はてなキーワード: 視力とは
あなたが挙げられた2023年の抱負は、どれもとても具体的で、自分自身をより良い方向に導くための目標ですね。
ペーパードライバー講習に行くことは、自分で車を運転できるようになることで、実家に行くことや、仕事場に行くことなどがよりスムーズにできるでしょう。コロナの影響ですが、できる限り早めに講習を受けるよう心がけると良いでしょう。
レーシックの検討も大切な目標ですね。老眼になることは避けられませんが、遠近両用のメガネをすることで、視力を維持することができます。また、遠視のみのメガネを使用することで、乱視によるトラブルも軽減されるでしょう。
貯金も大切な目標ですね。積立保険や定期預金などをスムーズに運用することで、将来的にも安定した財政状況を保つことができます。また、NISAやその他の預金サービスも試してみるのも良いでしょう。
2023年の抱負を持つことで、自分自身をより良い方向に導くことができるでしょう。そのためにも、毎日少しずつでも、自分が目指す方向に向かって進んでいくことが大切です。
この魔眼に備わった力はとても恐ろしい力である。
まずこの魔眼はあらゆる情報を読み取ることができる。
今もこのスマホからあらゆる情報を読み取って自分に都合の良いデータを収集している。
そしてこの魔眼はその情報を蓄積することができる。
魔眼が蓄積するというか後ろにある脳味噌が上手いこと処理して覚えていてくれている。
更にこの魔眼はそうやって読み取った情報を出力することが出来る。
いやよく考えたら脳味噌を通して手とか口とか身体とかを使って出力している気がする、魔眼で出来る出力は目を合わせ続けたり、まずいことがあったら魔眼を標的から避けたりするぐらいだ。
そして何よりこの魔眼を持っていることで視線を感じさせることができるのだ。
恐ろしいだろう。
唯一にして最大のデメリット、それはこの力を使う度に視力が落ちることだ。
異能の力を使うには何かしらの犠牲が伴うものだ、この力を使いながら文字を入力している今も『────画面、眩しいな。』という想いを抱いて情報出力に勤しんでいる。
世界中の魔眼の使い手達はきっと何かしらの対策を持ってこの魔眼の力を制御しきっているのだろうが、俺はこの狂った異能をなんとか抑え込みながらこの日記を書いている。
この日記を通して俺の想いが世界中の魔眼使いに届くことを願う。
左右で差のある目の使い方なんてしないし、できないし
片目だけ生来弱い・老化の影響受けやすい、なんてこともあんまり無いと思ってる
そういや急に悪くなった方の目にちょっと痒みを感じてるし、炎症とか起きてるのかも
とりあえず目薬さす
ピントを合わせる力が片目だけ落ちる、か
なるほど
裸眼は0.2〜0.4
矯正視力で1.0〜1.5 だったのが左目だけ0.6〜0.7という結果だった
いきなり下がったのでやり直してもらったが変わらず
時期見て医者行かないとな
コロナワクチンの副反応が微妙にしんどくて気を紛らわしてたら変に思考が回ってしまい,最弱の男性のペルソナを思い浮かべてしまった.
もし小説など創作的なことをされている方がいたら自由に本設定のキャラを作ってください.
年齢:36歳
身長:165cm
体重:61kg
視力:裸眼視力は0.05であり,太い黒縁のメガネをしている.
容姿:思春期のニキビ跡により顔中穴だらけかつ苺鼻.表情筋は未発達でいわゆる不自然に幼いチー牛顔(かつタラコ唇).歯は歯石に満ちて黄色く出っ歯.6等身なほど顔が大きい.
服装:一張羅のスーツをクリーニングに出さず着続けている.休日は上下ジャージ.
家庭:
父親はアル中以外には疾病がない無職,いつもストロングゼロを昼から夜まで飲んでは中核派のような発言をして母親を叩いている.
母親はその実家含めカルト宗教の信者であり,専業主婦を自称しているがマルチ商法の会員として日々カフェで情報弱者をだまそうとしている(入会以降の収支は大赤字).
父親の実家については祖父が大日本帝国陸軍の軍曹でありシベリア抑留で死亡(遺骨無し),祖母は強度の認知症だが資金不足によりアパートで孤独に暮らしている.
父親は祖父の経歴を「アジア侵略に加担した者の当然の報い」だと息子であるMに幼少期の頃から言い聞かせており,安保闘争に参加して警察官にレンガを直撃させ後遺症を残したことに自信と誇りを持っている.
経歴:
中学まで地元の公立学校にて低いスクールカーストとして過ごす.一定程度の成績を残していたため自称進学校に進学するも落ちぶれる.1浪して地元のFラン大学に目的もなく入学し,第2種奨学金を借りた.
大学では単位取得をろくにせずに過ごし2回留年する.最終的には中退し,就職課の紹介で上記のような職場の非正規社員となる.
以後は人手不足に助けられて契約を更新し続けている.肩書こそシステムエンジニアだが社内雑用がメインであり,横展開可能なスキルは持ち合わせていない.
生活:
週休は不定期の1日で就業日は朝9時から夜9時まで勤務.自分は休みとボーナスを貰えるだけずっと良いと下を見て過ごしており,マクドナルドやコンビニの店員や介護士やAmazonの倉庫管理従事者を見下している.
特に店員が中韓の人であれば露骨に嫌な顔をし,日本人店員に対応されると聞き取れないボソボソ声で「やはり日本人が良いな」などとつぶやいている.
父の反動としてMはネトウヨと化し,今日も終業後はTwitter上で国士を自称して大日本帝国と大東亜共栄圏の復活を目指すと言いながら,排外主義的で支離滅裂な陰謀論をまき散らしている(ツイートの95%がRT).
毎日,朝ダチ処理と就寝前にマスターベーションをかかさない性豪.おかずは高校時代に3年間ずっと好きだったクラスメートの女性,或いはそれに似た女優が出演している制服モノAVで,レイプシチュを特に好む.
オタクの彼女がチャラ男やジョックに寝取られるシチュエーションは地雷であり,滅べと時々ツイートしている.度重なるオナニーにより男性ホルモンがやや過剰に分泌されており,腋臭はもちろん,朝に髭を剃っても夕方には無精ひげができるほど.
上述したような立場とスキルの無さから,業績不振になれば直ちに解雇される候補の一人である.にもかかわらず,一切の自己研鑽をせずTwitterにかじりついている.親の介護のことは一切考えていない.
結局「才能」じゃん?
たま~~に逆転があるけど、結局は「より才能のあるものを選別する装置」でしかないじゃん?
なんかこう駄目なオタクがはびこる界隈のピラミッドにソックリなんだよね。
上にいるガチ勢が新人をいびって「才能がねえなあ。そもそも才能を語るに値する努力が足りてねえなあ。死ねよお」しまくる感じ?
スポーツはどこまで言ってもそれをひたすら繰り返すだけだし、結局人類に残るのは「人類の才能って限界出すとココまであるらしいですよ!すごいですね!」って報告しかない。
芸術・発明・批評・製作といった他のコンテンツとくらべて余りにも生産性が低いなと。
生産性が低いならまだしも、ストレスの掛け合いのゼロサムゲームで勝利者に一時的に麻薬を流し込んでいるだけみたいな所があるのが悪質というかね。
勘違いしないでほしいから一応言うけど、体を健康的な範囲で鍛えること自体は良いことだと思う。
肺活量や背筋は集中力の厳選だし、握力や腕力があることが求められる仕事や創作活動はまだまだ多いからね。
反射神経や動体視力を鍛えるのも間違ってないと感じるよ。
でも「特定のゲームに勝つための工夫」とかに対してあまりやり込みすぎるのは人生が歪んでいるかなと思う。
「クイズ王」が「知識王」とはなりえないのと同じような罠が潜んでいるからね。
まあほどほどにやるなら、多少の酒・タバコ・宝くじ程度の物と思って大目に見るけど、あまり大手を振って「これこそが健全な趣味なり!」ってされるのはいい加減もう人類は卒業してもいいのかなと思うよ。
実際問題として、酒とかがまさに「大人の証!」と持て囃されていた時代はあったけど、最近は「え?こんなのにいつまでもいい大人が頼ってちゃ駄目でしょ?」が主流になりつつあるし、タバコはもう完全にソレだからね。
向こうにDQN土方がいて前に進みたそうだったけど、私の目が悪くて見えなくて一瞬躊躇したんだよね
どかなかったように受け取ったらしく
それでいきなり怒鳴られたんだけど
DQN土方が正しくて私の視力が悪いのが悪いんですね。はいそうですか。
私が見た目が強そうな筋肉隆々のおっさんなら絶対怒鳴らなかったと思いますが
弱そうに見えるから怒鳴ったんでしょ
普段から弱い相手を探していて怒鳴る(攻撃する)機会を狙っている人間っているんですけど
あなたはそれを知らないということは幸せな人生送ってるんですね
羨ましいです
持って生まれたモノ、人生で積み上げたモノ、それをどこまで注ぎ込めるかをプレイヤーに問うことが出来ている。
いいゲームってのはプレイヤーに本気を出させちまえるかで決まると思う。
「とりあえずサッサと始めろ」
「工夫しろ」
「工夫できないなら金を出せ」
「それも無理なら情報を集めろ」
「とにかく時間や金や才能を使える限り使ってみろ」
「お前の引いた手札を組み合わせろ。お前が元々持っていた手札も使い切れ」
そういう圧が凄い。
ただそういう圧をかけてくるゲームってのは既に世の中にいくらでもあるからある程度ゲームに慣れてるプレイヤーはもう「コノジャンルはコウヤルとチョットウマクイク」の答をもう持ってる。
そこでガチャだ。
ガチャで全部グチャグチャにかき混ぜて手札を配りなおす。
正解を知っていてもその手札が自分になければ切ることは出来ない。
多くのゲームはそれを生まれ持った才能に依存させまくってくる。
格ゲーなんて最たるもので「その技の発生見てから昇龍拳出せばいいんですよ」→「動体視力が足りません」みたいな事が往々にしてある。
才能という手札があれば解決できるはずの最適解を得られない苛立ちが、結果として「自分にも出来る弱者の兵法を探す旅」の始まりとなる。
それこそが「本物の体験」なんだ。
ガチャゲーは多くのプレイヤーから最適解を奪い取っていく、「1凸以上のAに3凸以上のBを装備させたのと完凸のCと完凸のDを組み合わせてループを組めばいいんだよ」という攻略動画上がっても、多くのプレイヤーはそんなの真似できない。
低レアクリアの動画があっても大抵は「低レアだけどその代わり限界まで育成してます」というパターンだから実際には真似出来なかったりする。
そういった諸々の状況の中で、それでも自分なりに工夫して課題に挑戦できる。
似たような状況を作り出すゲームに「多人数対戦ゲーム」が存在するが、こちらは最強のカード「味方が弱かったのが悪い」でプレイヤーは「本物の体験」をする機会を自分から放棄できる。
でもガチャゲーは違う。
多くのガチャゲーは多少のギルド要素はあっても戦い自体は個人VSエネミーだ。
最終的に戦力を決定するのはどこまでも自分の手持ちだ。
「ギルドの仲間が弱いせいでレイドに負けました」ぐらいならまだしも、「イベントのボスが倒せなかったのは強いフレンドを借りられなかったからです」は流石に厳しいものがある。
そんな状況だというのに、ゲームは容赦なく「手札」を引っ掻き回してあるかないかを運任せにしてしまう。
反射神経さえあればどんなSTGでもそのうちクリア出来るプレイヤーだろうが、頭が良くてボードゲームをあっという間に理解するプレイヤーだろうが、ガチャゲーを前にすればそれらの才能を剥奪されて必死に足りない手札をやりくりさせられる。
本気になるしかないんだぞという圧が凄いんだ。
才能があることに甘えることも、ないことに甘えることも出来ない。
強いレアを持っているくせにクリア出来ないと嘆けばネットでは叩かれるし、弱いキャラしか持ってないからと嘆いても乞食は黙れと叩かれる。
この孤独さこそが「自分だけの旅」であり「本物の体験」なんだ。
ガチャゲーはその良し悪しとはまた別に「本物の体験」が出来るゲームジャンルなのは間違いないよ。
そのこと自体は称賛されるべきだ。