はてなキーワード: 意図とは
「おぺにす・・・ってすごいことばだよね」の書き出しで書かせた文がこちら
おぺにす・・・ ってすごい言葉だよねこれをネタにしてお前ら俺たちカスだけどさ めちゃイケのスタッフの意図を読みとった時点でお前らはお笑い界から消えちまうよ俺たちカスに少しでも思いがある奴は絶対に芸能界から去ってくれよ・・・ そうだね、それわかる 笑。だってね、いろんな感情の共有ができるんだもんね。みんな本当に純粋なんですよね、そういうのを一緒に共有しながら。あの時、そういう感情がなくて
うちは事実婚にしました。住民票の続柄に未届配偶者記載をしてます。
双方の兄弟姉妹構成やら結婚=夫姓への疑問やらもあり、夫婦別姓で籍入れるのが第一希望でしたが何年様子見ても法律変わらんし、妻(私)姓結婚か事実婚かで考えてました。(夫姓結婚を"当然"とする対する風潮に対する疑問で、望んで夫姓で結婚する夫婦を非難する意図は全く無いです)
妻側両親:二人の考えを尊重する
夫側両親:息子の姓が変わるのは他人になるようで嫌だ、普通に結婚して(籍入れて)嫁に来て欲しい
という増田氏と似た状況でしたが、もともと別姓希望だったし夫側両親に「息子をとられた」と思わせてまで籍入れたくなかったので事実婚にしました。生きてるうちに選択的夫婦別姓が導入されたらいいなと思いながら生活してます。夫両親は当初こそ納得は出来ないというスタンスでしたが、現在は籍入れて夫姓になって云々は一切言わずに接して下さってます。結婚5年ちょいで時間がどうにかしてくれた部分はあると思います。本音は勿論分かりませんが。
この手の話だと夫側両親が反対するパターンが多い気がしますが、上の世代だと女の子の親はオギャーと産まれた瞬間から嫁に出す覚悟で20年30年育ててるわけで、現状受け止め方に差が出るのも仕方ないとは思います。
ただこの環境をそのまま次世代に引き継がないよう「女が改姓しない結婚」も結婚の形だという事例を積み重ねる為にも、周囲に色々言われても今自分達が頑張らねばなーとは思ってます。
もちろん事実婚も手放しでお勧めはできないです。夫婦二人で健康なんで今は特に困ってませんが、子供産まれても親権片方しか持てないし大病しても手術の同意書にサイン出来るかわからんし法定相続人になれないし重課金して公正証書遺言やら後見人やら手続きしとかないと後々絶対困るわけで。
追記①
この書き方は雑でした。女性の友人、知人の中には、結婚で姓の変更を強いられることに苦痛を感じると話している方も多く、男の私が女性に姓を変えさせることを当たり前に思ってはいけないと学生の頃から考えていました。思想が間違っているから、あってはならないと言っているのではなく、特定の性別に生まれたことが原因で苦しむ人が少しでも減るべきと考えているところがこの発言の意図です。
私は30手前の男で、弟がいる長男です。結婚の報告とともに、妻の姓にすることを伝えたら、散々な話し合いの末、父にはお前は親の気持ちもわからない幼稚な人間だ、”変”な人間だと散々罵られ、母には自分の息子でなくなる気がして悲しいと泣かれました。
皆さんならどうするか、ご意見を聞かせてください。
〈私の考えてきたこと〉
結婚した妻が夫の姓を名乗るのには「嫁入り」といった考え方が根底にあり、実際に妻が過ごした旧家を出て、夫の家に嫁ぐという、女性が実態として夫家に従属することを姓を持って表してきました
これから夫婦になる私たちは、お互いに実家を離れて東京で過ごし、それぞれ仕事をしています。結婚しても仕事上の名前は変えず働くつもりです。嫁入りも婿入りもしない、という考え方です。今はまだ実現していませんが、選択的夫婦別姓が認められていれば検討したかもしれません。
ただし、これから生まれるかもしれない子供のことも考えると、結婚してどちらかを代表者とした戸籍を作り、どちらかが戸籍上の名前を旧姓とする必要があります。
それは、旧家を去るということでもなく、相手の家に属するということでもありません。ただどちらかがどちらかの姓に合わせる必要がある、ただそれだけです。
どちらにするかを決めるにあたっては、様々な要素によって、ベターな選択をすべきと考えます。例えば一方が国家資格などを持っていれば、変更の手間が増えますし、親から土地や会社を継ぐ場合、同じ苗字であるメリットはありそうです。
ですが、私たちにはその要素がほとんどありませんでした。お互いに、本当にどっちでも良いねとなりました。
しかしここで、「世の中の大半は夫の姓にしているから、私たちもそうしよう」とするのは、女が姓を変えるもの!という男尊女卑的な価値観の継承であり、あってはならないことです。※追記①
また逆に、あえて多数派に反抗して妻の姓を名乗ろう!というようなアンチテーゼを主張したいわけでもありません。ただ、どっちでも良かったんです。
結果、私たちはじゃんけんで勝った方の姓にしようとなり、妻の姓にすることになりました。じゃんけんというと軽慮浅謀に聞こえるかもしれませんが、私たちの中では、ただどちらかがどちらかの姓に合わせる必要がある、ただそれだけだったんです。くじ引きでも、あみだくじでも、なんでもよかったと考えています。
〈妻側の意見〉
彼女は、結婚しても今の姓を名乗り続けたいものの、通例的に夫姓にすることにもさほど抵抗はなく、どちらでも良いと言ってくれています。
彼女のご両親も、当然娘は夫姓になるものと考えていたが、妻姓のままでいてくれるならそれはそれで問題ない。私のご両親がいいならいいとのことでした。
〈私の家族の反応〉
上記の説明を両親にした上で、納得してもらおうと何時間も話し合いましたが、冒頭の結果となりました。
人格を否定するようなことも言われました。親の意見を聞けないのは人としておかしい、妻の姓にするなんて変な人間だ、お前は洗脳されてる、と。
※追記③
そんな罵詈雑言を除いて父の主張をまとめると
①客観的には、今の名前(夫姓)のままでいるべき理由はない。が、心情的に受け入れられない。
②希望としては、夫姓を継いで、これからも名前(夫姓)を子孫代々発展させて欲しい。生まれてくる孫は自分と同じ夫姓であって欲しい。
③妻姓になるということは、ウチを出るという考え方しかできない。
④ これまで一家を背負ってもらいたい気持ちで育ててきたのに、裏切られた気持ちになった。
といったものです。
①について、私が姓を変えるべきでない客観的理由が出てくれば、考え直す必要があると伝えましたが、父もまた実家を出ていて、継ぐべき土地や家業はないため、それは特にないということで合意しました。ただただ、受け入れられないそうです。
②について、私たちが子供を作ることを前提にしている時点でがっつりセクハラです。閉口しました。※追記②
③④については、家族の繋がりはどちらの姓になろうと変わらないよ。と何度も伝えましたが、理解を示しませんでした。例として挙げた話をすると、私の母は戸籍上父の姓になりましたが、我が家は毎月のように妻姓の集まりに出席していて、姓が変わることで家族の繋がりが失われるわけではないことは身を持ってわかっているはずです。ただそれが男に逆転すると理解できないそうです。
ちなみに他の家族ですが、弟は私と同じ考えを持っていて、姓がどっちだろうが何にも変わらないよね?というスタンスでした。
母は話を納得してくれた上で、夫の姓にこだわらない夫婦がいるのはわかるけど、心の準備ができていないので、貴方には夫姓でいて欲しいとしか思えないという主張でした。3回勝負ってことでもう一回じゃんけんしたら?って言われました。ナイスアイデアですね。
父の話は感情論ばかりで、言っていることはわかるけど俺の想いとは反する、というばかりでした。当然父の想いは尊重したいですが、それが男尊女卑的な思想、実態に合わないイエ制度的な考え方を前提にしている以上、それを次世代に持ち込ませないのが私のやるべきことだとすら思えました。
双方折れずで議論は平行線のまま終わりました。仕事のため東京へ戻る新幹線の車中で、これを書いています。
〈今私が考えていること〉
普通に考えれば、彼女のご両親のご意向に沿っても、私の親が反対している以上、じゃんけんで仮に決めた妻姓ではなく、夫姓とするのが「人間らしい」選択なのかもしれません
ただそれは、全く私の話を聞き入れず、ただ自分の想いを押し付けた親を認めるということになり、その点に関して納得いかない自分がいます。
夫姓にすることは、彼女に改姓させるのが申し訳ない程度の問題で、私の親も希望通りの大団円のように見えますが、姓への考え方は私たち夫婦+弟と両親で全く異なったままだと思います。
これから結婚するかもしれない弟や、できるかもしれない私たちの子が同じことを相談した時、また同じように踏みにじられるんじゃないかと思えてきます。
親の願望として、差別的・前時代的思想だと思いながら素直に聞き入れてあげるか、時間をかけて説明し切ることを考えるべきか、悩んでいます。
もしかしたら、時間が経って親が自分たちで色々と考える中で、私の考えを理解してくれる可能性もあるんじゃないかと期待する自分もいます。
皆さんなら、どうしますか?
私の考えは偏った、ヤバい、変な考えなんでしょうか?
親を悲しませないために差別的思考を受け入れることはやむを得ないと感じますか?
長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただいた皆様には格別の感謝を贈りたいと思います。ありがとうございました。
追記①
「世の中の大半は夫の姓にしているから、私たちもそうしよう」とするのは、女が姓を変えるもの!という男尊女卑的な価値観の継承であり、あってはならないことです。
↑
この書き方は雑でした。女性の友人、知人の中には、結婚で姓の変更を強いられることに苦痛を感じると話している方も多く、男の私が女性に姓を変えさせることを当たり前に思ってはいけないと学生の頃から考えていました。思想が間違っているから、あってはならないと言っているのではなく、特定の性別に生まれたことが原因で苦しむ人が少しでも減るべきと考えているところがこの発言の意図です。
追記②
私たちが子供を作ることを前提にしている時点でがっつりセクハラです。閉口しました。
↑
あまり本題とは関係ないので、あまり言及しない方がいいかもしれませんが、補足です。
私たちはまだ子供の予定はないと話していて、その上で父が(授かれるかもわからない)孫の姓が自分と同じ姓じゃないのはショックだと話していたのを見て、孫の顔が早く見たいと妻に迫る毒親と同じ不快感を感じました。セクハラというより、マゴハラ?産めハラ?
ちなみに父は、孫が妻姓だった時に夫姓の時と同じように接せるかわからない。内孫と外孫は違う。と話していました。自分がここで親を立てて夫姓に従った場合、将来授かれるかもしれない子にも影響が及ぶんじゃないかと怖くなりました。勝手な被害妄想かもしれませんが。
追記③
説明が足りていませんでしたが、父は私がジェンダー論や男女平等的思想の洗脳を受けていると思ったそうです。私の主張は、人から見聞きしたことのほかに、大学で学んだジェンダー論にも基づいていることを話しました。大学進学を後押ししてくれたのは父なので、父としてもそういう視点がある方が受け入れやすいかなと思っての行動でしたが、無駄でした。
NHKが「戦争について語ろう」などと波を立てることを言い始めていた。
予め言っておくが、自分はウクライナやロシアがこれまで何をしてきたのか正確な情報を知らないので、どちらかの敵や味方というわけではない。
ロシアは核を持つ、ウクライナは持たない。ウクライナが負けるか降伏しない限りは、核による地球の崩壊という未来が待っている。(NATOがバカみたいに報復をしたケースの話だが)
このシナリオで言うならウクライナが負けを認めるのがベストエフォートだと言えるだろう。それともどちかがもう一方に潜入して権力筋を軒並み暗殺するのか?
これを日本に置き換えて、日本が米軍の核の傘に守られていなければ、中国に攻撃を仕掛けられたときに降伏するしかない。
中国がとんでもなく愚かで、攻撃をしかけてきて、そして日本が戦いでしぶとく中国へダメージを与えたら、核戦争(中国が打ち、米が報復核を打ち、報復連鎖) で世界終了する可能性が高くなる。
「ロシアがこんな情報を発信した、だからロシアが悪い」という短絡的な連中もいるが、その情報がどのスパイの意図なのかわからないだろう。
親ロシアと見せた別の勢力だったら?情報がどこかで改ざんされていたら?
ウクライナの人間が「ロシア下で暮らすなんて、生きていることにならない」などと言っていた。このような思想の人たちになぜ武器を供与するのか。
日本国内でウクライナを擁護しているのは「NHK」や「朝日テレビ」であることはよくわかった。まずはこいつらがどういう「安全圏」から情報を発しているのか探ったほうが良い。
一種のダライト運動な「人工知能による絵を創造することを否定」する論者を糾弾する人がいらっしゃるみたいですが、意味がよくわかんないのだけど。著作権や肖像権といった既存の法律に抵触する画像ならアウトで、その他だったらセーフなので良くねえか?それとも、別の意図があるの?
作る側の意図をテンプレ的に読み取りテンプレ的に解釈しテンプレ的に感動しテンプレ的に表現していることに苛ついているだけなのでは。
本人は深いよみができると思っているんだろうし、そういう人なんだろう。
https://togetter.com/li/2205234 という「旦那のこういうところが嫌い」という写真付きツイートについての感想。
愛しているのなら男はビールの空箱ぐらいすすんで片付けねばならない
冷蔵庫に放置されたビールの空箱を巡る夫婦間の問題は、表面上のささいな問題のように思われるかもしれないが、実際には夫婦間の権力闘争や互いの価値観の衝突、愛情の減少の象徴ともいえる。妻は冷蔵庫を自分のテリトリーと見なし、夫がビールの空箱を放置する行為に不快感を覚える。これは夫がビールの空箱を片付ける意欲を持たないこと、もしくはそれを重要と思わないことから来るものである。しかし、理想の夫婦関係では、こういった問題は発生しない。愛情が深ければ、小さなことで争うことはなく、お互いを尊重し合う関係が築かれる。夫婦間の問題は一人暮らしのときとは異なり、一緒に生活することで新たな問題や課題が浮き彫りになる。愛情があれば、互いの習慣や欠点を受け入れることができるが、そうでない場合、愛情が薄れてしまう。最終的に、ビールの空箱の問題は愛情の有無を示す象徴として捉えることができる。
なぜ旦那がビールの空箱をそのまま放置するのかといえば、有り体に言ってしまえば「それほど妻を愛さなくなったから」であり、一方でなぜ妻が旦那のその空箱の放置にうんざりとして嫌ってしまうのかといえば、「それほど旦那を愛さなくなったから」である。
まずこれほどまでに社会に蔓延しており、全く解決できていないということは「その程度のささいな問題ではない」ということをそのまま証明している。1つの家庭を崩壊・険悪にさせるほどのエネルギーを持っているものが日本各地で続発しているというように認識を改めなければならない。
とはいえ、ビールの空箱の放置というのは、ささいな問題のように見える。しかしビールの空箱の放置が発生する原因は旦那の習慣的な行動によってであり、人生における集大成のような、本能に近いレベルの癖によるのである。そう考えると全くささいではない。
一方で、妻から見れば「自分のテリトリーである冷蔵庫をわざわざ間借りしている旦那が、与えた権利以上のものを絶えず主張している」というような状態であろう。不快感を覚えるのも当然である。
いわば妻側は冷蔵庫のマネジメントを任務としているがゆえに冷蔵庫の全権を獲得しており、旦那には借家としての権利を付与していると考えているのだが、一方で旦那は地権を持っていると考えている。仮に冷蔵庫に旦那専用スペースがあり、旦那がビールを購入する主体であれば旦那は容易にビールの空箱を片付けるであろうし、その行為に不満を感じることは1つもない(もちろん最後の1本を出したあとはそのままだが)。妻も他人のスペースがめちゃくちゃになろうが、臭いの充満などの他スペースの侵害をしない限りは関与しなくなるはずだ。しかしこうした「分譲」には、妻側から見れば権利の侵害を感じ、強硬な反発に遭うことだろう。
ここで、「恋愛的に自分が超次元で大好きな異性」という架空の存在を定義しよう。以下、理想人類Aと呼称する。
理想人類Aは、自分が全存在をかけて愛せるような存在である。そんな理想人類Aがビールの空箱をそのままにしていた場合どうだろうか。これは理想人類Aを自分に少しでも依存させることができるチャンスであり、喜んでビールの空箱を片付けるであろう。そのような理想人類Aでもやはり欠点はあったのだと嬉しくなり、自分の存在価値を確認できる崇高な行為となる。
男側から見ても、理想人類Aは、何も文句も言わずに何の痛痒すら感じず朗らかに笑いながらビールの空箱を片付けるような人間である。そんな人間に幻滅されたくない男は、その人間の歓心を買うためなら、喜んでビールの空箱を片付けるであろう。喜んで自分の存在を革命しようと欲し、これも自らの存在価値を確認できる崇高な行為となる。
こうした理想的な夫婦関係においては、ビールの空箱の片付け問題などというくだらない問題は発生し得ない。
共同生活においては、一人暮らしで「単なる怠惰で自分の首がしまる行為」で済んでいたことが、そういう意図はないにしても「貴様がやっておけ」という意味のようになることが多い。気付いてしまうからだ。それの集合体が名もなき家事と呼ばれている。家事自体をしないまでも、そういう状態を目にするのも嫌なのだ。妻側は、怠惰と不潔の織りなすハーモニーに地獄の瘴気を感じ、精神が蝕ばまれていく。
もともと恋愛関係においては自分のベストに近いパフォーマンスを見せあうが、夫婦間においては自分の最悪のパフォーマンスも見せあうような関係となる。相手の習慣を受容しないということは相手そのものを受け入れないということであり、相手の価値観をわかろうとしないことも相手そのものを受け入れないということである。
旦那側はそういうものだから受け入れてほしいと考える。これに正しい間違っているもくそもなく、正しさの度合いは周辺のコミュニティが持つ価値観の相場によって決定される。そちらの方が都合が良いというだけだ。妻側は誰しも当然受けいれたくはない。当たり前に労力がかかる話だからだ。
「共に過ごす」という以上、共に過ごすために必要なコストは必ず発生する。そしてそのコストは分担される。多くは妻側が持っている。理想人類Aだったならば、すべてのコストを受容できるはずなのだ。それだけで理想人類Aの歓心を買って共に過ごすことができるのだから(現実的ではないが……)
結局のところ、お互いに、相手のために自分を変革してまでより愛したいと思っていないのだ。そのままでいたいのだ。妻は、妻でありたくはなく、旦那が旦那でなくなることを欲しており、旦那は、旦那でいたくあり、妻が妻でいてくれることを欲している。
もっと直接的に捉えるべきなのだ。「ビールの空箱を片付けないのは、全く愛されていないように感じる」とか「愛しているからめんどくさいけど自分の習慣を努力して変更し、ビールの空箱を片付ける」とか。「ビールの空箱を片付けないお前が嫌い」とか「ビールの空箱を片付けないことを責め立ててくるお前が嫌い」「ビールの空箱をわざわざ片付けようとは思わない程度にはお前が嫌い」とか、そういうことを暗示しあうからお互いがより愛せなくなるのである。
また考え方として、ハンロンの剃刀というものがある。これは「無能で十分説明されることに悪意を見出してはいけない」 という考え方だ。ビールの空箱を片付けられないのは無能の証であって、悪意ではない。能力が無い。能力を獲得する気がない。そのメリットを感じないというふうに思っているわけで、悪意より矯正しがたいものだ。何か強烈なショックが無ければ変わることはないであろう。
冷蔵庫の中のビールの空箱というのは、無能・怠惰・薄れた愛情・憎悪・夫婦関係の亀裂・闘争・緊張感・離婚の兆候・他責・愚痴・想像力の欠如・束縛・傲慢・依存・甘えがこの世に顕現した姿なのである。
3組に1組は離婚する。