堺正章が原因とか言われているけど、この人は全然関係ないですよ。
干された理由と、その原因は何か?
簡単です。
芸能界はヤクザが仕切ってるので、干される理由も同じくヤクザ関係者です。
ヒロミは大物タレントと、その筋の関係者を本気で怒らせてしまった。
その大物タレントは誰なのか?
昔のことなので記憶も曖昧ですが、10年以上前にバラエティー番組で力也とヒロミが共演していた。
番組の演出で、出演者同士で限られた席を取り合うルールがあり、
出演差を指名して退かせ、指名した者が席に座る。。。みたいな番組進行だったと思う。
ここでヒロミはあろうことか、安岡力也が座っている席を指名して、自分が座ったのだ。
(他にも指名できる出演者居たにもかかわらず、力也を名指しで退かせたのである)
学生時代から遊びまくり、のパターン。ヤリチン/ヤリマン道。(過剰系)
婚活ってのは過剰系と逸脱系のカップリングしか存在せず、どう転んでも邪道なんだ。
婚活して結婚した連中の離婚率は王道パターンより高いみたいだし。
大抵「若いころ遊びまくったが、婚活で非モテ男性と結婚した」パターン。
ナンパ師を名乗って女を喰いまくった男連中も、結婚に行き着くのは喪女寄りの地味女性。
白雪姫を例に出しても同じだと思うけどなあ。40万は誇張しすぎ。
手書き中割りの労力を訴えたいのはわかるけど、CGアニメーターがその動画部分でタメツメ作ってるってことも知ってるでしょ?そんでもって彼らは、リグ組んでモデリングして、アニメートさせなきゃいけない。同じくらいの労力だと思うよ。修正や諸々の作業が楽なのは、はるかにCGだけど。それで、なんでディズニーがCG方向にいったかというのは、コンピューターやソフトウエアの技術的発達が一因であるのは間違いないけども、それがすべてというわけでもないでしょ。俺も分からないけれど。実際に1999-2003年頃は、セルのまま1年公開できてたわけで。まああの頃に、なんかヒントがありそうではあるよね。
どこまでホントなのか分からんけど、スウェーデンからの留学生の話。
スウェーデンでは、アルコールを飲んだ後のセックスは、後日女性から訴えられれば確実にレイプ認定される、らしい。
ようするに、日本の痴漢冤罪と同じで、スウェーデン女性はその気になればいつでも男性の社会的信用を失墜させることができるんだとさ。
(そういえば、ウィキリークスの創設者もスウェーデンでレイプ犯認定されてたね)
かの国はフリーセックスで有名だけど、セックスには相当なリスクがあると認識されているらしく、スウェーデン男性の草食化傾向も結構アレらしい。
スウェーデンにかぎらず、北欧社会は少子化こそ改善してるけど、男性の未婚率は日本以上で、完全に女尊男卑の社会構造になってる。
シングルマザーが多いのも、ハイスペ既婚男性が不倫して妊娠しているパターンが多いからだとさ。
(共同親権がベースにあるから、相手男性に子どもを合わせないことを条件に養育費は要求しないらしい)
国中が一部の男性陣の子どもばっかりになるとか、北欧ってちょっとした優生学の国だね。ヒトラーもびっくりだわ。
佐々木は2012年以前まで、ぐるぐるナインティナインのゴチバトルに出演していた。
この番組内での騒動がキッカケで、降板、仕事が減っていったと僕は推測している。
番組内でも、矢部が佐々木に「俺と岡村やったらどっちが好きや?」の問いに佐々木は「どちらかと言うとあたしは岡村がタイプ」とはっきり答えを出している。
このような佐々木の態度にブチギレて、矢部は佐々木を芸能界から追放するよう働きかけたと思われる。
ヤクザが金を出す以上、出演者もヤクザの息がかかった連中が多い。
実際、矢部は面白くもなんとも無いのに、飄々と番組に出演している。
岡村が一時期、鬱病でリタイアしたのも、矢部とその関係者に嫌気が差したのであろう。
時系列でまとめる
そうなのか!別に珍しい事では無いのか…。ありがとう。出来る事・出来ない事の差があり過ぎるのが発達障害なんだけれども、自分の場合は出来ない事ばかりで出来る事「成功体験」がなくて。だから、得意な事(と思い込んでいた)からアプローチするしかないかな、と思ってたんだ。うーん、手詰まりか。今までバイトも失敗ばかりだし、これなら出来たと実感できたものって、思い当たらないしな…。マズイ。もう一度考え直してみるよ。ありがとう!
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJ5L6T2MJ5LUTFK012.html
数少ない数少ないって言ってる人たちって一気に数千人でも来ればいいと思ってるの?それで何事もなく受け入れられますよって思ってるの?バカなの?
普通こういうのってまず受け入れやすそうなところからやっていって、諸々起きる問題への対処を考えていって、徐々に枠を広げていくもんだと思うんだけど。特にただでさえ閉鎖的で国際的な常識と外れてるようなジャップ後進国だとさ。
なんかこういう人たちが原発は今すぐ取りやめろとか言ってるんだろうなと思うと頭痛くなる。理想論だけで過程や現実的にどういったことが起こるのかという想像を欠いてる0か1かでしか考えられないネット論壇特有の思考でさ。
まあアベのパフォーマンスだろうけど。
低年齢と高年齢が駄目だと言ってるだけだろうが、本編よめ。
・16歳以下の出産は帝王切開9割、自然分娩は1割以下(自然分娩の場合子宮脱、歩行障害が20代以降の10倍)
・中絶率7割
・貧困率5割
・平成20年以降、日本で第2子以降を15歳以下で出産した人数は0人
男性は40代で30歳以下と比べると子供の障害率が6倍になり、精子活性度が1/5に。
高齢夫婦は裕福で貧困率は1割以下だが、不妊、障害児になる確立が高い。
低年齢も高年齢も子作りは止めよう。
メモ程度
低スペ人間として言わせてもらいたいのは、いいかげん男女を問わず、低スペ人間が存在するという現実に目を向けて欲しいってこと。
親や親類や旧友が「いいかげん結婚したら?」みたいなことを言ってくるけど、正直、自分の日常は結婚をイメージできるような環境にはない。
そうしたことを言うと、必ず「努力しないから」とか「逃げてる」「自己卑下」みたいありがたいアドバイスをくれるんだけど、
俺は自信を持って日常生活の中で「逃げ」や「怠惰」な部分はないと断言できる。
ただ、物心ついた頃から「人並みのことが人並みにできない」という自覚はあった。
今で言えば発達障害なり何なりと診断されるんだろうけど、そんな診断をされたところで役に立たないから、
それでも人並み以下の結果しかでない。そんな毎日を生き続けている。
ついでに経済的に恵まれていない家庭に育ったから、人並みの消費文化を楽しんだこともない。
海外への家族旅行どころか、修学旅行以外に旅行に行ったこともないし、
ファストフード店以外の外食もほとんど経験ない。そういうことも多少のコンプレックスではある。
金がない生活が骨身に染みると、趣味や遊びに金をかけるってことが感覚として理解できないんだ。
(ネットは無料で楽しめるものがあるから、ネット使えるようになってからはたいぶ生活のクオリティは上がったけど)
今だってちょっと気を抜けば落伍者になりかねないという不安と戦っている。
生まれついての低スペ人間というのは、アクセル全開でも法定速度以下しかでない自動車みたいなもんなんだ。
かといって、ハードな知的障害者と違って国や周囲のサポートもない。
とにかく必死で食らいついていく。そういう生き方しか残されていないんだ。
それにも関わらず、周囲は呑気に「結婚したら?」「結婚しないと人並み以下」とプレッシャーをかけてくる。
特に一番言われて辛いセリフは、「もしかしてゲイ?」とか「その歳で童貞とか死にたくならない?」みたいなからかいだ。
ただでさえ、他人とコミュニケーションしたり、着実に段取りを踏んだり、凡ミスを防ぐのが難しい脳みそで、
一般人ならすぐに慣れるような仕事でも、毎日怒られながらこなしていくしかできないのに、
これ以上のものまで求められなければならないのか。そうしないと人生の落伍者のように扱われるのか。
そもそも、人間関係そのものから喜びを得られない体質なんだぞ。自閉ってのはそういう意味だ。
確かに高度成長期の時代は、俺くらいのアホでも周囲がお膳立てをして見合い結婚できたかもしれない。
だけど、人並みのコミュ力を前提とした恋愛を経なければ結婚できない現代において、
俺みたいなポンコツが結婚(して更にその生活を維持)することは、ほとんど夢物語に近い感覚だ。
たぶんDV人間とか、ストーカーみたいのは、俺みたいなポンコツが分不相応に人を好きになった結果なんだろう。
(俺は特に小中学生のころ、怒りをコントロールできず軽い傷害事件を繰り返してきた経歴もある。今は落ち着いたが)
別に世の中に恨み事を言ってるわけじゃない。「軽度障害者の俺も結婚する権利がある!」とか思ってるわけじゃない。
全くその逆だ。俺にはできないし、すべきじゃないことがわかってる。わかってるからこそ、「ほうっておいて」ほしい。
確かに表面上、俺は特別逸脱した人間には見えないかもしれない。
けど、それは全力で生きてきた結果として、ようやく人並みっぽく見えているというだけで、
一般人とは違ってそれ以上の余力がない。
(人並みといっても、東京住みのエリートでもないので、地方で実家暮らしの年収300万未満だし)
「努力してきてそんな低スペなの?」って煽られるかもしれないけど、その通りだ。それが低スペの低スペたる証拠だ。
こんな内容が散らかった下らない文章を書くにも、何時間もかけてないと形にならない。
一般人なら、こんな愚痴みたいな文章なら30分くらい書けるんだろうな。
努力もせずに愚痴っているならダメ出ししてやるのも一つの優しさだろう。
でも、一生懸命に生きている人間を更に追い詰めて何が楽しいのか。
世の中には低スペの人間が存在するんだ。助けれくれとは言わないから、せめてほうっておいてくれ。
少子化を加速させるという意味では迷惑をかけているかもしれないけど、それ以外では全く世の中に迷惑かけていない。
子育て政策のために独身税を取られるというなら、喜んで金は払う。
だから、俺たち低スペ人間にけしかけたり、からかったりするのはやめて、ほうっておいてほしい。
普通の人なら気にかけてもらえることが嬉しいのかもしれないけど、低スペ人間はむしろスルーされる方が清々しいんだ。
いろいろ矛盾してるかもしれないけど、これ以上うまく伝えられない。終わり。
読んでるときもウワァという声を出していたのだが、読み終わったあともウワァと言った。
「傑作だ……」私の中の講○社編集長は呟いた。
しかしこれってこのシリーズ読んでない人には佳作どまりだろうと思う。
馬鹿みたいにネタバレから読んだ人も(ネタバレ読んでも面白いけどな)傑作とは言わないだろうなぁ。佳作。
だって、なにが凄いポイントか本当の意味では分かってくれないから。
基本的に「ウワァ」なんだけど本筋以外も「ウワァ」な点がたくさん存在してるんだ。
シリーズ読者からするともうホントに傑作なんだ。読者しか分からない傑作を書かれたんだ作者は。これぞファンサービスか?
おすすめしたい。でも今までの作品含めると超ある…気軽におすすめするには、あまりにも膨大だ。
困ったなぁ…こんな傑作を、何故傑作なのかの理由も伝えられない。
有難う。まさかレスを貰えるなんて思って無かったから、もうそれだけで嬉しいです。あと、建設的な意見と言うか前向きな意見まで貰えるなんて、凄く意外で自分でも、まだ生きてていいのかって思えてしまった。無限か…何があるんだろう。それが全く想像が出来なくて。。
ナメクジって基本的にはカタツムリの殻が退化した生き物なんだけど、退化って言葉が悪くて生存上の戦略の結果そうなっているわけだ。
退化の途中のナメクジなんだかカタツムリなんだかわからないのもいる。そして、カタツムリのいくつかの系統からそれぞれ殻を失いナメクジなっている。
クソでも雑魚でもいいのだが、ナメクジは戦略として殻を喪失しているし、別系統のカタツムリから同じような現象が起きるということは、その戦略は間違いではないのかもしれない。
それは、当事者が「誰かの視線を感じた」「誰かに見られている感じがした」と表現することだ。
普段の生活において「誰かに見られている」という感覚は、健常者であればあり得ない。
人間は誰かの視線を感知する器官持ってないでしょ。冷静に考えて。視線を投げかけているのを見たならともかく。
普段感ぜられない感覚を、なぜその時だけ感じられるのか。それが視線だとなぜわかるのか。
繰り返す。人間は他の人の視線は感ぜられない。視線を投げかけている人を視認した場合のみ視線を感ずるのだ。
そのあたりを物語の中でしっかりクリアしていない怪談話が多すぎる。
語る・騙るなら、流例になっている表現をただ使用するのではなく、もっとちゃんと練って語ってほしい。
読者を舐めないでほしい。
もっと言うと、それしか特技がない。それをようやく受け入れて認識したのはつい最近の事で舛添氏の公金問題が出た時に何故彼があそこまで歪んでいるのか、下世話な事を考えていた瞬間だった。
私は、怒り・もどかしい気持ちを抱いた人間に対して、無意識に脳内で「あーだこーだ」考えてしまう。もっと言うと、自分が「この人って卑しい人間だな」と感じる対象にのみ考えてしまうのだ。褒められた話では全くないけれど、唯一他人や世間から認められたりする事が、そういう悪口にも似た批判の内容だ。
他の事は丸っきりダメだけれども、唯一どんな人とも相応以上に会話が成立して「増田を呼んで、増田の意見も聞いてみよう」と呼ばれたりする。けれども政治や経済、文学や音楽、数理関連の話や抽象的な会話を投げられても、ちんぷんかんぷんで。あくまで自分が関心のある卑しい人間に対する悪口しか、話せないのだ。
某全国紙の各新聞社の論説記者達や学者、有識者が集まる機会に(舛添氏ではない)某人物の話題が出た。自分自身も某人物に対して日ごろ思う所があったり、正直言って「卑しい」と思う対象だったので、つい話してしまった。皆、一様に「鋭い」と言っていた。中には「ああ~!」とか「あっそれだ!」とか言われたり、大笑いしていた人も居れば、思いに耽りながら「僕もこう思ってるんだけど、こういう所は?」と話を繋いだり、とにかくハイスペックの人達と唯一渡り合える武器が「悪口」になってしまってる。実を言うと、自分は定型発達ではあるがグレーゾーンのスペクトラムだ。つまり発達障害者で、手帳は持っていないけれど、今まで生きにくさを度々経験してきた。唯一人並み以上の事が出来るのが「悪口」。
※それから、これは自分では思っていないのだけれども「話を引き出すのが上手い」と度々言われる。けれど、これはその時の相手との相性にもよると思っていて。それがどんな時・どんな相手なら、上手くいくのかは自分でも把握できない。うまく行く時はいくけど、そうでないときは全く…といった具合。自分の傾聴力が、どんな人に対してなら合うのかなって問題なだけな気がする。
「卑しい人間に対する悪口や批判」。これが活かせる仕事って何なの?というか人としてどうなの?と自己嫌悪で一杯で。その一方で、「優秀なんだな」とか「健常者」に見られるのが、そう言った悪口で「あーだこーだ」言ってる姿なので、承認欲求が満たされているというか…そう言う矛盾した気持ちを自分の中で抱えてる。
母は昔から自分を「あんた、批評家ね…」と言っていたり、学校で悪口に華を咲かせていてもいわゆる「よくある井戸端会議」なんだろう位に思ってた。
彼・彼女は人生のどの段階で躓いたのか、何がキッカケだったのか、成育過程は?生まれ育った出身地は?元々どういう性格の人間だったのか…「卑しい人間」の正体や原因を知りたいというか、人に対して悪意を抱きたくない、理解したい、という気持ちや悪や汚れへの好奇心さえ抱いている。
自分はよく、極端な人間と言われる。能年玲奈じゃあないけれど、「生ごみか、リスペクトな奴か」の二つで、悪口を言っている時の自分は後者らしい。それ以外は、その場の環境に左右されて、その時によって生ごみの度合いが違う程度。でも、自分でも共感できる悪口の対象になると、本当に環境に左右される性格なのだろうか、と思うほど、「それなりの」人間でいられる。