はてなキーワード: 教養とは
まぁ、今回の話においては『ひらひらしてる服を着る』と『救出してもらう囚われのポジション(ピーチ姫的ポジション)』くらいの意味では。
そもそも、前者はともかく今の未就学児が「お姫様=救出してもらう囚われポジション」ってイメージ持ってるんだろうか。
未就学児の目に入る範囲でそういうお姫様って、それこそピーチ姫しかいなさそうだけど。
(ピーチ姫も未就学児のうちからゲーム買い与える家庭は少ないから知らない子の方が多いよね。上の子がいるならともかく)
ディズニープリンセスは昔ながらの伝統的お姫様より(囚われポジとは縁遠い)アナ雪とかソフィアの方が子供人気も知名度も高いし、
伝統的お姫様なディズニープリンセスも(セットの王子抜きで)まとめ売りされてて元のストーリーは強調してなくて
親がわざわざ古いアニメのDVDとか絵本見せない限り元のストーリー知る機会ないし。
絵本でも伝統的お姫様話はもう人気なくて、ディズニープリンセスでないなら
「一応基本の昔話は教養として教えておかねば」的意識高い親向けのセット本(一冊に十数話~数十話くらいまとめて入ってるやつ)くらいしかない。
いわゆるモダンアートと呼ばれる作品と、古典的な美術作品とはまるで別物である。同列に置いて論じてはならない。
一方は落書きであり、もう一方は人の精神の深いところへ訴えかけてくる魅力と刺激を伴う神妙なものであり、これらを同じアートという言葉でくくるのは伝統的芸術作品、本来の芸術家精神に対する冒涜である。
もちろん深く精神に訴えかけてくるのは古典的美術品の方である。モダンアートは伝統的な芸術作品とは天と地ほどの差がある。もちろん天が伝統的な芸術作品である。勝負にならない。
モダンアートとはただの落書きである。これは教養なく金を手にした連中が感性高い風を気取ってただの落書きに高値を付けたことによる。戦後のアメリカ人が悪い。戦争による感性の破壊と言う線も考えられるが、大戦、冷戦を経て世界唯一の超大国となったアメリカ、火事場泥棒的な富の蓄積によるアート市場への歴史なき国民の劣等感とともに参入した成金のアメリカ人たちによる影響が大きい。彼らの悪乗りにモダンアート作品なるものの高値づかみは従来の伝統的、写実的、正統派の芸術家を隅へ追いやり、落書き小僧に過ぎない軽薄な自称芸術家たちを優遇し調子づかせ、現代の芸術的感性の退化を招いた。
集団催眠的効果を疑っても良い。集団に対しての洗脳である。落書きを価値ある芸術作品とみなす集団催眠。仮に意図的にそのような舞台を形成したと言うのなら、それこそ芸術と言っていい。人間心理操作しかも集団に対する芸術的操作である。価値なんてない落書きに巨額のマネーを引き寄せる。落書きを市場に供給することによって巨額のマネーを引き寄せる仕組みである可能性もある。
というようなことをニューヨークのMOMA、その他諸々のモダンアート現代美術作品を展示するあちらこちらの美術館をめぐって結論を得た。日本の地方の市立美術館とかがモダンアートによる浸食被害が大きい。ただの落書きに過ぎない作品を高値で購入している。見れば見るほど軽薄で、全く役に立たない落書きが価値ある作品として掲げ続けられていることに怒りすら覚えたのでこんなことを書いた。
それを増田自身がきちんと社会においてより多くの人が納得できる方法をもって証明できないのなら、誰も増田の主張は聞かないよと、ずーっと言ってる。
何回か言ってるが、「多くの人が納得してる」=「正しい」ではない。
俺様理論なのは事実だし、言いたきゃ言えばいいが、お勉強なさった人なら俺様理論くらい指先一つでダウンだろ?
なのに、だーれもそうしない。ショーもない感情論ばっかり。
それを前提だと思ってる、必要以上に増田のハードルを上げてるのはあなたでは?
いいか、ここは大学のゼミでも学会でもオフィシャルの場でもないんだ。
少なくとも「児童にも自由意志がある」と、現在の社会において害悪になる可能性がある(被害を受ける子供が発生する可能性があるから)、
同上。
「被害を受ける子供が発生する可能性」と「ロリコンの完全な権利の抑制」を天秤にかけて前者が100%優越する根拠の論文はあるかい?
101年目は分からない、ってことじゃないの
それを増田自身がきちんと社会においてより多くの人が納得できる方法をもって証明できないのなら、誰も増田の主張は聞かないよと、ずーっと言ってる。少なくとも先人は様々な方法で蓋然性を高める努力をしてきたからこそ、広く受け入れられているわけだが、増田は「おれがー、おれがー…」と亡霊のようにオレサマ理論を増田でぶつぶつ言っているだけでしかない。
切り捨ててるんじゃなくて、増田だけが、まだ議論できる場にすら辿り着けてない、大幅に遅刻しているだけ。
少なくとも「児童にも自由意志がある」と、現在の社会において害悪になる可能性がある(被害を受ける子供が発生する可能性があるから)、オレサマ理論をまき散らすのであれば、その程度の教養すらないやつの話を聞く必要はない。聞いてほしければ勉強しろ。
最近、仕事とプライベートの両面で精神が滅入ることがあり療養中。
先日、妻から宝飾店主催のツアーを勧められ、気分転換も兼ねて参加した。
催事のチケットと高級ホテルのランチをパッケージにしたバスツアーで、有閑マダムを集めて比較的安く開催しているもの。
安い代わりに宝飾品のセールスセミナーが組み込まれていて、商品の素晴らしさを解説される。
このネックレスは編んで使っても綺麗ですよとか、色々なお洋服に合いますよとか、はっきり言って自分の感覚からすればくだらないとしか思えない内容だった。
それでもマダム達はあら素敵とばかりにセールストークに乗り、俺の月収以上の値段のする商品を大して悩みもせずお買い上げ。
俺がメンタル壊して長時間労働に耐えながら1ヶ月働いてやっと手に入れる額を、たかが綺麗な石ころにホイホイと払う人たちがいる。
どう見ても俺より努力もしていなさそうだし、聞こえてくる会話からもあまり教養を感じない。平日の昼間からこんな時間のかかるツアーに参加しているあたり、仕事もしていそうに見えない。
不労所得階級、恐らくは地主の家系、あるいは高給取りの奥様だろう。妻も地主の娘なのでそのあたりはわかる。
自分は東大から大企業に入ったものの、所詮は時間と体力と精神力を引き換えにすることでしかお金を手に入れられない身分。仕事はそれなりにやっているので最近社長や役員と関わる機会も増えてきたが、彼らもレベルが違うだけで本質は同じ。
改めて、どう努力しても超えられない壁の存在をまざまざと見せつけられた気分だった。
正確に言えば起業なり投資なりの方法で階級を超えることは可能かもしれないが、労働者階級にいるものがそこに辿り着くためにはリスクを背負わなければならない。
今までやってきた努力は所詮労働者階級内で「使える奴隷」になるための努力に過ぎないのだなと思った。
しかもランチの間近くから聞こえてきた会話の内容は、マダム達の熱意もない子女を予備校や塾で矯正していい大学に行かせるというもの。
階級は超えないとはいえ「勉強」は持たざるものが持てる者に勝つ数少ない手段として導入されたもの(古くは科挙や明治維新など)だったはずが、その席すら持てる者がステータス感や見栄え、いわばファッション感覚で持っていってしまっている。
自分は幸い労働者階級のかなり上の方にいられたし、不労所得階級と繋がりも持てた。今の自分の境遇が嫌だというつもりはない。お金のある人がお金を使うのは良いことだということも理解している。
辛かったのは「自分の努力で」誰にも負けないよう登っていくことは不可能であること、最初から決められてしまっていたんだということを見せつけられたこと。
バスがビジネス街を通ったあたりで、窓の外にいる疲れた顔をしたサラリーマン(とは言っても大企業の本社が多いエリア、いわゆるエリートサラリーマンであろう)とマダム達の顔を見比べて、涙が出てしまった。
最先端だ日本の文化だと持て囃されたそれらは、飽く迄も表現の一つとしてアニメを選んだ作品なんだよ。
それらを作った人達は、インスピレーションや教養の大元がアニメな訳じゃない。
ところが、アニメだけを見て育った連中がアニメを作ろうとしたら、そりゃあ商売としては売れても作品として評価されるのは難しい。
アニメに限らず、ラノベ何かもそう。大ヒット作者は必ず何か別の下地を持ってる。
後は単純に劣悪極まりない労働環境でアニメーターがもう入ってこない育たない。
旧時代に命を削って職人芸で作ってた人々は、多くがデジタル化の時に消えた。エヴァだのビバップだの上げてるけど、その頃の中堅が30代だったらもう50過ぎだよ。
デジタル化したおかげで綺麗で画一的なアニメになったけれど、作画担当者の色は見難くなって、個人のやりがいだけに依存するのは辛い所よ。
でも古今東西そういうもんだし。
どこの国でもどの時代でも、上流階級の子供の生活上の世話は親ではなく下女の仕事だけど
下層階級は世話は(誰も雇えないから)親がやり、教育はしない(出来ない)。
専業主婦は田舎から都会に出てきて近くに家事育児に協力してくれる実家が無い人達の間で生まれた形態だよ。
田舎は自営業(農業や商店経営など)が多いというのもある。「農家や商家の嫁」が家業を手伝わないなんて選択肢はないから。
だから夫両親と同居で仕事も家事育児もさせられる田舎の嫁にとって、同居しなくて良くて家事育児だけやれば良い都会の核家族専業主婦は憧れだったし
田舎の親世代も「息子は後継ぎだから田舎に残して嫁を貰いたいが、娘は田舎の嫁になって苦労するより都会のサラリーマンの嫁になって欲しい」
と娘のみを都会に送り出す人が多く、田舎の嫁不足に繋がった。
均等法以前~均等法後もまだ浸透してなかった時代は
「大卒男子のみ」「女子は20歳まで」なんて求人が普通で大卒女に一般の就職先は少なく、
本校は所謂御三家と呼ばれる中高一貫校だが(だからこそ?)教師の政治的発言が辛い。
自分の政治的スタンスによる主観的な好き嫌いで歴史を評価する世界史教師。生徒のルーツを鑑みない自らの政治的歴史観で作問するのは如何なものか。
ただ、この人の件は明確に政治的スタンスを打ち出しているとは言い難いので、勝手に生徒がモヤモヤしているにすぎないと捉えられてもおかしくはない。
反安倍政権・反原発を隠そうともせず、教師であるから自分のこの正しいものの見方を伝えなければならないと信じてやまない現代文教師。
親が政府や東電周辺で働いている生徒も、多いとは言わないまでも、いることは確かだ。
この考えが正しいかわからないが、そういう悪意がなく責任もないが関係している立場の者に対して、無頓着に薄っぺらく主張するのは如何なものか、とも思う。
教育基本法14条の2に「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」とある。
試験に明確に政治的立場を無言で強要するような問題こそ出しはしないものの、生徒は政治について何もわかっていない・考えていないであろうから、社会のいうことを鵜呑みにしてはいけないという事を教えてやろう、と個人の主張を「伝道」されるのはたまったもんじゃない。
歳を取っていて教養があると思われている教師ほど、戦後の自虐的な左翼のような傾向が強い。
自分は右でも左でもないし、そのどちらについても批判するつもりは全くない。
ただ、生徒の上に立つ者の意見という「無言の圧力」を生徒は(そんな意図が教師になかったとしても)感じ取ってしまうものだ。
本校の教師の質は、全く高くない。
調べてみたら同様に教師の政治的な行動は多く散見されるようなので、目くじら立てずにスルーするのが正解なのかもしれない。
ただ、本当に「政治について何もわかっていない・考えていない」生徒が「鵜呑みにしてしまう」のが余りにも皮肉で見ていて辛い。
教師に直接直談判するのは立場上難しく、また教師へ匿名で意見する仕組みはあれど大抵揉み消されてしまうし、だからといってスルーできるほど賢くもなかったので書いてしまった。
アタリが横暴でむかつく
情報量が多いから吹替で見るぞーと思ったのに、市長のスピーチは全文字幕ついてんじゃねーか!市長の声もっとでかい声にしろよ!!!
ツイッターで映画オタの感想見てたら「黒澤に対するリスペクトが…」とか書いてて、はいでたーーー!まただよ!また!世界の人間どれだけ黒澤好きなんだよ!一作見てつまんなかったなら黒澤映画なんて見ねーって思ったけど、こうやって元ネタ分からない惨めさとか元ネタ分かったらもっとグッとくるかもしれないのに分からなくてなんだかいつだって俺は黒澤映画に苦しめられてる気がする。仕方ないから黒澤映画を週末いくつか見るか…。
犬ヶ島を楽しみにいったはずなのにこうやって映画のファンとしての教養の無さを自覚して惨めな気持ちになる。でも目の前には今公開中の見たい映画がいっぱいある。時間が足りねえよ。
これはそのとおりだな~。
明治維新も、結局中国支配からいかに逃れるかだったし。で、それも西洋支配への切り替えに過ぎなかった。
> スプーンには20ccと記載があるのにどうして3杯20gになるのですか? | お客様の声を形にしました | お問い合わせ窓口 | 森永製菓株式会社
> http://b.hatena.ne.jp/entry/www.morinaga.co.jp/contact/voice/detail/11
このブクマを見ていると、
「愚民対応」「無知」「一般常識」「教育が必要」「中学生の時何してたんだ」
などという言葉が並んでいる。
もちろんこれらは抜粋しただけなので偏重はあるが、それでも割合として無視できないほどいる。
一部の過程と結果を元に視野の狭い推論を構築し誤った結論を出し他者を愚民と罵る彼らには心底呆れる。
彼らのように無知にして身勝手な論理しか導き出せないアスペたちには我々のような真に教養ある者たちによる教育が必要だ。
でしょ?
b:id:xevra 哲学が全く役に立たない事だけがよく分かった。
こいつやっぱ教養無いんだなあ
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/221844