はてなキーワード: 「ん」とは
「月曜から夜更かし」と言う番組を見ていたところ、街角のインタビューで、おじいさんが稀勢の里を「ちせのさと」と発音したことをスタジオの人々が笑う、というシーンがあった。
これはおかしい。
おじいさんが「ちせのさと」と発音した理由は何点か考えられる。理由の一つに出身地域の方言がそのようなルールだから、当たり前に「ちせのさと」と発音したということが考えられる。
例えば、母国語が異なる人が、日本語のある部分を上手く発音できなかったとする。これを嘲笑したりからかったりするのは問題になることは容易に想定できる。
では、外国語を方言に置き換えたら。難しい問題を孕んでいるような気がするが、方言(からくる発音の差異)を笑うことだって同じようにいけないことなのではないか。
日本語話者がr音とl音を区別できない、「案内」と「案外」の「ん」を区別できないのを外国人に笑われたら、どう思うだろうか。
あるいは、お爺さんの口腔内の構造が、「ちせのさと」を発音するような構造になっていたのかもしれない。
例えば老化現象だったり、あるいはもともと舌が長かったりしたら、そのような発音になりうる。
これにしたって、その人の身体的特徴からなる発音の差異を笑っている訳で、今日びそんなことしたらダメなのは当然なのではないだろうか。
どういう可能性でも良いんだけれど、私は稀勢の里を「ちせのさと」と発音することに、そもそも深い違和感を感じない。
「き」と「ち」なんて、かなり調音の近い音だ。そういう訛りというか、発音のズレは日本語話者として違和感が少ない。
例えば稀勢の里を「まれのさと」とか「きのこの里」とか言っていたらそれはそれでおかしいが、「ちせのさと」は言語としておかしくない。
稀を「き」と発音する、あるいは平仮名の「き」を「き」と発音する。稀を「ち」と発音する、平仮名の「き」を「ち」と発音する。これは究極どっちでもいい。
近代国家で「臣民」を形成するんだったら「ち」じゃ失敗だけど、今の時代は近代の国民形成の時期でもないし。そもそも、その時代を乗り越えてある音の違いだし。
この辺りの、言語であれば当然想定しうる「ズレ」を笑おうとするのはとてもセンスがない。
そして、それで笑いを取れると思われている我々も、あるいはまったくセンスがない、のかもしれない。
日本語の現在の表記方法は、表記ゆれが多かったり、入力に手間がかかったり、学習コストが大きかったりと、問題が多いという認識がまずあります。
この認識が共有できないと、多分問題意識も共有できないと思います。
入力に関しては、コンピュータの入力ソフトの進歩によって、少しづつ改善していますが、まだまだ英語や韓国語などの変換のない言語に比べると、入力速度は体感できるほどの違いがあります。
日本語の入力システムは中国語に似ているというイメージがあると思いますが、実際には中国語の入力システムの方がシンプルな方法を採用していて、その分、母音を省略して入力できたり、スペルミスを自動修正してくれたりといった機能がよく整っています。(何がシンプルかというと、日本語入力ではまずローマ字がひらがなに自動変換され、そこから手動でかな漢字に変換するという二段階の変換システムになっているのに対して、中国語の入力システムでは、ローマ字から直接普通の中国語に変換される、一段階の変換システムだという点です。)
また、そのようにして入力された文章に関しても、違う単語が同じ表記になってしまう(例:「行った」)とか、曖昧性があったり(例:「この先生きのこる」)など問題が多いです。
ローマ字を採用する利点があるのは、後者についてです。ローマ字は、ひらがなよりも使えるパターンが多いです。ひらがなで表現できるモーラのパターンはたった115です(参考: https://ja.wikipedia.org/wiki/日本語の音韻 )。ローマ字であれば母音5種、子音21と子音がないパターンで合わせて22で、これだけで110になります。私がやっている方式では、母音にはアクセントがあるものとないものがあるので10種類であり、さらに子音は2文字重ねるもの(shなど )があるので、使えるパターンは200をゆうに超えます。
一口にローマ字で表記するといっても、やり方によってその成果に大きな差が出ます。訓令式のローマ字をわかち書きするだけでは、違う単語が同じに表記されてしまうケースは減らず、むしろおそらく増えるでしょう。
そのため、どんな方法がいいかを探求するために、色々と考えたり試したりしているわけです。
今のところやっているのは
などで、まだ決めていないことはたくさんあり、例えば以下のようなことを考えています。
などなどです。
「違う単語が同じ表記になるケースがゼロ」の状態を「完全な表記法」とした場合、表記の完全性と学習コストはトレードオフになる場合があるので、どのへんがちょうどいい具合かも探っていく必要があると思います。
論点が散逸してる感があるのでまとめると、ゴールは次の二点です。
加えて
まず、大前提として、
原語の発音には、「意味のある区別」と「意味のない区別」があり、前者のみを区別し、後者は無視するのが音韻論。基本的に、ある言語のネイティブスピーカーはその言語において「意味のある区別」だけを直感的に感じ取ることができ、「意味のない区別」は意識しないと気づくことができない。
例えば、前回書いた増田( https://anond.hatelabo.jp/20171223040416 )で、「難波」と「あんな」の「ん」は違う音だけど、日本人(日本語のネイティブスピーカー)はその違いを無視すると書いた。ブコメを見ると違いがわからないという声があったので、ここで解説すると、「ナンバ」のように、直後にバ行またはパ行の音が続く場合は、「ん」は「唇を閉じて息を閉鎖し、その息を鼻の穴から出す」音になる。英語であればmに相当する。直後にナ行、タ行またはダ行が続く場合は、「下を上顎にぴったりつけて息を閉鎖し、その息を鼻の穴から出す」音になる。英語であればnに相当する。
英語であれば、これも前回の増田から持ってくると、water の t と、 talk の t は日本人には全然違う音のように聞こえる。でも、英語のネイティブスピーカーにとっては同じ音。
よく、英語のネイティブスピーカーにとっては違う音なのに日本人には同じに聞こえる発音が取りざたされるけど、逆もあるということ。ある言語のネイティブスピーカーであるということは、その言語にとって「意味のない区別」はしないように訓練されているということを意味すると同時に、「意味のある区別」はするように訓練されているということ。 r と l の区別が難しいのは前者の例だし、 water の t と talk の t が違う音に聞こえるのは後者の例。
同じことは日本語を学んでいる外国人にも言えて、例えば、「難波」の「ん」と「あんな」の「ん」は韓国人にとっては「違う音」なので、韓国人が別の単語を持ってきて「この『ん』はどっちですか?」なんて質問すると、日本人は「は? 『ん』は『ん』でしょ?」となる。韓国語なら「オッパンカンナムスタイル」の「カ」と「ネガチェイチャラガ」の「ガ」は濁音と清音だから違う音だけど、韓国語にはこの区別はないから韓国人は「同じ音」と思っている。
英語のカタカナ化では、「英語において区別のある音は区別し、区別のない音は区別しない」というルールが概ね採られていると思う。いわば、英語のカタカナ化とは、「英語の音韻論をカタカナだけでシミュレーションする」試みと言える。
以下、いくつか一般的だと感じるルールをリストしてみようと思う。なお、発音記号は、New Oxford American Dictionary に基づいている。
アメリカ英語には短母音と長母音の音韻上の区別はないので、ある音を長めに発音しても短めに発音しても同じように理解される。カタカナ語はこの事実を利用して、長音記号で区別することで、合計10種類の母音を区別できるようにしている。なお、10種類でも英語の音韻論を完全に再現するには足りない。実際に長音になりやすい音に優先的に長音記号が割り当てられているようだけど、全てではないように見える。
例 /ə/:sun, bus, an
例 /æ/ : cat, pat, bad
実際これらの音は「ア」に聞こえるという人がほとんどだと思う。cat は「キャット」なので「イャ段」説があるにはあるのだけど、/k/ の舌の形が日本語の「ヤ」の子音に近い為に /k/ の時だけ採用されたのかなと想像している。ちなみに英語には他に「キャ」のように聞こえる音はないので特に問題ない。/æ/は一貫してイャ段にすればいいのにと思わないでもない。
「エ」に聞こえることもある音。とは言え多くの場合「イ」に近く、また「エ」に聞こえる音は他にもあるので妥当。
例:look, good, foot
間違いなくウに聞こえる。
例 /wə/ :Quebec, sequence, quench
例:lot, pot, knot
「『ア』に聞こえる」という人がかなり多いと感じているのだけど、アには割り当てが他にあるので、オに寄せられたのではないかと想像している。
例:mail, male, eight
「エイ」段で書かれる事も多いが、日本語の音韻上「エー」と「エイ」の区別はない。
例:water, talk, ball
形態素とは、「意味の最小単位」。単語の中には複数の形態素からなるものがあって、例えば「文章」なら、「文」と「章」にはそれぞれ意味があり、それが集まって、「文章」という単語ができていると理解できる。英語でも、American という単語は、America と、an が合成されてできている。このそれぞれのパーツを「形態素」という。
カタカナ語は、どうも単語単位でなく形態素単位でやっているように見えることが多い。例えば、today は /təˈdeɪ/ だから、上のルールに従えば「タデイ」になるはずだけど、実際には「トゥデイ」になっている。また、consequence / ˈkɑnsɪkwəns/ も、上のルールに従えば「コンシケンス」だけど、実際には「コンシーケンス」になっていると思う。
しかし、これらは例外なのかといえば、形態素単位でカタカナ化していると考えると説明がつく。today は to-dayに分割できる。そして、to は 「トゥ」。(なお、これは「トゥー」になるはずなので、こっちは例外。too との衝突を避けたものと思う。)day は「デイ」なので、合わせて「トゥデイ」になる。consequence も con /kɑn/ は「コン」、sequence /ˈsikwəns/ は「シーケンス」なので、合わせて「コンシーケンス」。
「カタカナ語はアメリカ英語の音韻論をベースにしているのではなく、単にイギリス英語を聞こえたまま書いただけのものではないか」という指摘が前回の増田であった。
確かに、apple, girl など、イギリス英語「聞こえたまま」になっているように見える単語は多数あるが、すべての単語を調べたわけではないから確定的なことは言えないが、これらの単語は、アメリカ英語音韻論説でも同じ程度にうまく説明できる。それに、water, there など、イギリス英語聞こえ方説よりもアメリカ英語音韻論説の方がうまく説明できる例もある。(イギリス英語聞こえ方説をとれば、それぞれ、「ウォータ」、「ゼー」となるはず。)
実際にカタカナ語の多くがアメリカ英語から取られたのかそれともイギリス英語から取られたのかは個人的に知らないのでなんとも言えないのだけれども、カタカナ語とアメリカ英語の間にある程度の法則性が見られるという前提で、その法則を書いてみようと思った次第。
最初のすべて、すべての C の S 上のためのアリの原因のトラブル日本人学習者。すべての pHを1つのにMES 日本語以外1 W(ん)エンドそれ H母音。T ここで前部、彼らは傾向があるために追加した後に母音を英語 C 上の上のアリ。トラブルは、私が話すことから、私は疲れているはずです。彼らが話すときは英語を、lはある tenerはあり余分な母音のためにそれらを理解していない。乳清彼らがL である 10、それらがよいメートルであるの多くのC に S であるため、彼らはアリドン「TC にそれらサイダー等の pHは1 MESしかしとして かすかな 音。より具体的としてワットpects その時間C 上の上のアリ、tはここにいくつかのpHがある1つの彼らのために困難ですMES。例えば、私はL缶である T / F /、/ V /、/θ/、/ D / A、および/ʃ/。これらのph 1メゾは日本語にはないものです。Tは、ここで前部、日本語学習者は、PR にオンス/ H /の代わりに/ F /、/ B /代わりV /、/ S /の代わりに/θ/、/ Z /の代わりに/の/ D / A、および/ S /の代わりに/ʃ/。別の例として、私はL缶である T / R /、/ l /、/ M /、/ N /、/ N /。これらのpHは1つの MESは何ですか、日本語が持っている同様のpHを1にMESを、これらの日本の pHは1つの MESは、他に類似している英語のpH 1 MES。言い換えれば、日本語での1つの音が 英語で2つ以上の音。「ら」である /rʌ/と/lʌの両方に似て/が、まったく同じではないとして、電子それ彼女。"ん" である PRは上時々 ounced として時々 、m個/ / ような / N /、時にはとして / N /。それは依存にどのpHを1に私がされて、「ん」が、次のように問題実際、我々はドン tは気に」を、それだけC にサイダー一つとして、 pHが1私。すなわち、同様の面倒それは yはその原因日本語学習者がCであるに融合された間 / R /と/ l /との間に / N / / M /、/ N /、および。
母音の点では、ここでもいくつかの問題があります。以来、日本語が有する唯一 5母音、日本語学習者Dができないで tinguことで各母音E H として ILY。たとえば、「あ」は /ɒ/、/æ/、および/ʌ/に似ています。T ここで前部は、彼らがUSU すべてのy PRをに「熱い」、「帽子」、および「オンス小屋同じように」。また、日本語では「トリッキー母音」を持っていないとして 、英語 LANGUの年齢が 持っています。ここにI 'はトリッキー母音'手段は母音、diphth滑空することを定義する上で、GS、およびc R-母音に S である /ə/と/ R /のTSを。W それは知っハウトexがある可能性がどのように、これらの母音のTenceの日本語学習者が、おそらくPR にオンス、「キャッチ」「コート」、および「裁判所」?
これらの問題を解決するために、私はなり pHが使用1マイクシンボルを。以下のために日本の人々、それは T「sの珍しいことに、ここ ではない音を表現する一切の手紙。彼らはそれが 10であるので、私たちはオンスの言葉に基づいています。学生を慣らすために英語のスペル、教師はpHを教えるべき1つの最初のマイクシンボルを。その後、私はなりタールが含まれ、いくつかの単語や文章を使用し得る pHが1私を。また、私はしばしば最小限のペアを使用して、彼らができることを確認しますtingu は h ph one mesです。しかし、私はと仮定思春期に到達する前に学習者がすることができます取得、正確なPRを上 unciati に UNC に sciously とネイティブ・さすることが可能に再ように。T ここで前部は、番目である方法がある学習者のためのオーバー年齢思春期の。それはbでなければならないDUR電子を中学INGの高校以降。
英単語のカタカナ化の仕方に文句を言う増田がたまに見られる。ついこの間も、「imageは『イミジ』が正しい」みたいなことを書いている人がいた。
しかしカタカナ化というのは、音が近ければ良いというものではないんだよ。
言語には意味のある音の区別と、意味のない音の区別がある。例えば日本語なら、「難波」の「ん」と「あんな」の「ん」は違う音だけど、日本人にとってはどちらも同じ「ん」だ。音声学上は区別されるが、音韻論上は区別されないともいう。
タイトルの「ワラ」に関しても、確かにwaterは「ワラ」のように聞こえる。単純に「一番それっぽく聞こえるカタカナ表記」ということなら「ワラ」が正解かもしれない。でも英語では、このラ行のように聞こえる、waterのtの音と、普通にタ行に聞こえるt、例えばtalkなどのtは、同じ音なんだ。それなりに乖離があるので、英語ネイティブの人でも聞き較べてもらえば違いはわかるだろうけど、普段話しているときは意識しないし、同じ音だとして扱っている。日本人にとっては全然違う音でも、ネイティブにとっては同じ音だということ。
そしてもっと重要なことは、waterのtをtalkのtで発音しても問題ないけど、talkのtをwaterのtで発音することは許されないということ。どちらもtの音と言っても、片方が本来であり、もう片方は一応同じと扱われている、変化した音ということになる。そして「本来の」tは、間違いなくラ行よりはタ行に近いのだ。
次に、外国語をカタカナで表現する際は、まず問題になるのが、カタカナの表現力が限られているということ。
英語では途方も無い数の音が表現されるが、カタカナは所詮50音である。文字通り数える程しかない。
とはいえ、この数える程の文字数で、工夫して、できるだけ本来の言語の表現力が失われないようにしなければならない。そうでないと、その言語から大量のカタカナ語が入った際に、だんだん同音異義語が増えて区別がつかなくなってきてしまう。だから、英語で区別がない音は、カタカナで表現する際も、できるだけ区別しないようにする必要がある。本当に必要な区別をしたいときに被ってしまうと困るからだ。
したがって、waterのtもtalkのtも区別せず、両方タ行で表すべき、ということになる。
あとはだいたい同じような話なんだけど、ついでなので、waterの他の音についても。
現在概ね採用されてるカタカナ化には、だいたい共通した法則があって、例えば、長母音は長音記号を使って表すこと、がある。このようにすることで、短母音と長母音でカタカナでも10種類の母音を表現できることになり、かぶりが少なくなる。「ワラ」と短く聴こえても、water /wɔ́ːtər/ の最初の母音は長母音だから、長音記号を使う。また、この母音は、ア段ではなくオ段として表現することも習慣で決まっている。wall も「ウォール」とオ段で書かれるが、これも同じ母音である。
ちなみに、この /ɔ/ の音がオではなくむしろアに聴こえるという人も多い。「ワラ」に近いというのはそのためだろうと思う。しかし、これがア段ではなくオ段に当てられているのは妥当なんだ。なぜかというと、英語には他にもアのように聴こえる母音がたくさんあって、cat /kæt/ の /æ/ もそうだし、car /kɑːr/ の /ɑ/ も間違いなくアに聴こえるし、あと曖昧母音 /ə/ の直後に/r/ が続いた場合も間違いなくアに聴こえる。これらは実際カタカナではア段が割り当てられていて、これにさらに /ɔ/ まで加えるとなるとア段で表す音が多すぎてちょっと被りが心配ですねという話になる。一方、オ段で表す母音は /ɔ/ の他には cold /koʊld/ とかの /o/ くらいである。
このように、現在のカタカナ表記にはそれなりの合理性がある。こっちの方が聞こえ方が近いから、とか安易な理由で覆すべきではない。
〜 追記 〜
ブコメ数にビビっております。こんなにもらったことなかったので。
いろんなカタカナ語の指摘とかがあるのですが、はっきり言ってカタカナ語のルールは一貫してないと私も思います。その中には、比較的合理的なものもあれば、ブコメで上がっている「ディティール」のようにわけわかんないのもあります。「ウォーター」はかなり合理的だと思ったので、ウォーターで書きました。あと、「イミッジ」も合理的だと思います。「イミッジ」を批判してるみたいに読めるなあと思ったので一応書いておきます。
あと、せっかくなので宣伝させてください。日本語文法を英語で解説するサイトをやっています。最近更新が滞っておりますが・・・。↓
https://jp.xhamster.com/videos/super-naughty-maid-2-3d-7653499
https://jp.xhamster.com/videos/super-naughty-maid-2-scene-1-7145725
https://jp.xhamster.com/videos/super-naughty-maid-2-scene-2-1-7145784
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https://jp.xhamster.com/videos/super-naughty-maid-2-scene-4-1-7520289
https://jp.xhamster.com/videos/super-naughty-maid-2-scene-4-2-7522321
定期的に思うんだけどプログラムで無理な英語にせず日本語にすればいいのにって思う。
(実践はしていない)
日本語で書ける言語使うんじゃなくて変数名や関数名がUnicode対応で日本語書けるもの。
○画面に表示する時
フレームワークや言語にもよるけど表示するときに英語の名前から日本語の名前に変換して表示って手間があるものがある。
最近見かけた例だと.NETでプロパティの属性に表示名書いて表示するときに取り出していた。
最初から日本語だとそのまま表示でいいことが多くて一段手間が省ける
次に他の人の英語化したのを見る時。
その人の英語力にもよるけど、動詞名詞が変に混ざっていたり、sがついてたりなかったり、そもそもchildsみたいな謎の語があったり。
そこそこできる人同士でも、「私はニュアンス的にこっちの単語」「僕はこの単語のほうがいいと思う」とかある。
相手の書いたところがわかりづらいのはもちろんだけど、プログラム的に同じ意味なのにクラスや関数によって呼び方違うと辛い。
かといって全員に日本語と英語の対応を先に渡しておいて統一しようというのは大変すぎる。
(日本語だと仕様の時点で日本語で書いてるからまぁおかしなことにはそうならないはず)
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次にデメリット
軽く調べた感じ主にこの2つな感じ。
○IME
と思うけど、実際チャットやこういう文章書いてて英語が出るときに割りと頻繁に押してる。
ほぼ無意識でやってて意外と苦じゃない。
短いとF10変換で半角にすることもあるけど、キーボードのタイプ数カウンタとか入れてみると半角全角キーはけっこう上位にいた。
それに、なんだかんだコメントは日本語で書くことが多くて、他の人と作るのならこまめにコメント書いてる。
そうなると全角半角の切り替えは普段からあるもので、あんまり気にするほどじゃない気がした。
最近じゃIDEやエディタの補完が優秀だし、日本語にするにしても「最初はjから始める」とかルール入れておけば「j」って打ってあとはスコープにあるいくつかの候補から選ぶだけで全角にしなくていいかもしれない。
githubで公開したりとかライブラリで再利用してもらうときに日本語じゃ使ってもらえない。ってことみたい。
私が日本語にすればいいじゃないって思ってるのは、ビジネスロジックというかそのアプリケーションの固有名詞みたいなところ。
「足し算」って関数名は 「add」 でいいと思うし、配列のそれぞれは element とか item とかそういう一般的な英単語でいいと思う。
具体例がいいづらいけど、業務システムで表示する金額の名前とか、日本語独特なものとか、一般的な単語じゃなさそうなの。
こういうのを日本語にしたいってわけなので、ライブラリ的な共通なところは英語で良いからgithubで公開する範囲も英語のものでいいと思う。
ただ、最近はやってるマストドンとか、ライブラリ的なものじゃなくアプリケーション自体をgithubで公開する場合はできない気がする。
でも、海外も対象にしてるものだと日本語特有なせいでわかりづらい英語になる苦労とか少なそうだしそういうのだと英語でいいんじゃないかな。
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長くなったけど、まとめると、
業務システムの固有名詞とか日本語特有なものとか無理に英語化してよくわからないことになってり、見づらくなるくらいなら日本語使えばいいんじゃないかな
ということ。
まあ思ってる割には実践してないので、やってる人がいたら良かった・悪かったとか聞きたいなと思ったのが書いた理由。
帰ってきたらすごいブクマついてた。
絶対「自分でやってから言えよ」みたいな意見来るだろうと思って今日の空き時間に日本語行ける言語調べたり軽く日本語使ってコード書いてみたので、そのあたりと目についたコメに答えてみる。
まず、思いの外日本語プログラミング言語上げてる人がいたので、うまく伝わってなかったぽい。
具体例上げずにサッと書いたらからかな。
あと自分もわりとするけどタイトルだけ見て中身見ずにコメントしてた人もいるだろうなー。
これが、などしこやひまわりや、BF系のmisaやら北斗のあれやらうにゃーとか色々な「構文など最初から日本語を前提とした言語」ではないってこと言ってた。
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最近の主要な言語ならだいたい Unicode 対応でしょと思って環境があった言語を試した結果はこうだった。
JavaScript/Python/PHP/Scala/Kotlin/C#/Go/Swift
rust と Lua は無理だった。
rust は確か前に、変数名が ascii 文字だけなことに日本以外のどこかの国からUnicode対応にしてって多くの要望あったみたいな記事があったし将来的に対応するんじゃないかなって思ってる。
実際に今どんな状態かは知らない。
その記事のコメントとかでみたけど、日本語以外は割りと自国の言葉を使ってたりするっぽいね。
VBA を上げてる人がいたけど、私はそこまでのはみたことない。(幸せ者っぽいな)
稀にエクセルマクロいじるときに使い方ググってて出て来る、解説してるページで関数名が日本語なのをたまに見るくらい。
パット見なんか気持ち悪い感はあるけど、読んだときのわかりやすさはけっこう大きい。
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○使ってみて
大規模案件に使ってみてこその問題もあるだろうけど、簡単なスクリプト程度のを日本語にしてみて気づいたこと。
割といける。
PHPて言語は変数は全部$からはじめないといけない欠陥言語。
まあ変数のみのgrepのしやすさや予約語キーワードを変数名に使えるからメリットもある。
だが、$って打ちづらい。
Shift+4ってすごいつらい。
に比べて全角半角キーってちょい遠いけどそこまで苦痛じゃない。
GoogleIMEだけど、多少のタイプミスは補完で修正してくれるし、予測変換が優秀だし。
IDE重いから補完機能のない軽いエディタで書くようなときなら、IMEのおかげで英語の変数名で書くより速度は早いと思う。
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少し前に知人から言われた日本語のデメリットを思い出したのでそれも触れとく。
「仕様変更で言葉変わったときに日本語だと全部書き換えないといけないよ。英語だと別にそのままでいいし。」
英語わからない人が、英語を言葉とみなさずただの記号として考えてるから、っていうような発言。
仕様変わって変数名まで変えるのは面倒なのはわかるけど、あとからコード読む人が英語で見て意味不明になる。
英語と日本語の対応をコメントに書いたとしても、全然意味の違う英語があるのは混乱でしかない。
こういう考えの人がいたら本当にやめてほしい。
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あとは気になったコメントについて書いてく。
表記ゆれとか方言とか言い回しなどについては、全部日本語にするとあるだろうけど、私が想定してるのは直感的に英語にならないような固有名詞とか。
年金の例も○○年金というのがいろいろあって、全部英語だと嫌になってくるしよくわかる。
こういうのを日本語にしたい。
なので年金額を取得する関数で「年金額を取得する」「年金額を取得」「年金額を取り出す」とかの表記を迷うんじゃなくて「get年金額」でいいと思う。
特にDBにある項目だと仕様とかで先に言葉が決まってることが多いだろうし。
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見た目について。
見た目が残念とか見づらいというのは同意。
見た目が悪いというのも全部英語っていう前提があるからで1ヶ月も日本語のコード見ればなれるんじゃない?って思う。
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へとヘ
これはありそうな問題。
ただ、IDEを使う前提なら未使用変数のエラーとか、選択したときに色が変わってないとか、割と気づけると思う。
lとIとかアルファベットでもあるけど、IDEや高機能エディタ使うと困ることはほぼなくなった。
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私が日本語にしたいような固有名詞をローマ字化してるプロジェクトにであったことはある。
それにローマ字のほうが「ん」でnは1つか2つかや、ヘボンorローマ?という日本語より表記が揃わない問題ある。
特にローマ字の場合自分がキーボードで打つ方じゃないと書きづらいのでそろえてもらうのに抵抗がある。
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海外向けとか海外の人と一緒に作る系なものって最初から英語で困らない単語ばかりだと思う。
そういうのは対象外。
今回いいたいのは、元から日本しか対応してないような業務システムなど。
そういったところの固有名詞が日本語になったからって、困ることはないはず。
日本でしか使われないもの・海外向けにするにしてもフルスクラッチで作り直すことになるようなもの、
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テストだと日本語が使ってる人多いのかな?ブコメのスタートップだし。
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長くなったけど参考になる意見もいろいろあって助かった。
「ち」が音便で濁る場合は「ぢ」と表記するのが基本規則で、合成語の元の言葉を把握しやすくするものなんだよ。
カナ文字は表音文字だから音だけ表せばよいという気持ちもわからんではないが、表音文字つっても、厳密には音声を表してるんじゃなくて「音韻」を表してるんだ。
音韻を説明するのに典型的な例としては「ん」がある。 例えば「しんぶんし」はヘボン式ローマ字では "Shimbunshi" と書く。 「ん」は音声としては "m" の場合も "n" の場合もあって実際に違う音を出している。 しかし日本人はこの違いをほとんど意識することなく同じ音だと思っている。
ならば逆に、音声として同じ「じ」と「ぢ」を同じ音と認識しているかというと、出自が違う音がたまたま同じ音に発音されていると考えるのは自然なことで、統一してしまうのはちょっと乱暴な話だよね。
「俺たち」は、無意味に「カッコ」をつけることで、
大した「意味」のない文章に何か意味あり気な「ニュアンス」をつけるのをやめる「べき」だと思うんだ。
むしろ「タイトル中に2つ以上のカッコ」がついている場合は、「読むに値しない判断材料」にすらなると思う。
というか、「カッコ」が「多用」された「文章」は、ほぼ「2種類」しかない。「自己「啓発」系」か「マッチョ「ポエム」系」。
「こーんな風に会話調の文なら? カッコでくくるのもアリです♪」が、やりすぎは禁物。
http://diamond.jp/articles/-/62276
『伸びるのは、「必死」にやる人ではなく「夢中」でやる人』
この記事タイトルは、『伸びるのは必死にやる人ではなく、夢中でやる人』で十分伝わります。可読性にも問題ありません。
あらためて意識して読むと、URL記事の文中には無駄にカッコが多用されていることに気付くと思います。
まあ、こんな「最悪」の「例」を見つけたので「思わず」こんな「増田記事」を書いて「しまった」「だけ」なんですけど「ね」。
「ご」「め」「ん」「な」「さ」「い」