主題については置いといて
単身でないと出来ないと言う意見への反論があまりにも適当過ぎる。
片働きでも単身者より広い住宅が必要となり、都心と郊外の住宅の価格差が大きくなるから通勤手当分がそのまま給与になったとしてもペイ出来なくなるし
こんな明らかな性差別する人には、一ミリも同情されたくもないし、話を聞いてもらいたいとも思わない。
っていうか、こんな感じの「強さ」の理屈に拘るあたり、むしろおまえ痴漢する側の人間じゃね?
前の日に仕事で遣らかしたり女に振られたりの酷く打ちのめされるような体験をしたら…と考えると
こういうことを平気で言う輩こそが、「人に見つかりにくい場所で、より弱いものに性的ファンタジーを押しつけて自分だけはすっきりする」
少し話が違うけれど、年末にネタのような話題があって、日本のケンタッキーフライドチキンのある店舗が、夏に、カーネルサンダースに浴衣を着せて、スイカを手に持たせていたのね。まあよくある風景です。
で、それをあるアメリカ人が取り上げて、日本人ってこんなにレイシストって喧伝してたの。
スイカと鶏肉って、アメリカ南部ではやっすい食材で、それしか食えないということで黒人を嘲笑するアイテムになってるんですよ。
まあこれは、アホかね、君、何で日本人がアメリカのローカルなステレオタイプを知っておかねばならんのよ、君の方がレイシストやろうという反応と結論になっていたんだけど、私が気になったのは、どうしてケンタッキーの一店舗がやったことが「日本人」とか「日本」になってしまうんだろうってことね。
こういう例は全然珍しくないですよ。触手ポルノに「また日本か」みたいな反応とかね。
例えば、レイディ・ガガとかが、奇抜な格好をしていても、主語は、レイディ・ガガになって、アメリカ人にはならないですよ。
思うに、マイノリティというのは、大きな主語を用いられる人たち、と捉えてもいいかもしれない。逆に言えば個々の事例に対して大きな主語を用いている時点でそれはレイシストであり、セクシストであると言っていいのかも知れない。
西欧の風刺は徹底していて、イスラムを馬鹿にしていてけしからんと言うと、彼らは必ず風刺は全方位にやってますよと答えるの。それがエクスキュースになってるのね。そして実際彼らは、カトリック教会も大統領も女王もイエスもこき下ろしている。
でもね、やっぱりカトリック教会をこきおろすこととイスラムをこきおろすことは、同じじゃないのですよ。
カトリック教会を批判することはカトリックを批判することであって、その辺のパリジャンのポール君は何ら関係ないのですよ。
でもイスラムをテロリストとして描くことは、移民のアフマド君にとっては直接自分たちへの偏見を増大させる効果を持つのですよ。
これはね、やっぱり西洋帝国主義の結果であって白人の特権なわけ。
ここの非相似に鈍感で、俺らは全部を風刺しているんだって思い込んでいる時点で、チャーリーな連中の考えの浅さ、リベラルがレイシストになってしまってるんだよね。
で、Je suis Charlie というスローガン、ものすごく気持ち悪い。
私にはそれが、私たちは特権を享受する側の白人だ、と言っているようにしか見えないから。
[追記]
元記事の人とは違って、私はテロだからいけない、とはそもそも考えていません。テロと呼ばれる暴力があり、テロとは呼ばれない暴力がある、そして良し悪しはあるにしても歴史は暴力によって動いてきました。
そもそもフランス共和国そのものがテロによって成立した国家です。言論の自由が抑圧装置としてしか機能しない時に、それに暴力的に対抗措置をとる者があらわれるのは力学的には当たり前の話です。正義不正義の問題ではありません。
mirunaさんのコメント、「で、それが産油国における世界三大宗教のひとつであるイスラム教に基づく多大な人権侵害の免罪になるわけ?」と言うのがフランスにおけるイスラム教徒の話でどうしてなされるのかまったく理解できません。これはまさしく、マイノリティのみにアカウンタビリティが求められる一例だと思います。
ご存知の方ならば常識でしょうがイスラムには宗教者は存在しません。存在するのはイスラム法学者であって多種多様な学説があり、絶対的な唯一神信仰から多神教的なスフィズムが生じたように、どのような神学も成立可能です。当然のことながらイスラム世界にはかなりの幅と多様性がありますが、サウジアラビアの「公学」は特に極端な厳格性を持つワッハーブ派です。せめて批判するのであれば、サウジアラビア政府、ワッハーブ派を批判してはどうでしょうか。
フランスのムスリムはその多くがアルジェリア移民であって、ジダンもそうですが、アルジェリア少数民族のベルベル人が多数を占めます。これは百年に及ぶフランスのアルジェリア植民地支配の結果であって、ベルベル人を原住民抑圧のための中間層として用いたために、アルジェリア独立後、報復を恐れてベルベル人がフランスに亡命したのがそもそもの発端です。宗教は事後的に影響力を持ったものです。
個人的な見解として、植民地の損失を清算していないフランスには、どのような移民であれ、移民を拒絶する権利はないと考えています。ケベックであれ、インドシナであれ、アルジェリアであれ、ニューカレドニアであれ、異民族の流入に恐怖したのはそれらの場所の原住民も同じことです。
[追記]
suna_kago 問題を西洋と東洋(白色人種と有色人種)に図式化し、後者は前者に対して何をしてもいいと考えているらしい。そのような態度こそが上記の二項対立を強化するのだけど。
この文章からどこをどう読めばそう曲解出来るか理解できません。普通に誹謗中傷の類であると思います。
目くじらをたてるような突込みではないと一般には捉えられるかも知れませんが、大半の人は、夏の時期の写真が年末に話題になったと捉えられることを、そもそも話の本筋ではない部分に「これは年末が夏の国のお話なのか。」と"エスプリ"をきかせる精神構造は、非常にチャーリー的で、見かけ以上に深刻な問題を孕んでいると思います。
yingze 追記部分に粘着気質の気持ち悪い部分が出てきてるなぁ。「植民地の損失を清算」でヤクザの誠意を見せろ手口でしょう。
誠意は見せる必要はありませんが補償と原状回復はなすのが基本です。損害賠償の基本ですが。ここが意識の上でも棚上げされていること自体が、西欧中心史観なんだということを指摘しています。ところで、粘着気質ってこんなにぱっと出されて共有されなければいけないほど自明的にいけないものなんでしょうか。yingzeさんのコメント自体は粘着気質のなせるわざではないのでしょうか。よくわかりません。
sardine11 マイノリティが言論の非対称性に圧殺されてるという指摘は同意したい。ただシャルリの間違いを認めるとしても、反テロ運動自体は間違ってないし犠牲者追悼という大きな意義を無視するのはアンフェアな議論だと思う
反テロ運動=チャーリー追悼ではないでしょう。チャーリーを一方的な犠牲者として描くことがアンフェアです。チャーリーのしたことはしたこととして、銃撃殺人はいけないよと言うならば、少なくともチャーリーをまったく不問に付すような追悼集会というような手段はとらないだろうと思います。私はこの追悼集会で流される感情と踏みにじる感情が、結果ではなくて次の抑圧の原因になると思っているので批判しているのです。それぞれに自己の加害者性を見つめることの方が重要でしょう。
続きを書きました。
風刺画が弱者を攻撃した時点でそれは風刺ではなくただのレイシストだ。
新聞社の人々は世界に10億以上いるイスラム教徒に対してではなく、フランス国内にいる貧しい移民(弱者)に対して人種差別的な言論を行った。
この事件は国際問題ではなく、国内の移民へのヘイトが今回の惨事を招いたのではないか。
深夜帯、特に何があったというわけではないが時々考える。
友達が出来ない…
ありふれた悩みだと思う。古今東西種々の同様の悩みをこれまで幾度となく目にしてきたし、ある程度思考がまとまった今、やはりありふれた悩みに過ぎないなと思う。
多分、人並みにコミュ力なるものは備わっている。報・連・相は問題なくこなせるし、なんならマメですらある。それなりにに愉快なキャラもしていると思う。顔がいいわけじゃないけど不快になるほどじゃない。歳の上下を問わず丁寧語・敬語主体は崩さないし、初対面で悪い印象を持たれることはあまりないと思う。
ただ、友達が出来ない…
原因ははっきりしている。踏み込めないのだ。
踏み込めない原因もはっきりしている。自分に肩書きが無いと話すことが怖いのだ。
肩書きのある時はそれなりに話せる…先の報連相もそうだ、必要な役割だからこなせる。
勿論肩書きなんて目には見えない…金モールをひらひらと光らせているわけでも無い。ただそれでも背中は押してくれる。
数人で談笑している場面でただ会話に入れなくて愛想笑い…幾度となく経験してきた場面だ。
よし、やること片付いたな。ここで"駄弁り”というやつが出来ない。
その場に上下関係も役割も無い場面になった時、居場所がなくなる…ピエロとなる役割しかこなせない。
2人だとまだいい、私には明確な場の維持者としての役割がある。3人でもそうだ。ただ4人5人になった時、ここに居場所が無い…と感じてしまう…(これはまた少し違う話か)
役割に徹さないと何もできない。だから踏み込めないし、頼れない。
頼ることが怖いのだ。
先の話に繋がるが、人に頼った時、客観的な理由付けも無しに人に頼るというのが考えられない。
悩みを打ち明ける友人もいない。
悩みを受け止めてくれる見込みを立てられない。
ここまで書いて思ったが、別に私は心優しい、思慮深いけど自信が無いゆえに踏み出せない…そんな高尚なタイプではない。
中学の頃の担任に「あんたは人の話を聞かない」と言われたのを思い出す。
優等生とまではいかないけど、大人の言うことに素直に従っている自負を持っていた当時は、何言っているんだこのおばさんは…と気にも留めていなかったが、こうやって何年経っても覚えているのは深層では自覚があったからだろうか…
この言葉は別の口からも何度も聞いたからだろうか。今ではその通り、私は人の言うことに耳を傾けることができませんと胸を張って(?)言える
ネットでアスペ診断なるものをよく見かける。あんな誰にでもそれなりに当てはまりそうな設問ではあるが、やはり当てはまる。むちゃくちゃ当てはまる。病院に行くほどではないが、発/達/障/害の気があるのかもしれないと最近は思い始めた。
人の気持ちが汲めない。人から施しを受けるのが嫌。人に何かを与えることが出来ない。
友達が出来ない…と銘打って書き始めたのにこんなことを言うのも筋違いかもしれない、ただ私はさして他人に興味が無いのだと思う。
一生懸命悩んでいるふりをしているが、世の人は自分の何倍も何倍も悩んで生きているのだと思う。
ただ寝る前に悩みを吐き出してそれを受け止めてくれる人が欲しいと思っているだけなのだろう。
しょうもない大人になってしまって泣けてくる。実際、少し泣いている。
この姿を人前に見せることが出来ない。せいぜい19インチの画面に吐き出すだけである。
情けない悩みだと思う。何より情けないのは、自分がどうなりたいか、それすらも分からない事である。
交換日記でも始めればすべてがうまく回り出すのかもしれない。
限られた土地しかなくても、建物を上下に伸ばせば空間はなんとかなる。
前妻といつ別れたのかか知らないが、収入が消えてしまうような額を払い続けても完済できない慰謝料って意味不明。前妻との間の子どもの養育費ならそれなりの額になるかもしれないが(とはいえ、父の生計が成り立たない額にはならない)、さすがに成人しているだろうし。
単に増田文学だ、という可能性が一番高いが、もし本当なら、「払わなくてもいい金を払いすぎていないか」という点を検討した方がいいような。
例えば殴る、物をぶつける、何かで叩く、刺す。
これ位だけど、大人の喧嘩というと、
同じく殴る、物をぶつける、何かで叩く、刺す。
大人の喧嘩ってのが子供の喧嘩に比べて寧ろ低レベルな気がしてならない。
そう思えてならない。
0000124都心4210000
こうなりつつある時点で都心にある企業は「都心近くは高くて住めない」人を雇えなくなるから、めっさ給料上げて来てもらうか、もしくはオフィスを郊外に移動するしかなくなる。労働者の方も都心で家賃に見合わない給料で雇われるより、そういう郊外の企業に転職する。そうやってバランスが取れるところに落ち着くはず。理想的には。
日本だと、そうさいさい転職できないし、家買っちゃった人がさっさと売って引っ越すってのがものすごく大変だしで、そううまくは流れないだろうなあ。
あと景気が良いと、調子いい企業が「めっさ給料上げて来てもらう」ができちゃうんで、都心近くの不動産価格が暴騰して、そういう調子いい企業に勤めてない人が住めなくなるってことは確かに起きる。サンフランシスコとかそうなってるし。
…それでホントに引き合う話なのか?
それは町中に広がるただの噂。女たち、子供たちがささやく「もうすぐ船を建てるんだって」。
お願いだ、教えてくれないか。
息子が言った「父さん、仕事に行かなきゃいけないみたいだ、クリスマスには帰るからさ」。
それは町中に広がるただの噂。「船づくりじゃずいぶん死人がでるぞ」と言ったせいで、クビになった奴がいたそうだ。
それは町中に広がるただの噂。電報や絵はがき、「もう数週間で造船所は再開」。
…やがて関係者に知らせが届く。再び。そして、
ダイブするなら真珠でも探せばいいはずなのに。いいはずなのに。
(By Elvis Costello ”Shipbuilding”)
○朝食:なし
○昼食:納豆卵掛けご飯
○調子
ちょっと具合が悪くて、横になっていた。
耳の奥がじんじんして落ち着かない。
落ち着いて深呼吸をして、手先が暖かくなるイメージをすると楽になる。
という運動?というか瞑想?というか、を繰り返していたら、寝てしまった。
変な時間に寝てへんな時間に起きたので、生活のリズムが崩れてしまった。
この三連休中にちゃんと治したい。
○テラバトル
15-9までクリア。
これで大体半分ってとこかな、全30章だから。
途中飽きたとはいえ、なんだかんだで楽しんでるなあ。
普段は、とても朗らかでよく笑い、明るい人柄の父親ががらっと変貌してしまう。
母親に一切の否がないとは言い切れない。お互い、いい大人なのだから、譲れない部分もあってのことなのだろう。
けれど、男と女の力の差なんてはっきりしているのに。
最近ある程度の稼ぎができて、思うようになった。
「父親ももう還暦過ぎ。生まれ故郷に帰ってゆっくりすればいいのに」と。
家庭環境は少し複雑で、母親と父親は入籍していない。同居はしているが、住民票は別々。言ってしまえば、他人なのだ。
本人はまだまだ働き続ける気でいるのだから、言えるわけもない。しかし、父親の収入はほとんどないに等しい。前妻に慰謝料を払い続けているからだ。
私の自分勝手な考えなのか、父親のことを考えてなのか、半々くらいかなあ。
年金をもらえるような身分ではない父親である上、毎月払っている慰謝料はたとえ年金が貰えたとしてもそれだけでは賄えない額。
近々、姉が一人暮らしを始める。
金銭面で頼りにしていた姉という大きな存在。
今まで、両親の喧嘩を止めてくれていた、姉の旦那も、当然居なくなる。
私一人になった時、両親の仲裁をできるだろうか。きっと無理だ。子が親の間に割って入ったところで、なんの意味も持たないだろう。しょせん子供なのだから。
ついこの間、仕事から帰ると、リビングにズボンが干してあった。
スマートフォンの使い方も、ようやく覚えてきたとのこと。
この父親は、一人では何もできないけれど、人と居るとつい気が大きくなり、酒を飲み、暴力的になる。
問題提起なんていうけどこんなの何十年も前から指摘も多数の案も提示されてるけど
一向に改善されないどころか悪化してるだけで誰も本気で根本的な解決のための努力なんてしようとしない
理由はおわかりでしょう
約10年ぶりくらいに夫と同じ布団で寝ている。
嫌ではないけど、できたら別に戻したい。
でも海外駐在っていう今の暮らしは仮住まいみたいなもので、部屋割りとかベッドの都合上どうしようもない。
もっと子どもが小さければ「夫&子ども」っていう熱源コンビで寝てもらえるのにねぇ。
さすがに小学校高学年ともなるとお父さんとは寝てくれなくて、1人寝。
たまには私が1人で寝たい。
イビキと体温を感じずに寝たい。
夫は寒がりで、隣に誰かいて欲しいみたい。
私はそれは無理。
夫がいち早く冬パジャマを着始めても、夏パジャマ&扇風機で寝てたくらいだから。
この温度感覚だけは何年経っても慣れない。
子どもがベビーベッドを卒業したらその布団は夫と子どもの布団になった。
私は1人別布団。
あの時の快適さを取り戻したいなぁ。
面白い問題提起だけど、冷静に考えれば実現不可能なアイデア。だって、通勤手当があるから、いまはみんな
1111111都心1111111
みたいに住んでるわけでしょ。それがなくなり、ちきりんの言うように給与形態が変われば
0000124都心4210000
みたいな状況になるわけじゃん。いきなり。土地の広さは変わらないし変えようがないのにだよ?
その結果何が起こるか、分かるよね。そう。住宅不足と家賃の急上昇。そして、少し郊外の不動産の価格は暴落。不動産所有者は、そんな状況に対応できるのかな。そして急上昇する家賃分の上乗せ給与を企業は支払い続けられるのかな。そして、仮にそれがクリアできたとして、それだけの人が住む場所をそんな利便な場所に物理的に増やせるのかな。それに対応する教育施設、社会福祉施設、物流やインフラはそれに対応できるのかな。そんな問題だらけの政策を、誰が支持するのかな。
ちきりんが言いたいのは、「問題を問題と認識し、解決に向けてプランを立てよう」ということで、その考え方や問題提起自体は支持するよ。だけど、このアイデアは残念ながら没だと思う。素直に首都機能の分散・移転の方が、まだ乗れる。