はてなキーワード: 月見とは
おかげで頭痛の頭が痛かったのも忘れた頃に直ったから良かったけど、
久しぶりに街に出ると
あんまり街中出ることいつぶりだっけ?ってぐらい久しぶりだったので、
そんで
学生のころの連中が集まってな回だったので、
そこでスプラトゥーン3の仲間になれそうな人やってる人いたから、
登録して一緒に戦えたらな!って思ったわ。
LINEとかの交換よりもむしろそっちの番号交換の方が燃えてしまうわ。
逆に足手まといにならなければいいけどと逆に今から心配になるけど、
まあ全くの他人じゃないし、
気心も知ってる人だから
向こうの戦歴に泥を塗るようなことはしたくないわね。
久しぶりに街に出掛けたら書を捨て街を出ようって意味が分からないけど、
あれは多分タイトルだけ私は読んだことあって内容は知らないけど、
要はそんなことなんでしょ?
とりあえず、
食べ過ぎ飲み過ぎ食べる前に飲む!でお馴染みの漢方胃腸薬でも飲んでおくべきだったわ。
いまは何となく元気だけど、
あと今日もまた忙しいので、
うふふ。
冷たいお出汁もそのまま涼を得るようで涼しくて美味しいお蕎麦が嬉しいわ。
なんかお腹痛くなったのは気のせいだと思うけど、
お買い物いけなかったので、
水出し緑茶ウォーラーかルイボスティーウォーラーかのどちらかよねこの季節は。
暑いのでどうぞ気を付けて。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
1か月分の広告費を設定間違って3分の2を1日で消化してしまう令和入ってから一番のテヘペロ案件、
ちゃんとオフにしないと1日の15時間ぐらいの間で1か月分の広告費が消化されてしまうと言う、
なんか広告出す人が分からしたら優しくないシステムに思わず令和入ってから一番のテヘペロ案件をお見舞いされることになったわ。
そんで仕組みにもなんかおかしいなって点があるんだけど、
例えば月1か月で30万広告費を使うって設定にするとして、
1か月30万って設定しても日割りで広告費を消化してくれなく、
均等に日割りで消化しようとするには手動で1日1万円!って設定しなくてはいけなくて、
月末ぐらいには27、28、29、30万って日を追うごとに累計の金額になるでしょ?
月変わって設定を変えずに月が新しくなりまたぐと先月の末の金額の設定の30万円って設定が自動的に適用で今月更新されて、
7月1日の1日に掛ける広告費が30万!ってとんでもないことが起きてしまうのよ。
これってシステム側に問題があるくない?ってかもっと最適化できるはずだと思うけど、
広告出稿者に優しくない仕組みよねーって。
罠だわ罠。
令和入ってからの一番のテヘペロ案件にふさわしい広告費の溶けっぷりでビビったわ。
以後気を付けるわ。
なんか罠っぽい感じに引っかかってしまってまんまとして腑に落ちない山脈に向かってヤッホー!って叫びたいところよ。
うーん月額日割りの計算ぐらいできそうな気もするけど何か難しい問題でもあるのかも知れないわね。
にしても
そうやってセコく広告費をうっかり前月の金額を計上させて更新してしまう仕組みってどうよ?って思うわ。
うーんモヤモヤするけど、
以後気を付けるわ。
うふふ。
駅そばのさ
月見は温玉だったけど、
私冷たいお蕎麦はもり蕎麦かざる蕎麦かって相場が決まっていると思っていたけど、
これ昔からあったの?
初めて食べてみて涼しくて美味しくてご機嫌よ!
知ってた?
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
花札に狂っている。
もともと正月に家族でやったり龍が如くのミニゲームを本編そっちのけでやったりするぐらいには好きだったが、アプリでネット対戦をするようになってから完全に狂ってしまった。
やっているのは先月か少し前ぐらいに出た「えとはなっ」というアプリで、美少女のガワを使って「こいこい」の対人戦を1試合5分ほどで遊べてしまう。花札をやる前にハマっていた雀魂と比べるとより対戦時間がコンパクトで、だからこそどんな隙間時間にも遊べてしまい、危険である。事実、私は先週からの余暇時間をほとんど花札に溶かしている。いや、ここのところはもう花札をやる合間に人生をやっていると言っていいだろう。
そもそも花札は中毒性が高いのだ。麻雀と同じく、運の要素が強いながら戦略次第で勝率を微増させられるため、熟練者にも初心者にも楽しみ甲斐がある。
4枚1組の同柄の残り枚数を見て自分の手札が何とセットになっているかを考えたり、相手の持ち札を読んで役の成立を妨害したり、取る札の優先順位を決めたりと、お正月だけの遊びにするには勿体ないほど高いゲーム性を有しているのだ。
さらに「こいこい」という種目では役の点数が7点以上で倍になるというルールがあるため、役が成立した時点でリスクを取って7点以上を目指すか妥協するかという葛藤が生まれる。この7点というラインが実に絶妙で、手早く集まるような役ではあと一歩足りず、手札を睨みながら小さい役を併立させるかのジャッジを迫られることになるのである。
そして、そのゲームバランスをぶち壊しているのが「菊に盃」とかいう壊れ性能KYクソカードだ。
花札には12種の柄があり、うち5種にSR(S級レア)とも呼べる位の高いカードがある。このSRのうち雨札を除いた3枚を集めることで成立するのが「三光」という役である。これが点数にして5点であるということをまず覚えておいてほしい。
「花見で一杯」といって、先述のSRカードのひとつ「桜に幕」と、せいぜいHR(ハイレア)程度のカードである「菊に盃」を組み合わせることで成立する。点数はローカルによって様々だが、もっともメジャーなものでは5点である。
5点である。
SR3枚を汗水垂らしながら集めた5点と、SRにおまけみたいなHRをただくっつけただけの5点が同じというのはどう考えてもおかしくないか。
普通ならたかだかHR程度の値打ちのカードがSRカード1枚を味方につけた程度でSR3枚組に喧嘩を売ろうなどとは思わない。しかしこのアル中クソカード「菊に盃」は一切の空気を読まないのである。仮に「松に鶴」とか「桐に鳳凰」がムチャクチャ睨んできても多分退くことはないだろう。この酩酊した泥酔酒ヤクザには法も常識も通じないのだ。
それだけではない。この環境破壊害悪カード「菊に盃」にはさらなる邪悪な一面が存在する。
ここでまた役をひとつ紹介しよう。「月見で一杯」という役だ。もし嫌な予感がしたなら、それは当たっている。SRカード「芒に月」に対し、己の辞書から遠慮と慎みを削除した傍若無人クソカード「菊に盃」がコバンザメのように追従することで成立する役である。
つまり、このゲームバランス破壊獣「菊に盃」が手持ちに来た時点で、「桜」か「月」のどちらかを取るだけで5点先取できるという爆アドが生まれてしまうのだ。手札と山札がハマれば最短にして1ターンキル。インフレが進んだシャドバでもちょっと引かれるレベルの爆アグロである。これをやられると手も足もでない。
さらに絶望的なことに、「花見で一杯」と「月見で一杯」はなんと併立が可能である。ルールによっては「のみ」という役に名前が変わり、足すところ10点だ。
桜・月・クソカード、この3枚を集めるだけで10点。SR格のカードが3枚集まってやっと5点の三光さんに申し訳ないと思わないのか。思わないんだろうなぁ。「菊に盃」くんは酒で頭をやられているから。
それから、思い出してほしい。「こいこい」では7点以上の点数が倍になるというルールを。
つまり、桜に幕・芒に月・ゲーム設計者の恥ずべきしくじり、この3枚だけで簡単に20点が取れてしまうのである。壊れ性能にもほどがある。
ちなみに、このゲームにおいて他の役で10点×2=20点を取ろうと思うと、「五光」というSRカード全集めのアベンジャーズみたいな役が必要である。しかも、相手側に「のみ」が成立してる時点でSRカードのうち2枚が名前を言ってはいけないあのカードに寝返っているわけだから、対抗手段にもなり得ない。
つまり、「菊に盃」はアグロデッキでもコントロールデッキでもTier1の、本来ならば禁止カードとされるべき禁忌の一枚なのである。
しかし、花札界隈では今なお「花見で一杯」「月見で一杯」をナーフせず5点役として採用しているルールがほとんどである。一体どこから圧力が働いているのだろうか。
とはいえ正直な話、1プレイヤー視点から見て、初手で「菊に盃」が手札にあるのはブチ上がる。菊に盃のことは嫌いだが、暴力は好きなのだ。
壊れカードというものは相手に使われると得てして義憤に駆られてしまうものだが、自分が使う際には快楽しかない。
ああ、ちまちまと時間をかけて赤短や青短を集めようとしている善良な対戦相手を酒の力で秒殺したい。あるいは「松に鶴」「桐に鳳凰」を手にして三光を阻止したつもりの相手に終盤ターンで「のみ」をぶつけて絶望させたい。「菊に盃」とは、そうした蹂躙を運の力だけで叶えてくれるカードだ。手にするだけで、相手のプライドも戦略も簡単に粉々にできてしまう。まさにカードの形をした暴力なのだ。
こんな話をしていたら、また花札がやりたくなってきた。今はもうとっととこんな文章を書くのをやめて少しでも早く「えとはなっ」を立ち上げたい。
毎々お世話になります。
下には下があると言う話をしておきたくキーボードを叩いております。
なお、これはジョークである為、笑っていただきたい。ジョークなので、よく似た会社があったとしてもそれは錯覚であり、実在しない。
以上、ご査収の程お願いしたく。
ある菓子製造業の労働組合がある。比較的歴史が長い企業で、戦後に労働組合が結成された。
古老が言うには、結成されたときの最初の要求は「安全な作業着を支給せよ」と言う所から始まったと言う。
地域の中で中心的な役割を果たす労組で、かつてはこの労組から、同系統の労連の組織内候補として国会議員が送り込まれたこともある。(社会党が強い時代)
しかし、それも昔の話だ。
バブル崩壊前は、業態として製造から販売まで同じ会社でやっていた。が、バブル崩壊で同じように出来なくなり、製造会社を分離する事になった。その際に、労働組合が反発した。
ここまではよかった。しかし、労働組合が出した条件が、組合員の給与と立場の維持のみであった。
そこで、その会社が執った手段とは、子飼いの下請け企業に指示して会社を作らるということであった。
親会社との間に資本関係が無いが、技術顧問という形で人を送り込み、事実上支配したのである。
そこでは、不景気の労働市場に乗じて、親会社の給与水準・待遇と比べ遙かに低く、その地方としても下の中ぐらいの待遇で人をあつめた。(その際に、親会社の名前は大いに役に立ったことだろう)
さらに製造業への派遣労働が解禁されると、それを大いに活用した。この時、労働組合はこれを黙認した。何故なら、組合員は出向に選ばれても給与水準や待遇は維持されたからである。
こうしてできあがったのが、コストを削減することのみを目的とした子会社であった。安易な解決策である。
その後、失われた10年が失われた20年に向かおうとする中で、製造会社の経営が悪化する。
当然である。この会社はコストを削減のみを目的としているから、まともな経営改善は行われていないし、投資活動もできていないのだから。
世の中の景気が少し上向けば、他者は投資をして、改善する。そうなると、ついて行けなくなって競争力は落ちていく。しかし、もはやこの子会社がなければ商品が作れない。
そこで、いちど会社を倒産させ、清算、その上で、今度は資本をいれて買収することになる。
この際に、労働組合はどう動いたかというと、やはり「組合員の賃金と待遇の維持」を要求するのみであった。
そして、経営側は、この際、元々別の会社であったものを救済目的で買収するものであるから、ユニオンシップ制は適用されないと言う事で合意を取って買収をしている。
こうして、資本関係のある子会社というものが誕生した。この頃は、まだ子会社も労組入りを呼びかけるべきであると言う話もあったようだ。
しかし、この労組は、親会社内では待遇の維持を堅持して主張していた。このなかでは、自分たちの労働の価値を下げるとして、派遣労働者の導入も組合の同意がなければ駄目だと言う形にしていたようだが、その反動で製造会社の方の待遇は、当時からかなりの格差があったと聞く。
労組が、子会社社員らをに入れる事を躊躇っているうちに、親会社は業務を拡大する。コスト削減目的で作った子会社によって生み出される利益は大きい。他にも何社も子会社を設立していくことになる。
そして訪れるリーマンショック。この時、労働組合は、組合員の給与と待遇の維持を要求。親会社は本体には手を付けられなかった。子会社は大幅なリストラが行われた。
ここで、子会社で働く下々の者から見たら、悪の枢軸としか見えないような労働組合が固まったのである。
さあ、みなさん、ここ最初の笑うところですよ。さあ笑ってください。
リーマンショック時のリストラ攻勢に対し、子会社の社員の中にも組合に相談し、加入したいという要求があったそうである。が、当然のように組合はこれを拒否している。
ではと言うことで、子会社の有志が集まって労働組合を結成しようとしたことがあった。
しかし、この会社の労働組合の幹部は、地域の労働組合、さらには産業別の組織でもそれなりの力を持っており、この労働組合設立の動きに対して、表向き「いずれは自分の所に加入させるため、設立支援はしないでほしい」という話をした。つまり、既成の組織が支援しないようにさせ、労組結成を阻止したのだ(当時は会社に関係なく入れる労組などはなかった)
もしかしたら、彼らは当時本当に組合員として受け入れるつもりがあった可能性も微粒子レベルで存在しているが、結果が全てだろう。
その後、労働組合から会社に都合の悪い部分だけを外したような「従業員互助会」という組織が、親会社人事の指導の下に設立される。
ここは社員だけではなく、社長以下全社員が所属していると言う組織だ。だから労組ではない。1ヶ月500円を徴収し、この金で社員の交流会(花見と月見と忘年会、と言う飲み会。参加はほぼ強制で、欠席には理由書の提出がいる)を行うと言う組織である。表向きは。
しかし、36協定など、労使協定を結ぶときには、経営側の人間は投票権なしとすることによって、従業員代表組織とみなしている。
もはや、御用組合どこでは、ない。
会社の経営危機は何度もあった。その際に、彼らは組合員の子会社を活用すればリストラは不要なはずだ、構造改革が足らない、と組合側が提案書まで書いたらしい。
具体的に子会社をリストラしろ、派遣切りしろとあったかどうかは定かではない。しかし、事実その後、リストラの嵐がやってきて、派遣は総じて契約を解除されたのは事実だ。
そうして人がいなくなった子会社に、親会社で余った人間が出向してきた。
親会社の人間が天下ると、何故か1階級特進すると言う習わしがある。平社員は係長に、係長は課長に、課長は部長に、部長は役員になる。
そうして、実務者が3人減ると、その費用で親会社の雇用が維持される。
さらには、親会社での職位はあくまでも係長なので労働組合員だが、子会社では管理職と言う者が大量に出現する構造ができあがったのである。
彼らは毎年、春闘を行う前にスト権投票を行い、要求を挙げている。しかし、もう30年以上ストライキは行われておらず、交渉は妥結している。
その結果、毎年ベースアップと定期昇給は維持されており、ボーナスも5ヶ月分程度は出ていると考えられる。また、利益は出ていたので、それを背景にした待遇改善要求も通っていたようである。
が、その成果を、ある時から一切公表しなくなった。その理由は「関連会社に配慮するため」とされる。
簡単に言えば、子会社側で、親会社と同等の賃上げレベルを要求する動きが、ごく一部であったらしいのだ。
それを親会社から天下りで来ていた社長が親会社に伝え、親会社は交渉結果を非公開とすることを要求。現在は一切公開されなくなった。
ただ、当たり前だが、人の口に戸は立てられぬ。
続き → anond:20230331164112
日本には自由があるので何言ってもいい。「五千兆円ほしい。月を家に飾りたい」なんて持論があっていい。口にしても相手にされないだけだ。
建設的な議論の例を示す。そんなもの30年生きてきて一度も見かけたことがないので想像だ。間違ってたら教えてほしい。
増「月を見るための望遠鏡がほしいです。なので100万円ほしいです。」
減「高い!月は大きいから安い望遠鏡でもよく見えるんじゃない?」
減「いいじゃん」
増「あ、でも外寒いから防寒費と食費で月2万ほしい。月に8回くらい月見会やるんで」
減「食費は月見してなくてもかかるから個人で負担して。防寒費の内訳は?」
増「はい(あ、コート買いたい。けど怒られそうだから個人で買おう)」
みたいなさ、両側から調整する感じなんじゃないの?
予算が絡む議論であれば、互いに見積もりと不備の指摘をし合う感じ。
例えば原発ゼロって気持ちは分かるんだけどその分の負担どこにかけるの?火発増やそっか?工業中心に経済死にかけるけど?
って問に全然答えられてなくて議席の多いやつが決めたベストミックスがそのまま通ってる。
(暗にゼロ派の反発を避けるために原発比率を落としたベストミックスを出してる可能性がなくもない。けど公開された議論を経てないから健全じゃない。)
ちょっとお金があった時期は自作もやっていたぐらいなのでパソコンは好きだよ。
パーツの選定もOSのインストールも一通りできるし、Windows Updateの更新情報は毎月見るのがちょっとした趣味だよ。
ただ、うけた支援校との相性と俺の人間性がよくなかった。それだけ全部俺の責任だよ。
増田だから分かっている人は多いけど、ITとはいうけど一口にITといっても色々あるわけだけど
俺は種類もどう調べたらキャリアを形成させることができるのかとかも一切わからないんだ。
プログラミングで言えば、昔Pythonやってみたけど、一個の完成したプログラムを組むところまで到達しないまま挫折してしまったので、
話よく覚えてられるね。
1話でいきなり10人ぐらい名前がドーンって出てきて次の週には全員顔と名前が一致してる前提じゃん。
主人公・恋人・嫌な上司の3人ぐらいだったらなんとかなっても、それ以上はもう覚えきれないよ。
メイン回が来るまではサブ扱いでちょっとずつ覚えれば良いってわけでもなく、2話でもう「山田がアレじゃん」「田中もだよ」みたいな会話を顔も出さずに進めてて、そもそもこっちはどっちも顔と名前一致してないっていう。
映画だったら2時間前の話も覚えてるけど、一週間前は流石にもう覚えてないよ。
これ漫画に対しても同じなんだけど、一連の繋がった話を6分割して半年かけてやるみたいなのやられるともう最初何があったのかとか忘れてるよね。
連載で読んでる人ってなんとなくでだけ捉えてるのか、それとも分からなかったら前の号取っておいて読み返してるのかな?
れてんさんとジャダムさんの二人からなる「れてんジャダム」っていうyoutuberがいまして、その人たちの動画が好きでよく見てるんですよ。
どれぐらい好きかっていうと、一つの動画につき30回ぐらいは見るほどで、夜勤終わりに酒飲みながら見るのが生きがいみたいになってたんです。
彼らの動画の魅力は、youtubeでも随一の尖った動画のテーマ選びと言葉運びのセンスに集約されるでしょう。
具体的に言えば、Tiktok撮ってる陽キャとか女とかをバカにする、ってだけの動画なんですけど……
そこでの差別的・暴力的な発言が結局、僕みたいな童貞陰キャチー牛キモ男に一番ウケるんです。
でも同時にリア充のTiktok動画が僕らにも見せつけられることで、そこに文句を言うしかできない自分の人生がいかに哀れかというセンチメンタリズムのようなものも感じられるのです。
彼らのスタイルは「陰キャ営業」とか言われたりもしていますが、僕らの感じている陽キャ・女性への劣等感、妬み、僻み、嫉みを代弁してくれているみたいでスカっとするんです。
昔はよく日常系の動画(料理とか)もアップロードしていて、その時は女性視聴者も多かったようですが、最近は女性を差別するかのような過激な動画も増え、僕みたいな童貞陰キャ男が視聴者の99%なのだと勝手に勘違いしていました。
つまり、この時点で僕は彼らに対して、自分の「理想の陰キャ像」みたいなのを押し付けてしまっていたのです。
「陽キャのやってることってキモいよな、それに気づけている僕らは普通の人とも違うよな、しかも自分の悲惨な状況も客観視できてて偉いよな」
なんて捻くれまくっていた自分は、彼らからこのような言語成分をチロチロと受け取り、反芻し、消化していたのです。
その膨れに膨れ上がった利息をまさか今日、支払うことになるとは知らずに……。
そんな彼(れてんさんのみ)がトークライブをするっていうんで見に行ったんです。
場所は渋谷loft9、彼のおかげで生まれて初めて渋谷に来ました。もしライブがなければ一生足を踏み入れることはなかったでしょう。
本当は渋谷なんてキラキラした場所、本当に行きたくなくて朝から缶チューハイ三本開けてなんとか根性で電車に乗り込みました。
家から渋谷までは一時間ほどなので、その間もスミノフで自分にATフィールドを張った気になり過ごしていました。
そうして渋谷につき、どうにかloft9までぼっちで歩いていきながら、どんな人がイベントに来るのかを想像します。
正直、イベントに来るのは僕みたいな陰キャひねくれチー牛か、もしくは動画をキチンと冗談として楽しんでいるれてんさんのようなオシャレな男の人ばかりだと思っていました。
loft9現地に到着しても、何度か行ったり来たり通り過ぎ、機を伺いいざ中へ入りました。
入場したのは開演三十分ほど前だったのですが、この時点ですでに違和感がありました。
入場の際に感じた違和感は、昔クラスでいじめられていた時、重い引き戸のドアを開けて教室に入るような、そんな感覚に近かったでしょうか。
屋内は照明が落とされていたのでそのせいかとも思いましたが、周りを見渡せばその違和感の正体にはすぐに気づきました。
思わず、会場を間違えてしまったのかと脂汗をかき、急にむせ返るような暑さを感じ始めました。
よくよく見てみれば、前列も横列もほぼほぼ女女女女女女…の女性専用シート化(なんなら本当に女性専用シートなんだと勘違いしました)、しかも女のほとんどはまふまふとか好きそうな見た目。
れてんさんは昔「コンテンツに女が寄ってくると廃れる」とおっしゃっており(これ自体は昔からよく言われていることですが)、そうに違いない!と当時は首を縦に振っていました。
が、この驚異の女率……。
単に渋谷かつオフイベントという共通部分に属しているのがそのような女ばかりなのであって、男の視聴者はこんな大叫喚地獄には来ず、ほぼ家でダラけているのでしょう。
ですがその会場の光景に思わず呆然とし、ドリンクの生ビールを片手に立ち尽くしてしまいました。
今までPK shampooの曲を聴いていたと思ったら、実はそれはクリープハイプの曲だった、みたいな衝撃。
もっと陰キャの集まるコミュニティみたいな幻想を勝手に思い描いてしまっていただけに、自身が少数派という現実が苦しく、開演してからもれてんさんの話はあまり耳に入ってこず、JaneStyleをいじっていました。
何もかもすべて、自分自身の空虚で、卑屈で、傲慢な意識が、れてんさんをおかしなまでに理想化し、そのコミュニティまで極度に理想化し、ライブへと足を運んでしまったことが原因です。
もちろん、れてんさんの動画内での発言もすべて冗談だとわかっています。でも1%くらいは本心なんじゃないかと、そう自分に都合のいい解釈ばかりをしてしまっていました。
結果として起きた、この理想と現実の乖離、まるでTiktokでリア充の動画を見せられ自分の不甲斐なさを感じながら、そのルサンチマンとして動画をバカにして楽しんでいるかのような、理性と感情に矛盾を孕んだ状況。
勝手に理想を思い描き、勝手に現実に失望する、今まで自分が馬鹿にしてきた女のようなことをそのまま自分がなぞっているという更なる矛盾、それに気づいてしまい、乾いた笑いが起きました。
いままで心のよすがにしていた何かが、蜃気楼のように歪んで消えていきました。
いままで自分がれてんさんと一緒に思っていた(と思い込んでいた)女に対する悪口が、なぜだかすべて自分に返ってきたかのように感じました。
ライブが終わり、澱んだ空気に吐き出されてすぐ外に出てみれば、まるで僕を嘲笑うかのように腕を広げた黒い雲が空に広がっていました。
家に帰る途中、セブンイレブンで缶チューハイと月見そばを買い、レジ袋をもらって、疲れたまま歩きました。
今、酒を飲みながらこの文章をクドクドと書いて、ようやく一つの結論に達しました。
渋谷まで行って得られたその結論は、「俺は本当に早く死んだ方がいい人間だ」ということです。