はてなキーワード: モザイクとは
落ち着いた頃合いなので掲題の語の意味について考えてみたい。(と書き進めていたがまた盛り上がっているようだ)
そもそも「性的に搾取される」という語の頭に「萌え絵で」は結合するのか?という日本語的な疑問はあるが、まずはこの用語自体が示す意味を考えたい。
まずは後半部分について考えてみたい。
安易なイメージだが、たとえば「多額の借金を背負ったため風俗で稼ぐ」といった状況を指すと解釈する。
その原因の理由に関係なく、性というプライベートな領域に対して実質的に自己決定権を持てない状態(=本来自分自身が持つべきものを不当に奪われる)を「性的に搾取される」と表現するのはイメージとしても理解できる。
よって、
に違和感は無い。
(補足)ただし
はいわゆる「主語が大きい」に該当する不特定多数表現で認められない。「日本一を取って目標が無くなった」という言葉を残して引退した女優までをも「被害者」と括るのは余りに失礼というものだ。
前項の理解をベースにすれば多少はイメージが……と思ったのだがやはりまだ難しいため順番に考える。
まず「萌え絵で~」の「で」は動作・作用の手段・方法・材料などを意味する格助詞である。言い換えれば「萌え絵を使って~」となる。
ここからが難解である。たとえばここで「男性全て」が搾取者なのだとするのはあまりに乱暴というものだろう。
では出版社だろうか?
性に関する書籍は多くの出版社が発行し、利益を上げるのだから可能性はある。しかし巻き上げているのは金銭であり、支払っているのは購入者だ。また、出版社自身が非難されるケースは目立たない(主にオタク男性が非難の対象となるケースを観測する)。
絵の描き手だろうか?
男性を男性らしく、女性を女性らしく描くことが非難されるのだとしたら誰も絵を描くことはできまい。また描き手についても直接非難されるというケースはあまり見られないように思う。また描き手には女性も多く、後述の通り何を搾取するのかという疑問が生じる。
描き手でも無く、出版当事者でもない、一消費者に過ぎないオタク男性が槍玉に挙げられるケースが多いので挙げたが、ここに至るロジックはどのようなものだろうか。
これもまた難解である。
当該用語に関して「当事者は私だ」と発言した女性もいたことから「萌え絵を見た女性個人」が搾取された者(当事者)だと解釈するのが自然と思われていたが、中には「この女性キャラは嫌がっているのにセクハラされている。これは性的搾取だ」という用法もあり、「萌え絵のキャラクタ自身」が当事者とする考えもあるようだ。順に検討したい。
「萌え絵を見た女性個人」は萌え絵を見ることで、性に関する"何か"を搾取されたということになる。
だが当事者は当然、萌え絵を見たが為に性を切り売りする労働に就かされてはいない。よってそれに類するような感慨を指すものと思われる。
しかし繰り返すが、当事者であることろの萌え絵を見た女性個人は特段"何もされてはいない"のだ。
何もされてはいないが「搾取された」と謳う、ここにこの用語の理解を妨げる最大の要因があるのではないか。
性的な部分を"強調"された(なお一般論として絵は特徴を強調する)絵を見ることで、絵のキャラクタへ自己投影し、自らが不本意に辱められている=性的な要素を搾取されたと感じる(冒頭のイメージに近い状況と認識する)ことから、「萌え絵で性的に搾取される」と形容された説はどうだろうか。
絵のキャラクタの人権にまで思い至らせる豊かな発想力は大切にして頂きたいが、自己と他人(人ですら無く、絵だが)の境界の認識がまず必要では無いかと考える(ちなみに作品のキャラクタが自我・自己を持つことに興味関心があるのであれば Re:CREATORS あたりがお勧めです)。
心情として、「不本意にも性的労働に従事するようなイメージで自らの性を搾取される」ことを指すものだと推測したが、これが「萌え絵を見る」ことで引き起こされるロジックの解明が必要と考える。
またその原因として、オタク男性が(恐らくは)搾取する側として定義される点も不明である。なお需要と供給の観点、即ち「オタク男性が存在するから彼らが好む不埒な萌え絵が量産され、良心的女性を傷付ける」とする桶屋理論はあまりに短絡的であり、オタク男性は全て滅ぶべしの結論に至るのみでいうまでも無く時間の無駄である。
余録。
幾度も繰り返されてきた議論にvtuberも参戦(被害)とは、隔世の感がある。
「性的では無い」といえば「オタクは感覚が麻痺している」と返ってくるのもまたテンプレだが、たとえば自分はゲーム等の影響でレーティングについては下記の認識を持っている。
全年齢:乳首は見えず(描かれず)行為は婉曲的な表現(俗に言う朝チュン)
これに照らせばキズナアイは全年齢表現であり、それ以上でも以下でも無い(アクション映画だと思って家族全員で見てたら唐突に濃厚なベッドシーンが出てお茶の間を凍らせるハリウッド映画こそきちんとレーティングして配慮頂きたいぐらいだ)。
胸の形が、上目遣いが、と言われてもそんなエロ目線で見ることができるのは根本的に視座が異なるためで相互理解は不可能と考える。オタク受けしかしないキャラクタを人前に出すなという主張であれば起用した企業に言うべきだが、起用した企業がそのキャラクタのファンを対象とした企画を立てたのならば「不満を持つ人達は対象では無い」で終わる話だろう。
これを唱える人は世の中には「良い表現」と「悪い表現」があり、両者は明確に区別・分別が可能であると思っている節がある。
このため「悪い表現」をゾーニングすれば「良い表現」だけが残り、世界は平和になると考えているようだ。
ゾーニングして「悪い表現」が消えれば次の「悪い表現」が見つけ出されて消え、清く美しくなっていく世界をお望みとは世も末である。
性的搾取議論におけるテンプレの一つだが、個人の好みによる感情以外は特段どうも思わないケースになるのではないか。
というのも、多くの男性が男性外性器を"息子"と称していることからも、男性は基本的に"息子"には寛容であると思われる。
そういえば男の娘やふたなりジャンルは一体どちらの性を搾取しているのだろうか?という疑問に気付いたが俎上に乗ったことはあるのだろうか。
だが、ただ一言「パンティー」とだけ書かれた増田と、「映画とか小説って底辺の娯楽だろ」と書かれた増田、どっちが伸びると思う?
そりゃぁ、お前の「パンティー」には敵意はないし、人を貶したり、尊厳を傷つけることはない。いろいろ言いたい生々しい話を吐き出そうとして「パンティー」と書き込む。おまえのその精神は立派だよ。
俺たちの思いを、隠すようにパンティーは出来ている。それこそ生々しい性器を隠すようなもんだ。パンティーは優しい。汚い部分を隠してくれるんだから。
汚いほうが果てしなく伸びる。
AVと一緒なんだよ。いくらモザイクがかかっていようが、パンティーがないほうが売れる。俗世とはそういうもので、おまえだけがパンティーを愛している。
パンティー増田にとって、増田という場所はあまりにも汚すぎる。
だから、パンティー増田はこんな汚い場所にいるべきじゃないんだ。Twitterで「にゃーん」と言っているべき。まぁあっちも糞ガキの吹き溜まりだけど。
そんなわざわざ実験してデータとって検証してなんてやってる間にもクレームがバンバンきて視聴者が離れてスポンサーがとれなくなって経営が傾いていくくらいなら、
クレーム件数に応じて先手を打って自主規制していくのは経営者としては合理的な判断と思うがな。営利団体で金を稼ぐのが目的なんだから。
で、そんな理不尽な状況がいいと思ってるの?
モザイクって実際にはセックスしてないって建前だからじゃなかったっけ?
セックスするために女性を派遣するのが売春防止法に引っかかるって立て付けだったような。すまんあやふや。あんまり覚えてない。
これはまぁわかる。
表現の自由と他の法の競合だな。
>あれ以前の80年代のオタク系エロ漫画誌の修正はむしろ甘かった。レモンピープル読んでたならそのぐらい知ってるよね?
これ、雑誌連載時どうだったかは今や記憶があいまいだが、成年コミックマーク導入以前の段階でも単行本化された物は真っ黒塗りとかがけっこう普通にあった記憶があるんだが、今すぐ数的な立証はできん
そういや1980年代のエロアニメは、性器描写にモザイクがかかってない(色相反転しただけで性器がはっきり見える)なんてのもあった、で、後にDVD化されたらモザイクかかった例もあった
ただ、松文館裁判やレイプレイ事件でエロ漫画全面発禁、言論弾圧時代に突入となったかといえばそんなことはないわけで、個別ピンポイントでの見せしめ程度にしかなってない
この記事はエッチな同人誌をなんらかの手段を使って手に取ろうとしている、あるいは手に取ってしまった18歳未満の方や、18歳未満のご家族やお友達の代わりにエロ同人を買って、渡してしまった18歳以上の方を主な対象として書いています。
少し長いですが、大切なことなので読んでいただけたら嬉しいです。
ツイッターで「18歳未満 エロ同人」などのワードで検索してみたららR-18指定の同人誌を18歳未満の人間が買ってはいけない理由をわかっていない方々が多数いるようで唖然。
理由をわかっていないから18歳未満なのにエロ同人を手に取ってしまうのでは?と思ったので、ダメって言うだけじゃなくて、ダメな理由をきちんと説明しなければいけないと思いました。
個人の見解なので間違ってたら申し訳ないし、きつく言われるのが怖いので匿名にて書かせていただきます。ごめんなさい。
何かっていうのは18歳未満の子がエロ同人を所持しているのが大人に見つかることです。家庭内で処理できるならまだしも、親御さんが版権元(原作者や制作会社)に連絡してしまい、同人誌の作者が著作権侵害で逮捕されてしまったという事件が過去実際に起こっています。「ポ●モン 同人 事件」でググってみてください。
※ なぜ著作権侵害になるの?と思った人は同人誌と著作権の関係についてご自分で調べてください。それについて書いていると主題がずれてきそうなので。
特に2次創作の同人活動は趣味でやっている人が大半だと思います。リスクを冒してまで趣味を続ける人はおそらくいないでしょう。件の事件と同じようなことになってしまうことを恐れて、活動をやめてしまう作家もいるかもしれません。
あなたが18歳になって高校を卒業して、あの作家のエロ同人が欲しいな と思ってもその作家の本はそこにはないし、新作も読めない。なんてことがあったら悲しいですよね。
こちらに関しては完全に個人の見解ですし、怒りのあまり上手い文章を書けるか心配です。先に謝っておきます、乱文ですみません。
局部修正というのは、エッチな漫画に描かれている男性器や女性器を隠すようにして引かれている太い線のことです。
実はこの線、昔はもっと細かったり、量が少なかったりして性器が比較的鮮明に見えていたのです。
作家たちも最近は「せっかく描いたのになんで線で消さなければならないんだろう」と悲しんでいます。
なぜ局部修正をしなくてはいけないんだろう?なぜそれを国から言われているんだろう?それは筆者にもよくわかりません。(もし明確な理由があるなら教えていただければ幸いです。)
ですが、エロ同人作家がこのようなツイートをしているのを見たことがあります。「なんで大人しか見ないものなのに、18歳未満が見ても悪影響がないようにとの理由で局部修正をしなくてはいけないのか。」
これに関しての答えは明確です。18歳未満がエロ同人をなんらかの方法で読んでいるからです。
「松文館裁判」で調べてみてください。
これも、18歳未満の方が成人向け漫画を所持してるのが親御さんに見つかってしまったことが原因で起こった事件です。
18歳未満の方がエロ作品を所持、閲覧することが、表現の自由 作家や正当な閲覧者(18歳以上の人)の楽しみ それにあなた(18歳未満)の将来の楽しみを奪ってしまうことになっているかもしれないのです。
エロ本開いてみたら真っ黒モザイクだらけでもう何が描いてあるのか分からない!なんてこと、今でも普通にありますよ。
作者や読者の大人は皆怒ったり悲しんだりしてますから、本当にやめましょうね。
そんなこと言ったって、今すぐに読めないのは嫌だ。我慢ができない。そう思う方もいるかもしれません。
でも安心してください。たとえ完売してしまっても、しばらくすればwebや総集編に再録してくれる作家もいます。
お願いしてみれば、あなたが18歳になるまで、あるいは高校を卒業するまでお取り置きしてくれる作家もいるかもしれません。(ツイッターで実際に見た気がします)
いつか読める可能性があるのです。
それに、ぐっと堪えれば本当に読めるようになった時にとっても嬉しくなります。人生バラ色です最高です幸せです。私もそうでした。大人としての楽しみ、是非取っておきましょう。
ここに書いてあることはよくわからない、不十分だと思う方もいるかもしれません。そのときは自分で納得が行くまで調べてみてください。
哲学なのか医学なのか、分野はよくわかりませんが昔から「人の心はどこにあるのか」という議題があります。
「心が大事だよ」というジェスチャーをするとき恐らくほとんどの人は、胸を叩いたり、指したりすると思います。でもそこにあるのは心臓で、心はないですよね。
「そんなことは分かってる。皆イメージでやってんだよ!」
ごもっとも。心というのはつまりは感情や意思のことですから、当然脳にあるわけです。でも脳を指してもしっくりこないので、胸に手を当て考えるわけです。
では、魂はどうでしょうか。
そもそも「魂は存在するのか!?」という議論もありますが、ここではその辺はフワッとした概念的な感じで話を進めます。つまり、"職人魂"だとか"魂の一球"みたいな感じの魂です。これも脳にあるのでしょうか...うーん、いまいちしっくりきません。
私が思うに魂とは「そのものをそのもの足らしめている一番重要なもの」なのではないでしょうか。「画竜点睛を欠く」の「点」ですね。...答えは闇の中。
閑話休題。
日本人が生きていれば必ず直面する疑問の一つに、R18の謎モザイクがあります。
誤解を恐れず率直に例をあげるならば、乳首。
地上波のテレビ番組や少年漫画などで女性の上裸が映る時、一体どの部分がハレンチ(死語)なものとして規制され、隠されるかといえば、ヘソでもワキでもなく、チクビです。
ではなぜ規制が入るのか。それは「卑猥だから」に他なりません。なぜ卑猥なものが規制されるかと言えば話は簡単で、見た人が性的な劣情を催すからです。つまり、男性でれば勃起してしまうからです。
女性の方はわからないかも知れませんが、意図しない場面で勃起してしまうととても困ったことになってしまうのです。最悪、捕まります。そういった事件を防ぐため、規制がされているのでしょう。しかし、ここで一つの疑問が生じます。
みなさん、おっぱい好きですよね?興奮しますよね?おそらく程度の違いはあれ人類は皆おっぱいが好きです。大好きだと言っても過言ではありません。生れたばかりの頃などは毎食おっぱいを貪るしまつです。嫌いな人などいるはずがありません。
しかし、現実はそうではありません。例を出すならアニメの水着回やテレビの温泉リポート。それどころか、なんですかマイクロビキニとか貝殻とか、挙げ句の果てには絆創膏!何も隠れていません。胸部の99%が露出しているではありませんか。
では隠れている1%がどこかと言えば、それが乳首です。つまり我々は乳房ではなく乳首におっぱいを感じ、恋い焦がれ、興奮していると。となれば、仮におっぱいから乳首を分離し、乳首だけを皿に盛って「どうぞお納めください」と提供されても興奮できるということです。
.....ダメだ!私には出来ません。どれだけ乳首を山盛りにしてもフルコースにしても興奮できるビジョンが浮かびません。これ、凄く不思議じゃないでしょうか。
規制されている卑猥なものはおっぱい全体ではなく乳首だけなのに、それ単体で提供されても意味がない。だとすれば我々は一体おっぱいのどこに魂を感じているのでしょうか。
画竜点睛の意味で言えばもちろんそれは「乳首」なのでしょう。故事に言う「おっぱい乳首を欠く」ですね。しかしそれだけでは不十分。いくら乳首がたくさんあってもそれがあるべき乳房がなければ意味がありません。つまり乳首が魂の居所ではなく、乳房に乳首が付いて初めて魂となりうるのです。とするならば魂とはどこかにあるものではなく、存在そのものなのです。人であれ、芸術であれ、それを構成する必ものが揃って初めて魂へと昇華するということなのです。
以上のことから、おっぱいの魂は、乳首にも、乳房にも、ましてや脳にあるわけでありません。おっぱいの存在そのものこそが、我々を魅了し、時として争いをも引き起こす至高の果実そのものこそが、魂であるということなのです。
御静読ありがとうござました。