はてなキーワード: 球技とは
某著名人の方の打ち立てたタイトルをお借りして申し訳ないですが、こういう話ってやっぱりいじめを"乗り越えられた"体験談ばかりだなと思って。いじめられた経験持ちで今現在"いじめの過去を乗り越えられていない"立場として、今いじめられている人に向けた言葉というか、といってもまあほとんど独り言のようなことを言いたいと思います。
自分は中学時代の3年間全校生徒からいじめられた経験があります。具体的な出来事はあげないけれどそのひとつひとつが今の自分を作っていると思います。悪い意味で。挨拶ができません。人前で話せません。怖いので。ありがとうもごめんなさいも言われるのが得意ではありません。それが本心ではないと疑ってしまうので。球技ができません。玉を当てられるのが怖いので。チームプレーや団体行動ができません。自分がいては足を引っ張ると萎縮してしまうので。小さなことです。小さなことだから、なんでこんなこともできないの、と言われます。余計つらいです。そういうの、自己責任なんです。いじめられた過去があって、で許されることじゃないんです。そこから変わらなきゃ、って言われることなんです。でもまあそうですよね。普通に挨拶しない人とかみんなと一緒に動けない人とか、迷惑ですもんね。
どう考えてもいじめられていない人の方が有利なんです。今いじめられているあなた。その経験は今後なんの役にも立ちません。だってそうじゃないですか?いじめられた経験が今後の人生の糧になるなんて言ったらいじめを肯定することにならないですか?だからもう、いじめられた時点でいじめられただけ損なんです。最悪です。死にたいです。今だって死にたいです。死なないのは死ぬのが怖いからです。死ねた人ってその恐怖に勝てたんだからすごいなあと思います。自分は多分今後も死にたいなあ死にたいなあと言いつつ死ぬのが怖すぎて死ねないままのうのうと生きるんだと思います。なんかそういうのすらつらいです。
今自分はいじめられていません。でもいじめられていた過去は何も解決してないし、ひとつも乗り越えられていないし、少しも許せていません。いじめから逃げることも、戦うこともできませんでした。だから毎日つらくて、死にたくて、まわりのみんなに死んでほしくて、のたうちまわってます。でもさ、それでも、人生楽しいです。そんなんでも、楽しいって思えることがあります。この世界は残酷なので。毎日死にたくても好きなアニメは面白いし、大人になってやっとできた友人とバカみたいな話してバカみたいに笑うの楽しいし、ごはんおいしいし、オナるの気持ちいいです。思えばいじめられているときもそうでした。いじめられてても読んでる漫画は面白かったし、お父さんの昔話聞くのが楽しかったし、ごはんおいしかったし、オナるの気持ちよかったです。それでも死にたいです。それでもつらいです。どっちかじゃないんです。良いことも悪いこともどっちもあって、悪いことの方が多いから死にたくて、でも死ぬのが怖いくらいにはちょっと良いことがあって、ここまで生きてきてしまいました。
今いじめられている人へ。あなたに、死んじゃ駄目だと自分は言えません。本当に本当に生きるのがつらくて、どうしても死にたいんだったら、それを止める権利は自分にはありません。だって自分も死にたいので。死にたい分際で他人の死にとやかく口出せません。でも、死ぬのが怖いって少しでも思うなら、死んでほしくないって思います。名前も知らない存在も分からないあなたに、自分は死んでほしくないです。自分もいじめられてたから。これから先生きてて、いじめを乗り越えられた人みたいな、まるで常人のような幸せは訪れないかもしれません。でも今死ぬのが怖いなら、死ぬのはちょっと待ってほしいんです。その先を何も保証できないけれど。怖いうちは、死なないでって、そう思います。自分が死ねないから他人にも死んでほしくないだけ?そうかもです。他人事だから死なないでなんて簡単に言える?それもそうかもです。それでもやっぱりどこかで誰かが死ぬのは悲しいから。とんでもないただのエゴだから、聞いてくれる人だけでいいんです。別に絶対自殺するなって話でもないんです。ただちょっと、痛いの怖いな、自分がいなくなるの怖いな、死ぬの怖いな、と思ったら、それは後回しにして、おもろい本あったら読んで、話せる人がいたらおしゃべりして、美味しいごはんがあったら食べて、いいオカズあったらオナって、そんな感じで、なんとかならないかなって思います。自分に言えることはそれだけです。長々とすみませんでした。どうかあなたの人生が幸せで、あわよくばいじめっ子に天罰が下りますように。
早生まれで学年の中では体つきが小さく、割と性格もおとなしい方だった。出身は関西の田舎の方にある小規模の都市で、中学だとクラスに何人かはヤンキーがいるようなところ。そういう土地だと、体が大きかったりスポーツができたり、ハッタリでもいいから悪ぶってたりする人がとにかく幅を利かせているから、自分みたいなタイプは割と居場所がなかった。あと、子供はほとんど全員が小学校まで、野球かサッカーのチームに入っている(地方の人はわかると思う)けど、自分はより田舎の郡部の村から小学低学年の頃に引っ越してきたこともあり、どちらも入っていなかった。こうなるととにかく居場所がないし、舐められるし、劣等感ばかり募る。
生きる術として、絡まれにくい目線の外し方とか、自虐とかで笑いをとる最低限のコミュニケーション能力があったから明確にいじめられたことはなかったけど、ヤンキーだけじゃなくてたくさんの同級生に舐められてるな、と思うことは何度もあった。中学では運動部に入ってないからとか、体が小さいから、悪ぶってない(学ランの第一ボタン、第二ボタンを外してない)から、というのでよく下に見られることが多かった。高校では偏差値が上位の公立校に入ったのでヤンキーはいなくなったけど、場の雰囲気は変わらないどころかもっとみんなマウンティングし合ってるような感じになった。高校では、球技が苦手で球技大会とかで活躍できないことも理由に加わって、見下されたり、ということが多かった。気にしすぎなんだと思うけど。
その後、大学から東京に上京してきて、就職して今に至るが、いまだに当時の価値観や劣等感を引きずって幸せになれない。誰かに見下されてるな、とか舐められてるな、という感覚に異常に敏感で、常に頭の中で憤ってしまう。そうじゃない人から見たら本当にバカだと思われるだろうけど、頭の中で常にいろんな知り合いが自分を見下して馬鹿にして、それに何も言い返せなくてもがいている感覚。
東大を出て公務員系の仕事についたから、お金はないけど会社の名前はインパクトがあるということで、高校とか中学の地元の元同級生と、誰かの結婚式とかで再会すると、同じ価値観を引きずってると思しき人からちょっと卑屈な感じで言葉をかけられたりすることがある。「おれはちょっと勉強舐めててサボりすぎたわ〜」とか、「お前の職場なんか天才ばっかりなんやろ?」とか。逆に同じ東大に入った別の地元の同級生からは、よく海外出張に行ってることを自慢げに話されたりすることもある。(そんな小さなことでマウンティング合戦をするのが当然の価値観の中でみんな育ってきたのだ)
高校までそればかり気にして生きてきたからか、誰かが誰かを見下すとか見下されるとか、そういう価値観が本当に苦手で、そういう言動に触れると本当に嫌な気持ちになってしまう。自分のおとなしい性質が地域の雰囲気に全く合わなかった結果の不幸だと思っている。
また、他人の言動を聞くよりももっと嫌なのは、内心では自分もその価値観(人を上とか下で見る価値観)にどっぷり浸かってしまっていて、地元に残った元同級生で、昔は威張っていた人なんかを、心の中で無意識に見下して溜飲を下げようととしているのを感じる時。
とにかく人と接するとそんなことばかり延々と気にしてしまうから、とにかくコミュニケーションを取るのがほとほと嫌になってしまった。どうすればいいですか、神様。
俺が小2から小3まで握り続けた雲梯は土台ごと消えていた。雲梯なんて危険な遊具が今日生きながらえることなど土台不可能なことなのだろう。なんせ雲梯には高さがあり、背中から落ちると呼吸が一時止まる。俺自身1年間で2度止まったのだから間違いない。
それにとどまらず、滑り台も随分コンパクトになり、バリアフリーのスロープかと見間違う。遊び方が最後まで分からんかった丸太組の三角形も無い。代わりにこれまたよく分からない、ねじれた綱が置いてある。精々2m四方のねじれた綱で何をしろというのだろう。
ずいぶんシンプルで、システムエンジニアから見るとトラブルのない理想の公園だろうが、球技もできない50m四方はあからさまに味気ない。うん、俺が押し付けられた複雑怪奇なC++/CLIのシステムも、こんな味気ない公園に比べれば可愛げがあろうというものだ。
雲梯で鍛えた割にはあっさりと夢を手放してしまった手を少し握り、サニタイズされた50m四方の心の虚を胸ポケットにしまいこんだ。
詳らかに書くと万一加害者にこの増田を見られた時に身バレの危険があるからざっくりとしか書けないのが残念だ。
俺はその部活内で虐めに遭っていて、加害者はその虐めの主犯格の一人だった。
性被害に遭った時はたまたま俺と加害者だけが部室に居合わせてしまったんだよね。
俺が着替えてたら加害者が勃起したペニスを露出しながら近づいてきて俺にそれに触るように促した。
俺は当時苛烈な虐めに遭っていたせいで無気力状態だったので嫌々ながらも特段抵抗もせず加害者のペニスの先に触れた。
ヌメっとした感触がとてつもなく気色悪かったのをよく覚えてる。ダラダラに濡れてたんだよな。今でも思い出せるよ。
それで加害者は満足したのか、それとも発覚を恐れたのか、あるいは両方かもしれないけど俺に強く口止めして行為は終わった。
俺は校舎の玄関口の脇にある水道で何遍も何遍も繰り返し加害者の性器に触れた手を洗ったよ。
それから俺に不思議な現象が起こったんだよね。後遺症と言ってもいいかもしれない。
増田の場合は男性に対する恐怖心と女性に対する性的モノ化が強迫的に発現したみたいだけど、俺はそれとは全く違う現象に見舞われた。
俺は自分が同性愛者なんじゃないか?っていう疑念に苛まれたんだよね。
もちろん俺は同性愛者ではないはずなんだけど、同性からの性被害体験を経て以降の俺は、事あるごとに自分が実は同性愛者なんじゃないか?という疑念を覚え苦しめられた。
こういうことを書くと同性愛者に対する差別感情を疑われるかもしれないけど、そんなものは抱いたことはない。
ただ異性愛者だと思って、というかナチュラルに異性愛者の世界観に馴染んで生きていた自分が暴力的で未知の同性愛的行為を受けて懊悩し、苦しんだってことだと思う。
実は俺は自分が同性愛者なんじゃないかという疑念に一時期屈服して女性ホルモンを服用していた時期さえあった。
それは10代後半の一時期のことだったけど、某個人輸入代行業者を利用して女性ホルモンを服用していた。あまつさえ母親に「俺はゲイだと思う」とカミングアウトすらしてしまった。
でもさ、この時期もそうだし、なんなら今に至るまで俺は一度も”男で抜いたことがない”んだよな。当時の俺がどれだけ倒錯していたかわかるよな。女に興奮して女でオナニーしてる癖に自分はゲイだと確信して女性ホルモン服用して母親にもカミングアウトしてたんだよ。完全にどうかしてた。
そんな俺の妄信を解いてくれたのが意外なことにWikipedia先生だったんだよね。
ゲイになっても(便宜的にこう表現するけど後天的にゲイになるということはあり得ない、はず)なお過去の性被害に苦しめられていた俺はGoogle検索で「少年 性被害」とかそんな感じの検索ワードで検索を試みた。たぶん。正直ここら辺は記憶が曖昧。「少年時代 同性 性被害」とかだったかもしれん。
それで検索結果に表示されたこの記事を読んで俺のゲイという性自認は倒錯だって気が付けたんだよね。
具体的にはこの部分だね
加害者が男性の場合は男児が同性愛であれ異性愛であれ自分自身の性的指向や性的同一性に危機をもたらしやすい。
この疑問が激しくなりやすいのはどちらかというと異性愛の男性である。さらに、虐待時どれだけ自分の性的指向と性自認について自己認識がはっきりしていたかを考慮すると、この問題に関する議論はさらにややこしくなる。かなり低年齢の場合性自認に疑問を持つことが多いが、ある程度年齢が上がり性自認の自己認識がはっきりしてきたときであっても、今度は性役割のほうに不安を持ったりもする。たとえ性自認が安定していても、自分が主に同性愛か主に異性愛かがよく分からないときに虐待を受けた場合には自分が本来的に同性愛か異性愛か両性愛かとか様々に疑問を持ちやすい。
性的虐待を受けた男児が必ず同性愛者ではないかという誤解は本人と社会に共通のものだが、これは誤解である。だが性的虐待を受けた男児は異性愛であっても、被害を受動にし、同性愛に結びつけた結果として自分自身の性的指向の認識に著しい混乱をきたす。虐待の最中に勃起や射精が起こった場合、この混乱はより激しいものとなる。ペニスを挿入され前立腺を刺激されれば本人がどんなに嫌だと思おうと勃起する事が多いのであるが、こうした常識が日本に浸透しているとは言いがたい。
こういった性的虐待の場合には性的指向のセクシュアリティが揺らぐことが多いが、これは本人に激しい苦痛を与える。だが、性的指向を二分法で捉えがちな社会の常識に反し、実際には性的指向のセクシュアリィは複雑で多層的であるとアルフレッド・キンゼイは主張した。
俺は被害当時13歳で、かなりの低年齢ではないにしろ、自分が異性愛者である、という確固たる自覚みたいなものは持ち合わせていなかったし、オナニーだってしたことがなかったくらいに性の知識に疎く、言うなれば性自認が未分化な状況だった。
その様な状況下で鮮烈な同性愛的性被害を受けてしまったことで、俺はその後何年間も自分が同性愛者なのではないか?という疑念に苛まれる羽目になったわけだ。
ということで今では女性ホルモンも服用してないし完全に異性愛者っていう自覚を持ててるし母親にも気の迷いだったって説明することで解決を得てる。
俺は増田みたいに男性に対する恐怖心はあまり抱かなかった。幸いなことだったのかもしれない。でもその代わりに性自認が揺らぐっていう特殊な体験をした。
こうして増田の投稿にかこつける様な形で自分の性被害体験を語るのは本来あまり快いことではないかもしれないけど、もしかしたら俺みたいに同性から性被害を受けたことがきっかけで「自分が同性愛者なんじゃないか?」と悩んでる人の一助になるかもしれない、と思って書いてみた。
1位 野球
2位 サッカー
上位ふたつはまあ異論が出なさそうで、
バスケ、バレーボール、テニス、卓球と、青春球技しばりで某サイトがキャンペーンやってるんだけど、
球技だったらゴルフもそこそこ多そうで(青春系はさすがに少ない)、球技縛りを解いたら……ボクシング?
なんか資料あった。
https://blog.rcn.or.jp/highschool-clubactivities/
バトミントンとか、幽霊部員というかとりあえずって気がするけど。それか女子目当てとか?
現時点での連載作品で見たらまた違うだろうけど。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E5%B0%91%E5%B9%B4%E6%BC%AB%E7%94%BB%E9%9B%91%E8%AA%8C
ほんまにお前ら少年向けか? ってのが多数混じってる気がする。
20年分ぐらい上位4誌ぐらいで……みたいなの纏まってるとこないかなぁ
いや、そもそも少年とか青春とか関係なく漫画になってるスポーツの順位
これが知りたいんですが。
アラフォー独身男なんだけど結婚相談所に登録しに行ったら趣味の事で突っ込みが入った。
プロフィールの趣味欄にはサイクリング、登山って書いたんだけど、これはよろしくないらしい。
相談所の担当さんいわく、今まで紹介してきた男性で自分のような趣味の人間は仕事が嫌いな傾向があるという。
女性会員から「紹介してもらった男が想像したより稼いでないし、自分の趣味に金を使うので困ってる」と苦情があるそうな。
確かに自分は仕事中は早く休みにならないか死んだ目をしてるし、ボーナスは道具や旅費に消える。
同僚みたく鬼のように仕事をして「休日はやることないから家にこもってる」とか言って貯金ばかりしてる男のほうが、結婚相手としては理想なのかもしれない。
テニスなんかはお金が掛からないので良いでしょう ってお薦めされたけど球技苦手なんだよな。