑誌 扶桑社 [編] (扶桑社, 1964-11)
うん。
どっちも「ぐだぐだ」という意味でガバガバを使っているという話じゃないよね。
ガバガバというオノマトペがそのまま当てはまるような物理的状態に対してガバガバを使っている状況を指している。
オノマトペそのもの意味から派生して、より概念的なもの、グダグダな状態を表す言葉として使われだしたのがここ10年という意見に対しての反論としては成立してない。
と反論されている。
これもまた「物体の物理的な状態に対してのオノマトペ」であり、「仕事や段取りが上手くいってない状態」を表現しての「ガバ」というニュアンスではなく派生前のものを指している。
における「ここ10年」は「グダグダという意味が生まれた」の時期を指している。
これは日本語を母国語として12年義務教育やっていれば当然読めると思われる。
だがはてなーたちはこれを「ガバガバという言葉が生まれたのはここ10年」と読んでいる。
これはまさに日頃はてなーが馬鹿にする「十分に人との距離が離れており換気もされている屋外においてはマスクを外しても問題がない」を読めない人種ではないか。
あえて注釈を入れるが、この文章は「十分に人との距離が離れており換気もされている屋外」という条件を満たしたときであれば「マスクを外しても問題がない」という意味だ。
間違っても「マスクを外しても問題がない。何故なら屋外で赤の他人と過ごすシチュエーションにおけるお互いの距離は感染の危険がないほどに長いと証明されたからである。つける必要があるシチュエーションはハグ・セックス・大声での口喧嘩ぐらいであるが、これらは屋外では滅多に行われない。つまりマスクはもうほとんど不要と言って良いのである」ではない。
結局ははてなーもまた文章を読んでいるわけではなく、文章からイメージされる情報に対して自分の記憶を何となく結びつける人種なのだ。
まるで英語が出来ない学生がリスニング試験を受ける時のように、文法もよくわからないまま単語と自分の記憶を朧げに結びつけることでなんとか意味を理解した気になっているのである。
そしてそのことに自覚がない。
何故なら、彼らにとって文章を読むとはずっと昔からそうであったからだ。
散りばめられた単語と自分の経験や知識を組み合わせて、それっぽい話を頭の中で組み上げているだけなのだ。
言葉が法則によって並べられ、悪文でもない限りは意味が一意に絞れるような組まれ方をしているものだとは思ってない。
「アレ」や「ソレ」といった代名詞を使ったりジェスチャーや雰囲気でなんとなくお互いの考えを伝えるのと同じ延長線上にあるのである。
これは実に恐ろしいことだよ。
何が恐ろしいって自分たちがそんな状態のままで他人には「マスクを屋外でいつでも外していいってなんで判断してるの?」「ただの風邪ってフレーズだけを切り抜いて何から何までただの風邪と同じとついに暴露したって騒いでるの頭おかしいでしょ」って言うんだものな……。
何も変わらんよ。
自分たちが日頃そういう会話に参加してるから漠然とし「既に知っていること」を「なんとなく思い出して」いるだけじゃないか。
ビックリだな。
ケーキを切れないかもしれない境界に多くの人達がいるという本が前に話題になったが、ネットで他人の文章読解力を散々笑ってきたコミュニティがAlexの読解力問題を解けないというのもそれに似た話なんだろうな。
本当にひどい。
まあ面白くはある。
ワイは仕事の関係で東京にいるんだけど、日雇いバイトしてる若者と知り合う機会があって
学歴もスキルも目的も金も(言っちゃ悪いが容姿も)ないのに上京してくるやつ怖すぎやなって思った
オタク趣味関係の知り合いは金ないけど才能とか情熱とか夢があるし
街にいる綺麗なねーちゃんは容姿で成り上がろうってタイプだろうし
え、そんな奴おるん?みたいな感じ。
その条件でその行動するの?みたいな人間がいることを知った。
そもそも140文字で議論()している人をまともとみなしてないので
お可哀想にって思ってるし
140文字で体系的に何が語れるのよ?細かく何度も何度も投稿すんの?
140文字ってバックグラウンドを無視したコミュ二ケーションに本来は使われるべきものと思っているよ
バカが閉じこもってるのは政治系ラジオとTwitterなんだけど
あとは宗教・ジェンダーを否定する科学ネタのリプ欄となぜか物理ネタ
個人や企業による人種差別や性差別主義的な言動に人々が強く反発して、起用取消しや不買運動などが起きること。近年の#MeToo運動や#BLM運動の広がりの中で隆盛し、社会変革のための重要な手段となっている。コールアウトカルチャー(call-out culture)、差別や偏見などの社会問題に目覚めた(woke)若者たちによるウォークカルチャー(woke culture)とも同義で使用されることもある。元来は、マジョリティの「公共圏」から排除された人種、民族、あるいはジェンダー的なマイノリティたちが生み出した「対抗的公共圏」の中で抵抗の手段として発展していった。他方で、マジョリティの白人文化に広まる中で、従来控えめなボイコットや無視を促すものだったキャンセルカルチャーが、発言が問題視された人を市場やメディアから締め出すようなコールアウトカルチャーへと変容した。これに対してオバマ元大統領が警鐘を鳴らし、行き過ぎたキャンセルとコールアウトカルチャーに対して、人の過ちに対する寛容や、発言の問題点を指摘しつつ敬意をもって対話を試みるコールイン(call-in)などが模索されている。日本では東京五輪開会式におけるミュージシャン小山田圭吾の過去のいじめ発言や元お笑い芸人小林賢太郎によるホロコーストをネタにしたコントがキャンセルの対象となった。
小山田圭吾と小林賢太郎はキャンセルカルチャーの範疇に入らないと思う。小山田圭吾の拒絶は人間性に対する嫌悪感、小林賢太郎は欧米に対する忖度の結果で多くの日本人にとってはどうでも良い話。
30年以上ロックやポップスを聞いているが、ベースがよくわからない。
ドラムはわかる。太鼓をどんどこ叩けば、何となく踊りたくなる。わりと人種や文化を問わず、本能に近いものがあるんじゃないか。
しかし、ベースラインを単独で聴いていてもあんまり踊る感じではない。電子音楽によって音をパートに分けるというのも意味ない感じにはなったが、それだけで踊れるベースってファンクの一部を除いてあんまりないじゃないですか。
しかし、ドラムにベースが加わると、なんかこう、腰が自然に動く。これがよくわからない。どうもドラムみたいにプリミティブな感じじゃなく、かといって特定の文化文脈に依存するコードでもなさそうで。
なんなんですかね、ベースって。
消費者の側としてもね。
だってそうじゃん。
そういう「俺の考えるような人間こそが正しい人間。どういう人間が正しいのかは俺が決める」みたいな奴がエンタメに関わると最後には独善から表現規制を推し進めるようになるよ。
でもさ、そういう連中って結局は「俺の思う正しさ」のぶつけ合いが人生の全てだから自分より権力の強い人が「俺はこう思う」と口にしたら黙って従うんだよね。
戦時下の新聞社が大量の大本営発表を繰り返してきたのも、その根っこにはそういう人種の関与がある。
あーこうなるともうエンタメだけじゃなくてあらゆる表現から遠ざかってほしいね。
地下労働施設で10年前の新聞を読みながら死ぬまで単純労働だけしていて欲しい。
地表には出てこないでほしいわそういう人種
同僚は、もともと「同じクラスになっても同じグループの友だちにはならんだろうな」と思う程度には価値観が違う人種ではある。
でも、「たまたま同じ会社で働いている人」ってだけなんだから、
必ずしも友だちみたいに仲良くする必要もないよね、最低限の礼儀と関係性があればOKだと思って働いてた。
今までは別にスキもキライもない人って思ってたんだけど、なんか最近はなにつくようになってきてしまった。
同僚は私よりも年下で、同じ職種の人なのだけれど、何か最近、急に私を意識してきてちょっぴり仕事がやりづらい。
社内で私たちと同じ職種の人はほとんどいないので、(同じ部署となるとなおさら)意識する対象が必然的に私になってしまうというのはあるのかもしれないけど、あんまりこっちを意識しないでほしい…って思ってしまう。
以前「某芸能オーディションを受けようと思ったけどスケジュールがあわなかったからやめた」みたいなことを言ってたし、
なんというか、目立ちたいタイプというか、スポットライトを浴びたいタイプなようで、いちいち面倒くさいのだ。
私は完全なる裏方タイプなので「目立ちたい」と特に公言してないけれど、恐らくその同僚が得たいもの(仕事の成功とか人望とか)を持っているんだと思う。
でも、最近は同僚もめきめき成長してきて、そのせいか、同僚の中で「この人に勝てる」とか「この人を追い抜ける!」という算段が立ってきたんだろうな。
何かにつけて比較されたり、勝とうとされてきたり、こちらのミスを大々的に指摘してきたりして結構面倒くさい。
いやミスは指摘してくれていいんだけど、その仕方も変わってきたというか。ねちっこくなってきた笑。
別に私は同僚の成長を願っているしフツウに教えたりもするし、
スキもキライもなく単純に私の存在がこの人の成長のきっかけになればとは思ってたけど、ちょっとだけ困っている。
いや、正直言うと困っているというよりは気にくわないっていう感情の方が近い。
私たちの仕事は個人の裁量が大きいところがあるので、他人と比べたところでどうにもならないし、
私は私、同僚は同僚のスキルや強みをそれぞれオリジナルで組み立てていくしかない。
特に私は根っから「他人は他人、自分は自分」タイプなせいか、比べられて、
勝手に勝敗をつけられるとうか、「自分の方が勝ってませんか!?」みたいな態度を取られるのが非常に面倒くさいのだ。
私は私で頑張り続けるだけだから…くらべないで…こっち見ないで…
で、何でこんなに困ってるかっていうと、それでハッキリ勝ってたらいんだけど、
同僚は自分が思っているよりはまだまだひよこチャンなので、ツメが甘いのだ。
勝てないんだよ…私には…まだ…申し訳ないが……
誰しも、成長の段階ってこういうものなのかなって思うし、
なんなら数年前は私もそうだったかもしれないから、生あたたかく見守るしかないんだけどさ。
ぶっちゃけそのとおりだよ
認める
普段自分のことを優しく叱りつつも、根本のところでは全肯定してくれてて、かつセックスが出来る女が最高だと思ってるよ
けど、女だって自分に都合の良い男像持ってそれ追いかけてるやん
女ほど理想と違うってことで男をボロクソ言ってる人種ないだろうし
そこはお互い様やんけ
なあ?