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トランスジェンダーがらみのYahoo!ニュース記事を読んでいる。コメント欄に必ずと言っていいほど溢れかえっているのは「トランスジェンダーなんて少数派に配慮した結果、多数派が生きづらくなるのは絶対におかしい」という意見だ。
そういう人は大体ジェンダーレストイレのことをイメージしていて、女性用トイレに野郎が入ってきて堂々と性加害できる、なんてのは絶対に阻止すべきだ、という考えを持っている。
僕は身体がオスだ。そして性自認で悩んだことがないので、きっと性自認も男なのだろう。
男の僕でも、確かに女性が性加害の恐怖にさらされ続けないと生きていけない世の中は絶対に実現してはならない思う。(トランスジェンダーに配慮したらそうなるんだ、というのには疑問だけどそれは別の話として)
でも、さっき言ったようなヤフコメに対してどうしても同意できないことがある。「多数派が生きづらくなる時は少数派に配慮してはいけない」というところだ。
ホントにそう思うのか?いや、それ自分が今この時は多数派だから安心して言ってられるだけじゃないのかな。
だってもし自民党が国会で何もかも多数派の暴力で強行採決やり続けたらどう思うよ。それに対して「野党は少数派なので。多数派の自分たちが配慮した結果、運営やり辛いのはちょっとね」って言ったら納得するか?
いや、自分は自民党支持した覚えがない。本当はあいつら少数派だから、というのは通らないと思う。
選挙に行った人たちの中では多数派だったから自民党はたくさん議席をもっている。アンケートの結果だし多数派なのは確かだ。
選挙には行ってない人を含めたら少数派になる?
地方選挙はそうかもしれない。でも衆議院選挙の投票率は50%を少しこえる。投票しない人は少数派だ。
「多数派に迷惑がかかるなら少数派への配慮は不要」って乱暴すぎやしないか?僕はそんな世の中は嫌だぞ。
僕は唐揚げにはレモンかける派だけどさ、多数決とって少数派だったら僕は爽やか酸味の美味しい唐揚げを諦めなくちゃいけないの?「あ、いや、すみませんけどね、その隅っこにいる一個だけでもレモンかけて良いですか?」って聞くのもダメになっちゃうわけ?
トランスジェンダーに配慮した結果、自分はとても嫌な思いをするんだよね、って言うんだったら分かる。
ケチはつけたくなるけど、「どう感じるか」はその人の感覚だから大切にしたい。
けど「ウチら多数派なんで。少数派は黙っててもらえません?」という理屈には賛成できない。
そう言う人は自分が多数派だと思っているから言えるんだ。落ち着いて考えたら自分が少数派になっちゃうことだって自然にあるのに。
この先は介助が必要になる病気にかかったりしない?ハラスメントに耐えかねて精神疾患になったりしない?交通事故で車椅子生活になったりしない?
その時に「多数派が迷惑なんで大人しくしといて」って言われたらどう思うんだろう。大人しく従うのかな。
区切られ方とか場面とか、そう言うので多数派か少数派かなんてコロコロ変わっちゃうものだと思う。自分が多数派じゃないと使わないような理屈は都合よく拾ってきただけのものだ。
トランスジェンダーに反対するのはさ、個人の意見だから文句はない。だったら多数派の圧で潰そうとするんじゃなしに、どうして自分は嫌なのかを具体的に言おうよ。その方がよっぽど建設的な議論にならないか?
今年、娘が小学生になった。都内の公立小学校に通っている。そんな娘に「パパは小学校楽しかった?」と聞かれて、僕は「楽しかったよ」と答えたけど、これはハッキリ言って嘘だ。
娘に変な先入観を持ってほしくないから、ポジティブに答えたけれどパパは小学校が大嫌いだった。正確には学年が上がるとともに制度と先生が嫌いになっていった。
平成初期に生まれた僕は小学校3年生まで80年代に開発された所謂ニュータウンに住んでいた。比較的若い住民が多く、大きな電機メーカーの工場などが集積していたので、所得や教育水準もそれなりに高かったのだと思う。小学校も開校20年程度だったと思う。好きな先生もいたし、友達ともよく遊んだ。指の皮が剥けるまでスマブラ64をしていたと思う。
その後、両親の離婚を経て、僕は母方の祖父母の家に住み、かつて祖母や母が通ったという小学校に転校した。明治時代からある古い学校だった。
この学校に転校した時は激しいカルチャーショックに見舞われたので一部ご紹介する。
1.男女でトイレが分かれていなかった。壁際に小便器がずらっと並び、その後ろには個室が並ぶ。要するに男子便所と同じ構造だ。そして、この個室には男子も女子も関係なく入る。ジェンダーレストイレが話題になった今となっては時代の最先端なのかもしれないが、当時は本当に驚いた。
2.自転車に乗っていいのは小学4年生から自転車の解禁が小学4年生以降だった。何も知らずに毎日自転車乗っていたら、ある日学年集会でいきなり晒し上げられてルールを知った。
こういう一つ一つ、当時の自分が嫌なポイントが増えていったのだが、決定的だったのは先生の質の低さだ。
とにかくヒステリーをよく起こす人で、どうでもいいことで一々叫び散らす先生だった。クラスで少し問題があるとなんでもかんでも集団責任と言い、一々放課後に全員で居残りさせられて迷惑だった。クラスでいじめられている子がいて、僕は転校生でクラスのヒエラルキーの外にいたので、助けようとして喧嘩になったら怒られたり、その放課後に、このクラスにいじめはありません!とか宣言しててこの人もうダメだと思った。毎日上履きに泥を詰められたりして、◯◯菌とか言われてる奴がいじめられてなかったらなんなんだろう。
この先生はかなり変なおじさんだったが、好きだった。いつも扇子を持ち歩き、教室に畳を敷いて、カーテンを簾に変えていた。将棋が趣味で将棋を教えていた。その先生から将棋を教わって将棋を始めたクラスメイトはその後、当時史上最年少で女流棋士としてプロになったのでその一点だけでも凄い人だと思う。
30代半ば/男性
この人はマッチョな見た目そのままの脳筋だった。子供ながらこんなに頭悪いのに学校の先生になれるんだなぁ、と思ったものだ。悪気があるのか無いのかわからないが、事ある毎にうちが母子家庭であることをクラスで話し、当時は今ほどシングルマザーに理解も無かった時代、そして土地柄。そのせいでクラスメイトやその親から「お父さんいないってどんな気持ち?」と聞かれたり、煽ってくる奴がいた。
決定的におかしいと思ったのが、成績の評価だった。大前提として、僕は公立小学校程度のテストならばどの科目も殆ど100点以外取ったことが無かった。年に1回の県統一の学力テストでも成績は学年1位だった。そういうわけで国語、算数、理科、社会の通信簿は常に5段階中の5以外もらったことがない。
ところが、僕はこの先生に「3」を付けられたのだ。そして、自分より頭の悪い子が5を取っていた。この成績を見た母は「1学年1位の息子が何故3なのか?」と学校に問い合せた。実は当時、通信簿の評価がそれまでの相対評価から絶対評価に切り替わった。先生曰く、生徒一人ひとりの成長を元に点数を付けることになったが、100点しか取らない僕は成長が見られないので中評価だという説明だった。
それに加えて、各科目の課題や授業に対する態度が悪いということ。具体的にはドリルとか問題集とか、その学期を通して行うべき課題を最初の1週間で全部終わらせて提出したことが悪い、授業中騒いだり他のことをしたりするわけではないが、かと言って授業も真面目に聞いていないことも理由であったと。
学校の簡単なテストは100点以外取りようが無いのに、どうやって成長を示せばいいのか。簡単な宿題を早く終わらせて一体何が悪いというのか。教科書を読めば一瞬でわかることを延々と説明する授業の一体なにを聞けばいいのか。僕は授業の邪魔することもなく、ただただ黙って大人しく時間が過ぎるのを待っていたのに。
ちなみに結局その後、試しに中学受験に向けた全国模試を受けたら偏差値は55~60くらいしかなくて、中学受験組の中では精々中の上程度だとわかった。そして日能研の「シカクいアタマをマルくする」とかいう広告の問題は全然解けなかった。別に自分が頭が良いわけではないことを理解出来た。そして実際に市川という上の下くらいの中学校になんとか滑り込んだ、というのが僕の実際の実力だ。開成?筑駒?渋幕?全然無理、って感じ。
当時を振り返ると嫌いになった要素がいくつかあると思う。
まず第一に、制度の問題。日本の公教育は、基本的に出来ない子に合わせざるを得ない環境であり、そもそも人間としての最低限の指導しかしてもらえない。加えてその基準は非常に低い所にありすぎて、子どもたちの学力すらもまともに測れない。物差しすら用意していない。当たり前のことが出来るだけでメーターを振り切ってしまう。そして相対評価の謎運用で無駄な不平等を生み出している。
そして先生の問題。先生の魅力というのは、学力だけでなく教育への熱意や広く言えば人間力など様々な観点があると思う。そしてその仕事の過酷さが度々話題になるように大変な仕事なのもわかる。
しかし僕が出会った先生は今思い出してもヒステリーなオバさんや脳筋が多く、学歴的にも大凡、他人に物を教える事ができるようなレベルではない。人間力含めたって精々小学生くらいにしか教えを説けるレベルになかったと思う。
考えてみれば、そこそこの学歴を持つ友人を見渡した時、高校の教員や大学教員になった奴はいても小学生の相手をしている奴なんて殆どいない。
そんなことを考えると、子供を私立の小学校に入れる選択肢を考える親の気持ちもわかる。ただ、個人的には小学校の時に悪かった友達が大人になって逮捕されたりしてるのを見ていると、人種の坩堝に身を投じて色々な人がいるということを理解するのも大事な気がする。
娘よ、そういうわけでパパは小学校が嫌いだった。お前が思ってるよりしょうもない大人が先生をやっているからな。そういうことにも一つ一つ気づいていきながら人生を歩んで欲しい。
犬猫の寿命が長くなって介護の話はよく見かけるようになった。老犬ホームとかデイケアの広告も見かける。犬猫常駐の老人ホームあったらいいのにな…
話がズレそうになったのは今から書くことがつらい出来事で批難されるの必至だからだ。でもペットを安楽死させた事例は検索してもなかなか見つからない。ほとんどは「安楽死寸前だったのが…」という介護譚だ。
もちろん安易に「飼えなくなったので安楽死させてください」はダメだと増田も思う。でも長年連れ添ってきたペット、家族の一員としか言いようのない存在が「回復見込みのない状態で恐怖と苦痛でしかない検査・治療を受け続ける」事態を止められるのも家族だけだ。
うちには20歳オーバーの猫がいた。元野良。ガリガリの子猫を「このままだと死んじゃうから」と押し付けられた。仔猫用ミルクや良質のペットフードのおかげで強健に育ち18歳くらいまでは病気知らず。ここ2年は甲状腺の病気で投薬(朝晩)と自宅点滴(週2)と血液検査(月1)をしてきた。
気が強い猫だからあらゆる手段で薬を拒否するのをこちらもあらゆる手段で飲ませにかかり、最近は粉にした錠剤をオブラートに包み無理矢理顎を開けさせて放り込み飲み下すまで顎を押さえつける方式になっていた。それでもやっぱり薬がイヤな猫は飲み込んだあとも涎垂らしたり、意志の力でゲロしたり毎日バトルだった。人間なら100歳近い婆ちゃんに悪いと思いつつ、薬を飲まなければつらくなるのだから、と拝むような気持ちで続けていた。
昨日の朝6時頃、へんな音で目覚めた。誰かがパイプを引っ掻いているみたいに音。見に行くと猫がえづいていた。なんか喉に詰まったものを吐き出そうと必死に空咳をしては後ずさる。口を開けたまま肩で息をしている。猫飼いなら誰でも知っているが猫の口呼吸はマジやばい。配偶者によると夜寝た時はふつうで明け方頃急にこうなったという。
かかりつけの獣医は9時半開院。ちょっと待てないのでネットで検索して24時間救急に連れて行った。(この時点で7時半)。猫の検査結果やいつもの薬も持って行った。獣医によるとX線だと詰まっているものは見えない。食道が異常に拡張している。胃まで空気でパンパンで呼吸が入らない。応急措置として鼻からチューブで空気を抜く、水分補給の点滴をして酸素室で回復を待つことに。
このあと院長?らしき先生と今後について話た。おそらく誤嚥性肺炎。高齢なので麻酔や手術はできない。酸素飽和度が低いので酸素室から出せない。誤嚥を避けるために強制給餌後15分立位にさせないといけない、等々。もし全てがうまくいけば2-3日で好転、そうでなければ長期入院。ケアが大変なので1日5-6万円プラス検査、薬代かかる、と。
金額にもビックリしたけど(ここは24時間な分高額なのは有名なので)うちの猫がずっと酸素室やケージに入れ続けられるのが耐えられなかった。(しょうがないけど)犬も一緒でワンワン吠えているし知らない人ばかり。さっき見せてもらったら酸素室の中でパニック起こしてまんまるな目をして苦しいのに逃げようとペットシーツを掘ったり歩き回っていた。猫にとっては急に戦場に連れてこられたようなものだろう。
「ウチに連れて帰れませんか…」せめて家で看取ってやりたい。「酸素室から出せない状態では帰宅を許可できない。車の中で死ぬほど苦しむから。それなら家族が来て安楽死させる方がまだ…」
安楽死。
先に口に出したのは院長?の方だった。コトバには魔力がある。思えばあの時心が決まったのかもしれない。
家に帰り配偶者と相談した。神経質な、いわゆる「幻の猫」で配偶者と自分にしか甘えない猫だった。あの猫のことは獣医よりも自分たちがよく知っている。「20年も頑張ってくれたのだから、もうこれ以上つらい状態から解放してやろう」それが結論だった。6歳とかあるいは10歳なら、投薬やケージレストを嫌がらない猫だったら別の結論もあったのかもしれない。でもただ症状がすこし緩和するために何日も入院し、帰宅できたとしても酸素室に強制給餌の日々で安らかに過ごせるとは思えなかったから。
午後の面会時間に配偶者と赴いた。若い女の先生は「朝からだいぶ回復して歩き回ってますよ!」「CTとったら詰まっているものがわかるかも」と積極治療を勧める。でも酸素室の中の猫は瞳孔が開ききった状態でゼェハァしていた。獣医が歩き回る、というのはパニックしているから。ニャアと鳴きました、というのは威嚇しているから。見ていて胸が張り裂けそうだった。ごめん、こんな辛い思いをさせてごめん。もうこれはうちの◯◯じゃない、酸素室で無理やり生かされている怯えた獣だ。(すべての猫がそうだという訳ではありません、あくまでもその時感じた事なのでご容赦を)
配偶者が女医さんと話した結果、安楽死を認めてもらった。酸素室から出して抱っこさせてもらった。処置台の上で寝ている姿を見ればやはりうちの猫。20年間一緒に過ごした唯一無二の猫。外だとほとんど呼吸ができなくてぐったりしているところに、足につけた点滴から薬剤を注入する。いいですね、と念押しされたので頷いた。薬が回るに連れて凝り固まっていた身体が柔らかくなった。もう一つの薬剤を入れる。静かに、まるで熟睡しているみたいな猫の心音を聴き、瞳孔を調べて女医さんは「亡くなりました」と言った。
今まで自宅で看取った猫たちは死ぬ直前もがいたり、すごい唸り声を発したりしたのでこんなに静かな往生ははじめてだった。明け方に誤嚥?してからはじめて安らかな姿になった。
獣医の中でも安楽死はやりません、という人が多い(かかりつけ医もそっち)。この病院も「回復が見込めない、著しい苦痛がある等の場合」が原則な中、安楽死措置をしてくれた事を感謝する。まだ生きられたかもしれない【いのち】を奪った!という批判は飼い主の自分たちが負う。
(追記)誤嚥性肺炎はあくまでも仮の診断。レントゲンに映らなかったので何がどこに詰まったかを確認するにはCT必要。麻酔かけられないからうまくCTとれるか保証ない。仮に気管に詰まっていたとして気管支鏡手術のためには設備のある病院に転院必要とのことだった。