はてなキーワード: 上流階級とは
無理して東大入ってなんとか卒業したはいいけど、正直コミュ力ゼロで就活に失敗し契約社員年収300万からの社会人スタート。2-5年に1度転職して4社目、10年がんばってやっと年収500万。
「結果をベースに転職してキャリア&年収アップ」というライフプランに先が見えなくなった。
転職市場って基本的に「能力」と「前職の実績」を踏まえてキャリアを上昇させていくものだと思ってる。前職でめっちゃ売り上げ出したから次の転職先で係長or課長クラスになる、みたいなね。
が、自分にはその「売上を出す能力」がなさそうだとわかりつつある。
局所的なスキルには自信があるよ。たとえば法務チェック不要なくらいに契約書読みこむ、みたいなね。でも法学部卒じゃないし法務でもないのでスキルセットのプラスにはならない。
で、思ったのよ。もしかして自分は「民間市場でガツガツ働いても年収1000万を超えることはできない」のでは?
20代の頃はそういう夢をみてたよ。大手会社に就活したりね(文系なら出版社、経済系なら外資系コンサル、理系なら今で言うGAFAを想像してみてほしい)。
でもそうはならなかった。ならなかったんだよ。ここでその話はおしまい。
ここまでは別に自虐ではないので、自虐風自慢のつもりはない。なぜなら公務員に転職したからだ。今どき退職金1500万もらえる身分への転職は万々歳よ。これまでの10年で退職金0だからね。そういう意味ではただの自慢である。
友人らは現状で既に自分と同じくらいの退職金もらえることが決まってる上、30歳で年収1000万越えとか割といる。はぁー私が30年勤めて取得する予定の金額を3-4年で稼げるんですねぇー!
という嫉妬があるかというと、別にない。だって今どきの世の中で30代年収500万あれば世間の上位半分にいるわけじゃん。まあ分相応だと思ってるよ。
今思ってるのは、久しぶりに会うときの店の予算帯が絶妙にズレ始めてること。あっちが普通と思って提案してくる店が微妙に予算外、みたいなね。飲み会の店を提案されたら素で6000円だったりするわけ。ほわーっって感じよ。
収入面では別にない。そこそこ生活には満足してるし、今から年収1000万になりたいとも思ってない。身の丈にあってるわけだ。
が、友人との階級層がズレはじめてるような印象はあって、そこだけはこわい。「この先もしかして自分はこの友人を失うのではないか」という恐怖感だ。
友人との交友関係を失いたくないという恐怖だけで、自分はこの生活でいいのだろうかと思い始めてる。もっと上流階級に行くべきなのだろうか。
東大にギリギリで入った奴って世の中の上位半分に入ってれば納得するのか
「学歴に対する世間的な期待値」と全く見あわない現状に恥ずかしい思いがないわけでもないけど、その恥ずかしさは自分の人生において「わざわざ払拭するほどのプライオリティ」として存在していないんですよね。「年収1000万になったところで何したいって希望も特にないので別に今のままでいいかなー」くらいの気持ちです。「他人からどう見えるか」への興味がゼロで、自分が楽しいかどうかが人生の判断基準。
生きにくそうで大変だなぁ〜
まだ失ってないし、自分も現状無理はしてないけど、今後友情関係維持する為に無理しなきゃいけないのかなって恐怖はある。
これは嫌味でもなんでもなく本心なんだけど、このコメント書いてくれた増田が人生に満足してるなら何よりだよ。他人が幸せなのはいいことだ。
ここまでやられたらカッとなってもしょうがないよねって同情の余地はあるよねって話にするとしてじゃあその「しょうがない」のラインは誰が決めるの?
例えばマッチョイズム丸出しの上流階級強者男性が弱者男性に腐ったスニーカーで高級ブランド靴踏まれたから注意したらヘラヘラしてたからカッとなって殴っちゃったってなったとして、上流階級強者男性コミュニティでその話したら「そりゃ殴るよなw」ってなっちゃったら、カッとなって殴った側に正義が発生するの?
何かしらの争いが起きると、先に手を出したら負け、という風潮が気に入らない
例えば、親を馬鹿にされ、容姿を馬鹿にされ、知能を馬鹿にされ、性格を馬鹿にされたとする
人としておおよそやっていけないことをやっているのだ、殴られてもおかしくはない
しかし殴ったとたん、先に手を出した方が悪い、となる
殴る前に正当な方法で訴えろ、と言う意見もある、ある程度理解もできる
しかし聖人君子のような人ばかりではない、カッとなって殴ることや言い返すこともあるだろう
諸君はどう思われるだろうか、教えてほしい
以下追記
・逃げる、相手にしない、第三者を巻き込む、 殴って物事が良い方向にいくことはない
・ここまでやられたらカッとなってもしょうがないよねって同情の余地はあるよねって話にするとしてじゃあその「しょうがない」のラインは誰が決めるの?
例えばマッチョイズム丸出しの上流階級強者男性が弱者男性に腐ったスニーカーで高級ブランド靴踏まれたから注意したらヘラヘラしてたからカッとなって殴っちゃったってなったとして、上流階級強者男性コミュニティでその話したら「そりゃ殴るよなw」ってなっちゃったら、カッとなって殴った側に正義が発生するの?
全6曲。
落ち着いたアレキサンドロス。よく聴いてるわけじゃないけど『kick&spin』とか『閃光』とかのイメージが強くて意外な気もしつつ、耳触りのよい英語が結構好き。何言ってるのか分かんないけど。
日本語で歌うパートにくると歌詞の内容が分かりだす。「午後一時半の小田急線」——どうやら、一度出勤したけど風邪気味だから午後休取って早退したやつの話らしい。サボってる学生や、楽しそうな主婦がいたりする時間帯だ。うんうん、わかるわかる。
そして彼は、最寄りに着いたところでふと気付く。このまま乗っていれば実家に帰れる、と。そして実家で猫に会い、(おそらくは親に)小言を言われ、おいしい味噌汁を飲む——。
は?
この曲は、俺のような英語のリスニングもできない片田舎の人間が風邪をひいた時に聴く歌ではない。ただただ、恵まれた環境にいる人間が風邪をひいた時の歌なのだ。
「いや、そんな恵まれてもないだろ」と思う方もいるかもしれないが、2番の日本語パートで彼自身もこう内省している。
「思えば恵まれた生活をこう/与えられてたこの坊ちゃんが/ロックンロールなんて/叫んでいいんだろうか?」
彼は会社員というよりはロックを叫ぶバンドマンのようである。アレキサンドロスの人そのものを描いているのかどうかは分からないが(まあどちらでもよい)、芸術系とか創作系・表現系に全ベットできる人間の実家が太いというのはままある話である。
彼の悩みに答えは出ず、玄関まで送りに出てきた親(おそらく)の顔も見ることができずに電車に乗り込む。「一人部屋のアパートに帰ろう」——ロックで売れまくってるってわけでもないようだ。
曲を聴くというよりは歌詞を読みふけってしまった。この曲で描かれる人物は俺とは全然違うところを生きているけども、好感が持てないかと言えば全然そんなことはないし、そういう人間が風邪をひいた時の情景を描いた歌として、うん、よかった。しっとりしたアレキサンドロスも良い。
名前だけは見たことあるけどちゃんと聴いたことのなかったamazarashi。
ピアノのイントロから入っていきなり「37℃の微熱」、うん、風邪の歌だ。
そしてなんか、フィロソフィーとか運命とか必然とか言い出したな……と思ってるうちに曲が終わった。歌詞サイトを見る。さっきのアレキサンドロスでも見ていた。
2回目の再生ボタンを押すと、なんとこの曲1分55秒である。そりゃすぐ終わるわけだ。
しかし改めて歌詞を見ると、この曲で描かれる風邪を引いた人間もまあ、全然共感できない類の人間だ。部屋にはソファがあるし、彼女がいるし。フィロソフィーとか運命とか必然とか言い出すあたり、俺には話を合わせることもできなさそうである。
彼は「ごめんちょっと調子が悪いだけなんだよ本当に」と言い訳をし、「かれこれ数時間/便器にしがみついて/朦朧と/うわ言」。うわ言だったらフィロソフィーとか言うのもやむなし……か?
2分に満たない短い曲の中で、「朦朧と」のフレーズが繰り返される。印象に残る曲だ。全然好きだ。好きだ、amazarashi。もっと俺の調子がよくて、なんか小難しいことを考えたいときに聴きたい。
恋風邪じゃねーか!
でもまあ、Vaundyは好きなので(数曲しか聴いたことないけど…)楽しみである。
これ前に聴いたな……。
Apple Musicは自動再生で似たような曲や売れ線の曲を流してくるので、Vaundyなんかは知らぬうちに受動喫煙しているのだ。
「恋風邪にのせて」というタイトルには、いわゆる恋の病的なものを風邪に例えた「恋風邪」と「風にのせて」言葉や思いを吐き出す行為がかかっていて、全編的にそんな感じの曲である。俳句みたいな技法で割とすき。
しゃらくせぇ曲だなあとは思うものの、そのしゃらくささがVaundyの魅力だとも思う。いい曲。
「くだらない愛で/僕たちはいつも笑っている」
旧Twitterのフォロワーにこの人のファンがいて、ちょくちょく名前と情報が目に入っていた。実は曲を聴いたことはないのだが、シャニマスが好きみたいなので信用の持てる人だと思う。
そして肝心の『風邪』。風邪をひいた舞台役者・脚本家?のつらさを綴った曲のようである。あんまり面白くない舞台であんまり上手くない芝居をして、叩かれて、病んでいるようだ。そんな感じの「風邪」ニュアンスを感じた。
自らの作品や表現の稚拙さに苦しむというのは、個人的には結構わかる。わかるけれども、今食べたい料理はそれじゃない。それじゃないんだ……全然上流階級の人間を描いてていいからがっつり熱出して寝込んでてほしかった……。こういう形の風邪も全然あるんだけども。こういう形の風邪の話だよね?解釈に失敗してるような気もする。
それはそれとしていい曲だと思うし、小林私のボーカルも結構すき。やはり信用の持てる人だと思う。元気になったら(あるいは精神的に病んだら)他の曲も聴いてみようかな。
この曲もしっとりした雰囲気で、熱が出てぼーっとしたいときに合っているような気がする。
歌詞としては、風邪が治った直後の情景が描かれている。まだ少しぼんやりとしつつ、でも体の軽さがある、そんな感じ。早くこれになりたい。
「君の手のひらはbutterfly」「僕の額をその翅で慰めた/あぁ」
どうやらこいつにもパートナー的な人間がいるらしい。だけど、不思議と嫉妬のような気持ちは湧いてこない。キリンジの、この曲のふんわりとした雰囲気ゆえだろうか。
曲は終盤に1分ほどbutterfly…を連呼して終わる。すごい余韻である。風邪のときってこれぐらいの余韻がほしいというか、ぼーっとしたい。いい曲だ。好きだ、キリンジ。
間違いなく1番ひどい。
検索しても歌詞は出てこないし、そもそも歌詞というか一般的な曲の体をなしていない気がするし……音楽に決まったルールなんてねえんだよと言われたらそれまでだけど……。
田舎に帰るたびに母に言われる
「そこそこ稼いでるはずなのになんで貧しい暮らししてるの?」
確かに俺はしまむらとGUの服を着て暮らしている 外食といえば吉野家やマック
んで、なんでだろうって考えたんだけど、そもそもお金を使うような上流階級の暮らしってのを知らないってことに気づいた。
例えば服の例で言うと、普段着はしまむらやGU(家の近くにあるから)、ちょっとオシャレな服が欲しいときはパルコやマルイやルミネに行くんだけど、百貨店というものには行ったことがない
百貨店にどんなブランドが入ってて、どのくらいの価格帯なのかも知らない
で、なんで百貨店に行かないかというと、行ったことがないから怖いってのと、自分には縁がないところだという意識がある
これに気づいたとき、日本は平等な社会だと思ってたけど、社会階層って見えない形で分断されているんじゃないかと思った
服だけじゃなくて食べ物とかも同じ 吉野家やマック、ガストは行けるけど、高級レストランに行ったことがない
俺が行く最大の高級な店はロイヤルホスト
それ以上の店はどういうのがあって、どうすれば行けるのかよくわからない
今例として服と食べ物を出したけど、休日のアクティビティとか、旅行とか、他のことでも俺が思いつかないような「上の階層の暮らし」ってのがいろいろあって、それに気づかずに暮らして死んでいくんだろうなあと思った
なんか根本的に勘違いしていると思うが、英国の社会階層は上流階級(ロイヤルファミリー級)、中流階級(中流とは言うがセレブリティではないガチの金持ちのこと、高所得の勤め人や医者)、労働者階級に分かれているが、労働者階級=貧困層ではない
労働者階級は労働者階級であってそれはそれでプライドの高い人々なので、いわゆる貧困層という意味では労働者階級とは使わないし、おれは貧困層出身なんてベッカムが言うわけない
かと言って上流、中流には貧困層はいないので必然的に貧困層は労働者階級に含まれるとも言えるけどそこは全然カテゴリの違う話をしている
その文脈でベッカムが言いたいのは、金をドブドブ注ぎ込んだ英才教育を受けたアカデミー上がりの選手(中流階級を前提とした話)が増えているが俺はそうじゃないって話
イングランドの若手の代表クラスのインスタとか見ると確かに裕福そうないかにも中流階級の両親とか養父母に育てられた選手が多いんだろうなと言う気はする
英国王室を描いたドラマ「ザ・クラウン」で、ウェールズの炭鉱崩落による悲劇を題材にした傑作回がある。
終盤に、女王はこの悲劇に対して「まったく感情が動くことがなかった、私は人として何かが欠けていると思う」と当時の首相ウィルソンに吐露する。
ウィルソン首相(労働党党首)は「誰にも言わないでください」と前置きして、
「実は私は肉体労働をしたことがないし、(労働者が好む)ビールよりもウイスキーが好きだ。パイプより(上流階級が好む)葉巻を吸う。でも、パイプを吸ってたほうが親しみやすいだろうから大衆の前ではパイプを吸います。ありのままの姿では国の顔にはなれません。」と言う。
要するにウィルソン首相は仕事のために頑張って演技をしているのだが、国の顔として女王のその感情の欠落は恩恵である、と言う。
というのをみて、そういえば職場の上の立場の人たちはなにか自己欺瞞的だったり嘘くさい言葉を並べるなと感じてたが、そうか演技をしてるんだと思ってなにかが腑に落ちた。
誰もあんまり言わないけど、ラディフェミって「上流階級の弱者」だよなぁ。上流だから食うには困らない、学位や権力は「欲しい」と言えば貰える(特別に計らわれているのではなく自然に貰える)、
でも弱者だから頭の中は怒りでイッパイ!!!!!!!!!!!何も分からない!!!!!!すぐ怒られる!!!!右も左も男がいる!!!!!!でラディフェミ化する(女と下人は透明なので見えない)
そんで普段自分が怒られてる(激怒は弱者にとってコミュニケーションの唯一の方法である)ように下人を怒鳴ってみると、上流の弱者であるラディさんと下人のエリート一般人の間では知性や学力が逆転してるので、揉める
下人クラスは「自分より社会的地位があるのに実は頭が弱者」という存在を想定していない(逆にしてたら無礼だろ)のでラディさんに難しく向き合ってしまうし、ラディさんはバカなので混乱してずっと激怒してるから、議論にもならないしまず話が噛み合わない