はてなキーワード: 球技とは
どっちにも言わせてもらう。
お前らが何を言っているのかというと、俺はサッカーが好きだけど、野球のルールが気に食わないっていうのと一緒だ。
野球とサッカーが同じ球技だというなら、マラソンと柔道を比べたっていい。
サッカーが得意なら野球が得意なわけがなく、マラソンが得意なら柔道が得意なわけではない。
サッカー選手が野球のバットやグローブを批判し始めたらどう思う?
アホだろ。
俺はサッカーが好きだ。野球は時代遅れだって言い始めたらどう思う?
アホだろ?
サッカーはボールがあればできるけど、野球はグローブとバットを用意しなくてはならなにからオワコンだって言われたらどう思う?
アホだろーがよ。
それぞれのスポーツを好きな人間が、それぞれのスポーツを楽しんでいるんだよ。
それだけのことなんだよ。
ゲームも一緒。
お前はお前の好きなゲームをやれよ。
じゃあお前は野球のボールがバットに当たらないからドッジボールで野球をするべきだって思うのか?
スポーツならそれがどれだけアホなことか理解できるのに、なんでゲームだと許されると思うんだよ。
だけど、お前が心配しなくてもスト5はシーズン5まで展開されるくらい盛り上がっているし、企業もアホじゃないから市場のスケールに合わせて利益だってしっかりと出している。
お前がたまたま勝てなくてつまらないって思っただけで、初心者代表みたいな顔をして格ゲー全体を批判するな。
初心者問題については企業だってとっくの昔に取り組んできているし、その難しさを痛感しているから既存ファンの離脱を止める方向に力を注いでいるだけだ。
ゲーム全体、いうなればレジャー全体が、どんどんと細分化していっていて、昔みたいに誰もが同じゲームを遊ぶなんて時代が終わっただけの話だ。
それを一つのジャンルだけ抜き出して、参加人口が減っている部分だけ指摘してもなんの意味もない。
「世の中にはいろいろなゲームがあるんだね。試してみたけど格ゲーは自分には合わなかったよ。」
それ以上でも以下でのない話を、わざわざジャンルの衰退とか大げさな話を持ち出してまで自分を正当化する必要があったのか?
だって、ゴルフはあんな小さいボールを穴に入れるだけで難しすぎるから穴をもっと大きくすべきだ!みたいなことをめちゃくちゃ真顔をで言っちゃってるんだよ。
これが恥ずかしくなくて何が恥ずかしいんだよ。
いいから落ち着いて、お前の大好きなゲームジャンルがこれ以上衰退しないように、お前の大好きなゲームジャンルにだけお金を落とす努力をしろ。
そういう、誰よりも楽しそうにゲームをプレイするファンの姿だけが、新しいファンをそのゲームに取り込むことのできる唯一の手段だ。
間違っても自分には合わなかっただけのゲームを、劣っているとか遅れているとか理由をでっち上げて批判するべきではない。
それはお前に合わなかっただけで、それが大好きでたまらない人間が、その市場を支えるくらいにはいるんだと事実を忘れてはならない。
メーカーはその人達を一人も減らさない努力を続けているし、その人達がいなくなることが、ジャンルの滅亡だということも重々に理解している。
ヒプマイを見ようと思ったけど無理過ぎたので1話切りして「体操ザムライ」というのを見る。
これは見れそう。
リアルのスポーツ(競技)に全く興味は無いが、アニメで見ると面白い。
なんでリアルは見る気にならんのだろう。スポーツのニュースを見るのすら鬱陶しい。
運動なんて一人でその辺とぼとぼ走ったり家で自重筋トレしたりチャリ漕いだり踏み台昇降上り下りしたりで十分だ。
競う必要性を全く感じないし、人に教わったりするのも嫌
(大抵教えるの下手だから巧く出来なくて、その運動に対してマイナスイメージが付いてしまう。というか「出来ない」ことが人生に於ける瑕疵となる)
体育なんてもんは「生涯体を柔軟に動かし続ける習慣を付けさせる(それも自分が出来る範囲で。強制的に1.5km走らせるとか無し!)」でいいと思うんだわ。
球技?遊びとしてならやってもいいわ。水泳?溺れない程度に好きな泳法で適当にやってくれ。100mとか泳がすな。ましてやタイムとか測るなクソが。
鉄棒?床運動?跳び箱?平均台?馬鹿じゃねーか。怪我したらどうしてくれるんだ。そんな運動が必要な場面がねえよ。バランス感覚ってんなら体幹でも鍛えた方がマシ。
兎に角そんなもんを無理強いするんじゃあねえよ。
やりたい奴だけやればいい。そしてこちらはその競い合いを見ることはない。
やはり、ハイパーレクシアという概念は存在して、そう認識する親もいるのだな、と思った。
うちの子もハイパーレクシアなのだと思う。文字に吸い込まれてしまう(文字通り、笑)。
学校の勉強が無意味である、という方向付けは避けたいが、同時に「テストで高い点を取れ、or 高い方が良い」とは言いたくない。
普段の暮らしに必要な実行力を養い、可能な限りでの対人能力を(自信と共に)トレーニングできる機会を用意できれば、学習面は自分ができるところまでできるし、できるところまでが本人の適度なレベルなのだろうと。
微細動作、連係の動作が苦手なので、球技は困難。でもそんなに嫌いでもないのだと思う。まだまだ他者の目線が育ってないので、上手にできなくて恥ということがないのかもしれない。でも、そういう連係動作の運動も自分なりに頑張って、目標を達成したりしているので、本当にたいした奴だなと思ってみている。ルービックキューブを1分で解けたときより、二重跳びが1回できたときの方が「よく頑張った!」って思った。
>先生におこられたらオレが先生説得するからちゃんと学校でなにがあったかだけはおぼえておいて親にいえ。
これは素晴らしい。
親を信頼してもらえることが大事なんだな。
子どもの先延ばしへの対処に「取引」を持ち出してしまうことはある。もうすでに、「その取引にはのらないから、これもやらない」という選択肢が見えてしまっているので、この方法はよくないのだなと薄々思っていた。難しい。
答え:感覚でやってみたらそれなりに出来た人間が体育指導をやっているから
つまり、自分のやっていることを正確に言語化出来てないから、言葉として伝えなければならない指導ができない。
例えばだけど「どうやったらクリボーを正確に踏めるんですか?」とゲーム慣れしている人が聞かれたとして、自分がどうやってクリボーを踏んでいるのか言語化できる人は少ないはず。
それと同じように、どうやったら野球ボールを捕球できるんですかと聞かれても、言語化することがうまく出来ない。
そうなったとき、人が頼るのは「昔から何となく言われている通説」みたいな指導になってしまう。
「ボールを良く見て捕る」「クリボーの位置をよく見てジャンプする」
実際はボールを良く見たり、クリボーをよく見たところで、できない人間ができるようになることはない。あれはタイミングの逆算と人体の連動なので、ただ見るだけではまったくもって意味はない。
それどころか見ることにリソースが集中するので、動きがよりぎこちなくなり下手になってしまう。体育の授業で「ボールを良く見ろ!」と怒声に近い声を浴びせられて、よりひどい動きになってしまうあれ。
さらに言えばボールを良く見て捕るのは悪手で、野球にしろサッカーにしろバスケットにしろ球技全般は他プレイヤーの動きを把握する必要があるので、良く見ないで捕ることが最終目的地点なのに、良く見るという悪癖がついてさらにプレー全般が下手になっていく。マリオも同じ話でクリボーをよく見て踏んづけたところで、周りの状況が見えてなかったら他の敵に被弾して終わり。
運動ができるやつ、ゲームができるやつ。そういう人たちは感覚的にこれらのことが出来ている場合が多く、感覚的に出来たことは誰かに教える場面になるとか、真剣に自分の実力を磨かないと上に行けないと思ったときでなければ、言語化しようという機会がない。
だから、いざ教える側に立ったとき、とりあえず先人たちが行っていたクソ指導をすることになる。
このクソ指導採用の強いところは、責任をあまり負う必要がないということ。
自分の経験や最先端の指導方法をベースにしたことで誰かを指導したとき、失敗したならその責任はすべて自分に降り掛かってくることになるけれど、通説を採用したのであれば責任は自分だけでなくその通説自体にも分散する。
だから教育という責任のある立場についた人間は、不安や保身から通説を採用する。それに効果が本当にあるのかわからなくても、とりあえず野球選手に走り込みをさせて、本当に必要な筋肉量を減らすという暴挙に出る。
Youtubeを通じてメジャーリーガーが教育動画を作成したり、プロゲーマーが勝つための方法を言語化してくれたり、情報の高速道路は日々進化しているけれど、今指導者の立場にいる体育分野の人間は、まだまだ機械に弱いし新しいことに対しての抵抗感も持っている。
これからも自動的に小学校に行って、中学校に行って、高校に行って…。大学で古臭い教科書から学んだ体育理論をベースに指導する体育教師に、これまた古臭い体育の授業を受けさせられて、運動嫌いの生活習慣病患者予備軍が生産されると思うととても物悲しいものがある。
リングフィットアドベンチャーが示したけど、運動は楽しく提供されれば楽しいし、クソみたいなやり方をさせられたら反吐が出るほどつまらない。その上指導者や運動への憎悪すら抱くことになる。
とりあえず声を張り上げて5文字ぐらいのワードを叫んで指導した気になってるやつらが明日から川崎宗則みたいに合理的かつ楽しい指導方法を採用できるような脳みそになってくれないかなと思う。
某著名人の方の打ち立てたタイトルをお借りして申し訳ないですが、こういう話ってやっぱりいじめを"乗り越えられた"体験談ばかりだなと思って。いじめられた経験持ちで今現在"いじめの過去を乗り越えられていない"立場として、今いじめられている人に向けた言葉というか、といってもまあほとんど独り言のようなことを言いたいと思います。
自分は中学時代の3年間全校生徒からいじめられた経験があります。具体的な出来事はあげないけれどそのひとつひとつが今の自分を作っていると思います。悪い意味で。挨拶ができません。人前で話せません。怖いので。ありがとうもごめんなさいも言われるのが得意ではありません。それが本心ではないと疑ってしまうので。球技ができません。玉を当てられるのが怖いので。チームプレーや団体行動ができません。自分がいては足を引っ張ると萎縮してしまうので。小さなことです。小さなことだから、なんでこんなこともできないの、と言われます。余計つらいです。そういうの、自己責任なんです。いじめられた過去があって、で許されることじゃないんです。そこから変わらなきゃ、って言われることなんです。でもまあそうですよね。普通に挨拶しない人とかみんなと一緒に動けない人とか、迷惑ですもんね。
どう考えてもいじめられていない人の方が有利なんです。今いじめられているあなた。その経験は今後なんの役にも立ちません。だってそうじゃないですか?いじめられた経験が今後の人生の糧になるなんて言ったらいじめを肯定することにならないですか?だからもう、いじめられた時点でいじめられただけ損なんです。最悪です。死にたいです。今だって死にたいです。死なないのは死ぬのが怖いからです。死ねた人ってその恐怖に勝てたんだからすごいなあと思います。自分は多分今後も死にたいなあ死にたいなあと言いつつ死ぬのが怖すぎて死ねないままのうのうと生きるんだと思います。なんかそういうのすらつらいです。
今自分はいじめられていません。でもいじめられていた過去は何も解決してないし、ひとつも乗り越えられていないし、少しも許せていません。いじめから逃げることも、戦うこともできませんでした。だから毎日つらくて、死にたくて、まわりのみんなに死んでほしくて、のたうちまわってます。でもさ、それでも、人生楽しいです。そんなんでも、楽しいって思えることがあります。この世界は残酷なので。毎日死にたくても好きなアニメは面白いし、大人になってやっとできた友人とバカみたいな話してバカみたいに笑うの楽しいし、ごはんおいしいし、オナるの気持ちいいです。思えばいじめられているときもそうでした。いじめられてても読んでる漫画は面白かったし、お父さんの昔話聞くのが楽しかったし、ごはんおいしかったし、オナるの気持ちよかったです。それでも死にたいです。それでもつらいです。どっちかじゃないんです。良いことも悪いこともどっちもあって、悪いことの方が多いから死にたくて、でも死ぬのが怖いくらいにはちょっと良いことがあって、ここまで生きてきてしまいました。
今いじめられている人へ。あなたに、死んじゃ駄目だと自分は言えません。本当に本当に生きるのがつらくて、どうしても死にたいんだったら、それを止める権利は自分にはありません。だって自分も死にたいので。死にたい分際で他人の死にとやかく口出せません。でも、死ぬのが怖いって少しでも思うなら、死んでほしくないって思います。名前も知らない存在も分からないあなたに、自分は死んでほしくないです。自分もいじめられてたから。これから先生きてて、いじめを乗り越えられた人みたいな、まるで常人のような幸せは訪れないかもしれません。でも今死ぬのが怖いなら、死ぬのはちょっと待ってほしいんです。その先を何も保証できないけれど。怖いうちは、死なないでって、そう思います。自分が死ねないから他人にも死んでほしくないだけ?そうかもです。他人事だから死なないでなんて簡単に言える?それもそうかもです。それでもやっぱりどこかで誰かが死ぬのは悲しいから。とんでもないただのエゴだから、聞いてくれる人だけでいいんです。別に絶対自殺するなって話でもないんです。ただちょっと、痛いの怖いな、自分がいなくなるの怖いな、死ぬの怖いな、と思ったら、それは後回しにして、おもろい本あったら読んで、話せる人がいたらおしゃべりして、美味しいごはんがあったら食べて、いいオカズあったらオナって、そんな感じで、なんとかならないかなって思います。自分に言えることはそれだけです。長々とすみませんでした。どうかあなたの人生が幸せで、あわよくばいじめっ子に天罰が下りますように。