はてなキーワード: マイノリティとは
トランス女性の女子トイレ使用ってそういう差別問題・人権問題なのだけど、
移民や難民やイスラム教徒が入ってくると犯罪者・福祉ただ乗り・テロリストが紛れ込むから怖いという理由で排除するトランプやブレグジットに投票したアメリカ人やイギリス人を、
と散々憎んで見下して罵っていたような人々が、
未手術トランス女性が女子トイレに入ってくると性犯罪者男性が紛れ込むから怖いという理由でトランス女性排除を叫んでいるのを目にすると……呆れてしまう。
「いやいや、俺は前からトランプ支持者だった。メキシコ国境に壁を立てろ、うちの近所にモスクを建てるな」という意見の人がトランス排除を言うなら(差別主義者という悪い意味で)一貫してるけど、
その逆の、「トランプに投票した連中わけわからん。頭のおかしい差別主義者ども」みたいな意見だった人が「男根持ちは女子トイレを使うな」とトランス排除を言ってるのなら、何かしら弁明はして欲しいものだ。
「どうせ日本には移民も難民もイスラム教徒も大して来ないだろうと、他人事の立場からトランプ支持者をバカにしてました。トランス差別が無くなったら私が性犯罪の危険に晒されると、当事者の立場になって初めてあなたたち差別主義者の気持ちを理解することができました。ごめんなさい。あなたたちは正しかった」
ぐらいの反省は表明すべき。
今のLGBTQ+の範疇に入る人たちは思ったより数が多くてなおかつマジョリティ側に害をなさないと判断されたから認めてもらえたに過ぎない。
少数派の中で多数派な人たち。
本当のマイノリティである近親、小児性愛(非犯罪者)みたいな「異常性癖」とされる人たちは今後も救われない。
俺の認識だと、ガチの専門家ほど「少数者」「多数者」という言葉をよく使うので、俺みたいな素人がドヤ顔で「少数者」とか「多数者」とか言うのが恥ずかしいから「マイノリティ」とか「マジョリティ」とか言ってるんだけどな。
「マイノリティ」とか「マジョリティ」程度の言葉がわからないバカ、どうせ「客観的」とか「抽象的」みたいな熟語も理解してないくせに「俺はカタカナ語でさえ書かれなければおまえの言ってることが理解出来る」と自惚れるのやめろよな。
わかり手こと小山晃弘も、白饅頭も、弱者男性のことを収入・容姿・コミュ力・モテなどが不足した社会的弱者ととらえてきた。
そしてその層の生きづらさと鬱屈の責任を、弱者男性と対をなす「強者男性」ではなく、「弱者男性を相手にしない女性」に結びつけてきた。
声なきマイノリティのあり方に耳を傾けるテイを取りつつ、彼らの声を聞き届けないのはあくまで「女」だということにしていた。
こういう風に「女性」に矛先を向ける議論は、多くの弱者男性当事者にとって心地よい、受け入れやすい議論だった。
自分を弱者男性だと考える人が「強者男性」の格差について正面から向かい合ったら、そこには自責の余地が生まれる。
自分は「彼らより」収入が少ない。容姿が劣る。コミュ力がない。なぜそうなのか。どうすればいいのか。
考えても解決するわけではない「劣り」について考え続けるのは、緩慢な自傷行為だ。
それとは真逆に、「女性」に矛先を向ける議論は、他責の矛先を提供してくれる。
弱者男性が救われないのは、彼らの弱さに配慮しない社会、彼らの弱さを受け入れない女が悪いから。
そこでは「弱さ」は所与の前提になり、ことさらに「なぜ」を問われるべき課題ではなくなる。
ところが去年、白饅頭が医療従事者を社会的強者として叩いて炎上した。
https://togetter.com/li/1926636
今回、わかり手が大谷の容姿をネオテニーだ中性的だとdisり、白饅頭がそれを擁護して炎上した。
https://togetter.com/li/2098940
どちらも、これまで彼らがあえて焦点化してこなかった「強者男性」自体を直接射程に入れた議論だ。
「医者はもっと強者であることを自覚して(医療負荷について悲鳴を上げたりせず)わきまえろ」「大谷の顔は小綺麗で知的でブルジョワっぽいからキモい」「SAPIXっぽい」「高学歴エリート層と同じ」「実家が経済的に豊かであり、幼いころから潤沢な英才教育を受けていたアマチュア・エリート出身者」「メス化」…。
ここで語られていることが事実かどうかはさておき(たぶんだいぶ事実と違う)、
それも、「強者男性にはもっと旧来のマスキュリニティを発揮してほしい」という、倒錯した批判だ。
(「白饅頭の言う「かわいそうランキング」で下位に位置する強者=医療従事者の訴えが世間に聞き届けられるのはおかしい」と言いかえてもいい)
彼らがこれまで語ってきた世界観と、世間で活躍する「強者男性」たちの実像のズレが露呈しつつある。
だから彼らは、そうした現実をファンタジーの方に合わせようとして、
彼らの先入観と違う振る舞いをする「強者男性」を批判している。
彼らは強者男性にいつまでも「古き良き強者男性」らしくしていてほしい。
雄々しく、力強く、堂々としていて、だからこそ思うままに「メス」を手に入れられる、
そうした軸において弱者男性がかなわない「アルファオス」であってほしいのだ。
この数年プチバズり続けているタワマン文学(窓際三等兵など)は、
こういう「おとぎ話のような強者男性」像に対するアンチテーゼにもなっている。
そこで語られるのは、端的に言えば、教育・就職先・文化資本・社会階級をめぐる堂々巡りの自意識だ。
そこでの「成功者」は、マッチョでもないしモテるわけでもないしコミュ力が高いわけでもない。
単純に「親が金持ちで人脈があってSAPIXや鉄緑会に入って良い大学を出て良い会社に入って
高収入を得て美しい妻を娶って生まれた自分より目鼻立ちの整った子を自分以上のレールに乗せられる男」が
人生の勝ち組であり、その中でも新参者や中途半端な位置づけの人間は「さらに上」への嫉妬に身を灼かれる。
この世界観の中でも女性は相変わらず「トロフィー」ではあるが、
トロフィーを手に入れられる人間とそうでない人間の差はほとんど宿命的な筆致で描かれ、
そこにはもはや「女性は弱者男性に目を向けるべき」などという主張が介在する余地は全くない。
一億総中流と言われた社会が解体しきって、日本でもペアレントクラシーによる
階級再生産のサイクルが強固に確立したことを苦々しく再確認する物語だとも言える。
わかり手や白饅頭らは大谷批判の中でこうした論点を取り込もうとして、失敗してしまった。
その白饅頭自身が今やnoteで稼いだ金で買ったタワマンに住んでる勝ち組だから、という皮肉な現実はさておいても、
そもそもこうした露骨な階級社会論は、これまでの「女性が悪い」系の弱者男性論とすこぶる相性が悪いからだ。
タワマン文学時代の強者男性とは、すなわち階級的強者であり、自らがずっと勝ち続けるための盤石の基盤を整えた勝ち組たちだ。
そうしたペアレントクラシーによる階級の固定化を緩和するなら、再分配すべきは、女ではなくカネと教育だ。
でも、こんな野党みたいな話をして、弱者男性を自認する当事者が「そうだそうだ」と溜飲を下げるだろうか。
そんなわけがない。「いま」弱者男性である当事者が、カネと教育の再分配によって階層を浮かび上がれるはずがない。
語ってはいけない真実、語れば絶望しかもたらさない真実というものがある。
車椅子の人は障がい者の中でもカースト上位で、障がい者雇用で精神障害者、発達障害者のように応募する権利すらなく門前払いされることは滅多にない。
…ということは審査が確実に通り続ける年金をもらいながら安定した雇用でさらに給料をもらってる。だからたくさんお金を持っているんだよね。
じゃあ何をするか?と言えば、迷惑をかけないようタクシーで移動して時々外出を楽しむ…わけではなく公共交通機関で交通費を安く済ませ頻繁に外出するってわけ。
そうやって頻繁に外出してるから、お礼を言うのが辛い…ってトンチンカンな発言をしてしまう。
人に手を貸してもらって介助してもらってお礼を言うのが辛いって言ってしまう。視野が狭い
そういうお礼って飲食店でごちそうさま、バスに乗ったらありがとう、ドア開けててもらったらありがとうorすみません、みたいに考えるより先に口から出ていくもんだけどそれが理解できないよう…
年金と障害者雇用で安定した収入を得ていて、健常者よりもたくさんのお金を持っていて余裕があるのに外に出た瞬間少しの段差にイライラさせられる。(らしい)
おそらくあらゆる面で自分は特権階級だと思って生活しているのに、いざ外に出ると物理的に人から見下ろされるというのはさぞ辛いことだろう。
ハロー効果で車椅子に乗っていると知能にも問題があるという誤解を受けるストレスもあるのでは?
マイノリティの中でもLGBT(女装男を除く)やろう者精神発達あたりは見た目ではわからない故のストレスも多大にある、ただ車椅子に乗ってる人のインパクトというのは凄まじいものがある。
駐車場の一番いい場所を陣取る車椅子マークが刷り込まれているし、障がい者のイラストを描けと指示されたら99%くらいの人が車椅子の人を入れるのでは?
盲人は杖をつく、でも盲人以外も若者から高齢者まで足が不自由なら誰でも杖をつく。
あと、災害大国の日本人は何かあった時に逃げられない人のことをおそらく負担に感じるのだと思う。
男社会ではゲイもレズもオカマもオナベもはっきり言って長いこと嘲笑の対象だったわけじゃん。
お前ら趣味でやってるだけじゃんって扱いだったわけじゃん。
これがいいことだったとまでは言わんよ。
でも、はっきり言って理解不能なもんは理解不能だったわけじゃん。
そいつらに自分たちの権利活動のついでに「男社会に差別されてる仲間」みたいな感覚で
マイノリティにも権利ってものがあるんだ!ってやってきたのは女側なわけじゃん。
で、結局その話が深まってきたら「トランス女性は女性と認めません」とか言うわけじゃん。
俺はこの意見自体は否定しないよ。だって理解不能だもん、怖いもん。
でも女側はそうじゃないんだよ!って言って希望を与えて裏切ったわけじゃん。
トランスジェンダーはシス民からすればキモい存在なんだって。生理的にそうなんだって。
そこを認めていこうよ。
==追記====
特優賃ぐぐってみた。全然知らんかった。ありがとう\(^o^)/
なるほどねーこういうのあったんですねぇ。知らないだけで色々あるんですねぇ、、、。
まぁ、今回の案は全ての賃貸物件が対象ということで考えたので、主旨は若干異なるかなーと。
既婚でファミリーで住む→ 大家さん:家賃(税金免除)/ 入居者:家賃補助(婚姻届の時に一緒に手続きとか?)
=========
結婚したら、平米数 x 同居人数分補助。結婚しないうちはルームシェアなどでも不可。
(同性愛用のpacsみたいなのもあったらいいかもね。その場合、「婚約届」みたいな形でいいのではないかと思う。)
→学生も補助あってもいいと思う
→住宅ローンも同時にあったらいいと思うけど、ここでは触れません。
例:
平米数あたり月500円とする。25㎡ 7万円の物件で、毎月12,500値上げで82500円の物件となる
結婚して45㎡ 月11万円の物件に引っ越し→ 45000円の補助金 → 家賃65000円
更に子どもが生まれる → 追加で22500円の補助 → 家賃 42500円
追加で子どもが生まれて、60㎡ 15万の物件に引っ越し → 120000円の補助 → 3万円で住める
全体的に強力すぎる気がする。けどまぁ、考え方の整理のためだからOK。
なんでこう考えるのか
どんな変化が起きそうか
なんでこう考えるのか その2
「わりとどんな所に行っても自ら楽しみを見つけること自体が趣味なので~wwみんなとは行きたい旅行先があわないっていうか~www自分想像以上にマイノリティで最近一人旅ばっか行ってるわ~www」
痴漢増加のリスクが予見されるためトランス女性の受け入れを拒否するって主張は普通に分かる。
で、そういう主張をする女性はまあ大勢いるけど、あれって別にシス女性の総意とかでは全く無いよね。わざわざ声上げないだけで、マイノリティ受け入れるべきという女性も恐らく大勢いると思うけど。
なので、例えば多数決取ったら、むしろ逆に「トランス女性が嫌なシス女こそが公衆トイレを使わなければいいんじゃね?」的な結論になったりしない?
で、もしそうなったら、①その結論を受け入れて、自分がトイレ利用しないという覚悟みたいなのを持ってやってる? ②それともブツクサ文句言いながら、従来通りに女子トイレ利用する? ③あるいはそんな心配すら一切せず、絶対に自分達が多数派だという確信を持ってやってる?
①なら分かるよ。それなりにフェアだと思う。
②は卑怯だよね。この闘争に負けたら外科手術受けるまで女子トイレ利用できなくなるトランス女性と、単に快適さの問題でしか無いシス女性っていう、立場が非対称すぎる。(闘争は綺麗事では無いので、卑怯である事自体はいい)
③は幼稚。あ~自分らのマジョリティ性を満喫してますね~勝つ前提の学級会を楽しんでるね~って思う。(幼稚な奴が幼稚な政治的主張をする事自体はいい)
俺はトイレ銭湯に関してはシス男性だから、トランス女性を女子トイレに受入/拒否についてはどっちもあると思ってる。結果としてトランス拒否に転んでも、それはそれで尊重されるべきだと思うよ。おためごかしじゃなくそう思う。
ただ、別件では、何とは言わんがそれなりのマイノリティなので。
普段は意識高くてマイノリティに寄り添うポーズをしている人たちでも、いざその受け入れの負担が自分達に向いた時、こうも容易く意見を変えるんだなっていう。敵はアンチフェミがミラーリングで嫌がらせしてるだけだ、弁えたマイノリティだけが良いマイノリティだ、みたいな事まで言い出した連中を見て、こいつら信用したらダメだなと思いました。
っていうダイアリーです。
最近マジョリティ・マイノリティを強者、弱者の意味で使う阿呆が大量に湧いてきている。「私は男性なのでマジョリティとして生きてきた。マイノリティである女性を応援したい。」みたいな意味不明なことを平気な顔で正義ぶって言う。まず男性の方が数は少ない。出生数は男性の方が多いが死にやすいため結果女性が多数派になっている。つまり男性がマジョリティであるというのはそもそも間違いである。男性は強者であろうか?ある文脈においてはそれはそうであろう。ならば「私は強者として生きてきた」と言うべきであって「私はマジョリティ」などとバカで不正確なことを言うべきではない。分かった?