はてなキーワード: 雑談とは
28歳男
恋人とかいない状態でコロナ社会が到来して交友関係が一切なくなった
それまではちょこちょこ昔の同級生に飲み誘われたりとか同僚とイベント行ったりとかがあったけどそれが皆無になって、
マジでここ1年以上誰とも会ってないし朝礼のZoom会議以外で人としゃべることが一切ない
なんていうか行動できる範囲は広いはずなのに何かに閉じ込められているような感覚に陥る、最後に『雑談』した記憶すら思い出せない
もともとそんなに交友関係とか広い方でもないし「アットホームな職場です」みたいなのは煩わしく感じる人種だったけど、それでもそういうのがゼロになってしまう状態は辛いなぁって
社内の地方拠点の方や地方の取引先の方と電話で話す機会が頻繁にある仕事をしてる。
相手の方も自分も初めのうちは業務上の話を敬語で話してるだけだけど、慣れてくると雑談をするようになる。
雑談を重ねるうちに標準語で話していた話し相手の方が方言を使うようになる場合がある。方言を使われるとなんとなく嬉しいっていう気持ちはあった。
気になって方言を使う心理を調べたところ気を許してる可能性があるという記事を見つけた。今までコミュ障だと思っていたがそ話し相手の方から方言を引き出せる自分はコミュ力が高いんじゃないかと思った。
コミュ力の有無をはっきりさせたいがこういうことを話す人が周りにいないため自惚れてるだけの可能性がある。1人だけ友達はいるが自分と似たようなタイプのため意見を聞いたところであまり参考にならない。
ずっと誰にも言えずにキレ続けていたことを最近落ち着いて思い出せるようになったので消化。
私が通っていた高校は県内でも有数の進学校と言われるようなところで、様々な人を外部から招いて講演を聞く授業なども定期的にあった。
その日のゲストはどこかの大学のLGBTサークル(記憶が曖昧。キレすぎて意図的に思い出さないようにしていたのでもはやわからない)で、サークルの中にもLGBTがいるし皆でフレンドリーに楽しく学ぼう!みたいな触れ込みだったと思う。
しかし、私は講演のため教室を移動する最中からずっと不安だった。
その頃の自分は性的指向をはっきりと自覚できていなくて、とにかく私以外の全員が当たり前のように共有している”異性愛”という概念を理解できず、同性愛者かも、いやアセクシャルかも、と悩む日々を送っていたからだ。
だから皆の前でグループトークとかあったら挙動不審になっちゃうかも、と心配していたのだが、その予感は的中することになる。
まず、簡単にLGBTQなどの用語についての説明が終わった後に、今度は自分を仮想状況の中に置いて当事者への向き合い方を考えてみよう!というコーナーになった。
出された例は、
「自分が母親だったとして、子どもがゲイと告白してきたらどうするか」
というものだった。
これについて考えてみよう!と言われた時、動揺で頭が真っ白になった。
女子校だったから「母親」の例を出してきた感じだったが、仮にもLGBTをめぐる授業でその無邪気な選択肢はないだろ、と強烈に思った。
他の皆はナチュラルに「母親」の例を受け入れていたのが信じられなくて何も言えなかった。世間とのずれを眼前に提示されている気分だった。
LGBTの話題で「まぁここにいる大多数の人は将来結婚して子ども産むよね」っていう前提が透けて見える例を出すの......どう?!どうなの!?!?
それは「架空の友人」とかじゃ駄目だったの......?「母親」なの...?
私は自分が「母親」であると仮定することが苦痛だったし、子どもを持った時の気持ちとかが何回やっても考えられなくて、何も言えなかった。
ずっと黙っていた。
なんと議題が「もし実際友人にLGBTQがいたらどうするか」というどストレートなもので、議題が出た瞬間なんでこんな公開処刑みたいなことするかなぁ!??!と思ったし、これ生徒の中に私みたいなLGBTQ当事者がいる状況を仮定せずに授業組んだのかなぁとか、先生はこの授業内容で良いと思って通したんだなぁとか、色んなことを思って本当に本当に悲しくなった。
6人くらいのグループになって、講師サークルから1人ずつサポーターとしてグループについた。
たぶん何も話せなかったと思う。
ここで黙ってたら怪しまれるぞ、バレるぞという思考がぐるぐると頭の中を回ったものの、声が出なかった。
他の人の話ももう一切聞きたくなかったけれど、クラスでリーダーシップを発揮して委員をやっていたような子が「友達だったら勿論受け入れるけどさ、まぁ...(友達じゃなかったら厳しい)」みたいなことを言っていたのと、その発言に対してサポーターの人が特にフォローとかはせず薄ら笑いみたいな表情を浮かべていたのは覚えている。
地獄か?
最後の辺りは泣きそうになってたし(表情には出てなかったと思いたい)、授業終わりに配られる匿名コメントペーパーにはもう2度と来るなみたいなことをかろうじて書いて出した気がする。
この体験のせいかは知らないが、その後はますます異性愛に対する忌避感が酷くなって、学校行事で恋愛モノの舞台を見に行っても辛くて辛くてもう画面が一切直視できなかったりした。(終始目を瞑って石になっていた)
数年間この出来事を突発的に思い出してはキレ回し、なんで自分はあんな目に合わなければならなかったんだ、あんな公開処刑であなたは我々の想定していないイレギュラーですということを提示されなきゃいけなかったんだと思い続けてきたが、最近やっとキレずに出来事を冷静に見つめられるようになってきた。
学校でLGBTの授業を!というニュースを見るたびに、実態がこんな感じの公開処刑になってないといいなぁということを考える。
うちの自称進学校がおかしいだけならいいんだけど(よくない)、あのサークルは色んな学校で講演してたみたいだしこういう...やり方を...世に広めないで欲しいな......お願いしますよ
余談:
女子校の授業、異性愛が前提にありすぎみたいなのをなんとかしてほしい(うちの学校だけかもしれない)。
家庭科の授業は将来”母親”になること前提の価値観が透けた文言があちらこちらに散見され、妊婦体験授業や性行為に関する授業などが結構な比率を占め、「将来良いお母さんになれるね~!」とかいう言葉が無邪気にとんでくるのをほんとにやめてほしかった。
授業をするな!っていう話じゃなくて、「将来あなたたちもこうなるかもしれませんから」ではなくて、「人間として大事な知識なので性別関わらずちゃんと知っておこうね」のスタンスで出してほしいんだよ...
【追記】
嫌な記憶に対する私的な墓標として書いた文が伸びていてびっくりしています。
難癖とか、スルースキルが足りないというコメントに対して少しだけ意見を言わせていただこうと思います。
私もこれが私的な雑談などの話だったら話を合わせてスルーしていたと思います(事実友人との会話では何度もそうしていました)。
問題はこれが「LGBTQフレンドリー」を掲げて学校という場で出された授業だったということです。
そんなこと言われたら多少自分の属性が認めて貰えるのかもしれないと期待してしまいます。
先生や講師という偉い立場の人から優しい授業があると思ったのに、実際は「まぁそんな人はいないと思いますけど」というように全てが進み、「こういう人って受け入れられる?」「自分はこの程度なら大丈夫かな〜」というあけすけな意見が飛び交うのをじっと耐えなきゃいけないのは、辛いです。
LGBTに対する感情は個人の自由だと思いますが、強制的に議論の場を作り上げておいて特にフォローもせずなすがままにしておくのは、きっと教育の在るべき姿としては違うと思います。
教育者の立場からLGBTを取り上げてわざわざ授業を出すなら、もう少しだけLGBT当事者のことを考えてほしかったなという気持ちです。
【追記2】
また、女子校についてやや誤解があるようなので、一応説明しておきます。
「なんでわざわざ女子校選んだの」に対する答えですが、わざわざ選んだわけではありません。
設備・部活動の充実だったり、高いレベルの教育だったりを求めて受験先を選ぶと、地域によっては必然的に私学の女子校ばかりが残ります。
これは男子校の場合でも見られるケースかなと思います(詳しくないのですが、灘とか武蔵とかが有名なんですかね)。
また、中高一貫、場合によっては幼稚園から一貫ということもあり、入学の時点で「自分は確実に異性愛者で、良い母親になる。そのための教育を望みます」と自認している子は少ないのではないかなと思います。
それは「他責」にしやがるとこなんだよね。
「関係部署の提出物が遅れたので~」とか「システム不備の対応に情シス部門が時間かかって~」とか「今回は通常よりも業務量が肥大して~」とかとかとかまぁまぁ出るわ出るわ外部環境要因がさ。
はっきり言っててめぇの仕事が遅いだけなんだよ。余裕がないから少しでもイレギュラーが起きようものならスケジュールがあっという間に破綻する。
それなのに今後の遅延対策が「関係部署に提出物の締め切りを守ってもらうようにします」だとか「システム不備が起こらないよう情シス部門に徹底してもらいます」だとか「業務量の標準化を要求していきます」だとかだとかまぁまぁ他人の変身を願うものばかり。
で、また同じことを起こす。
仕事ができなくても、できるようになるためには自分がどう変わればいいのか模索してのたうち回ってる奴はまだ救ってやろうかという気持ちもわく。
でも他責野郎はそんな気持ちが起きるどころかもはや軽蔑もん。大きい組織であれば、そう遠くないうちに"排除"されていくので放っておくに限る。
同時接続の平均が4人でコメントしてるの基本的に俺ともう一人だけだからしゃーない
Twitterもフォローされてるし、なんでもない日常のツイにもリプくれる
正直嬉しい
コメントしてるのが2人の雑談配信3、4時間できるのは才能だなと思う
最近気が抜けてきてるのかdiscode教えるからコメントじゃなくて通話しようって言ってくるのはやめてほしい
そういうんじゃないんだよ
子がいると生活の中心が子になる、だから雑談にしろ世間話にしろ、話はほとんど子に関することになる。
他にも、学生なら勉学や就活の話がほとんどになるだろうし、未婚なら趣味や恋愛話が、既婚子なしはまあバラバラになるだろうけど、夫婦の生活についてや、趣味や旅行やちょっと高価な家電の話とかになりがち。
社会に出るまでは、だいたい同じ環境の人しか周りにいないから、共通の話題ってのがあって会話がスムーズに成り立っていた。
それが、いろっんな環境の人がいる今、自分と違う環境の人を1部アブノーマルとして扱ってしまってるから辛くなるんだと思うよ。
職場の人に対して愚痴みたいな、マイナスな話をして面倒な空気出してくる人より、ハッピーな話題を提供してくれるほうがいいじゃん。慰めなきゃいけないとか面倒すぎるじゃん。
知識経験が豊富なので色々教えてくれるのはありがたい一方で、さすがにしんどくなってきた。
例えばバナナの色を聞いたとすると、
休校と言ったら在宅勤務
在宅勤務と言ったらお昼
お昼と言ったら冷凍食品
スーパーと言ったら外出
外出と言ったら出社
出社と言ったら課長
納期と言ったら休暇
休暇と言ったらワクチン休暇
この客と言ったら東京
お金と言ったら受注
受注と言ったら部長
……
話題を膨らませずに終わらせようとしてるけど、
「そういえばあの件だけど」と別の話が始まる。手強い。
同僚との雑談に夢中になって打ち合わせの予定を忘れたり、
並行して進めているすべての案件の書類を一度に机に広げて作業しながら「デスクが狭い」と不満を言ってたり。
たぶん頭の中はマジカルバナナ状態で次々と考えが巡っている一方で、
マジカルバナナで思いついたことを条件反射的にポンポン話している。
基本的に優しいし、お金が発生している仕事だけの関係と割り切れば大丈夫。
この長話だって給料が発生してるし、と言い聞かせて接していたけど、
つい最近、〆切が近い業務を抱えてた時に上司に捕まってしまい、
いつも以上にあの手この手を使ってなんとか話を切り上げて戻ってきた。
昔はそれで良かったのかもしれない。
オタクの雑談で「宇崎ちゃんの胸がキモい」といえば、それで終わる話ではなくなった。
政党トップがテレビに出てきて宇崎ちゃんの胸をdisり、多くの学者と弁護士、政治運動家が参入して、キャンセルカルチャーを爆発させるようになった。
こういう作品をけなす場合、「作品を滅ぼそう。もしくはキャンセルさせよう」という意志が介在するようになった。
つまり批評が目的ではなく、キャンセルカルチャーが目的である。
そうなると話は別だ。
つまり、「作品をのものを滅ぼそうとする相手」に対して、ただ「ムカつくこと言ってやがる」では終わらないのである。
こういう時代において、「公表された作品については見る人全部が自由に批評する権利を持つ」という前提は正しい。
しかし、その自由の背後にキャンセルカルチャーを忍ばせて、散々政治運動をふっかけたあと、
「個人の感想です」と言い出すのは卑劣な政治ムーブメントである。
でも呼びかけて、ハッシュタグ付けて、集団でタイミングを狙って炎上戦略を取っている。
こういうことをやると、「個人の自由として怒る権利がある」からイーブンであるとはならない。
徒党を組んで政治闘争を仕掛けられているのだから、作家は団結しなければならなくなる。
嫌な時代だ。