「無責任」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 無責任とは

2024-08-18

わがまま」は時に人を救う呪いとなるのか?

わがままとは、とても無責任ものであるという持論がある。

相手自分理想である「そうであってほしい姿」を強要するような傲慢もの、いわば呪い的なものであると考えているためだ。

ただ、最近あった諸々の人間関係を経て、

わがままとは無責任ものであれど、確実に悪と言い切れるものではない。」

そう感じるようになってきたのである

その機会は限定されるとは思う。例えば「俺は幸せになる資格なぞ無いんだ」と嘆いている人に、(これは当然相手の置かれている立ち位置意見を最大限尊重した上での) 様々な諭しを経て、「お前は幸せになっていいんだよ。いや、なってくれ!」と、その人の救いになるようなわがままを言う事を、私は悪と一概に言い切れない。

私が性善説を信奉しているからこそ言えた話なのかもしれないが、そのように感じたここ数日であった。

2024-08-17

anond:20240817094221

オタクさん、陰謀論とか根拠不明瞭な主張でも自分に都合が良ければ真実扱いするし、それに基づいてよくわからん人間神格化したり適当根拠カジュアル捏造悪癖があるんだよな

しかも身内志向体育会系の腐った部分のノリがあるから、外部から墓指摘をまともに受け入れない

その癖他人には陰謀論やら妄想乙ってレッテルを貼り攻撃するし、気にいらない専門家の主張なんかは「やつは本当の専門家ではない」とか言い出す

もちろん間違っててもその責任は取らないし反省もしない。なんなら「世間ではこう言われてるが実際は」と精神勝利宣言する

その悪い部分に目をつけて商売してるのが山田太郎なんかの表現の自由戦士とかネット論客系の人達だったけど、無責任断言妄想他人を吊し上げるという暇空というバケモノ級の大物が出てネット揶揄で収まらなくなった感がある

anond:20240817000136

わたし彼氏増田くらいマトモならよかったのに。と思った。

 

わたし彼氏も、(子供はいないけど)バツイチで、増田のように理解のある彼くんをやらされてた。

前妻は鬱でなんども入院を促されていたのに、精神病への偏見からか、プライドからか、入院を拒み続け、最終的に自殺したらしい。

彼氏も、入院費用負担したくないのと、入院したら離婚が進まなくなるんじゃないかっていう危惧で、保護入院サインしなかったらしい。

 

そのせいで、彼氏の家には前妻の祭壇があるし、毎年お盆と命日になると前妻の位牌と遺影を持って彼氏実家へ行く。

前妻が自殺していて気まずいから、と、わたしとの結婚先延ばしにし続けているし、親族に紹介してくれたこともない。 

 

やっぱ、こいつ捨てた方がいいな。増田とちがってだいぶマトモじゃないし、無責任だし。頭も悪いし。

やっぱマトモなら、どんなに妻を憎んでいても、入院させるよな〜。

嫌っていたんなら仕方ないのかな、とか思ってたけど、

この増田見て目が覚めた。

2024-08-16

anond:20240816230753

増田さんがもしHSPだったらのことを考えて、なるべく傷つけないように言うね。

まず、「どれとは言わないけれど結構から」という書き出しは無責任まりない。文頭から曖昧表現を使うことで、読者に対して不親切かつ丁寧さの欠けた印象を与えている。何を指しているのか明確にしないまま話を進めるのは、読者に混乱をもたらすだけですし、誠実さが感じられません。

次に、「長文投稿した際にトラバ全然読んでません」という部分ですが、まず「トラバ」が何を指すか不明であるため、先にきちんと説明必要です。それに、「全然読んでません」と一刀両断に断言するのは、他者の労力や思いをまるで無視するような冷淡さが窺えます。少なくとも一言、「全てには目を通せておらず、余裕のある範囲対応しています」といった配慮が求められます

最後に、「あしからずご了承下さい」ですが、この表現はあまりにも淡白で片付けられ、傲慢さを感じさせます。読者に対する敬意がまるで感じられないこの表現は、文章全体の印象をさら悪化させます

まとめると、あなた文章は一貫して曖昧かつ冷淡で、他者への思いやりが欠けています。最低限、相手に対する敬意を持って言葉を選んでください。

どう? これで増田さんの助けになれたかな?

戦争責任者の問題伊丹万作) 1/2

 最近自由映画連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見ときくようになつた。

 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのであるしかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組警防団婦人会といつたような民間組織いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである

 たとえば、最も手近な服装問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき普通のあり合わせの帽子かぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想表現ではないのであるしかるに我が同胞諸君は、服装もつて唯一の思想表現なりと勘違いたか、そうでなかつたら思想カムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外百姓の顔であり、あるいは区役所郵便局交通機関や配給機関などの小役人や雇員労働者であり、あるいは学校先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君戦争中、ただの一度も自分の子うそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそ意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間範囲思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたもの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つのである」ことを主張したいのである

 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪観念の交叉する余地はないはずであるしかし、有機生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題人間の行動と結びついた瞬間に意志感情コンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象善悪批判が介在し得るゆえんである

 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである

 つまりますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実のものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力無自覚、無反省無責任などが悪の本体なのである

 このことは、過去日本が、外国の力なしには封建制度鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実個人基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくそ本質を等しくするものである

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配にゆるした国民奴隷根性とも密接につながるものである

 それは少なくとも個人尊厳冒涜、すなわち自我放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察官僚にの負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣反省しなかつたならば、日本国民というもの永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣自己反省努力がなければ人間進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在日本必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである

 こうして私のような性質のものは、まず自己反省方面思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである

 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである

 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任問題も、便宜的な一定規準を定め、その線を境として一応形式的区別をして行くより方法があるまい。つまり問題性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位職能によつて判断する方法である現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

 しかし、それなら映画場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないかしかもこの場合は、いじめものいじめられたもの区別は実にはつきりしているのである

 いうまでもなく、いじめもの監督官庁であり、いじめられたもの業者である。これ以上に明白なるいかなる規準存在しないと私は考える。

 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである

 たとえば、自分場合を例にとると、私は戦争関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

→ 続: 戦争責任者の問題伊丹万作) 2/2

https://anond.hatelabo.jp/20240816214517

妹と家出して数年が経った


注意;児童虐待の話が出てきます。苦手な人はご遠慮ください。


(本文です)

________________

どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。

今は大学生から何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。

私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。

私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。

父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。

最初子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的アプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。

父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。

毎日というわけではありません

中3で私が他の男性の子妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。

それからは、私がどんな男性相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分お仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。

それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。

今は、普通大学生はしないであろう仕事風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。

それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。



思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。

お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。

さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。

ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。

それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。

経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。

私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。

もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議感覚になってしまう。

私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。

性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいかパパ活をしていたのかもしれない。



私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。

母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。

ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。

少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。

なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。

子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。

確かなのは、父が来てから普通暮らしができるようになったこと。

私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。

しかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。

それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係

そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。

母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。

私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。

ただ、ひとつ。私との性的関係要求してきたこと以外は。

思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。

それが性的虐待兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。

今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。

「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメことなんだ」という意識はあった。

いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。

でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。



私には疑問がある。

父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。

きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。

ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。

まり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者定義やすいのかも。

「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。

でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。

母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さら半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。

嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。

単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。

具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。

「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。

でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。

おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。

そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性しかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。



いま私は、風俗世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。

精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。

そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。

身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通女の子はいらなくなったと

いう実感が体中に広がった。

でも。そう感じるのは自分わがままからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。

私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。

今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。

でも、私にはそれが現実で、一番受け入れやす感覚だった。

処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。

計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。

一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たち言葉にしなくても通じ合っていた。

妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形オナホ扱い。でも、とき恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。

私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。

それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。

学校に行く前にされることもあった。

妹には絵本を読んでてもらったり、タブレット動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔学校へ行く。

口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。

父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。



毎週毎週毎週毎週続いていると、だんだん心が麻痺してくる。

嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。

心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。

同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。

中学校に上がる頃には、もうそういう感じだった。

からイジメられたんだとも思う。

そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。

思春期から友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。

私が父に相談すると、父はかなり積極的担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。

正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。

これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。

ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。

それはきっと、主に性的イジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。

中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。

正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。

実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。

表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。

でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。

回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為時間が長くなる。痛いことだってあった。

でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。

でも、そのうちに気が付いた。自分から相手気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要ものを買えるようになった。

子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。

その時、感じたことは2つ。

父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安

後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。

でも、今思えば、今まで自分役割だって必死に応えてきた、そんな自分否定されるのがいやだったのかもしれない。

ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。

でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。



父はなんだったんだろう。

小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要存在だった。

いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。

ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。

どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。

ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。

もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。

それでも。

繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。

「あれはなんだったの?」

って。

「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心ボロボロになるかもしれないし。

かといって、リアルで誰かに詳しく話す気にもなれないし……

ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。



最後にまた、父について思い返してみる。

改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。

そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。

家庭内性的虐待というと、どこか乱暴イメージがあるかもしれないけど、私の場合基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。

いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。

父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。

ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。

父は家事ほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。

生前、母がいくつか基本的家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときスマホ検索したり、学校先生に聞いたりした。

とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。

から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活一種として。

すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。

父親はいてよかったのか? と訊かれると、どうなんだろう。

もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。

「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。

正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。

いてよかったのかどうか、わたしにはわからない。

ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。



今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。

私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。

最後に、とりとめのない話を読んでいただき、ほんとうにありがとうございました。

2024-08-15

anond:20240814223231

そうやってお前みたいに無責任かつ安易に勧めたやつの話を鵜呑みにした素人が甘い認識中途半端な準備で手を出した結果山岳事故を起こして自治体警察レスキュー等周囲に迷惑をかける可能性は当然理解して勧めてるんだよな?

難易度は決して低くない事は少し調べれば分かるのに、若いうち挑戦するのがどうだ絶景スポットがどうだ等と自然を舐めてかかったバカが命を落とした事例が後を経たない県出身者より

登山者キャンパー人口なんて全く広がらなくていいし知識と準備が万全にできる奴しか来ないで欲しいわ

anond:20240815021050

子供育てられないやつは子供作らんほうがええやろな。

国や自治体もそういう無責任なやつの尻拭いは大変やろし。

国としてはすでに大人に育った移民入れれば少子高齢化解決するんやからわざわざ20年かけて日本人のガキなんて育てたくないやろし。

anond:20240814220814

もう何を言おうが無責任でいられるから好き勝手言ってるとは思う

だいたい予測的なものなんて誰だろうが企業だろうが外れてもなんもないけどな 特に経済

2024-08-14

anond:20240814002405

自分も3年ほど前にステージ3の大腸癌で手術と抗がん剤治療うけたけど。

今年の6月で3年再発せずで普通に仕事もしてるよ。

抗がん剤治療合う合わないもあるから無責任なことはいえないけど、自分は少し毛がうすくなったのと倦怠感がすごかったぐらい。

当時の上司理解あって半年休職させてくれたし、抗がん剤治療もほぼ自宅だった。

ステージ3の大腸癌」っていうワードで沈みがちになるのは分かるけど(自分も癌みつかったときは動揺したし)、

こういう人もいるよってことで。

anond:20240814171646

池上彰の台頭以来ずっとそうだが、わかりやすい事に意味があるのは限られたリソースでわかった気になればそれでいい無責任な時だけだ

学生期の勉学であえてわかりやすいというのならバカ向けではなく個々人の学習レベルに応じたコンテンツというのがわかりやすものに該当する

誰でもこれを消費すればわかる、なんてもので得られる知見の量は絶対量が少なすぎて論外

anond:20240814141641

トランス活動家がしばしば掲げる主張には、現実問題として、大きな問題があります特に、これらの活動他者権利自由侵害し、社会に不必要対立や混乱をもたらしている点について、以下に反論します。

 

1. 他者意見を抑圧する過剰なアプローチ

多くのトランス活動家は、トランスジェンダー権利擁護することを目的としていますが、その方法がしばしば過剰であり、他者意見を抑圧する形で行われています。例えば、トランスジェンダーに対する疑問や異論を表明することすら許容されず、「トランスフォビア」として一方的攻撃されることがあります。これは、言論の自由学問の自由を脅かし、健全社会議論を封じるものであり、民主主義社会における自由言論の基盤を危うくします。異なる視点議論余地がある問題に対して、抑圧的な手法を用いることは、社会多様性や寛容さを損なうものです。

 

2. 女性の権利侵害するリスク

トランス活動家の主張の中には、女性の権利安全を直接的に脅かすものがあります。例えば、トランス女性女性専用の空間アクセスする権利を強く主張することが挙げられます。これは、生物学的な女性安全空間を求める権利と衝突する可能性があり、女性たちの不安懸念無視するものです。ジェンダーアイデンティティ尊重することは重要ですが、それが他者安全権利犠牲にするものであってはなりません。このような活動が無批判に推進されることで、女性の権利が後退するリスクがあることは見過ごせません。

 

3. 科学的根拠に基づかない主張の危険

トランス活動家の中には、科学的根拠に乏しい主張を展開し、それを広く受け入れさせようとする者もいます。例えば、「ジェンダーは完全に社会的に構築されたものであり、生物学的な性別無意味である」といった主張は、多くの科学研究によって否定されています性別には生物学的な基盤があり、それを無視することは、医学的および社会的な混乱を招く可能性があります科学的根拠に基づかない主張をもとに社会規範を変更することは、無責任であり、長期的には多くの人々に悪影響を及ぼす可能性があることを認識すべきです。

 

4. 対立を煽る過激レトリック

一部のトランス活動家は、過激レトリックを用いて社会対立を煽る傾向があります。例えば、異なる意見を持つ人々を「敵」と見なし、彼らを排除しようとする姿勢は、社会の分断を深める原因となります。このような過激アプローチは、トランスジェンダー権利正当性を損なうだけでなく、より広範な社会理解共感を得ることを困難にします。人々が互いに対立するのではなく、共通理解に基づいて問題解決するためには、対話妥協必要ですが、過激活動家たちはその可能性を閉ざしています

 

以上のように、トランス活動家の中には、他者権利自由侵害し、社会に不必要な混乱や対立をもたらしている場合がありますトランスジェンダー権利擁護することは重要ですが、それが他者権利社会の安定を犠牲にするものであってはなりません。冷静で理性的議論と、すべての人々の権利尊重される社会の実現が求められています

リベラルが言いそうなこと

岸田総理に辞めろ辞めろって言ってたくせにいざ退任しますって言ったら無責任!とか言い出しそう

anond:20240814130909

それは無責任だよな。

君は何もしなくて良いと思うよ。

だって具体的な指示がないんだから

それを提示するのが上司であり会社仕事だろ。

anond:20240814122709

何言ってんだよお前やめろよ

俺のかあちゃん去年の夏に末期がんでなくなってよ

スイカが食べたいって言ってたので買ったらよ

おいしかったって食べおわってから時間かしたら

お腹が苦しくなったって言ってよ

寝たきりになっていってずっとお腹が苦しそうで

もう胃の辺りにも転移してたんだよ

かあちゃん大丈夫か?

看護師さんよんだからまっててくれな

30分くらいして看護師さんきてくれて

かん腸するってなってやったけど

なかなかでなくて苦しい状態がずっと続いたんだ

わかったか

好きなもんを食うってどういうことか

わかったか!!!!!

何も知らないくせに無責任に好き勝手言うな!

謝れ!

公務員になるメリットない」と言ってる奴らは中年になってからクビになる強さを知らないガキ

業界全体が人余りになった状態会社から弾き出されるとマジで場所ないぞ。

アラフォー以上は本当にどこも雇ってくれない。

同じ業界の中で仕事がないからと他業種に行くとそこでも厳しい現実が待っている。

その業界において新人も同然の中高年を雇ってくれる会社がまったくないのだ。

新人と同じ給与水準でいいとこっちが主張しても、その給与中年を雇うことそのものに難色を示す。

日本社会年功序列推し進めていて、部活とかでも「無能であっても先輩は先輩だから偉い」と語ってきた経験から、どこの会社も「オッサン新人扱い出来ない」という社内風土問題を抱えている。

そもそも日本社会は未だに子供を作って家族を養う価値観を根強く内包しているので、いい年こいたオッサン家族を食わせていけないような給料で雇われる事自体不道徳とさえされる。

アルバイトレベル給料でいいからと応募してきた中高年なんて、そもそも人間として信用できないということである

当然、それ以上の給与水準場合経験年数のない人間は弾かれる。

そして同業他社就活をすれば「業界全体で人間がダブついてるから貴方もクビになったの分かってますよね?」という感じで実にそっけない。

今はまだ少子高齢化人間が足りなくなっているが、これから機械技術AIが発達することでドンドン人間がいらなくなる。

技術事務営業仕事AIに奪われていくし、運送接客サポート仕事自動化されていく。

人余りの時代が再び訪れるのは明白なんだ。

その時、きっと多くの人が口にするだろう。

公務員になればよかった」

公務員はズルイ」

と。

今、目の前にある売り手就活市場に流されて公務員を選ばなかった奴らが無責任にそれを言うわけだ。

全く見ものだな。

俺のようにちゃんと手に職をつけてフリーランスになるならともかく、ダラダラサラリーマンをやるつもりの癖に公務員バッシングする連中の気が知れないぜ

2024-08-13

「できてません」の代わりに「確認します」って言うのバレてるから

何が確認だよなんにもしてないくせに

何でもかんでも後回しにしてるだけじゃん

意味わかんねー

確認します」つって確認も何もしてないこともままある

タチ悪すぎだろ

やる気ないなら本当にどっかいってほしい

無責任なこと言わないでほしい

あなたの「〜すればいいと思う」は大抵ロクでもないのだから

やる気なくなるんだよねほんと

anond:20240813170448

政治お金問題にこれから根本的にメスを入れていくこと、そして腐敗を厳しく防止する法律を一刻も早く作ること

選挙のためなら何でもする、誰とも組む、無責任勢力に負ける訳にはいかない

anond:20240813163358

リベラル別に政治的に何かをしたいわけじゃない。

強いて言えばお友達となんとなく目標に向かって頑張ってる風な活動がしたい、その活動がなんか自己肯定感を高めるならなおよし。

先導してる側はこういうのに乗っかっちゃう頭が足りて無くて孤立しがちな人間の支持を集めて、より先鋭化した言説で支持者をさらに分断して社会から孤立させたい。

その結果依存先が支持者同士のコミュニティしかなくなってより先鋭化していくというループ

そうして得た過激な支持者によって発言力を得て政権にはかかわらない位置無責任に口だけ出してお金がもらえれば目標達成ってわけ。

安倍が死んでることに対する安心感がすごい

オリンピック閉会式でまた安倍マリオがバズっていた。もし安倍が生きていたらこれをきっかけにまたしても"安倍首相復活論"が巻き起こっていたことだろう。コロナ禍で薄汚いマスクを配布した挙げ句無責任職務放棄したことも皆すっかり忘れて。

もも安倍はこの世にいない。安倍が三度目の首相になることはない。この安心感たるや本当にすごい。気持ち悪い連中が安倍いくら神格化しようとも、本人がいないのだからもうどうしようもないし、今更安倍名言100みたいな本を出してもひたすら滑稽にしか思えない。安倍権力を振るうことはもうない。

「この世に安倍がいない」。その事実は私の人生に穏やかな時間を与えてくれる。

夏休み

夏休みってサイアク

子ども毎日家にいる

うるさいしちらかすし邪魔

昼間の家は私の楽園なのに

税金払ってるんだから責任持って学校で預かってくれないと困る

なんだよ夏休みって

教室エアコンあるじゃん

体育館もつければいいじゃん

登下校?スクールバス走らせなよ

1ヶ月も家庭に押し付けるとか無責任すぎない?

2024-08-12

anond:20240812004500

やあ、無責任カスだよ。

カスから何も言える事なんてないよ。

なんつーか、例えばだけど、生存確認代わりに(←すごい言葉だな)年に一度の年賀状淡々と送り続けるのはどうかな。

年賀状なら、どうせ“たか年賀状”なだけ。

(今なら残暑見舞い、だっけ。こっちは送った事ないから分かんないわ)

本人からの返信はたぶんない。けどもしも。もしもたけど、彼に何かがあった時にご家族発見してくれたら、何か反応がくるかもしれない。(あまり期待できないけど)

増田気持ちが変わらないなら、年に一度くらいの軽さ(重さか?)で、繋がりにもならない薄い線だけど、何もしないより少しはマシにならないか

ならんか。

友だちの代わり、っていうかさ、彼の代わりっていない訳じゃん。

カス自分チラシの裏から彼の生存を祈るっている。

あ、ごめん

『他の直接顔を合わせない形での連絡手段は全て試したので、』

読んでなかったわ。ごめん。

実家職場にそっと郵送で。すまん。許せ。

20年来の付き合いがある友人が音信不通になった。

小学校のころから数えて20年以上の交流がある友人が音信不通になった。

俺は男で、友人も男。小中高と同じ学校に通い、大学からは流石に離れたが、それでも連絡は取りあい、年に数度は二人で飲みに行ったり旅行に行ったりと仲の良い付き合いを続けてきた。

その彼が今年初めにぷっつりと連絡を絶った。

と、こう書くとなんか重大そうな話に見えなくもないが、実際そんなに気に病んだり心配しているわけではない。もし死んでたら墓参りには行かなきゃな、とは思っている。

それでもわざわざこんな文章を書いているのは、やっぱり多少なりもやもやした気持ちがあり、それを吐き出したいと思っているからだ。

なぜここに吐き出すのかというと、他に適切な場所がないし言える人もいないから。

ここなら何を書いても匿名だし読むのもコメントするのも全員匿名無責任カス共なので気楽だ。吐き出すにはちょうどいい。

実は友人が(死んだのでなければ)音信不通になった理由には心当たりがある。

俺は彼に金を貸していた。

300万円ほど。

40万円くらいは返ってきたので残金は260万円くらいだ。

ここまで読んだ増田たちの言いたいことは分かる。「自業自得」」 「お前のせい」 「お前がアホ」 「常識がない」 「お前もその友人とやらもバカ」あたりのシンプル罵倒かそれを長ったらしく言い換えた同義語だろう。

俺も他人の話なら同じ感想を抱いたかもしれないので否定はしない。

他に吐き出し場所も無ければ言える人もいないと書いた理由も少しは分かるだろう。「アイツに260万くらい貸してるんだけどアイツ返さないまま音信不通になったんだよね」とか言えんわ。知り合いには底抜けのアホ扱いされるだろうし家族からはアホ扱いに加えて「何としてでも取り返してこい」みたいに激詰めされるに決まっている。

金は惜しくない。これは俺が桁外れの高収入勝ち組男だからではなく、そもそもあげるつもりで貸したからだ。

苦境とそれに伴う金銭の不足を訴える彼の話を俺は信じたし、今も信じている。貸したことを後悔はしてない。これは本当。

じゃあ何がもやもやしてるのかというと、やっぱり連絡を絶たれたことだろう。

金の事なんて気にせず友人を続けてほしかった。「俺に貸すのが悪いわ。諦めな」とか何とか言って今年も一緒に酒を飲んでほしかった。まあそこまで無神経にはなれないにしても、死ぬまでずっと「悪い、今度返すから」とか繰り返してくれればよかった。

何も音信不通にならんでも。気まずくなったのかも知らんけど俺が気にしてないんだからそっちも気にしないでいいのに。

友人の職場は分かっている。友人の本名ググる現在勤めている(であろう)会社のページが出てくる。

きっとこれを読んだ多くの人は「なら押しかけて行って無事を確認するなり金を毟り取るなりしろよ」と考えると思う。

そこもももやしてるポイントだ。

ぶっちゃけかめるのが怖い。

死んでたらもう手遅れで線香をあげるくらいしかしてやれることがないし、生きてたら生きてたで俺に会いたくないであろう友人を更に追い詰めることになるのではと思うと。

というわけでこんな文章を書いている。

このもやもやを吐き出したかった。

俺の臆病で不出来なところをただ文章にして吐き出したかった。

チラシの裏にでも書いてろ」と思うだろうがここも似たようなもんだろ。気取んな。それにチラシの裏とか秘密日記帳とか100%誰も見ないとこに書いてても吐き出した感じが無くて消化不良なんだよ。ここまで読むような奴はどうせヒマだろ。ヒマつぶしついでに俺のゲロ袋になれ。

読んでくれてどうもありがとう。少しはすっきりした。














最後に、Nくん。

他の直接顔を合わせない形での連絡手段は全て試したので、間抜け行為だと知りつつここに書く。

絶対あり得ないとは思うが、もし万が一にもこれを読んでいたら、既に言った通り金のことは俺は気にしてない。君は「いずれ必ず返す。埋め合わせをする」と言ってたけど、何なら返さなくてもいい。君が変わらず友達でいてくれるだけで十分だ。……今「友達でいてくれるだけで十分」と書いたけど、その気持ちに嘘はないけど、それはそれとして金が返ってきたら嬉しいということも分かってほしい。これは俺が金を欲しているというよりも(その気持ちがあることを否定はしないけど)、金を返すことで君自身の重荷を取り去ってほしいからだ。俺が「借金はチャラにする」と言っても君は気にするだろうから

君のことだから、いろいろ気に病んで、俺に申し訳なくて、情けなくなって、連絡するにできなくなったのではと思う。そういう不安とか申し訳なさとかの鬱屈した負の感情無用なのでとっとと捨てて、また連絡してきてくれると嬉しい。一言でいい。

まだ大学生なりたての頃、二人で箱根旅行に行ったことを覚えているだろうか? 俺は覚えている。旅館の部屋食で出た白米がめちゃくちゃ美味くて二人で山盛り食べて何度もおひつをおかわりした。あんまり食うので、最後には旅館の人が気を利かせてご飯おひつパンパンに詰めてくれた。炊いた米におひつの蓋の跡がつくほど詰まっていて、一緒に吐き戻しそうなほど笑った。あん旅行をまたできればと思う。

Mより。

2024-08-11

anond:20240811141811

また数ヶ月してから話し合ってみたら?

今まで何もしてなかったのに震災ニュースになりだしたら急に防災活動に走り出すことに抵抗感を覚える人はわりといるし、夫もそういうタイプかもしれない。

皆が防災グッズを買い求めて品薄になる中でその競争に入ること自体に浅ましさを感じたりするようなタイプ

増田自身最近ニュースナイーブになってる面がありそうだし、時間をおいて話し合った方が良さそう。

まあ、それまでに震災が起きたらどーしようもないので、そこに関しては無責任意見だけど。

立川志らくさんの言葉人間としては正しいけれど、メディア人間としては無責任まりない最悪の無能発言なので、こういう無能な人が力を持たない世の中であってほしい

https://twitter.com/shiraku666/status/1822233433948459115

嫌なのがここぞとばかり彼女のこれまでの非礼を取り上げてフワちゃん叩きを発信するタレントコメンテーター連中。普段から言えよ。卑怯者。まさに水に落ちた犬を叩く。それと批判はいいが、彼女に対してネット罵詈雑言をいう人々。フワちゃんやす子に言った言葉とどう違うのか?ちなみに落語は、人間は弱いもの、間違える生き物だと教えてくれる。それを良いと言っているのではない。人間とはそんなもんだと認めてあげる。それが落語

ネットメディアが絡まない場面では「ぐうの音も出ないような正論」ではある。

私もぜひこれが正論として成り立つ世の中であってほしい。

しかSNSが出来てしまい、これがPV至上主義と合体してしまってる以上、もはやこれは正論ではない。

ただのスローガンしかない。しか志らくさんのようなエスタブリッシュメントにとって都合の良い、ね。

今の世の中、SNSで影響力に格差ありすぎるから落ち目でない間はたとえ間違っている人でもケチを付けたらケチをつけた側が殺されるし、言えたとしても黙殺されて終わりだ。

一度水に落ちてくれない限りまともに文句が言えないし言っても意味がない。(森川ジョージ先生みたいに合わせてくれる人もいるが、基本的には無視するかファンネルに叩き潰させるかだ。)

そもそもからふわのことが嫌いな人はずっと嫌いって言ってたし、今までだって何人もふわのことを諌めてたってニュースにたくさん出てきてるじゃん。

でも、全部そういう意見は今まで無視されてただけ。

その声が大きくなって無視できなくなって初めて視界に入ってきただけ。

で、無視できなくなった途端に、メディア手のひら返して騒ぎだしただけ。

そこまでして初めてようやくあなたの視界に入っただけ。

そこまでやらない限り、あなたがたはすべての批判無視してなかったことにしてるだけ。

今ってそういう構造ですよね。

から金を払ってでもPVフォロワーを稼いで、インフルエンサーになりたがる人が多いんじゃないですか。

そういう構造なわけ。

こんなん男女格差とかよりはるかにわかやすく、誰の目にもわかりやす数字として示されてる。

しかもこれって今年とか去年に始まった話じゃない。

そういう構造になってしまっているからこそ、暇空さんや石丸さん、トランプさんみたいな人が求められるようになってしまったんじゃん。

こういう人たちが求められる世の中ほんとにやだけど、そういう構造を作ってるの貴方がたじゃないですかヤダー!

上手くいってる間は、PVを稼いで売上に貢献してる間はちやほやしろってこの構造恩恵をフルに受け取っておきながら何いってんだか。

時代錯誤も甚だしい。

そんなにこの構造が嫌なら、お前が10年前からメディア批判しろや。Twitterアカウント一時的に止めて抗議しろや。

お前らの無為のせいで今この状況になってるのに、ほんまなにいってんのこのおっさんしか思わんわ。

いじめ放置しておいて、いざその学校の生徒が自殺したり不祥事を起こしてから加害者に対してバッシングは良くない。普段からいじめはよくないと言え」って言ってるようなもん。

普段から言っとるわ。その声を握りつぶしてるのはだれだよお前だろ。

もっと人殺しの顔をしてほしい。 何善人ぶってるんだ。信じられない。

こういう「一見けが良いことを言って人気を得ようとする軽薄さ」はさすが落語家って感じがする。哲学とかそういうものを一切感じない。

今のリンチメディアGOサインを出してることが一番大きな問題なので、一番最初批判スべきはメディアなのに、そっちはお金もらってるから何も言わない。

落語家なんてメディア奴隷だねってのがすごく良くわかる。

賢い他の落語家はそれをわきまえてるから恥を知って黙ってる。

一人だけ恥というものを知らないから格好つけて的はずれなことを吠えている。

見ているだけで恥ずかしい。共感性羞恥がすごい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん