はてなキーワード: 布施とは
愛宕神社の賽銭がEdyで払えるようになったそうだ(「ついに楽天Edyで払えるおさい銭箱が登場 → ちゃんと御利益はあるのか神社に聞いてみた」(ねとらぼ))が、それで「ご利益があるの?」とかいう疑問自体が出てくるのがおかしい。そもそも賽銭の趣旨と効果を理解していないのでしょう。
いまのひとたちは、何もわからないままにやっているのでしょうか。いや、どうせ昔から、ほとんどの人が、意味不明なままやっていたのでしょうね。
賽銭だとかの趣旨はまず、御礼であり挨拶でしょう。みなさんは、例えば年賀状や御歳暮に御利益を求めるのでしょうか?
御利益を求めて初詣をするだとか賽銭を払うだとかいうのは、大変に即物的で、罰当たりなことだなあと、私は思っています。
それと、賽銭の効果ですが、それは、氏子・崇敬者の基金としての機能です。例えば災害が起こった時のための基金です。
また、江戸時代だとかには、寺社に消費者金融の機能があって、消費者金融なんていうのはぶっちゃけ返済困難な人が借りるわけですが、寺社に資産が多くしかも寄付金でまかなわれている部分が大きければ、消費者金融でも成り立ちうるものではあります。もちろん、いまの時代は、寺社は金融機関をやってはいませんが。ただ、いくらかの寺社は公益活動はしていますね。
そもそも賽銭が貨幣で支払われる時点で、簡易化したものです。ですが、貨幣のほうが、払う方も受ける方も、正直に言って、便利ですから(笑)。その観点で言えば、やはりもっと進んで、電子マネーだろうがクレジットカード決済だろうが、そういうのでも便利ではあります(ただ、トラブルの不安はありますがね)。Edyどころかクレジットで賽銭を払えるようになる可能性もあります、本来は所有権留保の担保機能が求められてきた信販ですが、いまや食品だろうがサービスだろうがクレジット決済対応が進んでいるくらいですから。数千円の初穂料だとか、ときに数万円以上になることもありうる祈願だとか、現金のみっていうのはむしろ不便じゃないのかって話にもなるでしょうし。
それよりも本当に憂うべきは、いまのひとたちは賽銭だとか布施だとかの意味がわかっていないことでしょう。そのように私は考えています。
恐怖心の喚起
恐怖心を喚起する思想も極めて有害です。オウムにおいては、信徒の思考や行動が教義に沿うものに著しく制限されました。
ただし、その思想に触れて間もないうちは、恐怖心を喚起する部分が含まれていても、それに気付かないかもしれません。私自身も、クンダリニーの覚醒前は、麻原の著書の地獄・餓鬼・動物などの記述はまったく気になりませんでした。
その経験を振り返りますと、私の話がどれだけ伝わったか心もとなくなります。信徒の心理において、苦界へ転生する恐怖からの回避は無視できない要素なので、その恐怖が実感できないと、信徒特有の思考や行動は理解が困難だろうからです。実感は難しいかもしれませんが、その恐怖のために、たとえ自身の生命や健康が損なわれる事態に直面しても悪業となる行為はまったくできません。私の経験としては、次のことがありました。
地下鉄サリン事件のとき、私がサリン中毒になったので(本文三十六頁)、あらかじめ指示があったとおりに、送迎後の信徒が車で教団の付属病院に連れて行ってくれました。ところが病院関係者に話が伝わっておらず、事情がわからないようでした。しかし、私はサリン中毒を伝えられませんでした。「ヴァジラヤーナ救済」の任務に関することを関係者意外に話すと悪業になったからです。結局、私は病院での治療を断念し、医師の林郁夫のいる集合場所に行き、治療を受けました。
また、地下鉄サリン事件で逮捕された後、教団の指示どおりに当番弁護士を一回お願いして、拘留場所を教団に伝えましたが、右と同じ理由で事件に関する相談はできませんでした。常識的には、弁護士に相談しながら取り調べを受けます。また、それをしないことは連日十時間の取り調べが続くなか、自らを孤立させることになるとされています。
これらのことは、重大事件で逮捕された状況において、極めて不利です。しかし、悪業となる行為はできませんでした。
さらに、事件の動機である「ヴァジラヤーナの救済」の教義と麻原の地下鉄サリン事件への関与については、供述すると無間地獄(宇宙の創造から破壊までより長い期間苦しむ地獄)に転生しかねないので―また、この教義を聞く資格のない人に話すと誤解され、その人が将来にわたって救済されなくなるともいわれていました―、この事件の捜査期間内には供述できませんでした。
取り調べの最終日、事件の核心部分を追求する検察官を、悪業を犯すまいとする私との間に必死の攻防がありました。
問)麻原尊師のことや事件の動機、目的も話さなければ、反省したとはいえないのではないか。
答)……
問)話せない理由は何か。
答)お話できません。
問)今回の事件はヴァジラヤーナの教義に基づいたものではないか。
答)答えられません。
問)ヴァジラヤーナでは、「ポア」のために他人の命を絶つことも許されるのではないか。
答)答えられません。
答)答えられません。
問)麻原尊師の指示は、いかなるものでも絶対に従わなければならなかったのではないか。
答)必ずしもそうではありません。
問)では、どういう場合に従わなくていいのか。
答)何ともいえません。
―ほら、やはり従わなければならないじゃないか。
問)村井正大師は、サリンを撒くと切り出したとき、それが麻原尊師の意向であることを話さなかったか。
問)今回の事件の後で、君は麻原尊師に事件の報告をしていないか。
―(ある信徒が描いた図を見せながら)〇〇が図まで描いて、君たちが報告したことを話しているのに、話さないのか。
問)君は、今回の事件に関与した仲間については話しているのに、なぜ事件の目的や動機、報告については話さないのか。
答)答えられません。
当時は、なるべく悪業にならないように、教団とは無関係なこととして、地下鉄サリン事件における自身の行為はすべて供述していました。しかし、自身のことを供述しても、事件の動機や麻原の関与を供述しなければ反省していないとみなされ、身を滅ぼしかねない状況でした。加えて、質問の内容から検察官がそれらのことを既に知っていることは分かり、一般的見地からは、私が供述しても誰にも影響しないことは十分に理解できる状況でした。それでも、金縛りにでもあったかのように、供述できなかったのです。
以上のように悪業とされる行為ができなくなる傾向は、クンダリニーの覚醒直後に現れました。オウムに入信する段になって、気に掛かったのは、「複数のグル(修行の指導者)の指導を受けると、その異なるエネルギーの影響で精神が分解する」との麻原の著書の記述でした。当時、私はある瞑想団体に入会していたからです。私は不安になり、クンダリニーが覚醒したその日に、団体に脱会届を郵送しました。
また、私は釣りが好きだったのですが、それは悪業になるので、クンダリニーの覚醒以来一度も行いませんでした。そのほか虫も殺せなくなるなど、恐怖のために教義で悪業とされる行為はできなくなったのです。
このような状態は、次のように、宗教的回心において現れるといわれています。
私たちはある思想を繰り返し繰り返しいだき、ある行為を繰り返し繰り返しおこなっている。しかし、その思想の真の意味が、ある日はじめて、私たちのなかに響き渡るのである。あるいは、その行為が突然、道徳的に不可能なことに一変しているのである。
(前出 ジェイムズ)
オウムの信徒には、同様に悪業を為すことに強い抵抗を感じる者が多数いました。このような宗教的悪業の教義に関して、文献では次のことがいわれています。
さらに、宗教が単独で精神的問題を引き起こす場合がある。フロイトが主張するのは、「イド」と「スーパーエゴ」とのせめぎ合いにおいて、宗教はスーパーエゴの側に立つということである。宗教の戒律や禁制は、性的衝動や攻撃的衝動を抑制する目的がある。さらにまた、宗教は完全な道徳を目指しているので、これらの掟に対する違反は罪悪感を引き起こす。極端な場合、罪悪感が生活を支配し、麻痺させることがある。また、しばしば、過度の後悔に至ることもあり、中世鞭打苦行派の罪の意識による鞭打ちから現代テレビ時代における罪の公然の告白にまで及ぶ。
オランダにおいて、罪への自責心の問題をアライト・シルダーが研究した。彼女の研究『罪の意識に苦しむ以外なすすべがない』は、厳格な一部のオランダプロテスタントに関するもので、罪悪感がもたらしうる、人の仕事、思考および行動を麻痺させる影響への洞察を与えた。
友好関係を生じることに加えて、カリスマグループは個人的および社会的行動を規制する行為の基準を確立する。絶縁したセクトの状況では、このような外的規制によって、集団は心理学的に困難な支配の操作がしやすくなる。多数のセクトの行動規範は、現在の性的に寛大な態度に対する反動形成を反映するように見える。これらの規範は、しばしば多くの儀礼化された集団防衛を採用するだけで維持される。たとえば、ハーダー、リチャードソン、およびシモンズは、ジーザス運動の一つの分派における求愛、結婚、および家庭の形態を研究した。彼らは、全員が性的にとがめられかねない状況を明確に回避することを述べ、そして求愛と肉体的快楽に関するセクト特有の規制の大要を説明した。たとえば、デートをすることは不適切と考えられたが、それに誘惑や罪に至りかねないからだった。セクトに入会中の人の態度の同様な変化は、前に述べた統一教会の会員に関する研究に現れた。その七十六パーセントが性について考えることを“非常に”避けたと述べたが、入会の前には十一パーセントしかそのように感じなかったと報告した。したがって、集団心理は本能の要求の表出の統制やそのほかの葛藤の統制に重要な役割を果たす。
以上のように、宗教的悪業を規定する教義には、人の思考や行動を強く統制する作用があるとされています。そして、オウムの教義にもまた、ある思考や行動を宗教的悪業として規定するものがありました。たとえば、私が出家した直後の平成元年四月二日、麻原は次の内容の説法をしています。
「わたしたちの修行を妨げる眠気、貪り、怒り、真理(オウムの教義と考えていただいて差しつかえありません)を否定したくなる気持ちは悪魔であり、取り返しのつかない迷いの生を繰り返す」
また、クンダリニーが覚醒すると、「魔境」に入りやすくなるとされていました。これは、「これ以上ない人生の挫折」、「生まれ変わっても続いてしまう恐ろしい修行の挫折」とされる状態です。そして、「魔境」に落ちないためには、「正しいグル(解脱した指導者)を持つ」、「功徳(神とグルに対する布施と奉仕)を積む」、「強い信を持つ(グルと真理を強く信じる)」、「真理を実践する」ことが必要と説かれていました。(麻原彰晃著 『超能力秘密の開発法』 『生死を超える』 『マハーヤーナ・スートラ』 )
この類の教義はほかにも多数ありましたが、これらは信徒にとって、麻原、教団、あるいは教義からの離脱を困難にし、そして、麻原や教義に従うよう思考や行動を統制すつものでした。このような作用は、信徒が違法行為の指示に従わなかったリ、事件が明らかになった後でも脱会しなかったりする原因の一つと思います。
私が教義に疑問を抱き、脱会に至るまでには、次のように、悪業とされる行為をすることへの慣れが必要でした。
逮捕された後、供述すると悪業になる内容について、私は取調官の追求を受けるようになりました。しかし、それでも、はじめはまったく供述できない状態であり、身を引きちぎられるように感じました。そのような状況において、私は軽度の悪業となる内容から少しずつ供述せざるを得ませんでした。
私が最初に話したのは、地下鉄内で自身がサリンを発散させた単独行動の部分でした。事件に関してかなりのことが既に明らかになっていた状況であり、個人的な行為として供述するならそれほど悪業にならないと思ったのです。
その後、黙秘と供述を何度も繰り返して、長時間かけて動機の「ヴァジラヤーナの救済」の教義のことや麻原の事件への関与について供述できるようになりました。
以上のように、自覚してないうちに恐怖を喚起する教義の影響を受ける場合があります。また、宗教的悪業を規定する教義そのものに興味を抱いてオウムに係わることは考え難いですが、多くの信徒がそのような関心外の教義を受容し、思考や行動が制限されていました。ですから、そのときは実感がわかなくても、「地獄」など恐怖の喚起が予測される概念を強調する思想には、近づくべきではないでしょう。
オウムの信徒制度には、在家のほかに出家がありました。オウムの出家とは、世俗的な関を一切絶ち、麻原に全生涯を捧げ、人類の救済―最終的には解脱させること―と自己の解脱に専念することでした。
出家者は教団施設内で共同生活をすることになります。家族とも絶縁の形になり、解脱するまでは、会うことも、連絡することも禁止でした。財産はすべて教団に布施し、私物として所有できるのは、許可されたもののみでした。飲食は禁止でした。本、新聞、テレビ、ラジオなど、教団外の一切の情報に接することも禁止でした。これらの戒は、苦界に転生する原因となる執着を切るためのものでした。
入信時、私は出家をまったく考えていませんでした。長男という立場上、親の老後を見たいと思っていたからであり、また私が出家すると家庭が崩壊しかねないとも思っていたからです。そもそも、入信前に読んだ麻原の著書によると、在家でも解脱可能だったので、そのような無理をしてまで出家する必要を感じませんでした。
自分が培ってきたものを崩すのは真に恐いことです。入信間もないころ、私はある在家信徒と話をしました。彼は出家の準備のために定職を捨て、アルバイトをして暮らしていました。その話を聞き、私は恐怖心を抱いたのです。実際、昭和六三年十月の私について、母は「就職の内定を喜び、安心している様子だった」旨法廷証言しており、その時点で出家の意志は皆無でした。
ところが、私は出家することになりました。私の入信後、勢力拡大のために、オウムが出家者の増員を図ったのです。私の入信前の一年半の間に約六十人が出家したのに対し、入信後の一年間には約二百人が出家しました。
「現代人は悪業を為しているために来世は苦界に転生する。世紀末に核戦争が起こる。(本文二十一頁)」
―麻原は人類の危機を叫びました。そして、その救済のためとして、信徒に布教活動をさせたり、さらに、出家の必要性を訴え、多くの信徒を出家させたりしました。
このように、一般社会は苦界への転生に至らせる世界として説かれていましたが、それを聞いているうちに、そのとおりの体験が私に起こりました。
私の公判において、友人が次の証言をしました。昭和六十三年晩秋か初冬に私が話した内容です。
町中を歩くとバイブレーションを感じること、電車内のいかがわしい広告を見ると頭が痛くなること、繁華街の近くにいると体調がおかしくなるという話がありました。
当時、私は街中を歩いたり、会話をするなどして非信徒の方と接したりすると、苦界に転生するカルマが移ってくるのを感じました。この感覚の後には、気味悪い暗い世界のヴィジョン(非常に鮮明な、記憶に残る夢)や自分が奇妙な生物になったヴィジョン―カンガルーのような頭部で、鼻の先に目がある―などを見ました。この経験は、カルマが移り、自身が苦界に転生する状態になったことを示すとされていました。さらに、体調も悪くなるので、麻原がエネルギーを込めた石を握りながら、カルマを浄化するための修行をしなければなりませんでした。
また、一般社会の情報は煩悩を増大させて、人々を苦界に転生させると説かれていました。そのために、情報によっては、接すると頭痛などの心身の変調が起きたのです。
他方、当時、日常的に麻原からの心地よいエネルギーが頭頂から入って心が清澄になり、自身のカルマが浄化されるのを感じました。
これらの経験によって、一般社会が人々のカルマを増大させて苦界に転生させるのに対して、麻原だけがカルマを浄化できることをリアルに感じました。そのために私は、麻原の説くとおりに一般社会で通用する価値観は苦界に至らせると思うようになり、解脱・悟りを目指すことにしか意味を見い出せなくなりました。
この状況に関連することとして、検察官の「広瀬から出家の原因、理由を聞いたことがあるか」との確認に対して、私の指導教授は「結局、神秘体験だと言っていた」と法廷証言しています。(当時、私は教授にも入信勧誘していたのです。)また、出家することが、苦界に転生する可能性の高い親を救うことになるとも思うようになりました。子供が出家すると、親の善業になるとされていたからです。出家にあたり一番の障害は親子の情ですが、それを除くために、オウムではそのように説かれていたのです。
こうして、私は出家願望を抱くようになりました。世紀末の人類の破滅というタイム・リミットをにらみながら、家族の説得に要する期間や就職が決まっていた事情なども考慮して、二、三年後の出家になると思っていました。
このような昭和六三年の年末、私は麻原から呼び出されました。麻原は救済が間に合わない、もう自分の都合を言っていられる場合ではないと、出家を強く迫りました。私は麻原に従い、大学院修了後に出家する約束をしました。そして、平成元年三月末に出家しました。
私の出家後、平成元年の四月から、麻原は「ヴァジラヤーナ」の教義に基づく救済を説きはじめました。現代人は悪業を積んでおり、苦界に転生するから、「ポア」して救済すると説いたのです。「ポア」とは、対象の命を絶つことで悪業を消滅させ、高い世界に転生させる意味です。この「ポア」は、前述(二十一頁)のように、麻原に「カルマを背負う―解脱者の情報を与え、悪業を引き受ける―」能力があることを前提としています。
その初めての説法において、麻原は仏典を引用して、「数百人の貿易商を殺して財宝を奪おうとしている悪党がいたが、釈迦牟尼の前生はどうしたのか」と出家者に問いました。私は指名されたので、「だまして捕える」と答えました。ところが、釈迦牟尼の前生は悪党を殺したのです。これは殺されるよりも、悪業を犯して苦界に転生するほうがより苦しむので、殺してそれを防いだという意味です。それまでは、虫を殺すことさえ固く禁じられていたので、私にはこの解答は思いつきませんでした。しかし、ここで麻原は、仏典を引用して「殺人」を肯定したのです。
ただし、このときは、直ちに「ポア」の実践を説いたわけではありませんでした。最後は「まあ、今日君たちに話したかったことは心が弱いほど成就は遅いよということだ」などと結んでいます。私も、実行に移すこととは到底思えませんでした。
ところが、麻原は説法の内容を次第にエスカレートさせていきました。その後の説法では、「末法の世(仏法が廃れ、人々が悪業を為して苦界に転生する時代)の救済を考えるならば、少なくとも一部の人間はヴァジラヤーナの道を歩かなければ、真理の流布はできないと思わないか」などと訴えています。それに対し、出家者一同は「はい!」と応じており、「ポア」に疑問を呈する者は皆無でした。(『ヴァジラヤーナコース教学システム教本』―教団発行の説法集より)
前述(二七~二八頁)のように、私にとっては、現代人が苦界に転生することと、麻原がそれを救済できることは、宗教的経験に基づく現実でした。ですから、私は「ヴァジラヤーナの救済」に疑問を抱くことなく、これを受容しました。なお、麻原は、私が述べたような宗教的経験を根拠として、この教えを説いていました。
さらに、私はいわゆる幽体離脱体験(肉体とは別の身体が肉体から離脱するように知覚する体験などもあったので、私たちの本質は肉体ではなく、肉体が滅んでも魂は輪廻を続けるとの教義を現実として感じていました。そのために、この世における生命よりも、よりよい転生を重視するオウムの価値観に同化していました。このことも「ヴァジラヤーナの救済」を受容した背景だと思います。
このような説法が展開されていたとき、私は解脱・悟りのための集中修行に入りました。第一日目は、立住の姿勢から体を床に投げ出しての礼拝を丸一日、食事も摂らずに不眠不休で繰り返しました。このときは、熱い気体のような麻原の「エネルギー」が頭頂から入るのを感じ、まったく疲れないで集中して修行できたので驚きました。
この集中修業において、最終的に、私は赤、白、青の三色の光をそれぞれ見て、ヨガの第一段階目の解脱・悟りを麻原から認められました。特に青い光はみごとで、自分が宇宙空間に投げ出され、一面に広がる星を見ているようでした。これらの光は、それに対する執着が生じたために、私たちが輪廻を始めたとされるものでした。その輪廻の原因を見極めることは、輪廻から脱した経験(=解脱)を意味しました。
解脱・悟りを認められた後は、以前は身体が固くてまったく組めなかった蓮華座(両足首をももの上に載せる座法)が組めるようになりました。教義によると、これはカルマが浄化された結果と考えられました。また、食事が味気なく、砂でも噛んでいるように感じ、食事に対する執着が消えたように思えました。さらに、小さなことにこだわらなくなり、精神的に楽になりました。
以上は麻原の「エネルギー」を受けた結果のように思われたので、彼が人のカルマを浄化して解脱・悟りに導くことの実体験になりました。
平成二年四月、麻原は古参幹部と理系の出家者計二十人に対して、極秘説法をしました。冒頭、「今つくっているもので、何をするか分かるか」と私に問いました。しばらく前から、何らかの菌の培養を指示されていたのです。目的は聞かされませんでしたが、指示の雰囲気から危険な菌らしいことは分かりました。私は、「ヴァジラヤーナの救済」とする旨を答えました。一年間説法されて、その実行が当然のことのようになっていたのです。
麻原は、「そうか、分かっていたのか」と言い、「ヴァジラヤーナの救済」の開始を宣言しました。
「衆院選の結果―平成二年二月の衆院選に、麻原ら教団関係者二十五人が出馬し、全員が落選―、現代人は通常の布教方法では救済できないことが分かったから、これからはヴァジラヤーナでいく」
そして、麻原が指示したのは、猛毒のボツリヌストキシンを大量生産し、気球に載せて世界中に散布することでした。私たちは、その場で各人の任務も指示され、直ちに作業に取りかかったのです。私はボツリヌス菌の大量培養―容量十立方メートルの水槽四基―の責任者でした。
作業は過酷でした。ヴァジラヤーナの救済になると麻原は血道を上げるので、指示を受ける私は寝る暇もないことがありました。私は約三か月間教団の敷地に缶詰めにされ、風呂にも二度しか入れませんでした。それも関連部品の購入のために業者を訪問するときなどに、指示されての入浴でした。そして、安全対策も杜撰で、非常に危険な状況での作業でした。結局、種菌さえできていなかったことが後で判明したのですが、できていたら私たちが真先に死んでいたと思います。
私たちは、一般社会では無差別大量殺人とみなされる行為を指示され、しかも厳しい作業が続きましたが、誰も疑問を口にすることなく、淡々と行動していました。外部の人が見たら、殺人の準備をしているとは思えなかったでしょう。
それは、私たちにとって、「ヴァジラヤーナの救済」が宗教的経験に基づく現実だったからです。(本文三十一頁)そして出家後も、次のように、そのリアリティは深まるばかりでした。
一般社会が苦界への転生に至らせることに関しては、出家後初めて外出したときに、以前に経験のないほど厳しくカルマが移ってくるのを感じて(本文二十七、二十八頁参照)、危機感を覚えました。出家者に対して外部との接触を厳しく制限するなど、教団が外部の悪影響を警戒していたことが暗示になったのだと思います。また、テレビ・コマーシャルを視聴したところ、その音楽のイメージが頭の中でぐるぐると繰り返されるようになり、集中力が削がれる経験がありました。それは、選挙運動中に、麻原の指示でオウムに関する報道を録画したときのことでした。私の変調に気づいた麻原が、「現世の情報が悪影響を与えている」と作業の中止を指示したので、一般社会の発する情報への警戒心が強まりました。
一方、麻原の救済能力に関しては、その「エネルギー」によって解脱・悟りに導かれたと感じる経験をしたために、さらに奥深さを知った思いでした。
ボツリヌストキシン散布計画が中止された後、私は集中修行に入りました。そして、自分の意識が肉体から離れ、上方のオレンジ色の光に向かう経験などをして、ヨガの第二段階目の解脱・悟りを麻原から認められました。また、認められたその場で、毒ガスホスゲンの生産プラントの製造計画(平成二年十月から三年八月、中止ーオウムでは、次の計画の指示が入り、前の計画が中止されることが多かった)に加わるよう指示されました。その後も、プラズマ兵器、レーザー兵器の開発(同四年十一月から五年十二月、中止)、ロシアにおける武器調査(同五年二月と五月)、炭疽菌の散布計画(同五年五月から六月、失敗)、オーストラリアにおけるウラン調査(同五年九月)、自動小銃AK七四千丁の製造(同六年二月から七年三月、一丁完成、逮捕のため中止)などを麻原から指示されました。
このように、オウムにおいては、「ヴァジラヤーナの救済」の実践は日常的なことでした。
そして、平成七年三月、私たちは地下鉄にサリンと散布する指示を村井秀夫から受けました。麻原の意志とのことでした。その指示は、当時の私には、苦界に転生する人々の救済としか思えませんでした。一般人が抱くであろう「殺人」というイメージがわかなかったのです。
地下鉄サリン事件に関するある共犯者の調書を読むと、私たちが事も無げに行動している様子が散見されます。そのような記述を読むと、残酷な事件を平然と起こしたことについて、自らのことですが戦慄さえ覚え、被害関係者の皆様に対しては心から申し訳なく思います。誠に愚かなことでしたが、オウムの宗教的経験に没入している状態でした。
[ただし、私は決して軽い気持ちで事件に関与したわけではありませんでした。救済とはいえ、「ポア」の行為そのものは、通常の殺人と同様に悪業になるとされていたからです。それまではカルマの浄化に努めてきたのですが、救済のためにカルマを増大させる行為をすることが「ヴァジラヤーナの救済」と意味付けられていたのです。そのカルマは、修行によって再び浄化する必要がありました。さもないと、「カルマの法則(本文二十一頁)によって、自身にも返ってくるとされていたからです。実際、地下鉄から下車した後、私は突然ろれつが回らなくなく、サリン中毒になったことに気付いたのですが、そのときは「カルマが返ってきた」と思いました。]
以上のように、オウムにおいては、非現実な教義が宗教的経験によって受容されました。そして、その教義が社会通念と相容れないものだったために、逸脱した行動がなされました。
他方、「禅」も宗教的経験を起こす技法を用いますが、「悟了同未悟―悟り終われば凡夫に立ち返る―」という教えがあります。これは「禅」の瞑想技法によって起こる日常生活への不適応(本文二十五頁)を防ぐ安全装置ではないでしょうか。何代にもわたって存続している宗教には、問題が起こるのを回避する知恵の蓄積があるのだと思います。
宗教的経験を起こす技法やその経験に基づく思想に係わる場合は、その弊害の予測が困難なので、このように経験的に安全性が保障されていることを確認する必要があるでしょう。
また、私は宗教的経験によって教義の検証が可能と思いオウムに関心を持ったのですが、それは大きな誤りでした。人間の感覚は決して常に真実を反映しているわけではありませんでした。神秘的体験の心理状態は次のようにいわれており、幻覚を真実と認識してしまうこともあるのです。
神秘的な状態は比量的な知性では量り知ることのできない真理の深みを洞察する状態である。それは照明であり、啓示であり、どこまでも明瞭に言い表されえないながらも、意義と重要さとに満ちている。そして普通、それ以後は、一種奇妙な権威の感じを伴うのである。(前出ジェイムズ)
幻覚的な宗教経験によっては、決して“客観的”な真実は検証できません。できるのは“主観的”に教義を追体験することだけです。それ以上のものではありません。
ですから、宗教的経験はあくまでも“個人的”な真実として内界にとどめ、決して外界に適用すべきではありません。オウムはそれを外界に適用して過ちを犯したのです。
【vol.4「恐怖心の喚起」】へ続く。
これから書こうとしているのは、お寺に搾取される貧乏な檀家のお話だ。
秋田の片田舎に母の生家がある。元教員だった和尚さんのいるお寺は曹洞宗で、生家はそこの檀家だった。というかその周辺部落のほとんどの家が檀家だった。命日にはハガキで通知をしてくれるなど、聞いていると役所的役割を果たしているように思った。つまり、檀家と各檀家の仏様の命日がデータベース化されているのだった。
人望が厚く信心深かった叔母が婿を取って後を継いでいたが、数年前に病死した。信心深い人(あの世でより仏に近くに行ける人?)や長生きした人は、それなりの大そうな戒名を頂けるというのが慣わしだそうで、大そうな戒名を頂いたことを生家では誇りにしていた。
若くしてなくなった人やあまりお寺に縁のなかった人には位の低い戒名しか頂けない。55歳で亡くなった私の母もごく経済的な戒名で済んだ。
そしてココが問題なのだが、よい戒名にはそれに見合うお布施をお寺に納めるのが慣わしなんだそうだ。それも金額を聞いて驚いた。戒名料の相場で見るとまだお寺も気を遣ってくれたようだが、各宗派とも信じられないお値段だ。
数年後、癌で叔父が亡くなった。このとき問題が起きた。叔父は叔母と違ってごく普通の信者だったし、何より生家にはもう現金がなかった。まだ社会に巣立っていない子供にも学費や仕送りが必要だった。
しかし、叔母と同じ位の戒名を頂かないと、あの世で叔父と叔母は会えないとお寺に言われたそうだ。そしてそれは檀家の常識でもあり、同じ位の戒名を「買わないと」部落で親不幸者として扱われるようだ。
叔母亡き後を継いだ従姉もお婿さんをもらっていたのだが、お婿さんは遠慮して「お金がないから、そんな戒名は買えない」という一言が言えなかったそうだ。従姉にしてみれば、そう言って欲しかった、そうしないと家計が立ち行かなくなると思ったようだが、結果的にはお寺に押し切られてしまったそうだ。
だって、誰だってあの世で両親が会えないなんて言われたら、お金出すしかないと思う。信心深ければ深いほど…。
何故お金がないのに、これから子供たちにお金が必要なのに、そんな大金をお寺に納める必要があるのだろうか?
そして、私は従姉夫婦の窮地に上記の馬鹿げたことを知らされずに何度か現金を無心され、その度に若い子供達の将来を思って叔母としてできることをしたつもりになっていた。
実はもっと混みいった事情がある。土地をなかなか相続できていなかったために、それを担保にJAからお金を借りることができずにいた。その手続きのための(司法書士などに支払う)お金すらないほど困窮していたのだ。相続できてお金が借りれたら真っ先に返してくれるという約束で幾ばくかを送金した。直後にまだ相続手続きが終わらないうちに、娘の年払い保険の期限が来てしまい、病気の娘(◯◯ちゃんは精神系の病気)にとっては(解約するわけにいかない最後の保険なので月曜締め切りのところを2日前の土曜日に何とか都合してくれと電話があった。◯◯ちゃんのためならと、これが最後と自分に言い聞かせて殺伐とした気分で送金した。
ほどなく相続&借金ができたようだが、連絡がない。◯◯ちゃんに聞いて初めて上記のような顛末を知ったのだった。
もう一つ納得行かないのが、よい戒名をもらうとそれなりのお葬式をしなければならず、それなりのお葬式にはそれなりの御霊前を持って行かねばならないという、これも慣わしなんだそうだ。そこいらは都会と違う。ご近所に数万円の御霊前を持って行くなんて聞いたこともない。
そして、いただいた御霊前の額はそのまま、その家のご不幸のときに返すのもしきたりなんだそうだ。それは理屈として通るが、困るのは3月の季節替わりにはご老人が亡くなる家が多いので、その分出費がかさむことになる。驚いたのは、この3月の近所のお葬式で15万円ほど消えたそうだ。
普通は頂いた御霊前をそのまま取っておけば済むだろうと思うが、それは葬式代を確保していた家の場合。昨年夏の叔父の葬式代は叔母に釣り合うよう100万円ほどかかったそうだ。御霊前はその他諸々の経費に消えてしまったというわけだ。無計画な従姉夫婦は、何の備えもしていなかった。なのに宗教の名の下に言われるがままに、お金を払ってしまった。
しかし、困窮したと駆け込んでもお寺が面倒を見てくれるなんてありえなさそうだし、明らかに何か矛盾している。
私がこの記事を記しておこうと思った訳は、この記事を読んだからだ。
Q&Aオウム真理教 ―曹洞宗の立場から― | 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET
この記事の趣旨とあまり関係ない部分だけれど、以下の箇所に疑問を持った。
オウム真理教では、麻原教祖が行う「イニシエーション=秘儀」により「ステージ=段階」が上がり、「悟り」への道が促進される重要な儀礼として位置づけられていました。
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一方では、そのために多くの「布施」を強要し、それに答えないと高い「ステージ」には上がれないとされていたのです。これは、一つの集金システムとして機能していたもので、極めて詐欺性が強いといわれています。
以上のようにオウムで言うイニシエーションは、段階的であり、布施の高低により不平等であり、なによりも仏教の教えからかけ離れたものであり、とても認められるものではありません。
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またこうした「加入儀礼」としては、曹洞宗では「入檀式」や「受戒会」、僧侶の儀礼としては、「得度式」「立職」「伝法」などが広い意味で該当するでしょう。
しかし、これらの儀礼がオウムのそれと大きく異なるのは、檀信徒に平等であり、また仏様との縁を結ぶ自発的なもので、強制を伴ったり、ましてや何度も行うような性格のものではありません。
真っ当な宗派である曹洞宗でもそれは明らかにウソだ。理想は上記引用かもしれないが、田舎では狭い世間の目に逆らえず、お寺の言うがままになっている貧乏人が現に存在する。
言い過ぎを覚悟して言えば、結局間接的に私が若い子供たちのために送ったお金もお寺に吸い上げられてしまったようなものだ。
しきたりを知らない核家族&都会で育った私の戯言かもしれないが、宗教というものに、信心というものの具現化の在り方に矛盾を感じぜずにはいられない。
世間的には、ルンペンとかダンボーラーとか乞食とか言われてて、
最近ではアンダーザブリッジなんていうふうにも言われてますね。
親と仲が悪く、金がなく、
風呂トイレ共同で家賃2万円の所に住みだしたらしいんですけど、
まあ東京行くかという風になったらしく、
池袋にあるゲストハウスみたいな敷礼0家賃3万円のところに住んでおったみたいなんですが、
家賃を払うことが3週間で不可能になったらしく、
その後は、いわいる物乞いをしてたらしいです。
ある時、新宿のサブナードという地下街の階段で寝てるときに金をすられ、
そこで次の日の朝、寝過ごし。
新宿の漫画喫茶から電話があり、お金を払えずに出れなくなったので
代わりにお金を出して「俺」を出してくれのとのこと。
その後は高田馬場にある僕の自宅に連れてかえって、
風呂を貸して、酒を出して、帰るときに煙草を買ってあげました。
どうやら明日かあさってには妹から1万円が振り込まれるようなので、
これは3週間前の話。
どうやら3週間前に妹から振り込んでもらった1万円を気付かぬうちに使ってしまったらしい。
新宿で知らない男に仕事を紹介してもらい、連れて行かれたのが、
山梨のタコ部屋であったこと。
日給8000円で家賃が1日2500円、食事代や休日のことを考えると、殆ど残らない今流行のあれです。
お金がないときの生活。
なに食べてるのか、どこで寝てるのか。
いや、何が、何なら食べやすく、どこで、どこでなら寝やすいのか。
などなど。
彼は寝ても食っても音楽野郎なので、ロック・パンクについても長々と話しました。
ドラゴンズのANARCHY IN THE UK のカバーが最高に本当の意味でパンクだなって。
そんな話しをしながら、うまそうにエコーを吸う。
15日午後9時55分ごろ、大阪府東大阪市永和1丁目の路上で、近くに住む看護助手の女性(30)が、
いきなり男に刃物で頭を切りつけられ、軽いけがをした。
布施署は、傷害の疑いで、現場近くにいた東大阪市の職業不詳の男(38)を現行犯逮捕。
布施署によると、男は女性と面識がなく、「自分に彼女ができないのは女に原因がある。
恨みをはらそうと思った。女であれば誰でもよかった」と供述し、容疑を認めている。
男は、同僚と道路脇に座って話し込んでいた女性に自転車で近づき、背後から切りつけた。
その後、自転車を捨てて走って逃げたが、約50メートル離れた場所で事件に気付いた通行人2~3人が取り押さえた。
[ 2009年10月16日 11:13 ] 自分に彼女ができないのは女に原因…路上で女性切りつけ
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20091016030.html
富士通の方も、ここ5年くらいで、仕様がずいぶん変わりましたけどね。
ThinkPadも、確かに変わりましたね。しばらく業務で使ってましたので、心中お察しします。
昔はThinkPadもどきのファンクションキー配列(左上にESCが飛び出してて、右上にも一部飛び出してる)だったんですが、
最近はFnキー併用が増えたり、飛び出し部分がなくなったり、ストロークが浅くなってペコペコしたり。
http://www.saccess.co.jp/oasys/kbcomp.html
その改変の代わり、ドデカいモデル以外にモバイル機も選べるようになったのは、ありがたいところです。
「まだ残ってる」というのは、言い換えれば「おまいらが御布施しないと消しちゃうぞ!」ってことでもあるわけで、
心苦しいところです。
「御布施」払い、よく分かる。でもそっちの富士通は残ってるからまだまし。俺のIBMのThinkPadは消えてしまった。Lenovo、は違うんだよな。
え、でもネットブックばかりってわけじゃないんだから、
ネットブックが台頭してもフラッグシップが根絶されるわけではないからさ。
まるで、コンシューマ向けデジカメが台頭しても、一眼巨体デジカメも残っているように。
いわゆる業務用仕様も含めて、ライトユーザ向け、一般向け、上級者向け、仕事人向けと、
いろいろあるじゃない。
最近だと、Lenovo ThikPadの上位機種で、ノートながらテンキー付サブディスプレイ付とかあったし。
かくいう僕も、親指シフト仕様じゃなきゃいやだという理由だけで、
575 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/11/23(日) 16:57:17 g6eOXUCUP ?
舞鶴の件、文春と新潮の記事から、逮捕された男の情報を再構成してみた。
捜査本部は11月15日朝、7月の女性下着ドロと8月の賽銭ドロの容疑で、
60歳の無職の男を逮捕した。当日夜、捜査一課長が近隣住民を集め、異例の説
明会を開いた。16日朝からは自宅の家宅捜索が行われた。
捜査本部は事件発生当初から男をマークしていたが、夏前からは男に絞って捜
査と行確を行っていた。
男は被害者が通った道沿いにある居酒屋(文春は「スナック」)の常連で、事
件当日も午後9時ごろまでその店で飲んでいた。当日も防犯ビデオに映っていた
男とよく似た、黒いキャップに黒いジャージという姿で来店しており、事件後、
店の従業員や女将に「ワシのジャージには白い縦線が入っていないから別人だ」
「キャップとジャージはほかした」「被害者とは顔見知りだ」などと語っていた。
男は店では「ヤマモト」という偽名を名乗っていた。
男は現場から約400メートルのところにある府営住宅に住んでいて、生活保
護を受けていた。自宅は被害者が小学生の頃に住んでいたマンションのすぐ近く
にある。
男はサングラスにマスクという姿で近所を徘徊し、鉄くずなどを拾って自宅裏
に積み上げていた。最近はバールのようなものを持ち歩いて、神社の賽銭箱を壊
して中身を盗んだりしていた。近所の住民も不安に思っており、今年の春には近
若い頃、舞鶴市内の実家を出て、35年前(新潮は「三十数年前」)に他県で
大きな殺人事件を起こした。服役後、十数年前に戻ってきたが、間もなく女性を
襲って再び逮捕された。
578 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/11/23(日) 18:41:50 g6eOXUCUP ?
いま、買ってきた週刊ポスト(これは図書館に置かれていないので)を読んだら、
「当初は小杉さんの交友関係を洗い、10代の少年などが捜査線上にあったが、
皆アリバイが証明された。ただ、過去の事件を洗っていくと、ヤマモトの名前が
浮かんできた。彼は今年で60歳。73年、結婚を断られたホステスとその兄を
刃物で刺殺している。【略】」
この事件はさっき縮刷版で読んだぞ。身勝手な理由で二人殺したにしては出所が
早いから、この事件ではないと思って除外していた。
589 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/11/24(月) 16:18:59 pWLgRdCFP ?
35年前の事件の記事を図書館で読んだが、こいつよく出てこられたなあ。いまでいう
ストーカー殺人で、実家に逃げ帰った元交際相手を追いかけていって、玄関前で待ち
伏せして兄妹を刺し殺したうえに、近くの民家で女二人を人質にとって立て籠ったり
している。
594 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/11/24(月) 18:32:05 pWLgRdCFP ?
595 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/11/24(月) 19:09:20 pWLgRdCFP ?
連投すまそ。
一応犯人の名前は伏せておいた。○の数と実際の文字数は関係ないよ^^
舞鶴市浜の市道で、12日午後7時25分ごろ、女性(21)にいたずらしよ
うとした男を、同市余部下、海上自衛官吉開勝治3佐(46)と同市桃山町、海
上自衛官吉田雄二郎海士長(26)が協力して取り押さえ、舞鶴東署に引き渡し
た。
調べでは、男は同市朝来西町、グラインダー工員○○容疑者(43)で、同時
刻ごろ女性の自転車に後部から体当たりして転倒させた。自転車で通りかかった
吉開3佐が悲鳴を聞いて駆けつけ、あわてて逃げる○○容疑者を40メートルほ
同署は、女性が顔などに約10日間のけがをしていたため、傷害と強制わいせ
つの疑いで調べている。自衛官2人には感謝状を贈ることにしている。
599 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/11/25(火) 18:42:18 RBqY78y4P ?
携帯電話でROMしている人がいるみたいなので、>>591の記事をテキストに起
こしてみました。
十七日朝、滋賀県草津市内の新興住宅街で、暴力団員らしい若い男が、以前交
際していた女性の家に押しかけ、兄妹を刺殺し、近所の家へ逃げ込んで、主婦ら
を人質にたてこもっている。同日午前七時ごろ、同市西草津一丁目、友禅職人林
芳弘さん(三七)方に若い男がやってきて、妹の無職好子さん(二六)を出せ、
と押し入った。芳弘さんと妻の初枝さん(二六)が「好子は京都へ出かけて留守
だ」と断った。男はいったん外に出たが、同九時ごろ、林さん兄妹が京都へ出か
けようとしたところ、玄関前の道路で待ち伏せしていた男が二人を、持っていた
刃渡り約二十センチの出刃包丁で刺した。このため、好子さんは即死、芳弘さん
もまもなく死んだ。
男は、現場から約五百メートル離れた西草津二丁目、会社員布施左門さん方に
逃げ込んだ。布施さんが留守だったため、妻の春美さん(二六)と妹の二人を人
質にして、二階六畳の間へたてこもった。滋賀県警草津署は、同県警機動隊の応
援を得て約五十人で布施さん方を取り囲み、説得を続けている。
同署の調べでは、男は「京都の暴力団員だ」と自称している。男は二年ほど前
から好子さんと同居、舞鶴市内で暮らしていたが、十日ほど前、林さんの家族が
妹と男との縁を切らすため、好子さんを実家に連れ戻していたことから、男が好
子さんと家族の仕打ちに腹を立て、押しかけたらしい。
付近は新興住宅街で、サラリーマンが多く、出勤時間がすぎた直後の事件で、
家に残っていた主婦らは、恐怖に顔をこわばらせ、約百五十人が外に出て、布施
さん方前で、犯人の説得を続ける警官隊の動きを、かたずをのんで見守っていた。
626 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/11/26(水) 22:49:39 sl2hZj2O0
当時ホステスをしていた林好子さん(二六)と 知り合い、舞鶴で同居
1973年9月17日・草津市内で林さん兄妹を刺殺後、滋賀県の住宅で人質2人とともに篭城=舞鶴市常(25歳、料理店員)
1991年9月12日・女性(21)に対する強姦未遂及び傷害=舞鶴市朝来西町(43歳、グラインダー工員)
☆2008年5月6日~8日・女子高生行方不明の後、朝来川南側の雑木林内で遺体となって発見される
2008年11月15日に、下着ドロ、賽銭ドロで逮捕=舞鶴市朝来中、朝来団地(60歳、ナマポ生活。鉄屑拾い)
とりあえず拾いまとめしてみたが、どんだけ舞鶴に自縛されているんだよ。
628 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/11/26(水) 22:54:35 xjY0e+ZLP ?
「,:*:・'☆,・:*: 未解決事件50,・:*:・゜☆,:*」 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/occult/1224243981/l50 より。
アカデミー外国映画賞を受賞したおくりびと、映画内で登場する職業が納棺師であります。簡単に仕事内容を説明すると、遺体をきれいにして棺に収納し清める仕事。俗にいう「遺体に触れるサービス」ですね。この納棺師という仕事、実は葬儀屋の下請けで嫌な仕事をアウトソースされているにすぎないのです。
で、問題はこの葬儀屋、利益率は5割ともいわれ、ぼろ儲けの商売だそうだ。(今はだいぶ緩和されているが) 主な葬儀ビジネスの裏側といえば固定客の獲得。人が死ぬ場所は基本的には病院で、事故をすれば警察、その処理を葬儀屋がキックバックを払い固定客を獲得しているのです。
それから、葬儀ビジネスで欠かせないのは坊主の存在、今では仕事も減り、御布施の金額も減少しているという貧乏坊主。私の葬式のときにも顕著に営業トークしていて若干ひいた記憶があります。昨今では、そんな貧困坊主は葬儀社にキックバックを支払い仕事をもらってるという。
一般の人にはまだまだブラックボックスの多い葬儀ビジネスの世界だが、一番驚いたのがエンバーミングという遺体保存方法だ。遺体というのは、死んでから 2,3日で腐敗が始まり肌も土色になり無様な状態になります。それを遅らせる既存のやり方は、顔や体にドライアイスを横に置きクーラーのきいた部屋で腐敗を遅らしている。そして、死化粧で塗りたくる。これがメジャーな方法なのですが、エンバーミングとは、遺体の血液を抜き取り、その代わりにホルマリンを多く含む固体液を入れ保存する方法だ。
エンバーミングをすることで、何週間も生前の状態に保たれ感染症の予防にもなる。海外ではメジャーなやり方で、他国で戦死したときなど一般に使用され、綺麗に保蔵された状態で帰国させ遺族に渡す。エンバーミングをしないと腐敗した遺体を渡すことになるので、遺族の溜飲を下げる役割も果たしているのだろう。
では、なぜこんな良い方法が日本ではあまり聞かないのだろうか。それはというと、エンバーミングをするには、機械の初期費用と、エンバーマーという技術者の費用が高額になるがゆえに、日本ではまだまだ広まっていないのが現状だろう。遺族側も料金が高くなるので微妙かもしれない。しかも、葬儀側からすれば、ドライアイスというぼろ儲けアイテムが失われるので、それが嫌で導入していないとも言われている。ドライアイスのからくりや、葬儀屋の儲けどころなどは
閑話休題。
その中で興味を引いたのは、テレビは芸術よりいいじゃん、っていう太田。
そもそもテレビは媒体名で、芸術はある表現形態の総称で、対立させるようなものでもないけど、それはおいておいて。
ゲスト(?)の布施英利は、たとえば「命を大切に」を伝えるのは、長期的には芸術が残っていくと言う。
太田は、今伝えたいことをすぐにたくさんの人に伝えられるのはテレビだと言う。
太田は、そんなことはないと言う。
今伝えたいことを今伝えられるということは、準備期間が短いということだ。
10日かけて練った表現と、1年かけて練った表現じゃ、やっぱり後者が強いんじゃないか。競うということではなくて、風雨にさらされたときの強度が。
つくば。
http://www.city.tsukuba.ibaraki.jp/173/002975.html
環境問題とかいう高尚な話なんかどうでもいい俺にとっては至極迷惑な話だ。ぷんぷん。
・・・・・・と思ったけどそれほどたいした額じゃないな。
今までスーパーに行くのは週に2回くらいで、1回の買い物で袋は2枚程度もらってたけど、このペースだと多く見積もったとしても月に100円もいかない。(1枚3円で)
家計をやりくりする奥様には大問題かもしれないけど、経済観念が終わってる俺には正直どうでもいい額。
ごみを入れるのにレジ袋は便利だし、この程度の布施はしてあげてもいいよ。(偉そう)
でも無料配布の中止にあたって、「スーパーの会員だったらマイバッグ1袋プレゼント!」とかあってもよかったんじゃね?(俺は面倒なので入会してないけど)
どうせレジ袋販売の収益を環境活動とやらに使うなら、こっちのほうが消費者の利益にもなるだろうし、マイバッグ推進にもなったろうに。
結局、経費削減なんじゃねーの?と穿った見方をしちゃうんだよな。実際はどうかわからないけどさ。
仮にそうなら、開き直って「環境問題に便乗した経費削減ですごめんね!」って言ってくれたほうが個人的には清々しい。(大多数のお客様にキレられるだろうが)
つか広報ぜんぜんしてないし。有料化するって知ったの割と最近だよ?
スーパーに貼ってあるポスターには有料化する理由の説明書いてないし。モーニョモーニョモニョ。
俺のような馬鹿たれに安直な文句を言われないようにその辺は徹底すべきだった。今後は気を付けてください。(偉そう)
むくわれねぇなぁー。
なにかのせいにしたいというのはわかるけど。。。
君の描く成功像と君の現実を妨げているのは君の場合すくなくとも学歴なんかじゃない。
25歳までバイトをやってもちっぽけな組織の頭にもなれなかったことだ。
いいかペッパーランチの強姦して捕まった25歳は大学もいっていないが店長だぞ?
彼は月給40万だったそうだ。君はどうだね?
今からは大学いっても年齢的に無理だから、子供つくって次世代にかけるといいよ。
そのための君は養育費をしっかり稼ぎなよ。いいパートナー探しな。
学費だけで2千万。その他で2千万もみておけば十分だろう。
http://allabout.co.jp/children/ikujinow/closeup/CU20030531C/index.htm
子供も一人じゃこころぼそいから、なに最近だったら二人もいれば多いほうか?
なに、1億ほど稼げば養育費はまかなえるさ!
・・・。
そろそろ、一発逆転はあきらめてコツコツやったら?
3回くらいバイト先を転々として、今のところに落ち着いてた。
一ヶ月やってるだけで落ち着いたとはいわないんだぜー。
大手ってどこだろう。
気になったので調べてみた。
マクドナルド 原田 永幸 (東海大学工学部→日本ハンバーガー大学)
日本ケンタッキー・フライド・チキン (東京大学農学部) お! 東大だ!
吉野家ディー・アンド・シー 安部 修仁 (福岡県立香椎工業高校卒業)
ダイタンフード株式会社 (富士そば) 丹 道夫 (東京栄養食糧専門学校卒業 )
食べ残しの骨あつめてティラノサウルスでも創って売れば成功できるぜ?