昔はそれで良かったのかもしれない。
オタクの雑談で「宇崎ちゃんの胸がキモい」といえば、それで終わる話ではなくなった。
政党トップがテレビに出てきて宇崎ちゃんの胸をdisり、多くの学者と弁護士、政治運動家が参入して、キャンセルカルチャーを爆発させるようになった。
こういう作品をけなす場合、「作品を滅ぼそう。もしくはキャンセルさせよう」という意志が介在するようになった。
つまり批評が目的ではなく、キャンセルカルチャーが目的である。
そうなると話は別だ。
つまり、「作品をのものを滅ぼそうとする相手」に対して、ただ「ムカつくこと言ってやがる」では終わらないのである。
こういう時代において、「公表された作品については見る人全部が自由に批評する権利を持つ」という前提は正しい。
しかし、その自由の背後にキャンセルカルチャーを忍ばせて、散々政治運動をふっかけたあと、
「個人の感想です」と言い出すのは卑劣な政治ムーブメントである。
でも呼びかけて、ハッシュタグ付けて、集団でタイミングを狙って炎上戦略を取っている。
こういうことをやると、「個人の自由として怒る権利がある」からイーブンであるとはならない。
徒党を組んで政治闘争を仕掛けられているのだから、作家は団結しなければならなくなる。
嫌な時代だ。
キャンセルカルチャーの意味わかってないやん
みんながヒマになったのが悪い(苦笑)
絵がうまいとか下手とか漫画が面白いとかつまらないとか、そういう評論の話と区別がつかないのがいるっていう衝撃