はてなキーワード: いつまでもとは
今日「完全に理解した」になったので、その感覚を忘れないように書いておく。
清掃・整理・整頓の違いを把握し、その中のどれを今やっているのかを意識する。
整理→物に住所が振られている状態
整頓→住所通りに物がある状態
例1:クリーニングされた家に引っ越した直後 清掃◯ 整理☓ 整頓☓
例2:整理整頓された状態で長年放置されたホコリまみれの蔵 清掃☓ 整理◯ 整頓△ (カビが生えて捨てるべきものが居座っている可能性があるので整頓は△(ゴミの正しい住所はゴミ捨て場なので))
散らかっている部屋は物の住所がすでにグチャグチャの無法地帯。
各地に住所不定の輩が跋扈し、その半分ぐらいが住所不定無職になっている終わっている状態。
整理整頓されていなくても清掃はある程度出来るので、「汚いけど生ゴミが放置されているわけではないので暮らすことは可能」みたいな状態で住み続けられてしまう。
その状態を解決するには、「物に住所を割り振る」という作業が必要になるが、ある程度以上混沌が続くと各地で物が独立自治区を作り出してしまい、区画整理に混乱が起きる。
脳のリソース消費が軽減される。
物の場所が分かりにくいと、日常的に物を探すために思考力・想像力・判断力が無駄遣いされる。
脳に疲労が蓄積するので様々な行動の効率が下がるし、ストレスも溜まりやすい。
消費期限の管理が難しくなったり、同じものを複数買ってしまったりで、金銭的にも無駄が起きやすい。
床やベッドの上に「空きスペース」と「整理が終わってないものを集積する場所」を一つずつ確保する。
もしも床が完全に埋まっている状態であっても、部屋を半分に割って片方に全部積み上げていけば自動的に「空きスペース」「集積場」に分離できる。
空きスペースに空のダンボール箱やビニール袋を大量に用意する。
「集積場」にあるものを属性ごとにダンボール箱やビニール袋に分けていく。
属性の例:「化粧品」「医薬品」「食べ物」「電池」「文房具」「書類」「衣類」「洗濯物」「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」「メルカリ行き」
とにかく全てのものを何らかの属性で分けていき、どうしても既存の属性に収まらないと思ったらいつまでも悩まずに新しい属性を作り出す。
どうしようもないと思っても一種類ずつ小さなビニールに入れてしまった方がいい。
そのうち仲間が見つかるかも知れないし、そのときに少しでも区分けされていた方が住所を決めるときや、いっそ捨てるべきと判断したときに少し楽になる。
部屋が散らばってくると同じものがいくつも見つかるので(特に日用品)、それらを一種類ずつビニール袋にぶっこめているだけでも十分状況が改善している。
床に散らばっているものが整理し終わったら収納スペースに入っているものを集積場に全部出してしまい、これも属性ごとに分けていく。
これによって空になった収納スペースが出てくるので、その中に属性ごとに一箇所にまとめて入れていってしまう。
住所の再配置をするときは導線を意識し、前そこに何を入れていたかに囚われすぎない方がいい。
例:洗剤なら絶対にシンクの上に置く。新しく買ったら新品も古いものと並べてシンクの上に。
収納スペースが属性の数に対して不足していると感じたら新しく収納スペースを購入する。
「電池」のような小さな属性のものはジップロックにでも入れて、「電気製品」スペースに一緒に入れるとかしてもいい。
同じものを複数持っていることが判明した場合、一度に使うのが一つだからといって「保管スペース」なんかを作るとあとで散らかっていく。
詰め替えボトルと詰替え用パックも同じ場所に置いてしまった方が合計残量が常に確認できるので買い忘れ等が減る(その結果、不安になって買いすぎて散らかるのが減る)。
複数あっても意味がないもの、いくつか持っていてもいいけど持ちすぎているものは処分する。
ゴミはさっさとゴミ袋に入れてしまい、メルカリに出すようなものは「メルカリ待ちスペース」を確保してそこに集積しておく。
アイスを買ったら急いで冷凍庫に入れるのと同じぐらいのスピードで新しく買った連中の住所不定無職を防ぐ。
一度住所を決めてしまうことのメリットは、出したけどしまってない状態なのか、実はそこが定位置でもいいのかが曖昧になってること。
バックモニターやドラレコで車の走行中の風景を車内でリアルタイムに録画したり流したり出来るようになってきたんだからさ、そろそろトラックやバスとかの大型車が遮ってる前面の景色を背面で流して後続車に情報を提供すべきじゃね?
車の運転で前方不注意なんて結構な罰なのにさ、強制的に前方の情報を遮断してるのって欠陥だろ
建築物では一軒家の隣にクソデカビル建てたら景観を損ねた程度の理由で建築法違反じゃん建築法よく知らんけど
それが車ではもっと危ない事情あるのにいつまでも野放しってなあ
実際前の信号見えなくて赤信号なのに付いてくのとか危なっかしいし、距離取れよって言うのも信号見えるほど距離取ったらそこに別の車が詰めて入ってくるだけだし、前方で何か異常があっても咄嗟の判断も遅れを取る
現状じゃ危険だらけだ
そうした事態を今の映像技術レベルになっても野放しなのは怠慢だろ
デザインのダサさとか知らんけど、安全第一で前景モニターの配備やってくんないっすかね
「仕方ないだろうさ。ガンダムってのを見るとどうも喧嘩っ早くなるってね」
「戦いを美化し売り歩く!それに感化された者達が争うことで市場が盛り上がる!ロボットアニメとはそういうものだ!」
「戦争アニメ見てるからって自分たちが戦争することなんてないでしょう?」
「人は真似ることで学ぶ生き物だ。戦いを見て育ったものは戦うのが当たり前だと感じるようになる」
「おかしいかい?俺は親からガンダムを見せられたし友達もガンダムを見てたぜ。ガンダム見て育つってそんなにおかしいのかよ!」
「いい大人がいつまでもガンダムの話をしてるのがおかしいってんだよ!」
「すり替えないで欲しいな。僕たちがしてたのは戦争を賛美してるかどうかって話だったんじゃないのか」
「結局それがガンダムの話だと言ってるんだろうがよ!」
「こういった連中が増えると、ガンダム見てるってだけで戦争好きの人間みたいに思われちゃうんで参っちゃうね」
「いつも嬉しそうに言い争いをしておいて何をいけしゃあしゃあとッ!」
「愚かだ愚かだと繰り返してるだけで批判してることになるのかよ!」
「正義の有り様が一つではないと伝えること!それが監督の目指したガンダムなのです!」
「聞き飽きた戯言をさ。結局いつも新しいのが偉いんだってミーハーみたいな話しかしてないのにね」
「どうにもアニメの方々には、人を争わせることが見ているものに心地よい景色になる、そういう思い込みがあるようなのですよね」
「じゃあなにかい?ロボット並べておいて延々畑でも耕して50話過ごすってかい?」
「そうやってまたすぐ極端な言い方をすればいいと!」
「言葉尻の揚げ足取りに走るのね。そういうの、痛い所を疲れた証拠だってご存知?」
「ロボットアニメってなあいつもこうやって喧嘩してるイメージしかないんだがねえ実際」
「必死な姿は美しいってか」
「命が燃えるのが美しくてそんなに悪いのかよ!」
「現実の戦争では、そういった輝きに踊らされて命を踊らされた人が大勢いるのよ」
「じゃあなにかい、そうやって散っていた人達を小馬鹿にするような話だけずっとしてたら満足なのかよ」
「戦争賛美だとどうしても言われたくないならそうするしかないだろうね」
「結局さ!他人にどう言われてるかばっか気にし過ぎなんじゃないの!」
「自分の価値を自分で決めろなんて簡単に言いますけどね、人間は一人じゃ生きられないんですよ」
「君はまたそうやって話を大きくすればいいと!」
「やだやだ。言い方がちょっと違うだけでずっと同じ話をしてるよ」
「ガンダムについて語るとはそういうことだ。諦めなさい」
「時間が惜しい。私はもう寝るよ」
子どもがいない選択が最高みたいなのが最近よく流れてくるので、反対に子どもがいる人生を歩んでいる私の話。
今現在は30代。
何故子を儲けようと思ったのかと言えば、“愛する人と結婚したら子どもを産み育てる”というのが生きとし生けるものという認識だったから。
そんなありきたりな話。
(もうこの認識も、既に一昔前なんだろう)
自分は父や母のようになりたかったし、父や母のような家族を持ちたいと思った。
そう、私は家大好き人間であった。
美味しいものを食べて、温かいお風呂に入って、家族みんなでゲームしたり一日の話をしたりして過ごす。
ぬくぬくいつまでも入れるぬるま湯状態で過ごせる身分であったのが大きいのかも知れない。
実際生まれてきた赤子を見た瞬間には
「なんて大変なことをしてしまったんだろう!」
と思ったけれど。
一生守り続ける、と強く誓ったもの。
子どもとは〜赤子とは〜という育児予備知識入れていたが、そんなもの外れていくのが子育て。
すっかり推しの出ているテレビはリアルタイムでは見えなくなったし、コンサートライブに参加できるようになったのは卒乳後。
ファッションには疎くなったし、行くところはすべてショッピングモールで完結。
(スーパー、子ども用品、ファッション、日用品、ドラッグストア、飲食店、遊び場まであるショッピングモールはなんて素晴らしいと思ったか)
ガチャガチャの出費は嵩む。
ちなみに仕事は職場にとても恵まれ、コロナ禍もあり基本リモートワークの職。
子の体調不良時は保育園に通園できないため、自宅保育しつつの仕事になるが業務調整が効くの一人仕事なのでそこがとても良かった。
夫は急な欠勤は難しいものの、18時台には必ず帰ってくる。
(余談だが、夫婦で小遣い制。家計簿アプリで通帳やカード履歴の見える化をしている。)
付き合いが長かったのもあるが、お互いに何でも言い合えて揉め事があれば話し合いからの妥協も含めて改善できる。
今では、どちらかが子どもに構えばどちらかは家事をする、そんな分担ができているから不満もない。
寝かしつけで寝落ちしたら、その後の処理を完璧にやってくれる夫は最高である。
保育園は有給時のリフレッシュ保育を可能としていて、夫婦で有給取得してレストランランチに出掛けることもできる。
休日はワンオペ可能な夫に任せて友達と遊びに行ったり、美容に金をかけることもできる。
思えば実家の家族全員集まって揃ってBBQもしたり、お祭りに行ったり、水族館動物園に行ったり、ご飯に行ったり、旅行にも行った。
たぶん、大人になって自分の親とBBQするなんてことは子どもがいないとしないだろうな…と考える。
子どもがいたらできないこと、というのはあるだろう。
100%自分に注ぐことはできないけれど(それに粗相をしないか周囲の目は必ず気になってくるし)、それでも子どもがいてとてもとても幸せだとは言える。
私自身「生まれてこなきゃ良かった」なんて思ったことがないからかも。
Twitterの愚痴を見て、「私って恵まれてるな…」と感じることが多い。
義実家も優しくサポートもしてくれるし、実家は最高だし、夫も書いた通り何も言うこともない!
結婚する人、しない人。
子ども産む人、産まない人。
いろんな人がいて良いと思う。
子どもを産む、育てるは大変。
大変ではあるんだけど、Twitterで見るマイナスばかり目立ってしまうから書きたかった。
以上!
マウントでしょ?この文章をマウントだと思えないのであれば、対話能力終わってると思うわ。
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同じことをずっと繰り返していられるのは他人に甘え続けているだけの惨めな人なんだよ
そういうはてなたちに飽きたんだ
俺はこれでおしまい
しばらくぶりだけど、結婚した
普通のマッチングアプリで知り合った女の子だったが相性は良かったと思う
結局、はてなを使ってる人たちはずっと同じことを言い続ける独身貴族なので滅茶苦茶つまらないんだなって気づいてしまった
人によっては天国に思えるらしいが、昨日も明日も1年前も来年もこれからさきずっと「男女論」「東京と田舎」「結婚や婚活」「子育て罰」なんてことを言い続けるしかない人たちなんだってわかったら、もう彼らと友だちになっても全然どうでもいい存在に思えた。カードゲームでいうと、20年前の遊戯王デッキを後生大事に延々プレイし続けてるだけの人と何を楽しめばいいんだってこと。しかも下手くそなまま。
同じことをずっと繰り返していられるのは他人に甘え続けているだけの惨めな人なんだよ
そういうはてなたちに飽きたんだ
俺はこれでおしまい
僕の知っている人で死を体験した人がいない。
どんなことだって、あらかじめ先人の知恵を調べて準備をするが、この世のすべてのアドバイスは死の際までしか教えてくれない。
宗教は教えてくれるが、あれは願望だ。当てにはならない。
だから、なるべく死を後回しにして、おそらく辛いと予想される死に方を回避するしかない。
でも、死後何がおきるかはわからない。もしかしたら死後の世界があったらどうしよう。その死後の世界は今よりも楽とは限らない。
生前の行いに関係なく地獄と呼ばれるようなところに行くかもしれない。
もしかしたら輪廻転生するかもしれない。記憶がなくなるなら別の人になることだからそれはそれで怖くないかもしれない。
人間は単なる生物で、僕の自意識は僕の体、脳に依存しているからだ。
停止するだけならばいいが、もしかしたら死の間際に主観時間は引き延ばされるのではないかという懸念がある。
それと同じように極限状態で脳の主観時間が引き延ばされて、極限まで引き延ばされて死の際を無限の時間に感じていつまでも死なないということもあり得る。
第三者から見れば、僕は死んでいるが、僕は死んでいる時間まで到達することができずずっとそこにとどまってしまうこともあるかもしれない。
死んだ昨日の僕は、無限に死なない時空で閉じ込められたり、地獄のような場所に転送されたりするかもしれない。
寝た後、知らない場所に行き苦行を強いられるかもしれない。
そして僕は「なんでこんなところに来たんだ?死んでしまったのか?家族にお別れを言いたかった」と思うが、別の僕はまた生まれて家族には無事な顔をみせていることをしらない。
■ anond:20230607111040
削除は権利だろ?
自分の日記を整理してスッキリ断捨離することの何が甘えなんだ?
むしろ読むに値しないものをズケズケといつまでも他人に見せつけて自己顕示する傲慢さこそ甘えじゃないか?
お前らも一日前の書き込みは全部消す習慣をつけるといい
心が豊かになるぞ
■ anond:20230607112007
はあ、分かってないなあ。
増田ってのは後からやってきた文脈分からんやつにまで見せびらかすようなもんを書く場所じゃない。
少なくとも俺にとってはな。
だから1日も経てば、レス元のやつも見ただろうし、返すことがあるなら返してるだろうし、俺も続きを見る気があるなら見るし、なければそのままお流れにする。
ネット上に記録したいんじゃない。瞬間の記憶を、その時リアルタイムに増田に居た誰かと共有できたらそれ以上は望まないんだ。
俺の日記はそういう理念のもと定期的にスイープして、ネット酔いしたようなノリで書いた世迷い言を供養する。
もちろん恥ずかしいような投稿も、なんでもないような投稿も、まとめてだ。
その慎ましい願いになぜ難癖をつけられる謂れがある。
増田の反応