はてなキーワード: オバマとは
「いい年して独身のおっさん」の受ける差別や苦しみは「いい年して独身のおっさん」こそが最もよくわかっていて、
家庭持ちのおっさんがてめえの都合のいいよう勝手に語っていいような、そういう話題ではないはずです。
それと同じではないでしょうか。
黒人奴隷の苦難や差別を単なる移民やその子孫でしかないオバマ氏やハリス氏が代表するがごとく、当事者の苦しみを当事者以外が勝手に代弁すること自体はあるにしても、
その内容について当事者から抗議があれば即座にジャンピング土下座するのが当然で、現にそういう事例だってあったはずです。
それがなぜKKOが同じことやろうとした時に限って「こいつらが言っても格好つかないんだからしょうがないだろw」などと言って否定しにかかるのか。
それは当事者性など都合のいい時だけ持ち出している概念でしかなく、本当は全然信じてなどいない、とそういうことではないのでしょうか?
https://www.ohmae.ac.jp/mbaswitch/_watch_munitionsindustry/
まず、軍事企業上位100社の総売上高の推移を見てみます。2002年は2862億ドルでしたが、そこから増加トレンドで10年には4554億ドルと過去最高に達しています。以降減少に転じ、14年に3918億ドルと4000億ドル台を割り込んでいます。そこから微増・横ばい傾向となっていましたが、18年に4203億ドルと再び増加ペースが高まっています。
2011年にオバマが「イラク戦争終結」を宣言、米軍完全撤退。
変わっとるやん。というか戦争と連動しとるように見えるけど。
小学校の先生がなかなか嫌な(婉曲表現)先生で、何かにつけて「男のくせに~~するな」「男なら~~しろ」というのが口癖だった。私はその先生が本当に嫌で、誇張や比喩ではなく学校が怖くて夜にはよく泣いていたし、割と慢性的に自殺を考えたりしていた。そんな経験があったので、私がジェンダー論や性差別に興味を持つのはごく自然な流れだった。「女性になりたい」と思ったことや、「私はもしかしたら"男性"ではないのかもしれない」と思ったこともある。今となってはそれはトラウマや思春期による揺らぎの一種であったと認識していて、性自認に関しては私はシス男性だと自認しているけれども。
私の初恋は、とある絵本のキャラクターだった。絵本や児童文学を読みながら、キャラクター同士の親密な関係(カップリング)や、窮地に陥ったキャラクター(ヒロピン)などに触れて、何かいけないものを見ている気分で、こっそり楽しんだ。同級生達の、「どの女の子がかわいい」とか、「誰とそれが付き合ってる」とか、そういう話は嫌いだった。その頃から私はフィクトセクシュアルだったと思う。
当時放送していたアニメと言えば、『幻想魔伝 最遊記』とか、『しあわせ荘のオコジョさん』とか。テレビゲームだと『テイルズシリーズ』とか。そういうのを見て育ったオタクなので、「オタクたるもの、男でもBLくらい嗜んでしかるべし!」くらいに思っていたし、今でも思ってる。ちょうどニコニコ動画が流行った世代でもあって、(今の倫理観では褒められたことではないにせよ、)「ホモネタ」でケラケラ笑うのも楽しかった。
先にオタクになったのは私よりも兄の方だった。当時の私は兄を「ホモソーシャル(という言葉は当時知らなかったが)に親和的な人」と見下していたが、兄は兄で色々と思うところがあったと今では思う。兄はあまり頭が良くないので、私のように細かく言語化したりはしないが、おそらく私たちの世代の平均的な「オタク」だと思う。美少女と美少年が好きで、百合とBLが好きで、口では「恋人欲しい」なんて言うけど、内心エロゲで満足してる。そういう人。『ガンダムSEED』が「腐女子向け」と叩かれていたのを兄も知らないはずはないが、兄はそんなSEEDに心からハマっていた。『テイルズシリーズ』については私よりも兄の方がハマっていたから、いのまたむつみの美少年絵は兄の琴線に強く触れたのだろうと思う。
兄が好んだ「ちょっとえっち」な漫画やゲームを、私は内心見下しながらも、それは常に身近にあった。エロ漫画について伊藤剛先生が『MANGAの自由 平成から令和へ』の中で、「あんまいいもんじゃないだろうという感じで、手に取ろうとはしなかった。」と語っているけど、私もそういう感じ。読まず嫌いだった。でも実際にはむしろその中にこそ多様なジェンダーとセクシュアリティが描かれていることに気付いた。セックスをパロディし、時に嘲笑うことが、セックスを相対化するのだと。
少なくとも私にとって、ジェンダーやセクシュアリティの呪いから逃げられる空間が、オタク文化だった。
2ちゃんねる(今は5ちゃんねる)というのは、今も昔も治安の悪い場所だった。大学院生から「無敵の人」まで、全く知識・知能・倫理観レベルの違う人々が同じ空間で同じ顔をして過ごしている。まともな精神じゃできない書き込みなんていくらでもあったが、それはほんのひと握りの底辺の書き込みでしかなかったのだろう。そしてそんな底辺の書き込みの一つは「女性蔑視」だった。当時の私はまだ子供で、ジェンダーとセクシュアリティの話題に興味のある子供だったから、それがどうしても許せなくて、「論破しなければいけない」ものだと思い込んでいた。今思えばそれは逆効果だったのかもしれない。私が来る日も来る日も女性蔑視的な書き込みを「論破」しても、その勢力が衰えることは無かった。昨日論破したばかりの同じような書き込みを、今日も明日も繰り返すような、そんな連中ばかりだった。
しかし、ネット空間というものが、誰もが使う表の空間に成り下がると同時に、そうしたネットの闇はあっさりと自然消滅していった。厳密に言うと消滅はしていないが、その権威はもはや見る影もなくなった。犯罪や誹謗中傷は取り締まられ、多くの暴言も各種サービスの規約によって削除されやすくなった。何よりも、そのような暴言を吐くのは、少数の異常者であることが露呈した。
私は安堵した。しかし、そんな時代になっても、「表現の自由」を掲げて「フェミ叩き」を頑張っている人達がいるらしい。私は呆れた。非実在児童ポルノ騒動の時、表に立って漫画を擁護してくれたフェミニストの人々のことを忘れたのかと。
私はほんの少し、Twitterのフェミニストの人々と繋がってみた。とても勉強になる話をたくさん聞いた。その話は納得できるものが多かった。しかし、次第に違和感を覚えてくるようになった。その違和感がなんなのか、すぐに言語化することは出来なかったが、どうも彼らは「フィクションを性的対象とする」というセクシュアリティについて、全くと言っていいほど無知で、配慮がないどころか、むしろ憎んでさえいるのだ。恥ずかしながら私自身、「エロ漫画」や「えっちな表現」というものを読まず嫌いしていた時期もあるから、他人のことは言えないのかもしれない。しかし、ジェンダー論や文学を研究している大学教授などが、そうしたセクシュアリティについて全くの無知で、研究など出来るのだろうかと心配になった。そして怖くなった。現代の「ジェンダー論」というものは、そのような前提の元に立脚しているのかと。そして「エロ漫画は女性蔑視」のような前時代に封印したはずのトンデモ言説が、再び亡霊のように復活しつつあることを。あの「非実在児童ポルノ騒動の時、表に立って漫画を擁護してくれたフェミニストの人々」ですら、彼らが味方する対象ではなかった。
結局私は苦しくなってTwitterもやめてしまった。トランプが大統領に当選した時、オバマは「国の歩みはジグザグだ」と言った。もしもわたしが第三者の立場であれば、昨今のフェミニズムの暴走も、「ミソジニーに対する反動」として呑み込む事が出来たと思う。「今はまだ無知でも、時間が解決してくれる」と、民衆の成長を待つことができたと思う。でも残念なことに私は当事者だった。私は、性差別を憎む二次元性愛者の一人だった。
とにかく怖くて仕方がない。苦しくて仕方がない。そして、憎い。ああ、これは、かつて2ちゃんねるで女性蔑視の書き込みを見た時と同じ感情だと思った。
今では私は子供ではないから、もう少しだけ冷静に論じたいと思う。でも、行動を多少抑えることは出来ても、感情それ自体を抑えることは難しい。悔しいとか情けないとか。無力感とか徒労感とか。
2ちゃんねるで女性蔑視を批判した日々は無駄だったのだろうか。実際、無駄だったのかもしれない。でも、せめて、それをした私自身のことは誇りたい。誇りに思えるだろうか。彼らをのさばらせた責任の一端は、私にもある。
立憲が発表した七つの政策について、「個々の必要性は分かるけどこのタイミングで大々的に発表するほど話題性ねえのが半分くらいあるだろ」って言われてる。
いやまったくその通り。
これって政策の練り方とか議論の仕方とか政治センスがダメってより、視聴者へのエンタメ演出センスがないのが問題であって、広告代理店とちゃんと協力してほしいんだよな。
見せ方が下手。
注目度と期待度の高い、選挙戦が実質始まって最初の情報発信というタイミングにふさわしいキャッチーさがなかった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210907/k10013248911000.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210908083306
エンタメより政治の勉強してほしいし、エンタメについては広告代理店とかの専門家に外注してくれ。
オバマだってスピーチライター雇ってがっつり演説の練習してるだろ。
自民党は電通とガッツリ組んで、そのやり方があくどいと批判されることもあるけどたぶん効果もあげてる。
立憲は広告代理店と組んでないのかなと思って軽くググったら、民主系は博報堂と仲がいいって出てきたけど、ホント?
今も組んでるの? 博報堂の意見を聞いてたならもうちょいマシになってるんじゃない?
俺は世の中のこと何にも知らねーオタクだけど、音楽のライブでも、ゲームの新キャラ発表会とかでもテンプレってあるじゃん。
ライブなら一曲目にアルバムの目玉になってるようなカッケエ曲をドジャーンとやっちゃう。ゲーム発表会なら目玉の内容を最初くらいにドーンと出しちゃう。
出し惜しみはしないで最初っからテンション爆上げでフロア熱狂、スマブラにスゲーキャラが登場して面白外人は画面も見ないで抱き合って号泣。SNSで一気にトレンドにあがる。
渋い曲とか、こまごまとした情報とかはそこから出していって中継ぎ。
そんでラストの一曲とかアンコール曲でキャリアを通じた代表曲で盛り上がりは最高潮。発表会ならラストに目玉を越える物凄い隠し玉サプライズ情報を投下したりしてウオーー!となって、フロア爆発、リアクションユーチューバーは機材破壊、SNSはそのサプライズ情報について語り続けられるからトレンドにも長く残る。
うまく快楽原則を利用してる。
立憲の七つの政策発表は、ライブがMCから始まったみたいな感じだよな。
政権とったら法改正なしで即やることだけをまとめてるからああいう内容になるんだよってのはわかるけど、そういう理屈を言われてもフロアは盛り上がらない。
法改正なしで即やることを考えたら、必要な話ではあるけどいまいち見栄えしないな、これは二の矢にして、最初の情報公開ではもっとキャッチーな内容にしよう……としてくれりゃよかったんだ。
それを政治家が判断するのが苦手でも仕方ない。だからこそ演出家と手を組むべきだ。
違いますかね。
それを言うのであれば野田さんがやめるとなって安倍さんに切り替わるタイミングで上がったのはやはり野田さんが完全に間違っていたってなるんだけど
菅総理批判してる人はそういうことに頭が回らないのか、民主党政権の終わりを覚えてないのかどっちなんだ。
オバマからトランプに切り替わる際も株価が大幅上昇してたやろ。じゃああれはトランプが正しかったからなのか?
今回の立憲民主党を支持してる人はこのあたりどう整合性取ってんだろ?
今回の件も金融市場興味ない人は菅さん辞任というだけで上がったように見えてるかもしれませんが、そうではないです。
・そもそも「EPSで見て株価水準はもっと高くてもおかしくなかった」という土台があり
ところに9月SQ絡みの値動きが相まって一気にコール踏み上げが起きた現象だよ。
本来株価30000の方が正しくても内閣支持率が一定以下で推移すると27000円前後で推移させられる。
そのくらい「政局が不安定であること」「政権が安定しないこと」というのはそのくらいリスクがあるということの一つの証左になっており、
「政権運営能力がなくいつまで続くかわからない」政党が与党になるのは大変にリスクが高いです。