はてなキーワード: チョコっとは
人生で、バレンタインで一度もチョコレートをもらったことがない人はいるのか?街頭インタビュー
TBSの小林アナが、いかにももらってなさそうな人にインタビューする。
小林「すいません、ラジオの生放送中なんだすが、ちょっといいですか。」
男「あ、はい、」
小林「あーそうですか、それって、どういうシチュエーションでもらったものですか?友チョコとか、義理チョコとかの区別で言うと。」
男「うーん、多分義理チョコだと思う。」(満更でもない感じで)
小林「多分ってどういうことですか?」
男「アイドルにもらったんです。応援しているアイドルがくれたんです。」
はなわ「100%ぎりちょこじゃねーか!」
土屋「やめろー」
男「去年も一個でした。」
小林「では、生まれてから今までアイドル以外でもらったチョコは何個ですか?」
男「ゼロです。」
作ってるんだな。動画も送られてきたし。
てか、チョコ割るだけでも十分。人生最初のチョコが俺だけにってだけでも嬉しいのに、作ったチョコっていうのがたまらなく超嬉しい。
そして素敵な音楽があれば十分よ。
あのさー
なんだかんだ言って3回目。
閉店間際でなんか自分用のチョコを買えなかったリベンジに再び挑んだのよ。
と言いつつも
会場限定のチョコアンドバニラミックスのソフトクリームを食べて満足しちゃいーの、
ルタオのチーズケーキ入りのパフェ的なものも美味しそうだなぁと思いつつ、
試食でいただいてパクッと行っちゃいました。
爪楊枝いつまでも加えたままだとお行儀悪いけど、
タヌキのつまらぬ高楊枝って感じかしら。
閉店間際割引度マックスの50%引きから揚げがゲットできたのがラッキーだったし、
美味しそうなココアおこわもあったのでついつい買っちゃいました。
また硬派よね!って思っちゃいます。
どんだけとかは言いません。
そんな感じです。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
でさ、
チョコレート売り場見てごらんなさいよ。
たくさんあるのよ。
大人だからって80%の買って食べるとNIGAAAAAAってレヴェルなのよね。
チョコっと後悔。
ほんと、苦い苦いって思いしながら食べなくっちゃいけないの。
でね、
私がお気に入りのは、
すっかり無くなってしまったわ。
70%前後なのが甘いしビターだし、
このくらいがいいわね。
昔社会で習ったと思うんだけど、
東インド会社って
あれ、
全くのウソだけどね。
まあ、
いろいろなものを試してみたいわね。
うふふ。
ちょっと控えめにしたいので、
チョコ食べすぎって訳じゃないのよっ!
やっぱり、
お手軽ね。
ビタミンCと水分はしっかり摂ってね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
web業界にお勤めのお姉さん方におかれましては、今ごろslackのプライベートチャンネルで繰り広げられているリーダー格女子のチョコレートの大作戦通知に湿疹間近のことと存じ上げます。
はぁつらい。inviteされた。
あげたい人にはあげたらいいじゃん。
女子?!全員から、男子?!全員にあげるチョコって義理チョコ史上もっとも価値ないと思うんですけど。
社内のチョコあげるのってつまり、日頃お世話になってる人とかあげたいなと思うくらいの仲良い人に対するコミュニケーションツールなわけでしょ。
お菓子置き場において、slackで「@here 女子社員からでーす★」ってやってスタンプでリアクションされるその一連の行為の中に何かチョコが生む特別なコミュニケーションは存在するの?
日頃から、業界的に特にしきたりや、慣習にとらわれずに本質的なことに実力重視で男女関係なく取り組んでいる私たちが、未だにやることかね?
今はどうかしらないけどCAみたいなバレンタイン禁止令、そういうのだったらよかったのにな。
女だから、男だからっていうのがとにかく苦手な自分にとって、このしきたりチョコレートは本当につらい。
もちろん好きな人にあげたり、あげたい男性に渡すのはいいと思う。
個々に買うとお金が高いから、っていうのは認められない。渡すことよりもお金が気になる相手にはあげなくていいのでは?と思う。
女性が集まって、(なんの意味もないのに)男性にわいわいかわいいものを探したり作戦たてる空気が苦手だ。
こんなこと苦手な弊社の男性陣が、来月誰かが発端となってお返しのお菓子についてチャットせざるを得ないと思うと気の毒。。。
ガタガタうるせえな!金だけだせよ!って思ったと思うけどそうする予定です。
基本情報・応用情報・TOEIC800点・品質管理検定・数学検定・電検3種
多分まだまだある。
でも、ぜんっぜん研究できないし、しないんだよな。
就活にも場合によっては有利になるだろうし、受験すること、勉強することに関しては一切文句は無い。
ただね。
研究室に来てまでTOEICの本熱心に読んでたり、何かの資格試験の過去問を一生懸命取り組むのは間違ってると思うんだよ。
研究室のその席は、何のために与えられてるんだよ。
正直言って、後輩にも微妙に悪影響だ。
研究しない理由を、資格試験の勉強があるからと言われたらたまったもんじゃない。
それでも、昼にチョコっとやってたり、夜に自分のタスクが終わった後にやってるんならいい。
しかし、何故ゼミの時間や輪講中にそういう自己中心的な内職をするのか。
勉強ができる子って、勉強したらリターンが必ず返って来る資格試験って好きなのかな?
ただなぁ。
参考書に書いてあることを覚えるだけだし。
というアピールをした際は、その資格は自分の何のアピールなのかを聞かれるんだよなぁ。
ただスキルアップのために受験しただけだと、そういう突っ込みに答えられなくなっちゃうよ。
その資格を引っ提げて、鳴り物入りで社会に飛び込んで下さいという他ないか。
どうせハイハイ言うだけで結局人の話聞いてないんだし。
人類学って言うのはどうしても「実例」の丹念な積み重ねになるので、その「解釈」つまり読み解き方には差が出る。
で、「物々交換なんか無かったんや」てなエントリーが話題をさらって、それに対する反論に引っかかるところがあったんでソレについて。
人類学の宿命とも言える所に、「やっぱ珍しいところから入るだろJK」問題というのがある。
「日本人って、デートは神社の縁日で金魚すくいで彼女が浴衣を着てくるのが普通なんだろ?」とイギリス人から言われたらどう応える?
まあ、厳密に言えば間違いとはいえないがそれはほぼファンタジーだぞ、という説明は難しい。
例えば、物々交換はあったと言う例でスターを集めているコメントに以下のものがある。
いやいやいやいや。ヤップ島の例だけを根拠に学説を全否定するのはどう考えてもおかしいでしょ。トロブリアンド諸島のクラとか、ポトラッチ(蕩尽)とかどう説明するの。人類学の成果を無視しすぎ。
『トロブリアンド諸島のクラ』とは、ザックリ言えばパプア・ニューギニアの島々で行われている儀礼的な交易を言う。
Kula ringなんかでググると出てくるから省略するが、これはgift economies、つまり贈与経済とされる。
というかだ、仮にも人類学という単語を発するからには、近代人類学の父と呼ばれるブロニスワフ・マリノフスキを避けては通れないし、
彼がその名声を確立したクラをめぐる『西太平洋の遠洋航海者』を読んではいなくても概要ぐらいは触れたことがあるだろう。
単なる装身具にすぎない腕輪や首飾りを交換するためだけに危険な海洋交易を行う理由が、経済的な財物の交換ではなく、政治的な権威とその維持を含めた儀礼的な制度であるという主張だ。
また、『ポトラッチ(蕩尽)』も同様だ。これも「贈り物」が語源とされる北米インディアンの伝統的な贈与経済だと言われている。
ザックリ説明すれば、その構成グループの中でイベントがあると、一番持っているヤツが振る舞うという、風習だ。
簡単に例えよう。
日本には古来物々交換なんぞ無かったと言われて「おいおい、お中元やお歳暮を無視する気かよ」と返しているのと同じだ。
普段のお買い物の話に対して、儀礼的な相互贈与で反論するのは、控えめに言っても筋が悪い。
というかだ、人類学をチョコっとでもかじったことがある人間なら、クラ、ポトラッチとくればピンとくる。
フランスの文化人類学者である、マルセル・モースの代表作とも言える「贈与論」だ。
文化人類学では「お返しを期待する贈り物」を「互酬」と言い、リターンを期待しない「真の贈り物」とは区別して語られる。
で、この互酬のうち、遅延して交換するものは、基本的に儀礼的だったり政治的だったりする。
そして、即時の交換(その場で交換する)ものを、Barterつまり物々交換と呼ぶ。
で、この物々交換をお金の起源として(比較的悪しざまに)主張したのが、アダム・スミスの国富論(The Wealth of Nations)だ。
ただ、さっきまでの話で判る通り、文化人類学者は常々「いや、物々交換って基本的には部外者とのやりとりに使ってただけで、村人同士では儀礼的なものだよ」と言ってきた。
言葉が通じる同じ仲間同士で、物々交換が行われていたという強固な証拠は無い。というか見つけづらい。
が、沈黙交易(Silent Trade)と呼ばれる、言葉の通じない(場合によっては通じても姿を見せない)相手との物々交換が行われていた記録はある。
信用も無く関係性も希薄なので、その場で交換する必要があって、社会的な義務や政治的な権威とは切り離される。
この場合、お互いに価値が有るものとして砂金や塩を用いることはあった。
古代エジプトにおいても、鋳造貨幣は対国家のような対外取引でしか用いられなかった事からも、貨幣は信用と切り離されて当初存在した。
それがそのうちに、「金銀を持ち歩くの危ないから、金庫に入れておいて引き出せる札だけやりとりしようぜ」となった。
これが紙幣発生の一形態だ。(他の発生形態もあるので、調べてみると面白いよ)
つまり、「この札を持っていけば金に交換される」という信用がトレードの基礎になっているのは、
「オレが今日は魚をやったけど、こんど家の建て直し手伝ってくれよな」という顔なじみの村民にある信用と、本質的には同じだ。
その村でその信用を裏切る行動を取れば、適切に制裁されるという「村秩序に対する信用」が、村人間の普段のお買い物の基礎になっている。
譲渡することのできる信用がマネーだと言っているが、人類学はそれに反論はできない。
文化人類学者が積み重ねてきたことは、単純な物々交換とクラ交易とは違うという反論だ。
あるグループ内で通用する単位が、他のグループにおいても通用するとされた時に、マネーが産まれると言われれば、
そういう定義もあるかも知れないな、と思うだけだ。
極端なことを言えば、「1シナモン」という単位を作って、はてなで流通させても良いわけだ。
ある人が「これ釣りか解説欲しいんですけど」→「これは釣り記事です」と解説するのが10シナモンで
ある人が「これほんとかなあ」→「これは科学的にこうオカシイ」と解説するのが5シナモンだとしても良い。
これが、スポンジボブとお姑サンの間で行われている間は、単なる貸し借りの単位でしか無い。
「今回は私が解説したので、3シナモン分相殺ですね」とかできるわけだ。
それが「5シナモンくれたら、Microsoftの戦略について語るよ」とか
そして、そうならないだろうと素朴に想像できることが、お金の本質になる。
シナモンという評価価値は無限に生まれるが、それを適切に流通させるには、信用が必要になる。
この「信用」とは何か、「1シナモン」で記事を依頼したり、記事を書いたりする為に何が必要か考えると、お金とは何かという答えになる。
ニクソン・ショック以降、(正確にはニクソンよりちょっと後だけど)通貨が金本位制でなくなった時点から、お金とは信用とそれを担保する何かによって支えられている。
沈黙交易に代表される「信用出来ない相手との物々交換」は行われていたし、証拠も記録もある。
ある集団内での資産(獣や魚や穀物)を再分配する機能が、巨大化するにつれて歪んだ記録もある。
しかし、クラ交易やポトラッチは、単純な物々交換と異なる「互酬」つまり、信用や政治的な権威を背景にした贈与文化であるとされている。
それどころか、文化人類学者であったモースは、経済的な取引は社会的な価値交換の一部に過ぎなかったとすら言っているのだ。
つまり、大昔に物々交換は無かったのだ!と言われた時に、物々交換はあった!として例示する対象として、全く相応しくない。
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この時期になると他人の幸せを妬んで発狂している童貞が現れる。
バレンタインデーがなくなったところでキミに彼女ができたり幸せになれたりするわけじゃないのに哀れな奴だよ。
そして、そんな奴が頭の中だけでイメージしているバレンタインデーがあまりにも貧困なんで実際がどうなのか書いてやろう。
ちなみに自分は年齢的、職業的にも大学生だけど、フリーで色々仕事を取ってやってるんで半分社会人でもある。
まず、バレンタインデー当日に「今年ももらえなかった……」とか言ってる奴がいるけど、まずこれが間違い。
もらえる人間がチョコをもらえる機会はバレンタインデー当日だけではない。
ちょっと頭を働かせればわかるが、当日もらえるのは当日会う用事のある人だけだ。
高校生以下ならまだしも、大学生以上になるともらえるチャンスはバレンタインデーの前後一週間、長くて一ヶ月。
当日だけ「もらえなかった」って怒ってたりする奴ははっきり言って可哀相だ。本気で相手にされてないんだろうな。
それに未だに本命かどうかの基準を「手作りかどうか」で話している童貞が多くて笑える。
今どき手作りチョコを作るなんて暇な高校生以下のガキんちょくらい。というか、いない。
みんな渡すならブランド物の市販品だ。それに手作りのチョコってたいてい見た目が悪いしマズいしね。
じゃあ、どこで本命かどうかがわかるか。まずわかるのが渡す場所。他の人がいるようなとこで大っぴらに渡すのは本命じゃない。
次の基準は渡すときの言葉。「他の人には内緒にしてね」とか言われたりすると本命。
というか、本命かどうか、なんてのもないな。そんな子供じみたものじゃなくて「あなたとはデートorセックスOK」のサインだ。
一番わかりやすい基準はもらったチョコにメッセージカードがついているかどうか。
このカードで個人的にケータイのメアドや番号を交換してなかった人は、カードに書いて寄越してきたりする。
だいたいこんなことをバレンタインデーの前後ニ、三週間に会う機会がある女性が渡してくる。
最近、疎遠になっていた女性からこの機会を利用して「チョコ渡したいんだけど」と連絡がきたりもする。
さて、もちろんこれでバレンタインは終わったりしない。恋愛漫画だと「渡す」ところがクライマックスだったりするけど現実は違う。
むしろ本番はここからだ。その日の夜か近日中に改めてチョコをくれたことにお礼を言わなきゃならない。
明らかにこちらにそんなに気がない人……例えば人を通じて「〇〇からも、チョコ」って渡してくる人や、
その場でコンビニとかに連れてってチョコを買って渡すような人にも一応しなきゃいけない。
ここで情報社会の弊害が立ち現れる。こんなにケータイが普及していなかったらテキトーに処分できたであろうチョコを、
きちんと食べましたよ、ということをアピールするために空き箱の写メを撮ったりしなきゃいけない。
そして当然、お礼はコピペの使い回しはできない。その人に合った話題を考え、カードがついてたらカードの内容に沿った返事をする。
こっちにも気があって「仲良くなりたいな~」な人には直接電話してお礼を言う。これがけっこう喜ばれる。
では、チョコをもらい、くれたことにお礼を言ったらそれでバレンタインは終わりか。そうじゃない。
「知ってるよ。ホワイトデーだろ?」という童貞の声が聞こえてきそうだが、それも違う。
モテる男は律儀にホワイトデーの日時を守ったりしない。面倒くさいからね。一ヶ月先だし忘れちゃうよ。
チョコをくれたお礼メールや電話、その時にホワイトデーのお返しを実行する。その場でデートに誘うのだ。
結局のところ、向こうだってそれを期待している。バレンタインなんて「私をデートに誘って」の口実に利用しているだけだ。
「よかったらお礼に~~」と誘ったらまず100%はOKされる。そして、デートをする。これで本当の終わり。
だから、モテる男が忙しいのは本当はバレンタインデーが終わってからの、童貞どもが気を抜いている一ヶ月間だ。
この一ヶ月間でモテる男はチョコをくれた女とデートをし、そして当然セックスもしている。
だからといって別に付き合ったりはしない。童貞はセックスしたらすぐに彼氏彼女にならなきゃいけないと思っているが実は違う。
大人の世界では「一、二回ヤッただけの知り合い」なんてゴロゴロしている。
年収200万円台で結婚するという現実 - チョコっとラブ的なにか
ここらへんをぼんやり眺めていて自分語りをちょっとしてみたくなってきたので書いてみる。ちょっと特殊な例だと思うし参考にしてくれる人がもしかしたらいるかなぁという期待を込めて。たぶんこういうことを書くのは最初で最後。特殊な例ゆえ個人特定できる人もいるかもしれませんが、そこはかとなく生暖かく見守ってばらしたりしないでやってください。お願いします。
まぁいわゆるデキ婚なわけですが、ちょっと普通のデキ婚と違ったのは自分自身が子供が生まれても尚まだ法的に結婚できない年齢である17歳だったところでした。子供が出来たころは一応自分は高校生をやっていて(学年的には2年生)、相手は普通に結婚できる年齢の年上でした。まぁ客観的にみると完全にDQNですよねw。いや実際DQNだったんだと思いますが。18歳になったら結婚しようと思っていたのだけれども私の両親から猛反対をうけていたので(子どもを産むこと自体ね)それはかないませんでした。
あと、なんで子供産んでもらうことにしたのという問いは私には愚問なのですよね。個人思想的には中絶反対派なんだと思う。社会的にそうあるべきとまでは思っていないけれども。
収入は高校生の身で当然0だったので子供が出来たことが分かってすぐにバイト先を探して働き始めました。たしか最初のバイトは時給1200円だったんじゃないかな。フルタイムで働いていたけど月収にして20万にも満たない。ボーナスなんかもバイトなので当然なくて年収でいうと200万ぐらいになると思う。ちなみに彼女は結構稼いでるほうだったのですが出産に向けてだんだんと仕事を減らしていくという感じでした。
出産前からわかっていたのだけど、男の子二人の双子でした。出産時の経済的負担は正直しんどかったです。切迫流産の可能性があって彼女は3か月ぐらい入院してしまったのでその入院費用が実際問題払えなかった(30-40万ぐらいじゃなかったかな)。なので彼女の両親から援助をしてもらいました。本当に感謝しています。出産時の費用は双子ということもあり帝王切開だったので保険が効いてなんとか自分で払えました。出産一時金も二人分もらえましたしね。
出産前後から2-3社の転職を繰り返し、正社員にもなり年収でいうと400万弱ぐらいまでに、子供が生まれて半年ぐらいのころにはなってました。そのころにはそんなに経済的に本当に厳しいという感じはしていなかったと思います。が、200万の収入のままだったらどうだったんだろうと思うとちょっと空恐ろしいです。17,8の若造にそれだけの給料を払ってくれていた当時の会社には感謝したいですね。
今現在子供は7歳で小学二年生です。夏休みの自由研究をまだ終わらせていないので、なんとかサポートしてやらないとなぁなんて考える毎日を送っています。ちなみに20歳の誕生日に彼女とは籍を入れたのですが2年弱で離婚(ここはあまり突っ込んでくれるな><)。今は私と子供二人の三人で暮らしています。児童手当と児童育成手当をもらっているのですが児童扶養手当が母子家庭のみ対象なのがなんだかなぁという感じです(いやたぶん所得制限にはひっかかるのですが)。所得制限してるんだから母だろうか父だろうが関係ないだろうと思うのですよねぇ。男性差別なんていってみたり。
別に何がいいたいってことはないんだ。何かを主張したいわけでもない。ただ自分はこうだったよってことを軽く書いてみただけ。未成年の子作りを肯定しているわけでも、200万収入での子作りを肯定しているわけでもないです。ただ、同じような状況にたつことがもしあったときこんなことを書いているやつがいたなぁとちょっと思い出してもらえればそれでいいのです。それだけです。
id:tokoroten999 子供がその年齢でよく親権取れましたね、とマジレス
ん。争いが無かったからですよ。