はてなキーワード: プレゼントとは
ざっくりいうと声優が有名文学や実用書とかを朗読してくれるサービスなんだけど、
昔は月1500円で全コンテンツ聴き放題みたいな感じだったらしいんだけど、
今は月1500円で毎月1冊だけ好きな本をプレゼントしてもらえる感じのシステムになっているとのこと。
普通にKindleみたいにお金払って個別に作品を購入することも可能ではあるみたいなんだけど、
例えば夏目漱石の長編1冊とかでも4000円とか普通にするから、
会員だと30%オフ特典とかもあるらしいけどそれでもかなり高くて、会員特典以外に月1冊以上買うのは自分の金銭感覚的にはなかなか厳しいかなって思ってる。
月額1500円払って1冊貰えるだけ……毎月1冊の特典は値段は問わずとにかく月1冊って感じだから1500円払った特典で1000円の短編とかも貰うと普通に割高になるだけだから
高い作品貰えたにせよ1500円かけて青空文学で読めるような作品を月1冊貰えるだけってのはなんかなぁって結構感じてる。
月額料金がもうちょっと安いか、月に読める本の数が3~5冊くらいあればまたちょっと違うんだろうけどなぁ。
ただ、なんとこのサービス、返品処理をアプリ上からたった数操作で割とサクッとやれるらしくって、
あんまり頻繁に返品しすぎるとカスタマーサポート経由して返品依頼かけなきゃいけなくなって返品が若干面倒になるらしいんだけど、
今のところそれ以外に頻繁な返品に対するペナルティはなくて、
この仕組を悪用?して実質的な読み放題サービスとして利用している人も結構いるらしい。
ただ、Amazonの規約的には勿論推奨したやり方ではないみたいなんだけど、
現状毎月10冊以上返品繰り返してる人もいるみたいだし自分も月3冊くらいならまあギリギリいいかなって感じで
これ利用して月額1500円で実質長編作品3冊読めるサービスとして利用しようかなって思ってるんだけど、
ただ自分の倫理観的にはあんまり気持ちいいやり方ではないよなぁってのもあって非常に迷ってる。脱法みたいなもんじゃん。
どうしようかなぁ、どう思いますか。
UFOキャッチャーの中にポケモンのウパーのぬいぐるみが転がってた。
彼女の好きなポケモンだ。深く考えず、気づいたらスイカ決裁で100円を投入していた。
偶然アームの強いタイミングだったのか、なんと一回のトライでウパーは取り出し口へ転がり落ちた。
「あっ」と声をだしたら、隣に居たタテもヨコも大きい白人から「Yeah!You did it! I also love Wooper!」って声かけられて、苦笑いで「センキュー!」って答えてハイタッチした。
その白人は、直後に隣のマシンでカビゴンを落として大喜びしてた。俺たちは抱き合って喜んだ。カビゴンの英語名を覚えておかなかったことを、すごく後悔した。俺もカビゴン好きだよって言いたかった。
昨日彼女と会った。夜の居酒屋でゲーセンの袋に入ったウパーをプレゼントするのはなんだか変な感じがした。しかし、彼女は大層喜んでくれたので良しとする。彼女は、持っていたハンドバッグに、ウパーを入れた。バッグに入りきらず、ウパーの無邪気な顔だけ出ていた。
「カバンの中粘液でドロドロになりそうw」
彼女は、先日名探偵ピカチュウを見たせいか、最近ポケモンの質感に敏感だ。
店を出たとき、彼女が店員さんから「可愛いですね」と声をかけられ、何事かと思ったら、それはウパーの事だった。
彼は「懐かしい」と言った。緑と金をやっていたそうだ。
はぁ。
ポケモンが好きだ。俺たちはポケットモンスターネイティブ世代なんだ。俺なんか緑からUMまでやってるぞ。
それにしても最近世の中のポケモンコンテンツが一気に進化してるのを感じる。きっと、俺たちと同じネイティブ世代がコンテンツを作る側に回っているんだと思う。
エメラルドを買ったとき、思春期だった俺の周りの友人たちは「まだポケモンやってんの?」って感じで俺を少し馬鹿にしてきたけど、いまやそんなこともない。
愛していると言われている対象は1人なんですか?
たとえば何か貰っても、他の人に貰ったものやらを評価して、くれた人に何も言わなきゃ
ああ、あげてもこんなんなんだ、いらないんだと思われると
可愛くて好きでしょうがないような人に、好物や好きなものだけ貰えると嬉しいものなのだろうなって。
親の香典返しも、要らないものだと困ると思ってカタログ贈った人です。
傷つけられても傷と思わなければ、懲りずにプレゼント贈れるのかな。
社内に可愛い子がいて、その人に貰って嬉しいって書いてる増田さんがいて
ああ、「現実」ってこれなんだな、なにばかなことしてしまったんだろうって
受け取るのも面倒だろうし、きっと推しも好きな人からだけ欲しいよねって
かいてて辛くなってきました。
簡単に言うと、嫁の家族に少し特殊な事情があって、嫁が親孝行に非常に消極的なせいで、自分たち夫婦にとってもお互いの両親にとっても良くない状況になってしまっている。
嫁の両親:お見合い結婚、地方都市A在住、不仲(父親に原因がある、と嫁は言っている)
嫁はとにかく親孝行をしたがらず(父親だけでなく母親に対しても)、母親がこっちの家に来ると、できるだけ早く帰らせようとするし(俺はいくら居てもらっても構わないのだが)、親を連れて旅行、みたいな話の流れになると「子供が小さいから大変」「疲れる」などとひたすらネガティブな反応をする。母親はたまに家に来て一緒にでかけたりするのだが、父親に対しては帰省した時にも一切口を利こうとしない。正直、俺も娘がいるので、それを見てるだけで本当に辛い。
結婚してすぐの時は、やんわりと「親孝行した方がいいんじゃない?」みたいな事を言ったこともあったが、父親に対する過去の糾弾が始まり、話にならなかった。父親が過去にしたことも悪いとは思うが、別に一生口を利かないほどの事とは俺には思えないし、父親の稼ぎで大学まで行かせてもらったのに、その感謝の気持ちも無いのか、と呆れてしまう。
嫁が自分の両親への親孝行に消極的なせいで、財布を共有する俺の方も頻繁に帰省したり旅行に行ったり、プレゼントしたりといった親孝行を提案することすらできず、ずっともやもやしている。両親もいつまで生きているかわからず、このままだと親を亡くした時メチャクチャ後悔しそうで怖い。
一番いいのは嫁が自分の両親への感謝の気持ちを持ち、積極的に親孝行するようになることだが、それは難しい気もするので、今の状況を少しでも改善する為にはどうしたらいいのでしょうか。誰か教えてください。
正確にいうと「売れない」のでなく、
「売れるタイミングを逃した」のだと思う。
だけど私は事務所を辞めてフリーになった彼らに出会って好きになってしまった。
彼らとライブ後、会話してプレゼントまで持って行く客はさほど多くない。
私は友だちと一緒に半年ほどで顔を覚えてもらった。
私も彼女もいい大人で自由になるお金があるので彼らの拠点となる地方や東京へライブの度に飛んでいく。
そして「どうしたら彼らが売れるのか」についてずっと考えて話し合っている。
ついには「BL売り」をすることや「炎上商法」まで話が及んだ。
彼らが好きな音楽を好きなだけできるようにお金が稼げればいいのだが、
そのためにライブにお客さんを集め、CDを自費で出し、さらにお客さんを集め…
とりあえず私のお金をできるだけ落とすここと
周りの友人に魅力をしってもらおうと足掻くことくらいしか
応援出来る術がない。
【追記】
※彼らに近づく為に応援をしているわけではありません。
「プレゼント探してるんですけど」とか言って見せてもらうけど真剣に悩んでると店員から「早く出ていけよ、オッサン」ってプレッシャーが激しくてマジでいたたまれない
いっそ死にたくなってくる
お気に入りだった底浅幅広の器の端が欠けたのもあったし、妹から久しぶりにあう親へのプレゼントは?みたいなことをせっつかれて。
藤野陶芸市は、藤野に在住する陶芸家が中心となった市だ。なので市場のようにぎゅっとしたのと違って、各工房がそのまま出店になっている。
地図を見るといい感じに散らばっていてディズニーランドのアトラクションを回るようで楽しそう。そう思っていた。駅から降りるまでは。
昼に藤野駅に降りたがバスがない。次は13時といきなりサドンデス落とされた形で、案内所でもらった地図から見た目1番近い場所をグーグルで検索すると30分。歩いているうちに抜かされる感じはないし、いくか。歩き始めて、橋を超えていきなり坂にぶつかった。
ここ登るのか。諦めの境地で突き進むとなぜか坂が終わらない。グーグルマップでみると道が蛇行しているではないか。もしや…
かくして最初のお店につくときは息も絶え絶えでしばらく魂が抜けていた。
広場みたいなとこで楽曲団による演奏をやっていて、それを遠耳に藤野の地ビールであるクラフトビールを飲んだ。六百円といい値段したけど2杯もつい飲んで。いい風が吹いていてとても美味しかった。
ちょうどいいお皿を見つけて即決すると陶芸家のひとに夏みかんもいただくなんて嬉しいこともあって。
さあ2拠点目に行こうか。そう思ったら4キロ先だった。バスもやっぱり一時間は後。歩くしかなかった。
山の中に目が浮いていたり、全宇宙の遺伝子を表現したモニュメントがあったり芸術の道を延々と進んで。
やっとついた先で、まず休憩所を探した。ハーブティーをおばあさんが百円で売っていたのでお願いするとティーポットと一緒にでてきた。青空喫茶に風がよく合う。ごちそうさまでした。
次の拠点までまた歩いた。
途中でベトナムのかき氷売ってる路地のひとに誘われてまた休憩。杏美味しかった。
神社の露店では強く吹いた風に浮きかけたテントをがしっと掴むなんてハプニングもあって。
まだこの先に山荘があるんです〜と親切そうなお店の人に地図を渡されたらいくしかなかった。
また歩いた。
蔵を借りてLPを流しているオジサマに出会った。ドイツのアンプは世界一ーと延々と語ってくれた話は楽しかったが確かに音は良かった。
そんなこんなで。
徒歩16000と全然大したとこないはずなんだけどやっぱり皿が重いんだと思う。
すごく眠たい。満足感ある疲れが残った。
私は一時期、小さなギャラリー兼レンタルボックスによく行っていたのだが、そこでボックスを借りて作品を売ったり、作品展をやったりしている人たちが不思議で仕方なかった。その作品は、手作りアクセサリーだったり、写真だったり、手芸作品だったり、アートなのか何なのかよく分からない物体だったりした。ちょっと不便で入りにくいところにある小さなギャラリーで、その代わりギャラリー代がかなり安くて無審査だった。自分もお付き合いでギャラリーのグループ展に参加したことはあるけれど、あくまでもワン・オブ・ゼムに過ぎず、自己満足でやっているという感じしかしなかった。
これはご本人達に聞くよりオーナーに聞いた方が早いのかも知れないけど、「お金のためにやってる」と言い切れるほど儲かる場所には見えなかった。一部の人の作品のクオリティはかなり高かったけれど、それならばもっと立地のいいところで、宣伝になるようにやらないと意味がない。あくまでも作るのが楽しいからやっているというなら止めないけど、これだけで生きていこうとするとかなり厳しいとお見受けした。それでも手作りアクセサリーなどで人気のある人は、他のレンタルボックスにも作品を出したり、デザインフェスタみたいな大規模イベントで作品を売ったりしていた。ちょっとしたお小遣い程度にはなるのだろうか?
そして質問その2「作品を作り続けるモチベーションはどうやって維持してますか?」
これ。本当に不思議でしょうがないのだ。私が行っていたところ以外でも、結構あちこちのギャラリーで分かる人にしか分からない作品をせっせと展示している人たちがいて、それなりに格の高いギャラリーではギャラリー代も相当かかるし、沢山の作品を事前に提出してギャラリーの審査に通らないとそもそも展示できない。だいたいどの作品にも値段がついていて、買いたい人は買えるようになっているのだが、わざわざ買って帰って家に飾りたいと思えるものはそうそうない。もっとも私は著名な画家や写真家の作品(複製を含む)であっても、同じものをずっと飾り続ける趣味がないのであまり参考にならないかも知れないけど。どっちかといえばカレンダーみたいに一ヶ月ごとに違う絵が見られるものの方が好きなのだ。
それにしても、私は子ども時代、手作りが大好きだった。折り紙とビーズ細工にはかなり熱中した。子ども時代…といっても高校生になっても続けていたし、当時はわりと高度(?)な作品も作っていた。折り紙だと連鶴(一枚の紙に切り目を入れて、何羽もつながった鶴を折る)やユニット折り紙(沢山のパーツを折って組み立て、さまざまな立体を作る)をやっていたし、ビーズではビーズフラワーなるものを作っていて、ビーズで花びらなどを作って花の形に整え、茎に刺繍糸を巻き付けてまとめて仕上げたものをコサージュにしたり、小さな花束にして人さまにプレゼントしたりしていた。
が、正直作る作業が楽しくてやっていただけで、作り終わった作品はどうでも良かった。人さまにあげたり売ったりするほどの出来でないものも多かったし、折り紙はかさばるわりにつぶれやすいので、運搬や保管が難しかった。でも今ならば、手作り作品をブログで発表したり、ハンドメイド作品販売サイトで売りに出したりすることができる。そんなにお金に執着しなければ値段を安く設定すれば良い。だが、自分のモチベーションがすっかり下がってしまい、地道に作品作りに励むことができなくなってしまった。老眼になって細かい手元の作業が苦痛になったとはいえ、だいたい定時に帰れる職場にいて、時間の余裕はあるはずなのに、何も作れない自分が情けない。ちなみにいまだに折り紙やキレイな柄の包装紙などには目がなくてついつい購入してしまい、材料だけが増えていく状況である。誰か私のやる気スイッチのありかを見つけてくれないだろうか。
感情的には母親が好きということは無い。嫌いということもない。
ただ、母親にずーっと頼ってる。
ちゃんとした職業についてるし、一人暮らしで、年に数回、母にはあったりする。相談とかもする。
で、自分は、どうも、母に対して愛情を持つことが恥ずかしいらしい。
母の日に、母から電話があり、「母の日のプレゼントある?」と聞かれたが、「日曜だけど仕事あって無理だわ」と意味不明な言い訳をした。
今まで、一度も父の日や母の日や家族の誕生日にプレゼントしたことがない。おめでとうの言葉もしたことがない。ただ、誕生会とかに参加はする。
発達障害っぽくて、誕生日とか興味が無いことはマッタク覚えられないので、そもそも誕生日も覚えていないから対応できない。
息子と共同で夫に愉快な柄のボクサーパンツをプレゼントしたんだけど、
実際履いているところを見ると前開き(?)がなかった。
前開き(?)の有無をとくに確認せずに柄だけで選んだので申し訳なくなり、
前が開いていないけど不便じゃないか尋ねたところ、
都内で働いて一人暮らしをしている。めちゃくちゃ高いわけではないけどブラックでもない、年齢にしてはそこそこ妥当な年収(らしい)で暮らしている。
性格上日々の細かい倹約に向いていないので、せめて古くて狭くて安い部屋を借りて、格安スマホにして、家賃+光熱費で月収の1/3程度におさめている。
残り2/3を生活費と貯金に割り当てているので、自分のための浪費はある程度できる。
交友費、美容院、ジム、服飾諸々、母の日とかイベントごとのプレゼント、旅行やライブとかの大きめの娯楽……などと並べた中で月々優先順位をつけている。
一時期は定職につけなくて本当に苦しい時期があったので、貯金残高を気にしないで好きなものを帰る、というのはとても楽しいし嬉しい。
友達と飲みに行ってちょっと高くついても、「楽しかったし仕方ない!次は気をつけよう!」で済む。明日からの食事を考えなくてもいい。自分のために働くっていいなと思う。
でも、デパコスやブランド物はそうそう買えない。欲しいんだよ!だけど優先順位で比較検討した時、それに使うと他に回せなくなっちゃうんだよね。
そんな時、年収ベースだと私よりも多分ちょい少ないんじゃないかな、くらいの実家暮らしの知り合いがデパコスを毎月6個も7個もガンガン買って「また買っちゃった♪これおすすめ!デパコス買うのやめられない〜」みたいなツイートしてるとどうしようもなく苛立ってしまう。
お前の顔一個しかねえだろうが。何個アイシャドウ塗りたくるんだよ。とか思ってしまう。僻みなんですけど。
美容意識高いですツイートもやたら鼻についてしまう。お前の顔と体型知ってるからなこっちは。水原希子になってから言えよ。とか思ってしまう。僻みなんですけど。
これが都内一人暮らしの女だったらそんな気にしなかったと思うんだよね。いいなー、バリバリ稼いでんだろうな、そうじゃなければ節約してんだなーって。
でも、都心の実家に住んでデパコス買いまくってライブ全通して海外旅行して交友費も削らなくてその上さらに料理教室通おうかなーとか言ってんの、ただただ羨ましくて苛々するんだよ。
お前にどんなにおすすめされてもこっちは買いたいデパコスを我慢するんだよ。なぜならこっちは家賃と光熱費が自腹だからだよ。お前みたいにタダじゃねえんだよ(いくらか入れてるかもしれないけど)。
私が優先順位つけてるみたいに彼女だって優先順位をつけているだけで、単にその順位の差なんだってことはわかってるけど、それでもとにかく羨ましい。
私も都内の実家で犬と住みたい。こんなに古くて狭い部屋に家賃を払いたくない。年に2回とはいえ片道15000円の帰省なんかしたくない。
とはいえどんだけ金があってもこの物欲をなんとかしない限り同じ不平を言い続ける気がするから、根本の原因は自分にあるんだけど……。
前に会った時、彼女が持っていたバッグが二度見するほどボロかったことだけが心の拠り所になっている自分は十分卑しいと思うけど、許してくれ。
母の日だった。
うちは母子家庭だった。
母親はそこそこ安定した会社でクソみたいな人間関係に悩まされながらも、わたしが大学を卒業するまではキッチリ働いてわたしに仕送りもしてくれた。
母親が苦労しているのは知っている。
わたしを育てるために色々な犠牲を払ってくれていたであろうこともわかる。
感謝すべきなんだろうな、とも思う。
母親はよく「あの人と結婚したのは間違いだったけど、アンタが生まれてきてくれたから、結婚した甲斐はあった」とか、そういうことをよく言っていた。
まだ幼かったわたしは、そういうもんなのか?とよくわからない顔をしてそれを聞いていたけれど、
今なら、子どもにそんな重荷を背負わせるなよって思う気がする。
ど田舎生まれど田舎暮らしで、母子家庭への当たりもそれなりにあって、別にクソ貧乏ではないが裕福でもなく、
わたしは無意識のうちに色々な可能性を諦める人格に育ってしまった。
会社で働いてみて思うけど、もっと自分の好きなことで食っていけるように夢を追いかけてみたりしたかった。
小学生の頃、将来の夢をよく聞かれた。
わたしは音楽が好きだったから、本心はピアニストとか歌手になりたかったけど、
「そのために音大に行くとお金かかるし、行かせてくれるわけないし、まあ無理だな」って思って、そんなこと言えずにいた。
将来の夢とか抱いたことがない。
母子家庭の不自由さを何となく察して、そういうモヤモヤした幼少期を過ごした。
大学で一人暮らしを始めた時から、母親と連絡を取ってもいつも職場の愚痴を聞かされ、
「ああ、金のかかるわたしがいるせいで母親はクソ職場に縛られているんだな」ということを強く実感させられて、死にたくなった。
一人の人間を縛る自分も嫌だったし、そう思わせてくる母親も嫌だった。
ノリで子供を産んだんなら、最後まで1ミリも不自由な思いさせずに育て上げてくれよ。
母親と自分との関係を考えるにつけても気が重く、老いた母親を想像して勝手に気持ちを沈ませている。