はてなキーワード: ワードサラダとは
今まで相互フォロワーは、死んでさえしまわなければ何でもいいと思っていた。
アカウントを消して自分の前からいなくなったとしても、変な話ブロックという悪い関係性になってしまっても、ただ生きてさえいればよい。
その人の人生に自分が関わらない事は、大した問題ではないからだ。
私はTwitterをやってもう10年になる。それだけ長くやっていると、前兆もなく突然ピタリと失踪してしまった人が何人もいる。
生きているのか死んでいるのかも分からない。生きている事を願うしかない。Twitter自体に飽きたり、別のアカウントに居場所を見つけたとかならよいのだが。
中には「なんか今日ちょっと体調悪いなあ」「お大事に!」「ありがとう!」というやりとりを最後に、5年間更新がない人だっている。
そう、ただ生きてさえくれたら、生きてさえいてくれたらいい。
と思っていたのだが、フォロワーが壊れてしまった事で考えを改めた。
「政治的な発言ばかりするようになった」的な生ぬるい崩れ方ではなく、本当にメンタルそのものが壊れてしまった。
Aさん。相互フォロー歴ももう長い。Aさんは自ジャンルの絵師をはじめとする表現者を発掘して回り、RTやシェアで応援するような立ち位置の人だった。
私もこれまでAさんに幾度となく感想をもらったり、自分の作品をシェアしてもらったりした。
私はAさんに自分の作品を褒めてもらえるのが嬉しかったし、別の誰かを褒めて回してくるAさんの事も好きだった。
Aさんは今年の2月頃から、仕事が忙しそうな事をたびたび口にしていた。残業。仕事。残業。
そしてある日突然、壊れてしまった。
他のフォロワーに支離滅裂で脈絡もないリプライを飛ばしまくるようになった。
イメージ的には「今日はサイゼリアで昼食~!」に「私はひよこです!ありがとうござい!ます!」みたいな感じ。
あまりの脈絡のなさに、Aさんのフォロワーたちは最初は「誰かに乗っ取られていませんか?」「リプライ先自分で合ってますか?」と確認していたが、
徐々にそれが「Aさん」であると皆がうっすら理解するようになると、やがて誰も口にしなくなった。
何人かはDMでやりとり出来ないかと頼み込んでいた。DMなので内容は知らないがAさんの悩みを聞いたりしていたのだろう。
「ひよこってかわいいですね!」と無理やり世界観を合わせて発言しようとする人間も少なくなった。
Aさんのフォロワー数は確実にゴッソリ減っていたので、恐怖に縁を切ってしまった人間もいるはずだ。
私は少し前にインターネットでよく流行った「支離滅裂な思考・発言」という画像を思い出した。
元々あれは精神病理系の書籍の出典で、もともとは「今日は晴れですね。晴れといえば、僕の誕生日は来月だけど君はお肉が好き?」という文章だった。
少し前ならこれを笑っただろう。だがこの時私は「ああ、Aさんの文章だ」と思った。
沢山のものを追いかけてきらきらしていた、あの頃のAさんはもういなかった。ただ支離滅裂な文章をひたすら投稿し続けるbotになってしまった。
でもそれでも、そんなに支離滅裂でも、利用語彙そのものはAさんだった。好きなものたちの、好きな人たちの名前だけは忘れなかった。それが余計にやるせなかった。
特定のコンテンツを死ぬほど掘り下げるわけではないが、Twitterでボクっ娘漫画が流れてくるとフヒッフヒヒッと最悪の笑い声を上げながら閲覧してしまう受動的☆オタクの小生、21歳、学生。(それはもはやオタクではなくただのキモなのでは?と思うが、この話を掘り下げるとつらい気持ちになるので割愛する) 小生は女性器を保有しつつジェンダーが非常~にXに近いQで、漫画の中の彼女たちのように、自分のことを「僕」「俺」「それがし」「拙者」「小生」と称することに憚りが無かったし、むしろ「私」という一人称に抵抗があった。恋愛対象や性的指向は両性に亘り、「18歳のナオンのケツを一生触りたい」という願望と「異性と愛し合って子どもを設けてみたい」という気持ちを両立させながら元気に暮らしていた。
ある日、冷やし担々麺を食いながら、ふと小生は思いを巡らせた。
「俺は高校のころ、Twitter上で同期から『[俺]の言葉遣いはこじらせ銀魂腐女子っぽいし黒歴史になりそう、後々過去ツイ見てジタバタしそう』と言われていたし、そうなることを自分もどこかで願っていた・・・が、思春期過ぎても一人称に変わりは無かったし、このまま母親になっても俺でいるんだろうか・・・だとしたら、先輩ボクっ娘ママを探さなければ・・・・・・ん?一人称が『僕』や『俺』の母親って現実でもコンテンツ上でも全然存在しなくないですか?」
それは、かつて片目をつむったまま遠くの小指を凝視し、自分の盲点をはっきりと認識した感覚に似ていた。想像の盲点だ、視野が広がるとはこういうことだ。うわ~、こういうときに粋な考察をササッと出せるようになるためにも、ジェンダー論しっかり学びたい!という明るいお気持ちに包まれた。しかしながら、まず何も学んでいない状態で結論を出してみて、大いに勉強をした後でファースト・粗野・考察を見返すのもきっと面白いだろうなあと思い、小生はここにそのプリミティブな思想を書き留めておくことにする。以下にはもう、本当に野蛮で無知で最悪な文章が綴られているので、有識者はたたかないでください。
1. 「僕/俺」と「私」の非対称性、「あたし」
そもそも「僕/俺」と「私」、使う人間の層はどう分かれているんだろう?
成人男性は「僕/俺」と「私」の両方を使うことができるが、まだ幼い少年が自分を「私」と言っていると、相応に作為性を感じる。対照的に、女性は若いうちは「僕/俺」の使用が(かろうじて)認められるが、加齢していくにつれて「私」の求心力が極大に近づいていく。ものすごい非対称だな。う~んこれはいったいどういうことなんだろうね。無学なのでわからん!
これは勘ですが、大人(または人間)のデフォ一人称が「私」なのでは?そして、「僕」や「俺」という男性一人称は、男性側が女性と差別化を図るために生み出した切り札のようなもの?二次性徴以前は、男女の体や性格が未分化であり、しゃべらなければ見分けがつきにくい。そこで、素早く同性or異性の判別をして固いホモソーシャルを築くために、少年さんサイドが「私」とは異なる固有の一人称を保有しているのではないだろうか。一方、少女側にもホモソーシャルを築きたいという欲が強い人間がおり、彼女らは「あたし」や「うち」などの一人称を駆使し、多くの友達と連帯し、大概「気が強い」と思われている。男らしい一人称(や女らしい一人称)というのは、未分化な少年少女たちがホモソーシャルを築くための最初の一歩として獲得するものではないか?
思春期に入り、体が性別に沿う姿に分化すると、このような一人称でのジェンダーの探り合いは不要になっていく。ただまあ、精神は連続的なものなので、しばらくは男女両陣営が幼少期に獲得した一人称を保持している。成長に伴いフォーマルな場というものにブチ当たることによって少しづつこの傾向を修正され、多くの場合就活のときに決定的に一人称が「私」に統一されるでござるなあ。(なぜ、フォーマルな場所では一人称が「私」に統一されるのか、それについては勉強によって解明したいと思いました)
男性一人称は本来少年に与えられたもので、それゆえに男性一人称にはどこか瑞々しく未熟な感じが出るのでは。そして、少女が「僕」を使うことで、この若さを維持・増幅しつつ一定の倒錯を生み出すことができる。輿水幸子(デレマス)が自称する「カワイイボク」という概念は、性別の観点から見れば矛盾しているが、若さ・幼さという点においては「カワイイ」と「ボク」が加算的に働いている。うわ~かわいい!最高!いじめたい!
一方、一人称が「私」の少年と言うと、どこか神々しいというか、メカニックというか、そういう・・・人間らしさの希薄性が強調される。あ~中性的でぼんやりした美少年か、エッチだ!ちんぽしごきたい!
【加筆】「あたし/うち」は、「異性と同性を区別する」というよりむしろ「自身のジェンダーを強調する」目的で使われているという点で「僕/俺」と対照的なんではないでしょうか。だから一生使っても問題ない(幼稚さが出にくい)し、オカマのみなさんにも愛用されていることが伺えます。
上記の小生の仮説から考えると、母親というキャラクターと男性一人称はものすごく相性が悪い。(これは持論ですが)母であるということは、その人が異性とセックスをできたということの証左になり、すなわちこころの性が女であるという暗黙の了解が働くよなあ。なおかつ、母親は子を産み育てるという社会的責任を負った存在なので、「心身共に成熟した人間である」という前提が追加で発生している。(本当はそうでもないよね)
この場合、男性一人称の母親というのは「未熟な少年の言葉」でしゃべる「成熟した女性」となってしまい、なんの相乗効果も生まれず、ただただ独特の気持ち悪さを発してしまう。キモすぎて多くの人間の想像の視野に入っていない。(思春期以降の女子が「俺」を使っていると腐女子っぽくてキモいというのも同様の理屈だと思います) 自分の子供に向かって「よしよし、俺はこっちだよ~」と呼びかける母親、なんか嫌じゃないですか?ちなみに小生の性癖にはとても刺さります。
※あと、なんとなく思いが廻ったので加筆しますが、"男性一人称の母親"への抵抗感の発生は、男性と女性とでメカニズムが若干違うのでは?まず男性の場合、母親はどう転んでも客体、すなわち消費されうるキャラクターである。男性が母親というキャラクターに求めているものの第一は「母性」「包容力」なので、自分たちと同一の一人称を用いてこられるとその両方が感じられなくなってしまう、つまり萎えが発生してしまうのでは。一方"母親"が自らの主体となりうる女性の場合はというと、心の中に[母親は成熟した女性であるべき]という縛りが発生していて、男性一人称の母親の存在はこの信条に悖ってしまい、憤りにつながるのではないか。まとめると、"男性一人称の母親"は、男の信仰・女の義務感の両方をくすぐる最悪の概念であるかもしれないということだ。
3. 小生の意見
Twitterで「僕っ子 母親」を調べたら「子供に悪影響出そう」「痛い」みたいな意見が出ていて、それは至極まっとうな感情だと思う一方、小生は悲しいよ。どうして『弟の夫』『きのう何食べた?』みたいにゲイが子育てに関わる話は☆多様性☆の印籠のもとに迎えられるのに、一人称が「僕」の母親は痛いという風潮は変わらないんだろう。かつては同性カップルによる育児も子供への悪影響が懸念されていたが、今ではその心配が杞憂であったことが分かりつつある。おい、ここに多様性、多様性が落ちてるぞ。良いインターネットさん、仕事の時間だよ。インターネットに迎えられなければ、小生が積極的に声を上げていくべきなのだろう。僕が僕として授乳できる社会ができたらちょっと嬉しいかな。
あと、子供を産んだ時点でジェンダーが女であるというのは偏見だぞ。最近SOGIとかいう言葉が流行り出して小生は感極まっている。性自認、性的指向、性表現は相異なるものであるということが認知されつつある。「自分をなんとなく男寄りだと思っているバイの母親」は存在しうる。存在しうるんだよ。多様性ファンならあらゆる可能性を尊重しよう。
とはいえ、「一度出産を経験するとこころの性が女に全振りされる」という現象が存在する可能性もなくはないので、本当にそういうことがあるのかは今後勉強したい。
小生からは以上です。
零細企業のうぇぶまーけったー(笑)みたいなことしてるんだけどタイトルどおりサジェスト汚染の広告会社から営業電話が来た
社長はちょっと乗り気になっちゃったらしく「おい、聞いといてくれないか」と電話をよこす
・この度新サービスでグーグルの検索の検索候補に御社の名前を出す営業してます
・コストパフォーマンスに優れて普通に広告出すより効果的です
というので何点か質問する
「サジェスト汚染とは何が違うんですか?」
と聞くと「サジェストってなんですか?」という。もうこの時点でレッドカード叩きつけるかのごとくガチャ切りしてよかったんだけど
「さっきあなたがいったグーグルの広告の検索候補のことですよ。それの汚染と何が違うんですか?」
と聞く。
…?なにいってんだこいつ?
「えーっと、例えばサジェスト汚染の方法にSNSやブログ、掲示板などで特定のワードを書き込んでそれを検索という手法がありますが、それを手作業でするということですか?」
そこからペンギンアップデート、虫眼鏡SEOなどいろいろ聞いていくけど何も知らない様子だった。
「うちは結構です。」一点張りでなんとか電話を切らせることに成功したものの、一番厄介なのは乗り気だった社長を説得することだったんだけど。
なんつーか、まだそういう古のSEOしてる会社ってあるんすねって思った。
まぁ俺が元ワードサラダやったりでSEO結果出す会社の社員だったから同じ穴の狢なんだけどね。それでもちょっとひどいと思ったよ。
パンツって言うことにした。
今まで女性社員に「今日のパンティーかわいいね」っていうとセクハラだなんだうるさかったが「今日のパンツかわいいね」っていうと「どこどこで買ったんですよ!」「春色なんです!」「よく気が付きましたね!」なんて言われるようになった。
女性社員からも「先輩のパンツもビシッと決まってますよ」と言われるようになった。今までパンティーだったときはそんなこといわれたことなかった。
今まで朝起きると倦怠感と眠気がすごかった。それをモンスターエナジーを飲んで誤魔化すことで一日を過ごしてた。
まず朝起きる時にスパッと起きられるようになった。今までは布団の中でズルズルと過ごして出社30分前に焦って服を着替えて歯磨きして出ている毎日だったのが今では朝飯を食べ、歯を磨き、パンツを選び、「アイスココアを愛す人になりたいと鏡の前でつぶやくと自然と笑顔になる。ちなみにフリーダジャレです。
家から出ると小学生から挨拶をされる。「おはようございます!」と。昔なら「そんなに俺が不審者に見えるか!」と思っていたが、パンツと言い始めてから「おはようございます!」と返せるようになった。
車に乗り込むとナビが話しかけてくる。「今日はパンツの日です。」「今日のパンツは何色ですか?」なかなかにユーモアだ。以前は「今日は何の日でもないです。」「今日も労働がんばってください。」としかいわなかったのに。
最初は朝礼後にクジが引かれてあたった人が今日知った事と締めの一言をいうということをしていたのだが、パンティーっていッてたときは3日連続や、1週間連続、下手すれば2日に5回ぐらい当たっていたのだが、パンツって言い始めてから確率通りになった。むしろ全然当たらなくなった。
その次にTwitterで「RTされた人の中から抽選で何名様にプレゼント!」みたいな奴に当たるようになった。ある人は「本当はFF稼ぎの釣り企画だったのですが、パンツに感銘をうけたのでプレゼントさせていただきます」と言われて松坂牛焼き肉セット2万円分が当たった。
この松坂牛焼き肉セットを会社で気になる女の子と一緒に食べようと誘ってみるとOK。アウトドア趣味で橋本環奈ちゃんに似ているので日曜日にキャンプ場で二人キャンプした。その時にも「良いパンツですね」って言われた。
宝くじにも当たった。と言っても100万円だが。数字が828282みたいな感じだった。逆に未だパンティーって言ってる友人が買った宝くじは8101みたいな番号で10枚組で買ったのに全部外れてた。
パンティーをやめるだけでこんなにも幸せな世界があるんだなって思った。
増田だとこんな事書くと「嘘松」っていわれるんだろうけど全部パンツに見えるので俺には届かない。
パンツと共にあれ。
夢見てパンツになれ。
パンティーをやめろ。