はてなキーワード: イマジネーションとは
https://twitter.com/zakka10wasabi
発達障害の人が就職活動するのって相当欺瞞的にやっても苦戦する。しかも、苦戦の度合いが普通の就職活動生ってレベルじゃない。なぜなら企業は発達障害の知識を学んだとしてもそれを排除の手段としてしか使いたがらないから。適応障害起こして詰む人もいるんじゃないかな。まぁ、発達障害なくても起こす人いるからやっぱりこの状況自体がご臨終。
知っているかな?自閉症の就職率は知能が低いほうがよいというデータがあるんだぜ一般的に高機能自閉症(または一般的にアスペと言われる)の人たちの方がパニックを起こすような知的障害併発の自閉症よりも就職しにくいんだよな。総合職がエリート扱いされている世の中で発達障害の凸凹の相性悪すぎや。日本の企業はそれぞれの苦手をカバーしあうことをもう少し強化すべき。なんでホンダが2人で起業したのか考えてみろ
https://twitter.com/zakka10wasabi/status/568537680067166208
発達障害の脳は補償機能によってもともとダメな知能の分野をほかの分野がカバーするから。アスペ系の人の言語能力が高いのは空気を読むミラーニューロンの分野がダメな部分を言語分野などでカバーすることが多いから。ただ、言語関係といってもこれは4つの能力の違いがあるんですよ「言語の4機能 読む 書く 喋る 聞く」これらの能力は独立していて、読むのが得意でも喋るのが苦手なパターンとか、書くことが得意でも人の話が聞けないということは十分にありうる。この4つの能力のうち、生活に支障が出たりするのが言語性LDという解釈でいいと思う
だから、異常なまでに人の話を一字一句覚えている能力のあるような人は若干でも発達障害の要素を疑ったほうがいいかもしれない。全部覚えられるのかよ!すげえ!!と思われるかもしれないけど、これは裏を返せば嫌な思い出が忘れられないということだからね?ちなみに、映像記憶が抜群によい人はフラッシュバック起こしやすいので注意。東大の試験とか、証拠を調べるという能力ではこれ以上最強な能力はないけどね。
ところでこの発言を、とあるなんとかの斜方前進(ビヨンドジイマジネーション)の人がRTしてた http://mypage.syosetu.com/52127/
今さらですがディズニーの『ベイマックス』を見てきましたよ。ええ。
CMや予告編を観たときは「まぁ、ディズニーの子ども向け映画だわな。退屈はしないけど飛び抜けた部分はない75点の答案だわ」と思っていたんですよ。作品で言うと『ライオンキング2』みたいな。
それが妙に評判良いんで見に行ったらズッコケました。限りなく100点に近い答案なんです。
しかも、表現として尖った部分が何もない。驚異的な映像が詰め込まれているわけでも、作家の狂気があるわけでもないし、アッと驚くストーリーテリングもない。なのに、頭からお尻までワクワクする映像が続くんです。
そう感じました。だって、スタッフの中には天才って一人もいないと思うんですよ。秀才の集団。それが勉強に勉強を重ねて、頭に汗をかいて、切磋琢磨して物凄いものを作ってしまった。彼らは「チーム主義」でモノ作りをしている。だって、スタッフロールに脚本家が20人もいるんですよ。
それに比べて、日本は「作家主義」で作っているんですね。宮﨑駿や庵野秀明、細田守をカリスマと崇め立てて、彼らの手足になるようなスタッフを配置して、彼らのイマジネーションを忠実に再現していく。
それがクリエイティブの正解だって、みんな思っていました。作家主義じゃなきゃ尖った映画なんてできない。民主主義的にモノ作りしたって、誰にも刺さらない凡庸な作品が出来上がってしまう。
ちょっと前までのディズニー映画ってそうでした。刺激の何もない砂糖菓子のような、甘っちょろい子ども向けの映画。無難で、可も不可もなくて、つまらなくはないんだけど、心に何も残らない映画。うるさい日曜日のガキを数時間黙らせて、疲れた親御さんがぐっすり眠るような、そんな映画。夕食までの時間を埋めるだけのデートムービー。
チーム主義なんてくだらない。作家主義じゃないとすごい作品はできない。『崖の上のポニョ』や『かぐや姫の物語』、『ほしのこえ』のような刺激的で面白い映画は、ディズニーは未来永劫に渡って作ることはできない。誰にも邪魔させず天才作家の想像力を最大限に発揮させることが、良い作品を生む出す唯一のプロセスなんだ。
それがすっかり覆されてしまっていた。彼らはチーム主義で「どうやったら面白いか」をみんなで必死に考え、ダメな部分を補強していく。日本は作家主義なので、監督の長所を反映した尖った表現をやるけども、短所も露骨に作品に出してしまう。ディズニーはチーム全員で短所を埋める方法を見つけてしまった。作品の長所も潰すことなく。
もう完全に終わったな、と痛感しました。ジブリ映画の脚本がイマイチなことの、もう言い訳しようがない。ストーリーテリングを切り捨てたからこの躍動感があるんだ、なんて言えない。少なくとも今あるアニメーション会社のすべては、ここまでの仕事はできないでしょう。一人の天才に寄りかかった表現を続けている限り、日本は終わりです。作品の短所をチーム主義で補える体制を作らないといけません。でも、すっかり組織ができあがった今の状態では無理でしょう。
「それはおかしい」と思う人は教えてください。日本のアニメーションがなぜ世界市場に打って出れないのかを。私は作家主義が監督の短所を作品に反映させてしまうからだと思います。あなたはどう思いますか。
http://anond.hatelabo.jp/20141116122204
>好きな人と恋愛して結婚すれば、ちゃんと勃って挿入して童貞捨てられるよ。って大半の人は言うと思う。
そんなことを言うのは童貞か女ぐらいやん?
単純にAVの見過ぎと自慰のしすぎではないか。性的刺激としては自慰(特にオナホール使用)は最上の手段。セックスなんかよりも全然気持ちいい。
そして人間は貪欲なので、気持ちいいことをたくさんしていくうちに飽きるし、より高い刺激を求めるようになる。
今の状態で好きな人とセックスするチャンスが巡ってきたとしても、勃起して挿入するまではできても膣圧では射精できないか中折れすると思う(イカなくても童貞喪失と言えるかは議論がある)。
真剣に悩んでいるなら、EDの専門医に相談したらいい。でも、とりあえず低刺激でも興奮・射精できるように慣らしていくといいんじゃないかな?
こういう野党議員の方が日本を危ない方向に持っていくと思うようだと私は体制主義者になってしまうんだろうか。
〈朝焼小焼だ/大漁だ/大羽鰮(いわし)の/大漁だ/浜は祭りの/やうだけど/海のなかでは/何万の鰮のとむらひ/するだらう〉。童謡詩人金子みすゞは84年前のきょう、26年の短い生涯を自ら閉じた。この詩は、後に代表作と呼ばれるようになった「大漁」だ
◆
みすゞは山口県下関市の小さな書店の店番をしながら幾つかの童謡雑誌に詩の投稿を続けた。「大漁」は「童話」誌に推薦作として掲載された作品。選者の西条八十は「アッと云(い)はせるやうなイマジネーションの飛躍がある」と評した
◆
この詩は単にイワシへの哀れみだけでなく、時代の空気を映したのではないだろうか。第1次世界大戦の戦勝ムードと好景気に沸く日本。その裏に多くの兵士の死があったことに、みすゞの想像力が向かっていったように思える
◆
〈子供が/子雀(すずめ)/つかまへた/その子のかあさん/笑つてた/雀のかあさん/それみてた/お屋根で鳴かずに/それ見てた〉(雀のかあさん)。この詩でも、みすゞはなんということもない人の営みの裏にある悲しみに目を向けている
◆
4日の参院予算委員会。他国の戦争に加わりかねない集団的自衛権の行使容認が議論になった。野党議員が安倍晋三首相に聞いた。「総理は戦争をするつもりがあるのでしょうか」。委員会室にゲラゲラと笑い声が起きた。「戦争」の裏にある悲しみが想像されていない乾きがあった。
http://www.shinmai.co.jp/news/20140310/KT140308ETI090014000.php
知人が「あのサイトはステマしてるからな」って言うから調べてみたけど、なかなかのクズだった。
からくりはシンプルで、レビューサイトあるだろ、それと別名義でゲーム作るだろ、それサイトで紹介するじゃん、DL伸ばすじゃん、そのヘビーローテーション。
居ても立ってもいられなくなって、その記事読んでみた。それで記事からストアに飛んだら、ストアに「〜様で***が紹介されました」って書いてあった。それが自演なわけだが。で、サイトの記事でも「***さんのアプリは……」とかやってんの。PR表記ないし、いろいろ思うことあるよね。こんな気持ちになれるって、僕はついてるね。
どうして堂々と糞アプリ作ってるってなぜ言わないのか謎なんだぜ。告知して失敗すればいいのにコッソリ小遣い稼ぎって、僕のイマジネーションもダンダン大きくなっていっちゃうよね。ちゃんと知らせてアプリ出してるレビューサイトだっていっぱいあるのに。読者騙すカスは消えろよはよ。
この想いをビンビン伝えたくなったから書いちゃったよ糞が。
単に頭悪くて人生負けが込んでて自分の存在する意味があやふやになってるやつは
たとえそれが社会的にネガティブなものでもいいから、なんらかの自己規定を求めるもんなんだよ
使う側から言えば消耗品、作る側から言えばいかに小手先で目新しさを演出するかの勝負
必然的にどんどん(表面的に)過激なほうへ、社会的タブー感が残ってる方へ
少しでも新鮮味のあるズリネタ求めて流れていく
メンヘル小娘がやれうつ病だのボーダーだのアダルトチルドレンだの「病名」自慢したがるように
俺ってロリコンだぜー。陵辱エロゲ愛好者だぜー。学生時代にいじめられて心が折れたからこうなったんだぜー
スゲーだろーふきんしんだろー、っていいたいんだよなキモオタは
ガチの気違いとか異常者の深刻さはない、ただの甘えだって本当は自分でもわかってるところまでそっくり
母子相姦モノのAV観たからって母ちゃんを狙ってるとは限らないように
お前らがロリコンポルノを好むのも消費行動上の選択に過ぎないんだよね
とくにオタクってのはもともとそういうたかが買い物チョイスにすぎないことを
空虚な人生の時間を埋めるために惰性でオナニーばっかしてるから、
すこしでも表面的にタブー感のある商品を探して流れていってるだけ
そしてそういう消費行動を通してしか社会とつながれない視線でもって
そこらを歩いてるガキを眺めて退屈を紛らわしてるだけ
現実の女に失望したからとかじゃなく、最初から最後までたったひとりで、使えそうなズリネタを物色してるだけ
キモオタの人生というのは、女だの社会の風潮だの硬直した良識だのとの闘いなんかではない
そしてそこには敵対するにせよ協働するにせよ他者との関係というものがない
ただ退屈なオナニーがあるだけなんだ。本当はお前らが一番よくわかってるよな
AVやエロ漫画のステレオタイプな記号的イメージの並べ替えなんだよね
実体験という土壌を持たず、限られたリソースにしかアクセスできない
キモオタのイマジネーションは加齢につれてどんどん枯れ果てていく
なんとか自分(のちんぽ)を奮い立たせなくてはならない
だからせめて「フツー」のAVとかより世人が眉をひそめそうなモノにとびついて自己暗示をかけなきゃならない
これはすげえエロいものなんだ、俺はまだまだ飽きちゃいないんだと
なあ?
自分たちで自嘲的に言ってるような変態でもない。ただの暗くて孤独で暇な人にすぎない
ただしかし、子供リュックにつめてお持ち帰りしようとする一部のキモオタが
自分の貧しいおつむで思いついた範囲の「タブー侵犯」をやってみたのだろう
やっちゃいけないことだからやりました、という裏返しの常識の奴隷というわけだ
ロリコンがどうの以前に知恵が足りないやつは時として危険だというだけのことだ
時間を気にしないで海沿いにぐるっと周ってみたい。徒歩はさすがに飽きそうだ。じゃあ自転車かオートバイ、いや、なんだかんだいってレンタカーが一番かな。車中泊もできるし。
検索すると体験談もざくざく出てくる。その一つに、オーストラリアツーリングの話が載っていた。グーグルマップを見ても驚くほど何もない、ナラボー平原。無人の砂漠を1200km走破。
しかし、ここまで考えて気がついた。お金と時間があれば可能なことしか考えられない、自分の器の小ささに。
アマゾン河をカヌーで遡上とかサハラ砂漠横断とか、冒険的旅行は他にもいろいろある。でも、なんとなーくできそうな、なんとなーくどこかで聞いたことのあるようなことでないと、妄想しても実感がわかず、楽しくない。結局のところ、独創性が乏しいのだ、おれは。それは、イマジネーションの欠如、というより、他人の話を身を入れて聞くという体験の欠如に由来している。いや、他人への共感の欠如を意味していると言っていいだろう。
いやちょっと待てw
一つ上で書いたことは今回のディズニーの件とは関係ないですよ。まず、著作権が存続している間は著作者人格権どうこう以前に著作権上の問題が当然存在しますから、同人活動は決して合法ではありません(多くは親告罪ですが)。また、商業キャラを用いて利益をあげた場合は商標権の侵害となるケースがほとんどだと考えられます。
一方で、著作者人格権を根拠として商業/非商業問わず創作活動を制限するケース、つまり「俺のキャラの性生活を勝手に描くなんて侮辱だ!やめてくれ!」というような法的主張はあまり聞かない気がします。その辺まだちょっと詳しくないですが(※1)。著作権や商標権のみならず人格権についてもきちんと主張しておかないと、何十年後か、著作権の切れた自分のキャラクタが合法的に好き放題レイプされてしまうかもしれません。
また、あくまで一般的「エロ」表現の話をしたのであって、「首を刎ねて殺す」という表現は全く別ですよね。
他人の著作物を虐殺するなど常識で考えて許される表現ではない、どうあれ侮辱的な表現であると私は思うのですが、その認識がどんどん薄らいで今回のように「ディズニーが訴えないならミッキーの首を刎ねても悪くないよね、作者さん叩いてごめんね」なんてめちゃくちゃな認識が広く蔓延してゆくと、いつか本当に「自分の作ったキャラクタの首を刎ねられたくない権利」が消滅してしまう可能性も考えられるのです。だから我々は、断固として「そういう問題じゃねえ!」と叫ばなければいけません。
ありましたね。
性描写がない作品を元にして、性描写を内容とする作品を作成、販売したことを理由に、同一性保持権の侵害を認めたケースがあります(東京地判平成11.8.30「どぎまぎイマジネーション」事件)。被告は、同人文化の一環としての創作活動であり、違法ではないと主張しましたが、退けられました。
同一性保持権については著作者の『意に反して』とされ、著作者の主観的意志がキーポイントになります。著作権者死亡後の争いにおいては、その意志を推測するしかありません。故に、うっかり事実上黙認したまま死んでしまうと、別に意に反してなかったよね!という既成事実が形成され、同一性保持権を失ってしまう可能性があるでしょう。
一方、名誉声望保持権ではその名の通り著作者の『名誉又は声望を害する』行為について禁じています。よって、著作者の死後、該当行為は特に名誉を傷つける行為ではないという認識が一般的になれば、社会的状況が変化したと見なされ権利が消滅する可能性があります。
しつこいようですが、知財関係の権利はきちんと行使しないで黙っていると、権利を失ってしまうということが往々にしてあるのです。
年収200万円以下の給与所得者、5年連続で1000万人超 小泉構造改革で「ワーキングプア」増大が社会問題に
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-09-20/2011092001_02_1.html
ワーキングプアの問題も、それはそれであるが、プログラマとしての実感は
小泉構造改革で「プログラマーの質が全体的(平均値)に下がった」
である。プログラマーだけでなく、IT関連全体に言えるかもしれないが。
ついでに格差問題で言えば、以前からIT関連の技術格差はレンジが広いと言われていたが、小泉構造改革でさらに広がったと感じる。
ひとくくりにプログラマーの特定派遣が質が悪い、とは言わないが、いい人に滅多に巡り会わなくなった。
金の切れ目が縁の切れ目、という事で、製品知識の継承が出来なくなった点。
プログラミングは、今、コンピュータの中がどうなっているか、通信がどういう状況か、などのイマジネーション力が無いといい物が作れない。もちろん、最終的に製品がどう使われるかにもよってプログラミングの仕方も変わる。それが分かっていない。だから、単価が安いからといって派遣や小さなソフトハウスに一時的に請け負いででも出すと、技術の継承が全く出来ない。
まぁ、現に、うちの会社では、今まで丸投げしていた結果、ソフトハウスが来なくなって、技術が空洞化、製品のメンテナンスが出来ないというお馬鹿な状況になっているわけだが。
大メーカーの某ライジングサンコーポレーションでは、正社員はほぼプログラミングしない。動作原理や周りの環境がどうなっているかを知らないまま、上流工程に行ってしまう。そして、プログラミングという下流工程を経験しない。非常に嫌な感じがするのは、この会社でよく使われる「上流」「下流」という言葉。本来、技術者レベルで見れば、単にウォーターフォールモデルの名前でしかないにもかかわらず、この会社や管理職・経営者から見ると「上流」が偉い、「下流」が下っ端、ととっているようだ。似た言葉で「上層(レイヤー)」「下層(レイヤー)」「高レベル」「低レベル」もあるが、我々技術者から見れば、アプリケーション層が上層、物理に近づくにつれ下層という意味でしかないが、会社や管理職・経営者からみると「上層」が偉い、「下層」が下っ端、と取られる。
話がずれた。
ワーキングプアも問題だが、技術格差も問題になっているよ、と言いたいのよ。
(あとは分かるよね。不具合・納期遅延発生→出来る奴に仕事集中→鬱→退社・自殺→まじめそうな奴に仕事集中→鬱→退社・自殺→必然的に出来ない奴が生き残る)