はてなキーワード: エビデンスとは
最初はコロナそのものに対してだったが、拡大が感染するにつれ、それに対する人々の行為に怒りを覚え始めた。
なぜ、こんなにも意味のないことを繰り返し、自分たちの生活を制限するのだろうと。
自分はまだ22歳で、昨年大学を卒業したばかりの所謂「若者」だ。
卒業式は中止となってしまったので、未だに学生のような気もするが、なんとか毎日仕事を頑張っている。
入社式も当然なく、別の部署に配属された同期の顔すらわからず、歓迎会も自粛されたが、仕事だけは淡々とこなしている。
そんな中お金をためて、実家から離れて結婚を前提に恋人と二人暮らしも始めた。式を挙げる目途も全く立たないのだが。
年末年始は実家に帰り(自宅も実家も都内だ)、積もる話も沢山できた。弟は成人式が中止になったそうだ。
毎日毎日、仕事だけをし、土日はただ家でのんべんだらりと過ごしている。
いったい何のためにこんなことをしているのだろう?
なんで自分は限りある20代という時間を、こんなにも無為に過ごしているのだろう。
自粛して命を守るというが、若者にとってコロナはそこまで脅威ではない。正直、コロナにかかって死ぬよりも、先行きの見えない日本経済のほうが圧倒的に怖い。
そして何より「大切な人を守るために若者は自粛して」という注意文句の有耶無耶感は何だろうか。
自分にとっての大切な人は同居している恋人や、遠く離れた家族である。
だが、恋人も若者であるし、家族に年老いた者がいない。むしろ、自分たち若者の親世代は氷河期ドストライクなので、親を見ると全く別の不安を感じてしまう。
自分たちも、あのように見放された世代となってしまうのではないかと。
よく、「嫌なら見るな」と言われるが、この日本でコロナに関する情報を全てシャットアウトするなんて無理な話だろう。
一人で山へ籠ればいいのか? でもそんなスキルが自分にはないし、俗世的な生活が好きだから難しい話だ。
飲み会も好きだ。
ディズニーに行くのが好きだ。
__春キャンディズニーにはもういけない。
好きなアイドルに会うのが好きだ。
友人と旅行するのが好きだ。
我慢して、我慢して、自分はリスクが低いからと、周りの人に移してはいけないからと、我慢した。
だけど本当に周りの人はコロナに怯えているのか?
自分は化学系の仕事に携わっているので、ウレタンマスクと不織布マスクの違いはよくわかる。ニュースでも頻繁に不織布マスクを取り上げている。
だが現実はウレタンマスクをする人が街にあふれ、「とりあえずマスクしとけばいいっしょ。コロナ対策してまーす」というファッションコロナ対策マンでいっぱいだ。
結局コロナが怖いのではなく、皆人の目が怖いだけじゃないか。本当に、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
そんなことで、自分たち若者は雇用を脅かされ、楽しみを奪われなくてはいけないのか?
挙句の果てに、その結果助かるのは見ず知らずの高齢者で、さらにその高齢者の生活を我々若者が年金や税金で汗水たらして支えているのに?
運よくコロナを撲滅したとて、その次にやってくるのが阿保みたいな増税だとしたら、また割を喰うのは自分達だ。
それならばむしろ、今のうちにコロナが蔓延して、ある程度高齢者が寿命を迎えていただければ、税負担も減るし高齢化社会だって改善されるじゃないか。
上記を言うと、倫理観がぶっ飛んだやばいやつと思われるだろうが、正直なところ、周りの友人は似たり寄ったりな意見を持っている。
みんな自分のライフイベントを中止にされて、自棄になって外で遊んでいるのではないのだ。各々考えたうえで、若者は自粛しなくなってきているのだ。
もちろん、何も考えずに外を出歩いている人もいるだろうが、少なくとも自分の周りは上記のような考えで動いている。
だからこそ、何も考えない若者たちとメディアで取り上げられることにも疑問しかない。コロナに対して自分なりに向き合い、エビデンスを固めて天秤にかけた結果、外に出ているのだから。
これを読んだ人は「若者がわけわからんこと言ってんな」と思うだろう。便所の落書きの気分で書いているので、それで結構だ。
だが、ストレートで早慶上智に入り、新卒で旅行業界に入った友人が「仕事を辞めるか、別企業に行かされ淡路島で暮らすか」の二択を迫られているのを見たりすると、どうしてもこのような考えになってしまう。
飲料メーカー勤めの恋人が、得意先訪問をしたら「閉店しました」と紙が貼られていたと伝えてきたら、どうしてもこのような考えになってしまう。
学生だし授業はオンラインだし、それ自体は問題ない。実験等で学校に行くときもあったが、他には特別何か外に出なければならないこともない。
電車に乗るような外出をしたのはMax週3、たいていは週1、使わない週も普通にあった。目的地に着くまで一言もしゃべらないようにしたり(まぁ一人だし)、着いてからは手洗いしたり必要以上に他人としゃべらないようにしたり。誰かと飯を食べるでもなく、用事が終わったらなるべく満員電車にならないルートを通って帰る...
それでも日本での感染者数は日に日に増えて、緊急事態宣言が出た。
夏を超えて感染者数が増えてきたとき、検査数を頑張って増やしてるんだろうとかいろいろ自分を慰めていた。Twitterを眺めて、情報源の悪いながらにいろいろ知ってみようとした。けれどよく分からない。
なんで感染者数は増えたんですか?(ggれ情弱と叩かれそう)(全体の数字を見る限りGOTOは関係ないやろって文章はこの前見た)
そして、感染者数が増えていると分かっていてなおも連れ立って外食しに行くパリピはいったい何を考えているんですか?
別に外食するのが悪いとは言わない。孤独のグ〇メはむしろ推奨されてる。経済を回すのだって必要だ。
一人で行けよ。もしくはお店でテイクアウトとかしてきて家でZoom飲みとかすればいいじゃん。
夜の飲食店営業が制限されて、「コロナは夜行性ですか?笑」って煽る人も見たけど、どちらかといえばそういう人間(主語デカ)が夜行性だから言われてんだよ。
こういうのを都合がいいというのか曲解というのかもはや分からないけど
そもそも自粛するやつがバカとか、自粛しない奴は大切な人が云々とか、双方何かしらのエビデンスがあって言ってるんだろうが、どちらの主張も合っている気がする。
単純に二極化できる状況ではない、というのが今言える最大限だと自分は思う。でも自分の利益だけ追い求めたらなんだか大変なことになるというのは誰もが分かる状況じゃないんだろうか?
ついでに(上記とは全然関係ないけど)、Twitterってマジで「建設的な議論」ってワードが成り立たないツールなんだよな。ネット社会どこもそうなのかもしれないけど。
それがネット、SNSだって言ってしまえばそれまでなんだけど、政治、医療に関するツイートにはホントに罵詈雑言レベルのコメントがたーーくさん。
「相手の気持ちを想像しましょう」って習わなかった?誰も理解しようなんて言ってないよ。嫌いな相手なら傷つけていいって恩師に教わったんか?
あと事実に基づかない陰謀論がしょっちゅう流れてきて目が痛い。クソ理系にとってはネタにもならないレベルの話が多すぎる。なんやねんチャクラって。ナ〇トか?
返答ありがとう。
> 理解していない人の理解の助けになればいいかと思って書いた
> ブコメの id:lady_joker のブコメなんで、この人が奥さん?を念頭に置いているのか親とかを念頭に置いているのか俺にもわからん
推測だけど、奥さんでも親でも一緒だと思うよ。
要は、頑張ってご飯を作って「さあどうぞ」って持って行った時って、往々にして相手を喜ばせたい、相手にサービスしたい、
という思いがあるから作っている、と容易に推定できるんだよ(もちろん、究極的には確認しないとわからないけど)。
ごはんを提供することで、相手が喜ぶ顔を見る、ということがモチベーションになっている人は結構いる、ということ。
その人の、そういう世界観は、必ずしもあなたの世界観とは合致しないかもしれない。
そうだとしても、まずはその人(コミュニケーションを開始した人)に合わせるところから始めるのが、大事。
パスを出す側も、受ける側も、ちゃんと「パスしよう」と考えないと、パスが成立しないじゃない?
今回のケースでは、明らかに「受け手側」が「出し手側」を意識していない事が明らかだったので、
それを指摘した次第。
ニール・シュトラウスの「ザ・ゲーム」という本で説明されているPUA(ピック・アップ・アーティスト)という考え方だ。
PUAについては、「ザ・ゲーム」を読めばわかるのだけど、
さらに、このベースになっている心理学的モデルが、神経言語プログラミング、通称NLPだ。
NLPをざっくり言うと、催眠術で使う言語アプローチをベースとした心理モデルで、今一つエビデンスが取れていない脇の甘さでも有名だ。
ただ、実務上、非常に使えるモデルであるため、話し方教室やコーチングスクール、営業向けセミナー、自己啓発セミナーあたりでよく(NLPと呼ばずに)引用されている。
(メンタリストDaiGoが使っているメンタリズムも、NLPをかなり参照している)
ここでは別にNLPを学んで欲しくてこの話をしているわけではないため、一部のエッセンスを伝えるにとどめる。
ラポールとは「かけ橋」、相手との心が通じ合った関係を築くことができている状態を指す。
ラブラブなカップルが、ペアルックにしたり、言葉遣いや雰囲気が似てきたりすることがあるじゃない?
ラポールを取るためには、被験者が言語的、非言語的に発している情報にシンクロすることが重要だ。
NLPでは、その技術を最初にトレーニングする(ペーシング、リーディング)。
その成立過程で、カール・ロジャーズの提唱した「傾聴」という概念を参照している。
そのため、NLPでは相手の話を積極的に聴くことで、相手とラポールを築くことを学ぶ。
さて、
> 「お前が何考えてるか全然わかんねえよ」とはしょっちゅう言われていたので、その度に
> 「なるほど、俺が何考えてるかわからないんだね」と返してはみたんだけど
とあるけど、「お前が何考えてるか全然わかんねえよ」と相手に思わせてしまった状態からは、
ラポールの構築は、可能ではあるものの、手間がかかるもの、と思った方が良い。
相手に「何考えているかわからない奴」という評価が出来上がっているので、
そこを緩めるほど多くのコミュニケーションを取る必要があるからだ。
可能であれば、早い段階からラポールを築いておくことが望ましい。
相手の評価が固まる前の早い段階から、相手にマッチするようにしていくことで、
「お前の考えている事、よくわかるわ」にしていくことが、より容易になる。
NLPに限らず、この手のスキルは、実際に使えるようになるまでの訓練が必要だ。
コーチングスクールや話し方教室など、「実際に対人練習ができる」場所に行って、
そして型を身につけたら、日常のコミュニケーションで実践していく。
日常の膨大なコミュニケーションで試行錯誤することで、「型」が実際に使えるものに変わるからだ。
「コミュニケーションができるようになりたい」という渇望があれば、どうにかなると思うよ。
コロナ特別措置法(新型インフルエンザ等対策特別措置法)の改正をめぐる国会での議論は、今週から発令予定の緊急事態宣言に間に合わない。
ということは、今回の緊急事態宣言中、休業要請に事業者が従わなくても、事業者名をバラされる以外に罰がない。だから飲食店とかパチンコ屋が意地でも営業を継続する選択肢は、法律上あるといえばある。
特別措置法をもう一回改正する議論のポイントは、罰則をどうするかにあるらしい。意地でも営業した事業者に罰金や禁固刑を食らわせることができるかどうか。
一方、誰かがマスクをつけないで電車に乗ったり飲食店でウェイウェイ騒いで飛沫を撒き散らした場合でも、個人に適用する罰則規定はなさそうだ。
憲法上で定めている私権を国が率先して制限するのはまずい、という懸念が内閣法制局から出てストップがかかったらしい。もっともなことだと思う。
会食で感染者が増えれば増えるほど、国や自治体はより厳しい自粛要請を出すだろう。
そうすると、企業の売上は減る、首切りが進む、勤め人が持つカネは減る。
時給制で働いていて貯金もない非正規労働者は、稼働時間が減らされるとあっという間に家賃が払えなくなり、路上に放り出される。
これから一年でもっとも寒い時期を迎えるなかで、これは生きるか死ぬかの問題になる。
そういう状況になった人は思うだろう。
なぜ私がこんな目にあわなくてはいけないのか。
だが、そのへんで酔っ払って大声で飛沫を撒き散らしているあの人々をどうすることもできない。
通報したところで、彼らを止めて罰することのできる法律はない。
私は路上に放り出されて寒さで殺されようとしているのに、あの人たちは酔っ払ってゲラゲラ笑っている。
そこで自警団が街に現れる。
店を出た酔っぱらいの頭蓋骨を金属バットで叩き割る彼らは、きわめて危険な存在だ。
だが、自分が理不尽に殺されようとしているときに、誰に頼ればいいのだろうか。この怒りを誰に向ければいいのだろうか。
「まさにあなたを守るために我々は立ち上がったのだ」という自警団のレトリックに乗せられずにいられるだろうか。
ふだんリベラルな思想を持ち、在宅勤務をしながらこれを眺めている人は、鼻で笑うかもしれない。
ありえない、と。
会食をした感染者が無症状で撒き散らすウイルスに自分が感染したら、自分の家族や親しい人を失ったら、鼻で笑っていられるだろうか。
どれほどリベラルな思想を持っている人でも、恐怖と怒りにかられたとき、「自警団的なもの」が襲いかかってくる瞬間がある。