はてなキーワード: パチスロとは
口癖は「女の人生はイージーモード」「弱者男性に女をあてがえ」
【性格】
また、自分の容姿や地位に自信があり、 それを自慢することも多い。
【生い立ち】
の6人家族の長男。幼少期より母親から虐待を受けるも、 父親が庇うため、暴力を振るわれることはなかった。
しかし、母親が不倫し蒸発したため、 父親の収入のみで生活することになる。
そのため父親は仕事に追われることになり、 長男への教育はほとんど放棄した状態となる。
小学校高学年の頃、同級生からいじめを受け不登校となり、 引きこもりになる。
20歳の頃、風俗店で童貞を捨てるも、 本番行為には至らない。
21歳の時にパチンコ屋で出会った20歳の女性と交際を始め、22歳で結婚に至るも、すぐに離婚。
【嫌い】弱者男性、浮気者、嘘つき、ブス、デブ、貧乏、 女々しい男、弱い男、甘えた男、ヘタレ、無能、 負け犬、低学歴、高身長、イケメン、金持ち、 ハイスペ、リア充、パリピ、チャラい奴ら
【一人称】俺
【二人称】お前、お前ら
「なんで俺だけこんな目に遭わなきゃいけないんだ……?」
「金寄越せオラァ!!」
父親がパソコンオタクだったため、我が家にはニフティサーブのサービスインと同時にネットが導入された。俺はまだ中学生だった。
最初はジオシティーズに個人ホームページを作るなどして遊んでいただけだったが、メル友募集掲示板というものに出会ってしまい、もともと文章を書くのが好きだったこともあってハマってしまった。
当時のメル友というのはPCを使って長文のやり取りをするもので。後にくるケータイ時代の常に短文をやり取りするスタイルとは根本的に異なる。いわば文通に近い。
どこに住んでいるかもわからない相手と近況を報告し合ったり、本や映画について踏み込んだ感想を交換したり、そのメールの返事がいつ届くのかじりじりして待ったり。現代からするとだいぶレトロな世界観だが、ネット自体が普及しておらず、調べ物は図書館、待ち合わせには念入りな調整が必要で、大都市の情報は雑誌や新聞が頼り……そういう時代だったから、メル友との交流は最先端を感じささせた。
ブラウン管の向こうに世界があり、そこには人間がいて、俺とそいつが繋がることができる。
現代のデジタルネイティブには理解してもらえないかも知れないが、個対個のネットワークがあることは全然当たり前なんかではなかったのだ。
その後すぐに出会い系サイトの宣伝スパムで汚染されて壊滅するが、その少し前の話だ。俺はそこで同年代の異性数人を見つけてメールのやりとりをしていた。下心があったわけではないが、やはり心のどこかでロマンスを期待する気持ちもあったかもしれない。
実際その中のひとりとは3年にわたってメル友関係が続いた。仮にちーちゃんとするが、このちーちゃんとはかなり親密な関係だったと思う。お互いだいたいの住所から家族構成、趣味嗜好まで知っていたし、誕生日やクリスマスなどのイベント時にはチャットで長時間やりとりしてて、言葉にはしないまでも会いたいとお互い思っていた気がする。
時は流れて高2の頃、俺が東大を目指そうかな〜という話をしたことで、その流れが本格化した。
東京の西の方在住だったちーちゃんはそう言って応援してくれた(実際には増田は受験に失敗し、鬱を発症し浪人した挙げ句日大を出て零細企業を転々とする人生を送り、はてなブックマークが唯一の趣味の独身アラフォーである)。
俺は受験勉強に打ち込み、しかし週に2,3往復のちーちゃんとのメールは続けていた。
ところで俺はネットにだけ傾倒していたわけではなく、学校でもまあ普通に生活していた。カースト色の薄い学校だったこともあって、ギーク寄りの仲間とのんびりと生活できていた。特に仲が良かった男を田中とするが、こいつは曲者だった。遅刻魔であり地頭はいいのにテストは苦手、思考に口が追いつかなくて口下手、ときおり突拍子もない事をやって周囲を驚かせるという有様で、今で言う多動型のADHDだったんだと思う。
何の話だ?と思った。知らない名前だったからだ。しかしすぐに嫌な予感がして、
と聞いた。ビンゴだった。田中は何らかの方法でちーちゃんのメールアドレスを入手し(当時はシステム的に侵入を許したかと思ったのだが、後に調べたら他のクラスメイトに宛てたメールのCCにちーちゃんのアドレスが混入していたことがわかったので多分俺が悪い)、メールアドレスから俺がたまに話していたメル友だと察知し、偶然を装ってメールでやり取りを繰り返し、会うところまでひと月で漕ぎ着けたのだった。俺が本名さえ知らなかったちーちゃんと。
ショックだったのと同時に、田中の行動力に感心もした。ド田舎の高校生にとって東京まで往復するのは時間的にも経済的にもハードルが高い。しかし行動したから田中はちーちゃんと会えたのだ。
俺は何事もなかったふりでメル友を続けたが、ちーちゃんの熱量があからさまに落ちているのがわかった。メールの頻度も減った。それもそのはずで、その後も田中はちーちゃんと月に2回のペースで会っており、正式に付き合うことになったと田中から報告を受けた。その後に続いた
という童貞卒業の感想もボディブローのように効いて、この頃を境にちーちゃんとの関係は俺の方からフェードアウトしてしまった。
俺にとってちーちゃんはあくまでネットの向こうの、本と映画が好きな誰かであり、淡い期待そのものであり、それだけだった。
しかし数年後、俺の大学の文化祭に田中がちーちゃんを伴って遊びに来た。
ちーちゃんは俺の想像よりも小柄で垢抜けた今風の短大生だった。店番をしていた俺はぎこちなく短い会話を交わしただけだったが、田中が言うにはちーちゃんは後に俺について「なんか怖かった」と感想を述べたという。当時の俺がアート系の学部の雰囲気に影響されて髪の半分を緑に染め夕方でも黒いサングラスを掛けていたからかも知れない。
その後あっけなくちーちゃんと別れた田中はアムウェイで一財産築き、会社を立ち上げるために地元に帰ったが津波で流され、生存は絶望的かと思われたが何故か身分を偽って大阪でパチスロ系Youtuberとして生計を立てているのが同級生によって発見された。
田中の家族の頼みで俺は一度だけ大阪まで田中を連れ戻しに行った。痩せ型だった田中は別人のように太って、肌は土気色だった。しかし話すことは間違いなく田中で、スロットで金を貯めてアフガニスタンに行くと言っていた。その言葉通り田中は地元へは帰らず、ペルーへ渡って交通事故で死んだ。
なあ田中。
お前は何だったんだ。台風か何かなのか。ふざけんなって。
ギャンブルの恐ろしさって脳汁だなんだじゃなくて時間の概念だと思うけどな。
6ツモったら閉店まで打ち続けなきゃいけないし
ギャンブルって当然成績にブレが生じるわけで
期待値1000円のハイエナをしても毎回1000円懐に入るわけじゃなく
3万負けて3万1000円勝ってを繰り返して最終的に積んだ期待値と同じ額に収束するので
膨大な回数を延々回す必要がある
キングオブギャンブル(と俺が勝手に思っている)のラスベガスのポーカーのプロなんかは
そうじゃないと安定した成績を出せないし、期待値があるなら1ハンドでも多くこなした方が当然稼げるからだ
結局、ギャンブルなんて時間を切り売りしている時間労働のバイトとやってる事が変わらない
俺はギャンブルを止めた
意味が無い
・Mリーグ見てる奴
・「弱者女性は弱者男性よりハード」とかいう大嘘をしたり顔で言うバカ女
・大学生のレポートみたいな文体で増田にしょうもない事長文で書いてる馬鹿
・Youtube Vanced使わずにプレミアム会員費払ってる大馬鹿
・パチンコとパチスロは否定する癖に競馬や競輪に金使ってる馬鹿(両方やってる馬鹿はギリギリ許す)
・足痛いとか言ってるくせにヒールにこだわる馬鹿(スニーカーの方が可愛いだろ、スニーカー履けよ)
・高い金出して食洗器買ってる奴(飯は紙皿と割りばしで食って使い終わったら捨てろ)
・人の気持ち考えられない奴
どういう人が嫌いかって考えるとスラスラ出てくる
嫌いの方向性が同じ人と付き合いたいなぁ
ストレス少なそう