それは、当事者が「誰かの視線を感じた」「誰かに見られている感じがした」と表現することだ。
普段の生活において「誰かに見られている」という感覚は、健常者であればあり得ない。
人間は誰かの視線を感知する器官持ってないでしょ。冷静に考えて。視線を投げかけているのを見たならともかく。
普段感ぜられない感覚を、なぜその時だけ感じられるのか。それが視線だとなぜわかるのか。
繰り返す。人間は他の人の視線は感ぜられない。視線を投げかけている人を視認した場合のみ視線を感ずるのだ。
そのあたりを物語の中でしっかりクリアしていない怪談話が多すぎる。
語る・騙るなら、流例になっている表現をただ使用するのではなく、もっとちゃんと練って語ってほしい。
読者を舐めないでほしい。