母の日だった。
うちは母子家庭だった。
母親はそこそこ安定した会社でクソみたいな人間関係に悩まされながらも、わたしが大学を卒業するまではキッチリ働いてわたしに仕送りもしてくれた。
母親が苦労しているのは知っている。
わたしを育てるために色々な犠牲を払ってくれていたであろうこともわかる。
感謝すべきなんだろうな、とも思う。
母親はよく「あの人と結婚したのは間違いだったけど、アンタが生まれてきてくれたから、結婚した甲斐はあった」とか、そういうことをよく言っていた。
まだ幼かったわたしは、そういうもんなのか?とよくわからない顔をしてそれを聞いていたけれど、
今なら、子どもにそんな重荷を背負わせるなよって思う気がする。
ど田舎生まれど田舎暮らしで、母子家庭への当たりもそれなりにあって、別にクソ貧乏ではないが裕福でもなく、
わたしは無意識のうちに色々な可能性を諦める人格に育ってしまった。
会社で働いてみて思うけど、もっと自分の好きなことで食っていけるように夢を追いかけてみたりしたかった。
小学生の頃、将来の夢をよく聞かれた。
わたしは音楽が好きだったから、本心はピアニストとか歌手になりたかったけど、
「そのために音大に行くとお金かかるし、行かせてくれるわけないし、まあ無理だな」って思って、そんなこと言えずにいた。
将来の夢とか抱いたことがない。
母子家庭の不自由さを何となく察して、そういうモヤモヤした幼少期を過ごした。
大学で一人暮らしを始めた時から、母親と連絡を取ってもいつも職場の愚痴を聞かされ、
「ああ、金のかかるわたしがいるせいで母親はクソ職場に縛られているんだな」ということを強く実感させられて、死にたくなった。
一人の人間を縛る自分も嫌だったし、そう思わせてくる母親も嫌だった。
ノリで子供を産んだんなら、最後まで1ミリも不自由な思いさせずに育て上げてくれよ。
母親と自分との関係を考えるにつけても気が重く、老いた母親を想像して勝手に気持ちを沈ませている。
今日も女は母の日でさえこれ
あんまり擁護できないわこれ