別にどちらもダメではない。面白いと思う人もいれば、不愉快だと思う人もいるという話。
インターネットを通じて、「不愉快だ」と発信できるようになった。
保毛尾田保毛男はゲイを揶揄するように見え、それを不愉快だと思った人が声をあげる。
浜田の黒塗りも黒人を揶揄するように見え、それを不愉快だと思った人が声をあげる。
同じようにキングスマンで大虐殺された「白人至上主義者」が、不愉快だと声をあげることもあるだろう。
あげられた声に対して、当事者でない人がその声に共感できれば、その表現は差別認定される。
共感できなければ音沙汰なし。
今後はもしかしたら俺、そいつ死ぬほど嫌いなんですなぜなら……という論法で笑いが作られるかもね。
そして表現もそうなっていくかもしれん。
なるほど笑いの潮流を追っていくと意識していなかった社会規範を意識させられるというのは面白いなと改めて思いました
それ「大衆が共感するものが守るに値する」ってだけで、反差別でもなんでもなくて、 単に新しい差別規範でしかないんじゃ