はてなキーワード: 戦場とは
P.A.WORKSのお仕事シリーズというものをはじめて知ったのは「白い砂のアクアトープ」だった。
あれから三年目になるいま、お仕事シリーズをぶっ通しで観ている。ストーリーに引き込まれて時間を忘れる。好みの問題かもしれないが、わたしはこういうストーリーが大好きなのだろう。
「花咲くいろは」は最初はとびとびだったが途中から止まらなくなり最終話まで一気に観てしまった。喜翠荘再建のものがたりもアニメになればと思っている。
「SHIROBAKO」はおもしろすぎて残話数がへってゆくのがもったいなくなり20話あたりで一旦ストップしている。
「サクラクエスト」も山場を迎えそうなところでいったん中断し、全然関係ない本を読み始めた。
「サラエボ1992-1995 ぼくたちは戦場で育った」「NOMAD CENTURY」まあどちらも私のお仕事に関連する本ではある。
軽く消費できない本をよみながらP.A.WORKSの作品について考えている。ボスニア紛争や気候変動とくらべればP.A.WORKSの作品は軽く消費できるように見える。だがそれがいったいなんだと言うのか。引き込まれ、楽しみ、元気をもらう。そんなストーリーがひとつもない世界など想像したくもない。
あとなぜか主人公たちがとにかくみんなミニスカやショートパンツで脚を見せている。一部やりすぎを感じる。厨房の服装が民子みたいな格好でいいわけがないし緑川真希のホットパンツは股下がなさすぎる。スタッフが脚フェチというよりはP.A.WORKS全体が脚フェチなのだろうか。まあ私も脚フェチだからいいんだけども。駒田蒸留所へようこそはまだ観ていない。これもまたきれいな脚が観れるのだろうか。
一石投じてやったぜ
飛ぶ鳥落とす勢いの
俺はまるでブリューナク(ケルト神話の光の神ルーが持っていたとされる武器。投槍のような武器と考えられているが投石武器(スリング)だったのではないかとも言われている。だが光の神ルーの持つ投石武器としてもう一つタスラムと呼ばれるものがある。これは宿敵であるバロールの魔眼を撃ち抜いたとされている。このことからブリューナクを投石武器とする説はタスラムと混ざっただけであるとも言われているが、同時にタスラムこそがブリューナクの投槍としての機能が投石武器として誤って伝わったものとも言われている。このように神話の主人公は複数の神話的な武器を持ち神話的な逸話を作るが、これらの多くは戦場に出陣した兵を鼓舞する際、「お前たちの武器は神話にも劣らない」と語った際に仲間外れになってしまう兵種が出てこないようにしている内に増えてしまったからであるとも言われている。神話とは現代においては単に娯楽として消費されるようなものになっているが、古代においては宗教的な意味が強く、それはつまる所政治利用されるための道具であったわけである。政治の道具であるということは、時の当事者達が都合によって何度も書き換えるためのインセンティブが働いてきたということである。王・将軍・神官・占い師などがそれぞれの都合により定期的に書き換えるわけだからして、そもそも正しい内容と呼べるものは存在しないとも言える。たとえば、ブラックジャックの例のセリフが「木の芽!木の芽!」であったと語るものと「(検閲)」であったと語るもののどちらかが間違っているということではなく、どちらも正しくはあるのだ。もしもそこで正しさを問われるものがあるとすれば、それは自分の都合によって内容を書き換えてしまった者達の側だろう。そもそもをして政治利用の意図がなければ神話の発展はなかったのだから、都合により好きに書き換えて良いという姿勢は好ましくないと私は考えている。それは親が子供に「お前は労働力として産んだのだから、お前の人生は俺達の所有物であるべきなんだ」と語るに等しいことだ。相手が空想上のものであっても、生みの親の絶対的な権限をふりかざしてその存在を歪めるのにも、どこかで限度というものがあるべきではないだろうか?)
男子の本懐って奴だな
このままズルズル生きてても人生に何も無さそうだし、社会保障がもたないからどうせ死ぬまで働かなきゃいけないし、医療ももたないから楽には死ねないだろうし、死に方には不安しかない
戦場で手足失って生き延びるとか最悪だけど、ドカンと一発で死ねるなら歳とって動けなくなって狭い安アパートで孤独死するより良いかも
氷河期世代の数が減れば社会保障も医療も助かるし、下の世代は喜ぶだろう
2重の意味で国の役にたてる
バカを一人雇ってしまっただけで、一生負債がつきまとうなんて。
就活シーズンのたびにトンボ鉛筆の話が再燃するのとか見ててもふと思ってしまう。
たった一人のバカを面接で弾けなかっただけのことなのに、どうして看板に一生取れないクソが塗りたくられてしまうんだろう。
社内教育でなんとかすればいい?
そんなの妄想だよ。
バカにつける薬はない。
バカの何が凄いって何をするのか誰にも見当がつかないことだ。
SNSでバズりたいからコンビニの冷凍ボックスに入り、寿司屋で醤油をペロペロする。
なんでもやりかねないバカに対して教育をしようとしても解決方法なんてない。
「お前はバカだからSNSをやるな。せめて本名を隠せ」ぐらいはアリかも知れない。
なぜならバカにはバカだって自覚がないから「アレはバカ向けの話だろ?賢い俺は大丈夫。むしろ一部のバカが下げたイメージを俺が回復させてやるから感謝しなよ」とSNSでバカ発言を繰り返すことだろう。
会社も学校も根本的に何も変わらず、バカがそこの看板に関わってしまった時点でもう取り返しのつかないことが起きるリスクがいつだってある。
偏差値が高いだけのバカがノリと勢いでレイプやドラッグ売買に手を出したせいでイメージがゴミになった学校がどれほどあるか。
でも学校の場合はある程度は周りも理解してくれるだろう、なぜならペーパーテストしかしてないから。
面接で相手のバカの頭のおかしさを見抜けなかったというミスだなんて世間は思わない。
真逆で「面接で相手したバカの頭のイカレ具合を、会社が求める人物像にピッタリだと思って採用したんだろう」と決めつけてくる。
差別的な人間を採用したら「会社の中に差別的な価値観があったから、差別的であることを評価したんだ」と世間は決めつけるんだ。
ありとあらゆるリスクを想定して、少しでもバカじゃなさそうな奴を選ぶしかない地獄のジジ抜きゲームなんだよ現代における採用活動は。
そして、そこにちょっと失敗しただけなのに、何故か「トンボ鉛筆という会社は驕り高ぶっている」とか「JAXAという組織はNASAと比べると精神年齢が大幅に低い」とか言われてしまう。
可哀想だよ。
本当に可愛そうだ。
悪いのはたった一人や二人のバカだけなのに。
まあ、自衛隊みたいに組織全体が本当にバカの集まりで、百人や千人では効かず上から下まで数十万単位で脳みそヤンキー高校じみたクソバカの群れになっている組織もあるが、あそこはもう本当に「そういう人達を集めたい」って組織なのでさもありなんだ。
戦場で他人のどたまをぶち抜いたり、民間人の中に紛れたスパイを見つけるために一人ずつ壁に手をつかせて銃口ちらつかせながら尋問できるような人間に、人権意識なんてあったらすぐ壊れちゃうもんな。
世の中にはそういう組織があるんだから、安心して面接ではバカを落として、最終的にそういう組織に流れてもらうのが適材適所なわけだよ。
・なんか同性愛異性愛 家族のあり方ひと匙 的なテーマで各時代転生して出会い
つど様々な形の関係を築く2人 みたいな
イメージで読み始めたけど
その後の江戸編で「いややっぱりそういう感じか…?」って
振り幅大きかった
・愛ってLOVE以外に200色あんねん(恋愛とか家族愛以外にも親愛というか
人生ですれ違った的な人に分け与えるられる愛もあんねん)的な…?
でも戦後編は「元戦場の上司の掴みきれないカラッとした あの人なんだったんだろうなあ
憎みきれない人」的な話だったからそんなに「愛」か…?
・すまん、「性別年齢時代性格外見を変えて何度も出会い続けるエモさ」は確実に伝えてくるが「伝えたい結論・
このテーマについて読者にこう感じさせたい」的な決着点は感じられんかったんや
・あと名前も共通なの意味ある(環のほうがケンジ属性で周の方がクール系とか 魂が覚えてるとか
初めて聞いた名前なのにそんな気がしないとか)のかな
いや名前まで違ったら別人やんというかもう名前だけ同じ他人というか
「記号的な意味以外 名前への意味づけはない…?」と思ってしまった
・中学生娘ちゃんの「友達ちゃんに家にもう来ないで欲しい」って
「本当はそんなこと言いたく無かったけど何らかの都合により言わざるを得なかった」的な追加あるのかと思っていたが無かった
・新連載たのしみ
今は党内不祥事でそれどころじゃないだけで絶対に軍拡に使うよ?
自民党に政権交代してから軍拡もしてるし軍事予算も増えてるし今後も更に増えるから
自衛隊に人が集まらないというのはあるが、それは国内の別な事情だ
リベラルが昔より軍事にうるさくないけど、それは奴らの負け戦で戦場をジェンダーに移してるからなのよ票にもコッチのがなるし変な責任負わなくていいしね
ウクライナは陸で戦ってるが、日本の場合は上陸されなければ戦場は海と島嶼になるから地理的条件が全く異なるのでそういう点でも日本に本当にドローンが必要かとかは検証しないといけない。
攻撃用だけなら対地ミサイルと同じ役割であるのでドローンを新たに導入するなら監視用のドローンになると思うが自衛隊はヘリを廃止して無人機で代替しようとその方向で動いてはいる。
「当直とは寝ずの番をすることであり、監視カメラの映像を常に注視していなければいけない」ってことらしいんだけどさ、それが出来るのは当直勤務だけを12時間ぐらいやった場合だぜ?
日勤からシームレスに当直に移行して、そのまま次の日も日勤とか、無理だろ?
24時間寝ないで働けっていう日が週に数回最初から組み込まれている時点で厚生労働省が飛んできてもおかしくないと思うんだが、そこから更に日勤をやれは流石に死ぬべ。
よく分からんのが二人一組になっているから片方ずつ寝ることは出来るはずなんだが、それをやってはいけないことになってるんだよね。
片方がモニタールームに待機して、もう片方は巡回に行くのだから、常に二人共起きているべきであるってことらしい。
いやいや、巡回時間以外は片方寝ててよくない?モニターで不具合みつけたらその時に起こしに行けばいいじゃん?
給料もらってるなら分かるけど、明らかに使い切れない量の代休がぶん投げられるだけなんだけど?
無限に溜まっていって毎年度ごとに切り捨てるだけの代休を積み上げられて「ちゃんと二人分のお給料を出してますよね?だから二人共しっかり働いてよ」みたいに言われても困るんだけど?
ま、ぶっちゃけ、どう考えても無理だから割り切って交代で寝てるけどさ。
つーかずーっとそれでやってきてるらしい。
でもたまーに頭のおかしいお偉いさんが「は?当直中に仮眠とかありえない!次の日も仕事?は?戦場では一睡もできずに戦い続けることぐらいよくあるだろ!そんなことで国防が出来るか!」みたいに殴り込んできては壁に「当直中に寝るな」って内容の通知文が貼られるんだと。
「はーアホくさ相手しなくえーよ。じゃあ俺は先に寝るから、次の巡回時間に帰ってくるから、その時はお前が巡回行って、報告終わったら次までお前は寝ていいよ。巡回時間になったら起きて巡回して、俺に報告してくれたら今度は俺が寝るから」みたいに先輩は言ってくれてるからそれに従ってる。
大日本帝國が負けたときと同じ根性論を未だに引き継ぐのやめてくれないかな?
これじゃまた敗戦するよー
アプリで、ある韓国人男性とメッセージのやり取りをしていた時のことだ。
恋愛の話になり、彼は前の彼女とは相手の配慮や尊重が感じられなくて別れたと言った。そして、韓国人女性はそういう配慮をしない、その点日本人女性は幼い頃から配慮するように教育を受けているから良いと思うと言葉を続けた。
現象としてというか、そういう考えを持つ人がいるのは知っていた。海外の男性でわざわざ日本人女性を選んで付き合いたいという男性は、そういう考えを持っているから気をつけろと。
でも、実際そういう言葉をかけられるのは、とても悲しく、悔しく、怒りが沸いた。
別に、そうなんですよ~日本の女性って控えめな人が多いから~とか適当に返せたかもしれない。でも、できなかった。ここで我慢をしたらダメだと思った。勇気を出して発言しなければと思った。
日本の女性が配慮があるという説明をそんな風にしてほしくなかった。そういう発言こそ配慮や思いやりがないのではないか?私には大人しくて、従順であるよう教育された日本人女性と付き合いたいという意味にしか受け取ることができなかった。
私は、それは良いことなんですか?女の子たちだけが、ああしろこうしろと言われて、男の子は何も言われず育つその結果が。それはちょっと日本人女性に対する偏見ではないですか?こういう話を聞きたくないかもしれませんが、私にはその言葉はちょっと聞くのがしんどいです。と彼に伝えた。
彼は、そういうことじゃないんだけど、お互いに配慮が必要で、どちらか一方が無理をするのはいけないよねということが言いたかったんだと笑いながら言った。
ではなぜ、最初からそう説明しないのか。その説明の前に、日本人女性が~という話をもってきてしまうところに、彼の偏見があるというのに。笑ってそのまま話を流してしまえる彼が羨ましかった。
あまり、私の言葉が伝わっていないように感じた。彼にとって、私の訴えは聞き流せる程度のものなのだ。
そういう説明は、配慮ということを説明するためにはふさわしくないのだと、私たち日本人の女性は、配慮をしましょうと教育を受けているのではなく、大人しくしていろと、出しゃばるなと、そういう風に言われて育つんです、それは配慮ではなく、ただ我慢しているんですよ、ともう一度訴えた。
彼は、それは初めて聞いたと、知らなかったと言った。
本当にそうだろうか。
なんだかもう考えるのが辛くなって、私は眠りについた。
いつもネット上で女性の為に、戦っている人たち。私はいつも発言を眺めているだけで何もしたことがなかった。でも、今回、初めて、彼女たちと同じ目線に立てたように思う。彼女たちはどれだけ空しく、終わりのない戦場に立っているのだろうか。その強い意志に支えられ私は今、あなたたちと共に一歩を踏み出した。抗う勇気を持ってみる。
「戦争ができる法案を作ったり賛成した議員、及びその政党に票を投じた者、それらの年長者から順に前線に行く」と定めたらいいと思う。
「自分が絶対その立場にならない」時、人間ってめちゃくちゃ残酷になるから。共感性を失うんだよね。どんなに歳をとってても女でも、戦争に賛成した奴から戦場にいってくれよ。ほんと、偉い身分が武力とイコールだった時代は良かった。
私のやうに諦めよく、楽天的な人間といふものは、凡そタノモシサといふものが微塵もないので、たよりないこと夥しく、
つまり私は祖国と共にアッサリと亡びることを覚悟したが、死ぬまでは酒でも飲んで碁を打つてゐる考へなので、
祖国の急に馳せつけるなどゝいふ心掛けは全くなかつた。
その代り、共に亡びることも憎んでをらず、第一、てんで戦争を呪つてゐなかつた。
呪ふどころか、生れて以来始めての壮大な見世物のつもりで、まつたく見とれて、面白がつてゐたのであつた。
私が最も怖れてゐたのは兵隊にとられることであつたが、それは戦場へでるとか死ぬといふことではなくて、
物の道理を知らない小僧みたいな将校に命令されたり、ブン殴られるといふことだけを大いに呪つてゐたのである。
ぐうたら戦記 坂口安吾
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42917_25521.html
本なんてその程度の扱いでいいものだし、本に限らずあらゆる産業の商品・サービスはそのように扱われて然るべき。
それが商業というもので、そうした方がビジネスのパイが広がり、商材も洗練されていくから。
抜きん出たものをさらに目立たせることで、より多くの人に認知され、共有され、その分野の裾野が広がる。言い換えればバズらせることができる。
それくらいのことをしないと、世の中にはあらゆる商業分野や消費的娯楽があふれているわけだから、認知してさえもらえない。
例えば今ゲーム業界では、市場規模を成すセールスの8割はサービス運営型のものから来るようになった。
それはなぜかというと、運営型ゲームの多くは基本無料の形態をとっており、「手に取る」ハードルが限りなく低くなったからだ。
それくらい、みんなが知っている、みんながやっている状況を作ることは大事だ。
ハードルが下がることで、消費者にとっても、常に手軽に「相見積もり」ができるような状況になっており、都合がよい。
だから無料で触れてもらって、良し悪しはその後で判断してもらうという態度こそ、消費者のセンスや知性を信用する誠実な売り方だ。
音楽や映像などの分野もサブスクの隆盛によって、「見てもらう」のにかかる費用がにわかに低廉化している。
そうした音楽・映像コンテンツを導入口にして、イベント等のファン商売へと誘導することで利益をあげている。
翻って、書籍分野の売り方を見てみると、電書という選択肢が増えたくらいで、ビジネスモデルは変化していない。
売れている本をより売るために目立たせるくらいでは、正直言って生ぬるすぎる。
手に取るハードルを低くできない以上、「絶対に外さない」ように一極集中させるのは理にかなっているだろう。
本当に書籍文化の未来を願うなら、考えることは真逆であるべきだ。
「隠れた良書」とされがちな性質を帯びた作品というのは、もともとその分野にどっぷり浸かっている人が、商業的なアシストがなくとも自分で探し出していける。
逆にそういう発掘の楽しみが残っていた方が、商業に食い荒らされない方が、良いとさえ言えるだろう。
ゲーム業界で言い換えるなら、SteamのインディーやPC・PS5などの買い切りの大作タイトルにはもっと優れた作品がある、それは事実だが、それを声高に叫んだとしても、そういう古い「あり方」が主流に返り咲くことはないのだ。
むしろ現実には、基本無料ゲーム開発のために資金と人材が集まり、ビジネス面では主戦場と化しているのがここ十数年の流れだ。
コアで偏狭なゲームファンはそれを直視できずにいて、運営型ゲームのガチャシステムなどを古い認識のまま嫌い続ける。
もちろん中身を重視するなんたらアワードのような世界では、AAAタイトルがマニアに評価され続けるだろう。
だがAAAタイトルを触れるのはゲーム消費者全体を俯瞰してみると、本当にマニアだけになっている。それは悪いことではない。
ゲームという「あり方」が柔軟に広がって裾野を広げた結果、おじいちゃんでもポケGOを楽しんでいたりする世界を一概にダメとは言えないだろう。
それと同じように考えれば、商業主義を嫌い、「隠れた良書」のようなものをアピールすることがいかにズレているか分かるだろう。
伸びているものをさらに伸ばして多くの人を巻き込み、素晴らしい方向へ成長させる圧力を生産者側へかけていくことが、誰も想像できないような膨らみ方をした未来の文化を作るわけだ。
モバイルゲームでは、開発費が高騰して、競争が激しいのに失敗リスクが大きくなっていることから、技術力や繊細な運営センスがない会社は早々に撤退を余儀なくされ、淘汰が激しくなっている。
この中を生き残って成功していく会社は、従来のゲーマーが評価するAAAタイトルを部分的に超えた品質のものを作れる能力を持ちつつある。こうやって想像を超えた進歩をしていく世界、面白いだろう。
本で例えるなら、なろう系ラノベをくだらないと言って一掃しようとするのではなく、なろう系をさらに洗練・発展させて世代を超えたジャンルへと育てていこう、あるいはそういうものが見たい、という考え方をすべきだ。