はてなキーワード: 電柱とは
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それほど長い間公開されるとは思えないので、転載させていただきます。
減額ナシは当然のこと 2011年05月13日22:26 東電 退職金など減額検討せず
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1600765&media_id=2
当たり前ですね。
福島沿岸は14mなんて津波は想定されておらず、耐震はもちろん護岸関係も
外部非常電源も国の安全委の最新のデータでは1台で良いとされて
おり、それが機能喪失する確率は1/1000と評価されております。
今回、東電は福島第一において2台設置しておりました。結果として、
それが津波で2台とも喪失しました。1/100万の確率が的中してしまった
これをもし、想定内とするならば、三陸沿岸に国が09年に完成させた
防潮堤の損壊はどうなるのでしょうか?市町村も国も住民も「これほどの
津波は想定できない」と言っております。防潮堤が想定外で原発関係が想定内というのは国民の支持を得られないでしょう。
さて、この国の電力設備の構築には戦中を除けば官の力は一切使われて
いません。
電力会社は明治期に起こった各地域の電燈会社が由来です。その後、
電燈会社が統廃合を繰返し、大同電力、宇治川電力等が誕生しました。
実は、この頃の電力会社は今のような地域独占性ではなく、乱立状態
疲労劣化を招き統廃合が進みます。つまり、日本の戦前は電力自由化
戦中は政府の介入により発送電を担う日本発送電と各地域の配電会社に
再編されました。公社時代を経ている沖縄電力を除けば、電力に官の力が
戦後は日本発送電と配電会社は解体され、1951年5月に今の電力会社が
1地域1社体制で誕生しました。日本の電力の誕生は純粋な民間資本で
起こり、設備は民間力で築かれてきました。官営八幡製鉄所が元の
今の製鉄業、鉱業、運輸業等、今ある大企業のほとんどは官に設備の
さて、話を元に戻しますが薬害エイズ等、民間会社が起した事故であっても
国の基準や運用そのものに問題があれば、国も責任を負っています。
今回も同じでしょう。国の最新の基準を守っていたのは明白なわけであり、
今回はまずは政府が率先して補償する、つまりは税金を投入することが
先決です。原子力事業とは安全に細心の注意が必要であり、そのような
安全を守らせるために国の基準があります。基準を守っておきながら、事が
起きたら「税金の注入は許さない」では、電力会社はリスクだけ負って何も
ペイしない気の毒な存在と言えます。本来であれば免責でしょう。
もし、反対するのなら公的資金で賄われる彼らへの援助、税額控除、補助等を
すべて剥奪すべきでしょう。
”ベンチャー”を崇拝するこの国ですが、その国民が最古の”ベンチャー”を
つぶそうとするその不穏な動きに大変強い怒りを感じております。
到底許されることではありません。
>三陸沿岸に国が09年に完成させた
>防潮堤の損壊はどうなるのでしょうか?
沿岸に、今回の津波に耐えうる堤防を造らなかった国はその地域の
住民を見捨てていたことになるがね。
>今回はまずは政府が率先して補償する、つまりは税金を投入する
>ことが 先決です。
福島や浜岡の件もそうだが国の指針を守っていたのに、その法を超えて
事業者の負担を第一としたり設備を止めさせるのは、民間への政府の
不当な介入であり民業圧迫でもある。
今回のような未曾有の災害の補償、復旧に関わる費用は国民全員で
分かち合って負担するのが復興の原則だと思うがどうかな?
全く同感です。
「国策」として運営されていて、万が一の事故のためにある原子力損害賠償法においても国の責任は免れないと思います。
しかしいざ事が起こった段において民間を前面に出すようでは「国策」の根幹も危ういように思います。
「想定外」に対して何でもかんでも噛み付くのは勝手な思考の短絡以外の
何物でもない。
JALという会社の件は記憶に新しいところだがJALの経営悪化の
核心とも言える整備業を外注という事態になった。これにより
整備技術の流出、技術継承ができなくなり直営技術の低下を招いて
原発は高度な技術の塊でもあり電力事業とは発電(運転)と流通の
連携がとれて初めて成り立つ。それを(事業者として)分離してしまったら連携能力が低下し、こと心臓部の制御技術は組織によって維持されるがそれも低下してしまう。
そうしたらJALと同じだろう。今度は世間の「東電いじめ」による世間による「人災」という名の深刻な事故が怒るね。
そもそも電力は同量発電同量消費が原則であり、メーカーみたいに
そんなリアルタイムで変わる高度な電力需給を支える組織人にそれ相応の報酬や福利厚生は与えられるべきであり、そもそも今の減額された
給与体系ではとても釣り合わない。中小企業とは違うことを誰もわかっていないことが残念な限りだ。東電社員の待遇保護は国としてしっかりやらねばいけないことと思う。
もっとも、この国の住民のほとんどは大企業に冷たい。派遣とか生産性の低い人には生活待遇向上をさせるべきと言っておきながら、エネルギー事業という国策を民間で行っている人には「全財産投げ打て」とか「リストラで処分しろ」と言うんだからな。
栞…つけさせて頂きます
>結果として、
>それが津波で2台とも喪失しました。1/100万の確率が的中してしまった
世の中には確実に予想できることと、計算不可能な不確実な事象が
あることが切り分けられていないことが問題かと考えます。
不確実な事象でしょう。東北では14mを超える津波は三陸海岸にしか
来ていません。その三陸にはさらに高い津波が押し寄せてビントロ巻きさんの
おっしゃるとおり最新の防潮堤をも破壊してしまったわけですが。
何か物事が局所的に捉えられて全体を見渡した議論がされていないことは
気がかりです。
あの…電力喪失は津波が原因じゃないって事は、既に語られてるんですが?
で
最初に語ったのでしょうかね?
何点かご見解をお聞かせいただきたく。
・震災直前に、33機器の点検漏れ(しかも半年から11年もの漏れ)に関する報道がありましたが被害拡大の要因としての可能性はどのようにお考えですか。
・ステーションブラックアウトの後の電源車手配(の不足)、および作業の失敗が伝えられましたがこの点についてはどのようにお考えですか。
・ベントの指示から実施までの時間についてはどのようにお考えですか。
・海水注入についても東電の判断の遅延を指摘する向きがありますが、この点はいかがでしょうか。
・かつて2002年にはシュラウドのひびさえも隠蔽する事件がありました(発覚しました)。今回のステーションブラックアウト以降の被害拡大について、国民のどれほどが東京電力を尊重するとお考えでしょうか。
・法的責任以外の道義的/社会的責任についてはどのようにお考えですか。
尚、くれぐれも邪推はなさいませんよう、文章そのままにご理解いただけますようお願いいたします。裏は一切ありません。これらの点について、ご見解をお聞かせ願えますか、とだけ申しております。
根拠のない暴言はやめてもらいたい。
・電気野郎さん
貴重なご意見ありがとうございます。
三陸の防潮堤との比較について補足ありがとうございます。
されていました。が、どこかの○主党とかいう党(別名・公共事業
・低気圧(;・∀・)さん
JALもそうですが本来、公共インフラを担う場合、一組織が運転・保守・
必要です。一見関係なさそうな営業も供給の受付には配電線容量や
引き込みの電柱の調整など流通部門、設備保全部門との調整が必要に
なります。つまりは全てが繋がっています。それを切り離そうなんて
言語道断だと思います。これでは設備のわかる営業や、発電のわかる
設備屋が育たず、結果として未来の電力需要と供給力の刷り合わせが
・なごやんさん
今は物事が一方的な視点から強引に検証させられている気がします。
でも、一番問題なのはハード面の対策(原発の安定化)を鋭意行ってい
る東京電力の支援をしっかり政府ができていないことが問題です。
東電は福島第1原発の復旧および運転再開(廃炉前提の5・6号機の再開は
必須だ)で手一杯なので、避難住民への補償といったソフト対応は政府が
主導となって迅速に行わないといけないと思いますが。
・ZYX@まも~さん
まだ検証も途中なのに、非公式な談話を持ち出すのですか?
それと、私は「結果として、それが津波で2台とも喪失しました。1/100万の確率が的中してしまった 」と書きました。1/100万という確率は飛行機墜落事故で死ぬ率より低いんですよ。
仮にこれが津波が原因でないとするならば、偶然にもこの確率が当たってしまった東電にとって不幸な出来事になりますな。ならば、
なおさら公的資金による補償をしていただかないと国民世論はおさまりません。
・とりすさん
>ステーションブラックアウトの後の電源車手配(の不足)、および
>作業の失敗が伝えられましたがこの点についてはどのようにお考えですか。
原子力発電所の第一関門は「止める」です。まずはこれに注力ですな。
電源車の不足といいますが、電源車は足りていました。ただ、原発と
外部を結ぶ特高送電線鉄塔が損壊したことにより外部電源が絶たれました。 外部電源が絶たれたので所定の電源車では足りなかったわけですね。
ところで近年中に発生するとされていた宮城県沖地震の想定Mは最大で
7.5でした。つまりは阪神大震災のチョイ上ですな。この程度なら
鉄塔は損壊しません。が、今回はどの地震学者も予想していなかった
M9でした。エネルギーに換算すると阪神大震災の1000回分です。
このような予想不可能な現象の発生により外部電源が絶たれ、これこそ
>・ベントの指示から実施までの時間についてはどのようにお考えですか。
適切ですな。放射性物質を外部に出すのは相当慎重な判断を要求されます。
ベントの指示の時間を言及される方がいますが、これは政府の周辺地域の説明等の手際の悪さなどが原因です。東電はとばっちりを喰った格好です。
もし、根回しに時間がかかるのなら、「放射性物質拡散についてのいかなる損害や補償も現政権が公的資金の活用によって責任もって対応する」と事前に東電と確約を行えば良かっただけです。
>・海水注入についても東電の判断の遅延を指摘する向きがありますが、この点はいかがでしょうか。
海水注入は炉内に塩分を固着させることにより、その後の冷却系統の接続等に支障をきたします。そもそも非公式とはいえ、政府に事前に淡水をろ過する大型ポンプの提供の申し出を行った企業があったにも関わらず、海水注入にこだわった現政権の手際の悪さが原因です。
淡水による注入を上空もしくは地上から行っていれば、水素爆発も
免れたでしょう。残念です。
>・震災直前に、33機器の点検漏れ(しかも半年から11年もの漏れ)に関する報道がありましたが被害拡大の要因としての可能性はどのようにお考えですか。
>・かつて2002年にはシュラウドのひびさえも隠蔽する事件がありました(発覚しました)。今回のステーションブラックアウト以降の被害拡大について、国民のどれほどが東京電力を尊重するとお考えでしょうか。
意図的に結び付けようなんて考えないでくださいね。33機器の点検漏れがあっても、原子炉の停止および冷却系統は地震発生当初稼動していました。件の発電機も稼動試験では正常動作しています。
国より補足で出ていますが。私個人としては、こんなことを攻め立てる
国民はおかしいかと思うね。機能や時点で最新の基準と照らし合わせた検証で事実上問題なければ、法令の逸脱による説明を東電に求めるのは
ありですが、それを処分までして原発を全部停止なんてのはありえない判断だと思います。
これについては当時の旧福島県知事の対応が諸悪の根源でした。一地方県知事の意見によって国策の原子力を止めさせるなんて暴挙以外の何物でもない。
ところで、たしか、この知事って汚職か何かで逮捕されませんでしたか?
今日はここまで。
僕は超がつくほどの音痴だ。
中学生の頃、一人ずつ順番に前に出てドレミファみたな発声練習をさせられるんだけど
いつも僕の番でつまづいて、みんながクスクス笑っててすごく恥ずかしかった。
好きな子の前で何度も何度もやり直しさせられて惨めだった。
そいで社会人になると接待や忘年会なんかでカラオケなんかも連れて行かれたりして
「よし、まず増田おまえなんか入れろ」
みたいな流れになったりするんだけど、それが嫌でいつも1次会で逃げてた。
音楽は好きなんだ。
歌う事もほんとは好きだ。
もっと大きな声で歌いたい。
「鼻歌でも音痴なんだねwww」なんてできれば言われたくない。
昔は一つだけ願いが叶うなら「歌を上手にしたい」ってお願いするって本気で思ってた。
今はくだんないと思うけどね。
耳(インプット)に入ってくる音が、正確に聞き取れてないから音痴なの?
声?喉?声域?声量?(アウトプット)がダメだから音痴になるの?
ちょっと歌と話がずれちゃったけど、SMAPの中居さんているよね。
彼はもう20年近く歌を歌ってきて、練習も常人じゃ考えられないくらいしてると思うの。
でもあのレベルなんだよ。いや僕からしたら旨いけどね。でも言いたい事わかるでしょ?
自分が歌ってる時、音ずれてんなーとかわかってるつもり。
バックリ言うと僕は芸術関係の学校に進学したんだけど、そこで学んだことは
絵の上手なヒトと下手なヒトは見えてる情報が圧倒的に違うってこと。
同じコンクリートの電柱を描いた時に黒と白の絵の具しか使わないヒトと多彩な絵の具を用意するヒトがいる。
音楽を聞いててもちゃんと聞き取れてるつもり。
でもやっぱり違うのかな。
わかんないんだよねぇ。
あとね、最後に同じような悩み抱えてるヒト。
僕が言うのもおこがましいけど気にすんな。
いかりや長介さんが言ってた。
「ヒトには笑われていろ」
カラオケで散々今までの鬱憤を晴らすようにダミ声でクソ音痴な歌で精一杯歌ってる。
コソコソする必要ない。
「オンチが一発目いきまぁっす!!!」つって自分から歌ってる。
すっげぇきもちいい。
みんな誘ってくれる。上司も「おまえいいなぁ最高だよ」って言ってくれる。
ただし、曲のセレクトはいつも明るくて盛り上がって誰でも知ってる、しかもちょっと短い曲を選んでる。
歌唱力で売ってる歌手の曲はだめだ。
平井堅さんとかは無理だ歌いたいけどそこは己を知るってことで我慢してる。
それで悩みが消えたわけじゃないけど、とりあえずハッピーだ。
事故の町内の者です。何十年も一日中自動車を路上駐車していて、近所とトラブルになっていたんですが、逆に抗議されるので、腫れ物に触るような感じで過ごしていました。
昔、近所のオジサンが警官を呼んで自動車を何とかしろと頼んだんですが、警官に「差別だ」とつかみかかっていたこともあり、皆が恐れていました。近所ではやっぱりあの方かという感じです。亡くなった先生があまりにも可愛そうで涙が止まりません。トラックはゆっくり走っていたそうですが、倒れた瞬間にお腹をひかれたみたいです。その中学にはやんちゃな生徒が多く、校門で登校指導されていたり本当に熱心な先生でした。事故現場は花束で山ができて、生徒さんが泣きながら手を合わせています。補償なんでしてもらえないでしょう。
人権を振り回す前に、社会人としてちゃんと行動をして欲しかった。こんな若くて素晴らしい先生の命を奪うとは…。
こんなこと書くべきではないのでしょうが、真実を伝えたかった。
わざとやったのではないでしょう。また、反省もされていることでしょう。
でも、それは西陣という旧市街の広くない道路を駐車場のように使って、人の意見も自分に対する差別だとすり替えていたので、必然的に起こることだったのです。
警察が逮捕しなかったのは悔しいです。逆境で苦労されたでしょうし、訴訟を起こしたりされていました。
でも、自分の人権を言うならば、少しでも他人の人権に心を向けて欲しかった。差別は醜いことです。
この事故で、私も隣人として恐れず注意してやめさせなかったことに重い責任を感じ、毎日暗澹たる思いで暮らしています。
場所は五辻通の智恵光院を少し西に入ったところです。加害者のことはもうどうでもいいので、これをご覧になった方は、彼女のために、電柱の横に小さな花か飲み物をお供えいただけませんでしょうか。
アメリカの回線会社はもっと酷いけどな。内陸部の田舎で1Mbpsの回線引くのに半年くらいかかったよ。
手続きが早い所も多いけど、そういうところに限って凡ミス連発。書類の送り先を間違える程度なら良い方で、送ってもない書類を送ったと言い張るし、安い回線はしょっちゅう切断される。YouTubeでちょっと長い動画を開いても、最初の1、2分で回線切断→リロード→最初から読み込み開始→また1、2分で回線切断の繰り返しで最後まで見られない事もザラ。数年前にハリケーンで電柱が倒れて繋がらなくなったとクレーム入れたら「じゃあ電柱の買い換えと補修費、しめてx千x百ドルお前が出せ。こっちは慈善事業でやってるんじゃないんだ」とか言われる。そんな業者が顧客満足度全米1位をずーっと獲得してたりする。
池上さんを見ていると、年金にしろ保険にしろ保育園にしろ、なんかみんなうまくいかなくて嫌な感じになってきてしまう。
金の問題でもあるから、ここらでこれまでと違った思い切った転換とかできないかな~。
名目は賠償金だろうが援助だろうが、なんでもいいので巨額を出す。ただし、その金を使うには日本を経由したり日本企業と合併事業とする。
農業改革、産業改革、社会資本整備、資源開発……全てをいっきにやることを目指す。
日本の友好国である限り、体制なんか気にしない。相互防衛協定とかだってあっていいだろう。軍事的に信じられないなら、お互いに駐屯する基地を持ち合うとか。韓国に追いつき、追い越させる。中国よりも、日本に接近してもらう。
電柱埋設、電気自動車、自動運転な車が走る道路とか。何があったか思い出さないけど、少なくとも今はまだSF的未来社会になってないので、そんなところを無理やりにでも目指すと刺激になるんじゃないかな~とか思う。
・手を繋ごう
・イケメン様だとしても出会いが0ならずっと一人身
・つまり異性と出会う機会は多いにこしたことはない、どんな出会いであれ機会は重要
・出会いに飢えてる女の子は多い
・気に入れば出会い、気に入らなければ迷惑な人
・断れない女の子もある程度の割合でいる
・肌の綺麗さを結構女の子は見てる(雰囲気要素の大きな一つ)
・女の子にしか見えていないモノを気を付けてみるようにしよう。見るつもりがないと見えない、本当に
・他人の視線なんぞ気にしなくて良い
・最初に打ち解けるまでは話をする時は明るい場所で
・異性として意識させたりエロい雰囲気にするには暗め。なおかつ出来れば距離が近い場所で
・ファミレス等の対面の席でも出来たら隣に座ってしまおう、最初は難しかったら話を盛り上げて途中から隣に座ってしまおう
・とりあえず隣をとれ!
・男がいいと思ってても女の子には受けていない事が結構ある。逆もしかり。
・とある話に対しての反応は大体同じ、つまりある子にウケるネタは大体皆にウケる
・ネタを増やそう
・この世はネタに溢れている、毛布一枚、電柱1本あるだけでもネタだと捉える事が出来ればネタになる
・相手を落として自分を落とすな
・意味のある落としをしろ
・いじってあげよう
・モテない奴はもれなく改善していない、色々怠りまくり、本人は気づいていないけど
・素のままで気に入られる、気が合う、なんてまれ、ってかないよ。
・何もせずに気が合う相手が~ってどんだけ自己評価高いんだよ
・動かなければ何も得られない
・ただ生きているだけでは貴方の価値は一日分下がっている
・考えて動けないなら何も考えるな、考える事は全然偉くない、むしろ考えるだけでやらない奴はお馬鹿ちゃん。動いてから考えよう
・実力は後からついてくる
・奇抜や派手な服装なんて誰も求めてません
・服装や髪型は一緒に歩いている人のためにするもの
・相手の望む異性像は何かをしろう
・女の子は容姿が気に入らなくても好きになっちゃう事は多々ある
・付き合うだけだったらお金や身分なんて関係ないよ
・お前ら女はクソっていうけど女の子は基本優しくていい子が多数だよ
そいつらよりもっと凄いのが
何故かこんな話に「右翼」を見出しちゃってるrosalineだと思うが。
rosaline これはキモい イッちゃった右のヒトが「ヤスクニのエイレイ」「セカイイユイイツのバンセイイッケイ」とか言うのと同じ匂いがする/他者の栄光を写し取って自分の過去に貼り付けて何の意味があるのやら/しかも現実ですらねぇ! 2010/11/17
こいつとこれに☆つけてる
white_rose
fusanosuke6789
hitamimito
david-rice
左翼とか政治思想オタクも度が過ぎるとここまで思考に障害が生じるのか~
と思うと寒気がする。
ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。育った町は関東に位置している田舎だった。電車に乗れば東京までたかだか一時間半か二時間程度の場所だったが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならなかった。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機で切符が買えなかった。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バスも早くて、夕方が差し迫ってくるともう乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。
電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げて田んぼに水を注ぎ込む小川も、稲穂の上を渡る金色に光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも遠く、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかなくて、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンもみな忌み嫌っていた。
私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。
高校を卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住処を確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日何時間もかけて都会へと通った。
私は住処を確保できた幸運な一人だった。山の手の静かな住宅地の中の、学生用の古い汚い部屋でも、私にとってそこは「トカイ」だった。駅に着くまで田畑はなく、家々は軒を並べ、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈は一定の間隔で並んで闇を追い払ってくれる。都会には月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心があった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。
都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミかミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、蚊に食われたといいながらよくベンチに座って、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。
田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅、サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているのに、どこかに必ず境目があって、境界付近で二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然は存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。
山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから、東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、それだけで田舎だと言っているけれど、田舎はそうじゃない。
コンビニには車で出かけなければならないことも、コンビニは農協のようなものだということも、、新製品は何か月もしないとおかないような、そのくせいつからあるのかわからないような商品が段ボールで積み重ねてあるということも、あなたたちは知らない。発売と同時に新商品を手に取ることができる喜びにあなたたちは気づかない。駅と駅の間が近くて、自転車で行き来でき、一つの場所に店が集まっていないせいであちこち足を運ばなければいけない不便性は田舎のそれとは違う。
大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎、邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎だ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景をあなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的地から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしないのが田舎だ。あなたたちはそれを知らない。
盆や正月に田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかないから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野も秋葉原も新宿も池袋も渋谷も原宿も東京も丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。
ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものだから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的に合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。
ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方のサービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせちの材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのにおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。
そうして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。私はABABでいいものがあれば買うし、同じようにしまむらで掘り出し物があれば買う。田舎よりも安くで手に入れることのできるものは都会で買い、田舎で安く買うことのできるものは田舎で買う。どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想でしかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだ。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイ」のものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。
「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想でしかない。幻想でしかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときのトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ。
私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。
記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。
父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証の本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。
引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルドも本屋もミスタードーナツもある。旧市街地は門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。
バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置している新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに行った。
父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分で都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校も私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙な時間的距離は苦痛だったのだろう。
子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。
そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。
祖父母にとって東京は得体のしれないところだった。彼らは東京駅で人込みの歩き方がわからなくて、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。
たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京にイオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列のショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。
あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウンの生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想に右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。
私の住む東京と千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内とはいっても下町だからここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎を志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。
それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。
「こちらは防災大和です。大和市役所からお知らせがあります。昨日17時頃放送しました3歳の男の子の行方不明者は見つかりました。ご協力ありがとうございました。」
ああ、そいつはよかったな。
この町に引っ越してきて驚いたのは、定期的に通るうるせー軍用機の音と、うるせー防災放送があるって事だった。
渋谷新宿まで1時間以内、余裕で通勤可能域。「神奈川都民」が沢山住んでいる町なのに、電柱からの田舎っぽいスピーカー広報。役所の職員がそれまで住んでいたところの役所とちがってひどく腰が低く丁寧、休日窓口もやっていたのも驚いた。
家賃の安い町だからか、東京へ時間的に近いからか、基地が近いからか、いろいろな言語を話す外国人が闊歩している。この町はどこかアンバランスなのが少しおもしろい。
防災放送では大体において徘徊老人がいなくなった放送が多い。割と深刻そうなので周囲を見回すけど、見つけたことはない。
こないだ笑った放送は
「本日10時半頃からa町にお住みのbさんの行方がわかりません。服装は紺色のスカートに白いブラウス、赤いネクタイをしている女性で、年齢は17歳です」
いつもの定型フォーマットだけど、よく考えて個体識別できる特徴を言えよ。あとそれ女子高生が学校ちょっとふけただけだからきっと。
家庭ゴミ収集業者だけど質問ある?
http://b.hatena.ne.jp/entry/workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-2939.html
で、
後ろにしがみついてるの寒そうだけどカッコイイと思うようん
ありがとう
けどあれ必死なんだぜ
何度か振り落とされたww
とあったけれど、あれは違法のはず。わたしも以前にこの仕事をやっていたけれど、上が結構うるさかった。ウチの地方では通称「セミ乗り」だった。
道交法上問題がある上、電柱に叩きつけられたりして死者が出たらしい。
あとゴミを拾って帰るのも占有離脱物横領で違法。勿体無いしこの法律がどうかしていると思うけど、これも上はうるさかった(でも持って帰るヤツはいる)。
ボンベ爆発はなかったけれど、大型ごみでテレビを潰す時は注意が必要(画面を奥か下に向けないと危険)。
ゴキブリとかは全然平気になるけど、大量のウジとかはきつかった。街中のゴミは軽いし楽チン。田舎は濃厚。
パッカーで潰す時に爆発して飛び散ることがあって、これで生ごみ頭からかぶると厳しい。まぁ危険さえなければ汚いのなんて慣れるけどね。洗えば落ちるようなものは問題ない。
男女を問わずできるけど、女は20キロ以上のものをかついじゃダメとかで大型ゴミは法的にNGと言われた(でもやったことある)。ちなみにわたしは女。もちろん女はほとんどいないが、キャラ的に問題なかった(バイト)。
生ごみは昼過ぎに仕事終わるし楽だった。夏場は体力要るけど、汚いのさえ慣れれば時間短いし普通の肉体労働よりずっと楽だと思う。
それだけで日本は良くなると思うんだ。
電線、電話線、光ファイバーが張り巡らされた電柱を見て、自身を投影している人間は多いはずだ。
これがなくなったら、気分もすっきりすると思う。
車道にあることによって、歩道が広くなり、車は気をつけて走るので事故も減るはずだ。
そう歩道もひどい。
人口密度2,000人/km^2以上のところは、歩道の広さは車道並みにないといけないはずだ。
そうそう、法人税なんてやめよう。
あれは節税のためにあるようなものだ。
知り合いの大家なんか、税金を節約するためにさらにアパートを買い、それがさらに儲かって、という金持ち父さん状態だ。
ま、このへんでやめとこう。
単なる思いつきである(と、最初に逃げておく)。
よくある言説だ。「日本の街並みは汚い、欧米の街並みは美しい」という言説。
2chのネトウヨもそれは認めざるを得ないようだ。いくら「電柱の趣が……」と言ったところで、日本の街並みが雑多であることは否定できない。
さらに言えば、東アジアの街並みは日本に似ているという話は良く聞く。
平たく言えば、何か安心する雑多な街並み。
単なる印象論だが、それは、ウェブデザインにも通じるところはないだろうか。
例えば、楽天に出店している店舗のページを見ると、雑多な印象を受ける。
あざといとも言える広告のようなページだ。
印象論ということを前提に呼んでいただきたいのだが、その点、欧米のオンラインストアのページは洗練されたスマートなデザインの様な印象を受ける。もちろん、欧米でもアダルトサイトは、例のごとく、迷宮のように雑多なデザインの所が多いけれども。
それで、街並みとウェブサイトが類似している点がないかな、というのが私の思いつきだ。さらに思いつきを続けると、日本の街並みとウェブサイトが「雑多」にならざるを得ないのは、「漢字」の存在が大きいような気もする。漢字は象形文字的側面が大きいので、(アルファベットに比べて)表現としてダイレクトなのだ。例えば、日本語に「ひらがな」しかなかったのならば、日本でも欧米のようにスマートなデザインが嗜好されていた可能性もあると思う(もっとも、基本、ハングルだけの韓国の街並みは雑多なようだが)
「雑多」なページというのは、ある意味で下品なんだろうけれど、逆に安心できたり、(ドンキホーテの商品の並びように)ワクワク出来たりするデザインである。名前の通り、「雑多」だということは、様々な価値観が入り交じっているということでもあり、許容できる価値観の幅が広いということだ。多分、そこ人に安心感を見出すのだろうし、頭の悪さという意味での敷居の低さを感じるのだろうと思う。
反対に、スマートな美しいデザインのサイトで要求されるのは、「何をどう割り切るか」というセンスであり、その結果としてのシンプルとユーモアであろうと思う。グーグルやアップルはこちら側の代表例だ。こちらも主に人類の普遍性という意味で敷居が低い。
私は個人的には「万人に共通する絶対的価値観」という物はないと思っている。
ある個人として信奉する「絶対的価値観」が真実に近かったとするならば、必ず、それと反対側の価値観も真実に近いと思っている。
だから、両方の価値観を知らないと、世界全体を俯瞰することは出来ないのではないかと思う。
(もちろん、これも一つの価値観なのだが)
もし私の考えが合っているならば、日本がインターネットでグーグルに代表される米国IT業界に対抗するには、「雑多性」を追求するべきなのかも知れない。
実際、グーグルは「インターネットの情報を整理して見通しを良くしよう」としているように見えるが、最近、元気なGREEなりmixiなりモバゲーなりは、「(いろいろなサービスがごちゃ混ぜになっている、デザインが野暮ったい等の)雑多性」もそうだが、「(グーグルの検索に引っかからない)SNSという仕組みでネットの見通しを悪くし、多様な価値観を許容出来るような方向性」を目指しているように見える(大体、検索の性能が良すぎるから、自分と意見の違う人間を見つけやすいのであって、争いが起きやすいのであって、殺伐としやすいのである)。
すでにウェブ上に落ちているアイディアかも知れないし、そんなに大した話でもないのだが、何か日本におけるウェブサービスの収益化のヒントになると嬉しい。まあ、増田に書いたところでどれだけの業界人が見てくれるかは分からないけど(自分のブログに書いても誰も見ないだろうしなあw)。
中学生の頃、街の方のカラオケに行ったとき鍵をかけないで駐輪場に置いてたら軽く盗られた。
危ないのは承知だったから盗られたときはやられたなーって気分だったけどいざ帰ろうってなったら本当に憎くてたまらねえ。そもそもなんでお前は交通手段無しで遊びにくるんだよって思う。
その日は放置ステッカーの貼られた前後輪パンクしているチャリを盗って行った。
このときの行動をよくその場に居合わせた一人に色々といわれてしまう。
そいつと遊んでいてまた自転車また盗まれたんだけど(鍵付き、100均のだけど)
やっぱり同じ報いがあるんだね、というようなことを言われた。
何がムカツくかってそういう因果応報的な物の言い様が気に食わなかった。
自分が歩んだ道を辿ると積み重なった悪事がここにきて人生にとどめを刺したかと後悔するのは良い。
ただこの件、俺は何の微塵も悪いことをしてしまったと感じることが出来なかった。
それは普段からパンクすれば道の脇に捨てた自転車、金網越しの山に捨てた旧型テレビに棚や炊飯器を目にするたび
置いていかれた側の処理の面倒なんて何も考えていないやつらが憎かったから。
窃盗と不法投棄を一緒くたにするのは別に話にして、この不法投棄をやったやつらは
自分がいざ捕まれば、
他のやつらも捨ててるから俺も捨てた。だってみんなやってるじゃん。
なんで私だけ?ってな物言いの万引きやって捕まった女子高生のような意見だからだ。
それと比べて
俺も盗られたことがあるから他の人も同じ目に遭ってしまえってやつ。
でもこれほとんどいないと思う。
自転車自体が基本的に低年齢層の移動手段だからかも知れないし自転車を盗まれるということが日常的なものだからか分からない。
そんで平気でやってるって点は変わらないけど家財道具を夜な夜な持ち運んで
捨てるなんてのは計画的かつある程度の移動手段を持っていないとやれないことだ。
くわえてそれは二十歳そこそこの若い夫婦世代ではなくて
前述したとおり時代を感じる家財道具。
40、50のそこそこの家庭を築いてあるはずであろう夫婦世代。
そこら辺に紙くず食べくずを捨てるっていうことに何の疑問を持たないやつらなんて糞食らえって。
だから、というか俺はむしろ良いことをしたという感覚すら当時はあった。
ただパンクしたから捨てた、そんなふざけたやつらのケツをぬぐった上、環境にも良いとか。
今考えると勝手な話だったと思うけど知恵袋で前に質問したらたった一人の回答者は
「それが、もしあなたの自転車ならどう思いますか。
しかも自分の物を我が物のように使用されていたとしたら許しがたいのではないかと思われます。」
最初見たときは
「だから不法投棄したやつのこと聞いてんだよ何で俺がそんなゴミクズ野朗の気持ちまで考えないかんの。」って思ったけど
俺が勝手にこれはゴミクズ野郎が不法投棄した自転車だと判断しただけで本当は盗まれた人が別にいるのかもしれない。
パンクはただ単に月日が経って自然に抜けただけなのかもしれない。
こんなくだらない話を書いたのを昨日の土日に部活の大会で天神に行った時、
街の途中でフライヤーとはいえないけど電柱に巻きつけられたポスターを見つけて
いつも気に入った絵のイベントフライヤーを剥いでたから町の中心で剥いだ。
ただお前それはいかんやろう的なことを言われたのでなんでだよと思った。
もう書くのだるい。
それこそひたすらに俺は何も悪くねえ、何にも悪くねえよ。と喚いてるだけにしか聞こえない。
こんなもん勝手に張ってるんだから、勝手に剥いでもらっていいんだよバカッてことしか言ってない。
しかもそれはMUROが言ってた
「向こうに行ったら街中のフライヤーをチェックしな」ってやつを真に受けたバカだと思う。
あと、最近ハッとした瞬間は、クラスのやつが万引きで停学になって色々話してたら
万引きなんてやったことあるわけねーだろバカ派に対して
「絶対やったこと無いなんて言えるやつはいない。物心付かない頃に無意識でやってることだってある。」っていう意見があった。
そう俺のこと。
http://www.h2.dion.ne.jp/~hkm_yawa/kansou/iihito.html
風ニモマケズ
欲ハナク
決シテ目ヲ開カズ
イツモ静カニ笑ッテイル
日課ノじょぎんぐ欠クコトナク
靴トミンナノ幸セ思イ
アラユルコトヲ
ヨク見聞キシナガラワカラナイケド
ソシテ悪気ハイッサイナク
街中ノ道ノ電柱ノ陰ノ
小サナ雑草ニモ気ヲ配リ
東ニ道ニ迷ウ子供アレバ
行ッテ自分モ迷イ
西ニオロオロスル婆サンアレバ
行ッテソノ体ヲ背負イ
南ニ失恋シタ人アレバ
行ッテ妙子ノ失敗談ヲノロケテ言イ
ツマラナイカラ楽シモウト言イ
苦シイトキモ微笑ンデ
哀シイトキモ微笑ンデ
トキドキイイコト言イマシテ
タダノバカデハアリマセン
ミンナニいいひと。トヨバレ
ホメラレモセズ
苦ニハサレルカモシレナイモノノ
ソウイフモノニ
ワタシハナリタイト思イマセンガ
ソウイウ人ガ近クニイレバ
キット毎日愉シカロウケド
小サナオ店デ靴ヲ売ル
真摯ナ姿ヲ
見テミタイ
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/national/update/1210/NGY200912100006.html]
記事自体は、
id:koabe: この手の「こぼれ話」って昔から紙面に載っているけれど、あまり知られていないのかなあ。
という感じの話。方言が裁判官に伝わらなくてビミョーな雰囲気になったという、審理の一コマを描いただけのもの。
ブコメも、当初は記事と同じような、方言にまつわる感想文が並ぶ。
最初に出てくる朝日叩きはこれ。
id:gingin1234 どうでもいいが、記事にするようなことか? 2009/12/11
このブコメが基本的に的外れなことは、冒頭に示したブコメが端的に表している。新聞記事は大事な事件以外載せてはいけないというものではない。
が、まぁ、id:gingin1234はマジメな人で、新聞には真面目な記事しか載せちゃいけないと思っているのだろう。
id:kyo_ju 司法, 日本語 どういう意図でニュースにしたのかよくわからない。裁判官は何でも知ってて当たり前とでも?/聞き返すときの態度の悪さが目立った可能性もあるけど、記事の描写だけではそこまで伝わってこない。 2009/12/11
ここに至り、「ニュース価値が無い」という感想文に、「朝日が裁判官を叩いている」という前提が付与される。(だからこそ、「とでも?」と、これをニュースにした記者に対し攻撃的な口調が取られている。)
が、この新たに登場した前提は伝染して行く。
id:mustelidae 自分が知らない言葉に出くわしたときのこの裁判官の態度が不快な感じだった、ってことかな。 2009/12/11
裁判官の態度が不快な感じだったという記事を朝日が書いているかのような感想。
id:manysided law, 裁判官 方言ならまだいい。女性の服装とか全くわかってない裁判官がわんさかいる。破くの趣味で安物ストッキングしか知らないだろう変態裁判官=長谷川憲一。再犯するだろうに、許せない。マスコミこういうのを問題視しろよ 2009/12/11
このニュースの記者自体を叩いてはいないが、ここに来て記事が「問題視」であることが明白に暗示されている。当初は「ほのぼの記事」として読まれていた記事が「的外れな問題視報道」という問題報道として読まれるようになる。
以後のブコメには、留保無しに、問題視報道を問題視するものが散見されるようになる。
id:delcoss 被告人供述は公文書として調書化されるんだから標準語ではっきりさせたんだろ 当たり前の行為だ 2009/12/11
「当たり前の行為だ」という表現から、「当たり前の行為をあたかも問題であるかのように報道する朝日新聞けしからん」というニュアンスがありありと読み取れる。「だろ」「だ」といった断定的な語尾が、記事に対して向けられている。記事に描かれた事象に対するブコメの多くが軟らかい表現を使っているのと好対照を為している。
id:koganei_hyogo 法曹, 裁判官 さすが全知全能の朝日新聞社様は言うことが違いますね。 2009/12/11
なかなか性格の悪い言葉遣いをする人である。「朝日新聞社様」は何も言っていないのだけど、id:koganei_hyogoの妄想は止まらない。勝手にメタな読み方を始めて勝手に怒りだす、はてな脳の見本のような行動だ。
id:SL230 一般ニュース, よくわからん 分からないから聞いた裁判官の何処が悪いんだ?分からずに進められる方が問題だろ。 2009/12/11
タグに「よくわからん」とあるが、自分の妄想を「よくわからん」と言われても困るだろうに。
そこでスルーしなかった裁判官の姿を描いただけの記事なのだけれども。
id:sinngetu language "庶民にとって当たり前の言葉すら知らない浮世離れした裁判官"的な記事にしたかったのかしら 2009/12/11CommentsAdd Star
というような記事だということにしたがっているはてなブックマーカーが多いのです。
id:waterperiod NDC8, 言語, 岐阜県 方言知らない=よそ者=排除or見下して良い、という思考チャートの黙認。なんか嫌。 2009/12/11
id:waterperiodの言うような思考チャートは、一部ブコメの仮想敵はともかく、記事には無かろう。新聞記事=問題視報道、という思考チャート。
id:Nigitama でっていうwww 「この記事の意味が理解できるのは記者とデスクだけ、ネット上で問いただされる」 2009/12/11
実際には、初期のブコメは普通にこの記事の意味を理解できている。まぁ、この記事の意味を曲解するのはid:Nigitamaだけではないので安心すれば良い。とりあえず増田上で問いただしてみるけれども。
どこに記者の無恥が曝されているだろうか。ブコメがかえって自身の無智を曝しているのが香ばしい。
id:straymind *社会, 司法 「高学歴で転勤族で居丈高でアドバイスしてくれる友達も同僚も居ない裁判官と司法業界ってほらね。こうね」っていう物語でも作りたいんでしょう。 2009/12/11
「マスコミってほらね。こうね」っていう物語がブックマーカーによって共同製作されている。
裁判官が正しい行動をしたことを記事にして何が悪いんだろうか。で、こういう勘違いブコメに☆がたくさん付く。
id:kaeru-no-tsura 方言 「デンシンボウ」は知らんなぁ。で、電柱のことなの? 「デンシンバシラ」なら言うけど。この記事、裁判員制度特集の中に入れられてるけど何が言いたいの? 転勤続きの裁判官は地方の事情を知らんからダメって話? 2009/12/11
何が言いたいか解らないなら、何も言っていないと思えば良いのに、なぜストーリーを作りたがるのか。
id:nornsaffectio 報道, 司法 すでに複数指摘があるが、この場合問い質されない方がまずい。そんな当然のことをこうして記事にしちゃうあたりに、大新聞の相変わらずの司法リテラシーの低さを感じた。 2009/12/11
まずいまずくないは記事で触れられていない。ただの三文記事に真顔で反論する当たりに、メディアリテラシーの低さを感じる。
id:hotspot0621 裁判官の場合は全国転勤もあるし。朝日新聞は何が言いたいんだ。そんなに記事がなかったのかな?新聞社の記者は「全国の方言に対応できる」ってか? 2009/12/11
正解(「そんなに記事がなかった」)が解っているのに、なぜわざわざ誤答を妄想するんだろうか。
id:citron_908 news, ネタ 転勤族の悲劇(?) / 転勤がなければないで「楽してる」とか批判され、転勤で方言が分からなければ世間知らず扱いっていい加減にしてくれませんかねぇ。引越し貧乏の果てにこんな扱いじゃ報われませんって 2009/12/11
これをここで敢えて挙げるのは間違いかもしれないのだけれども。記事が「世間知らず扱い」していることに憤っているとも読め、その場合は一連の誤読者と同じ悲劇に陥っている。
id:gokino2 朝日の敵が未だ公務員であることがよくわかる記事。/わからないことを聞き直せない社会の方が恐ろしい。ましてや法の知識でもなく言葉の確認じゃないか。犯罪者や被害者を理解しようとすらしない裁判官を記事にしろ 2009/12/11
id:gokino2が朝日を敵視していることがよくわかるブコメである。三文記事が書けない世の中は恐ろしいし、この三文記事を、「犯罪者や被害者を理解しようとすらしない裁判官」の記事と同列において評価してしまう人がいるというのも恐ろしい。
こうしてみると、当初はただの三文記事として読まれていた記事が、「頭の悪いマスゴミ」という気持ちのいいストーリーを示すブコメに乗せられ、マスゴミの頭の悪さを示す記事であるかのように読まれるようになっていったことがわかる。
こういった気持ちの良い物語に流されないのがメディアリテラシーではなかろうか。最後に優れたブコメを示して終える。
都会は縦・田舎は横、というイメージ。高層ビルがにょきにょきしていてつい見上げたくなる東京と、木や民家より大きいものは山と電柱しかない茨城(水戸じゃないもっと田舎の町です。地方都市じゃなくてごめん、それは分かんない)。人間関係も縦と横。
昼は東京、夜は神奈川で生活していて、茨城に行くと空が広いなーと思う。ゆったりする。そーら がぁー ひっろーい、なぁー ていう感じ。開放感! 空気が土臭くて時々牛臭くて、一面田んぼで平均年齢が高そうだなと思って、勝手に後継者の心配をしたり第一次産業の行く末や過疎化を憂えてみたり、ああ日本にもまだこういう風景がなぁ、とか、そんなことを思い、ふと我に返ってそういう自分を馬鹿らしく思うのが、私にとっての田舎の空気。寝ころんで空を見ていたくなる。空気が澄んでいて星も綺麗に見えて、野菜がおいしくて自然が豊かで、人は実直で勤勉。
一方で、人はいないし物は何もかも時代遅れだし言葉も違うしで、隔絶されているように思えて怖かった。小さい頃、お手洗いのカレンダーの「ヤクルト」の文字に自分の現実とその世界の共通項を見つけて縋ったのを覚えてる。夜も蛙や虫の鳴き声を聴きながら時計の音まで意識してしまったり。今は村社会と、人の少なさが怖い。「正しさ」を強いられて、外れたら問答無用で悪、阻害されたら暮らしていけなくなる、みたいな。
そんな感じで、空間としてすごく開放的なのを味わいながら社会として閉鎖的なのが怖くて、長閑だなぁと思いながら東京を恋しく思う。東京生まれだから慣れの問題かな。事の是非はともかく他人の重さは多ければ多いほど軽くなる気がして、だから田舎に行くと土地の人間の重さに引く。どちらにせよ人間の濃さに引くんだし、数に引くのも重みに引くのも似たようなものじゃないかな。
田舎で暮らしたことがないので、隔絶・村社会云々は自分のイメージと母の実家のある村の話です。その村も自分の住む市も通っている区もそれぞれ好きだ。