はてなキーワード: 大船とは
「あなた方は無知です。9年前に国王ウィレム2世は親身になって日本のことを心配し、親書を特別船で届けました。親書には世界の情勢が詳しく説明されていたはず。いずれこういう日がかならず来ることを懸命に日本に訴えてきました。それに対する貴国の返事はこんな手紙は二度とよこすな、というものでした。去年私が長崎にやってきた時も、特別船でペリーより依頼された親書と、私の詳しい説明を添えてお渡ししました。一体この1年・・・いや9年の間、あなたがたは何をしていたのですか?」
「今から蒸気軍船を購入しても、航海士はいるのですか?一隻につき訓練された水兵が100人近く必要ですよ。今蒸気船を買った所で港の飾りにしかなりません。戦うつもりならもう遅きに失しています!」
「最初は腸が煮えくり返ったが、今は奴らが可哀想で仕方ない。自業自得だがこれから辛酸を舐めることになるだろう。三百年の付き合いだ、少しは何とかしてやらねばなるまい。本国に手配して蒸気軍船4~5隻をプレゼントしてやるか。今は商売抜きで尽くしてやるさ。この美しい長崎を、列強の砲火から救ってやりたいからな」
#佐久間象山の開国論#
オランダからの密使が来る前から島国の海防の困難さを悟り、大船建造禁止令を撤廃し、オランダより軍艦を購入して海軍を育てる必要性を説いていた(海防八策)彼からみると、阿部正弘の改革はすでに手遅れで勝負にもならない。
その上で黒船の戦力を見抜き、負けても大きな被害にはならないという見込みを立てた。この前提をもとに、1年以内に江戸湾近くの住民を避難させた上で日本側から戦闘を仕掛け、脅しには屈しない姿勢を見せつつ、あっさり負けて戦力差を思い知ることが開国のもっとも望ましい形である、とした。
これは長州や薩摩が外国艦隊と戦争をして開国に目覚め、その後の日本のリーダーシップを握ったことを考えても妥当な判断ではあるが、この時に彼の考えを理解する人はイなかった
→彼の献策は検討されることもなくお蔵入り。
勝海舟、吉田松陰のほか、橋本左内、河井継之助などを門弟として育てる
水戸斉昭は全くの鎖国論者ではなく、貿易でとませることも技術の導入も必要だとは考えている。
他の藩よりはやく大船建築や、蘭学推奨をしていることからも松平定信ほど頭が硬いわけではない。
しかし、西洋船が自由に日本に来ることは反対で、片道貿易などを考えていた。
もちろん、そんな身勝手で一方的な開国案が受け入れられるはずもないのだが斉昭にはそれがわからない。
「自分の都合の良いところだけ取り入れたい」という姿勢は中華思想と変わらないのだ。
そうして意見をはねつけられた不満と怒りを藤田東湖などの側近にぶちまけ
かくして彼の怒りは全国的に攘夷志士として広まっていく。
過激な発言はするがバランス感覚も持つ水戸斉昭の思想のニュアンスは
実は水戸の上層部は保守派がしめており、水戸学が攘夷思想として暴走するのを抑えようとするのだが
これがかえって水戸藩内に深刻な対立分裂を引き起こすことになる。
クリミア戦争の影響で君の航海も何かと苦労が多いことだろうとお察しする
しかし戦に巻き込まれた力を奪われたりしてはならない
相手国を武力で倒すより相手国の信頼を勝ち取るほうが遙かに難しく重要なことだ
1812年、この時もロシアはナポレオンのフランス軍を迎え撃つ大戦争のさなかにあった
こういう時代の気分は必ず伝染する
モスクワと正反対の極東においても日本とロシアが小競り合いから開戦直前の緊張状態にあった
捕虜のみでありながら両国の間に立ち戦争を回避することを決意し
言葉もわからぬ相手とほとんど身振り手振りでこの難題をやり遂げたのだ
42年前のカヘエの奇跡を忘れてはならない このような優れた日本人もいるのd
目的は日本との平和なる国交樹立だ その一点を決して忘れないでもらいたい
ロシア政府も戦争よりも日本を開国させることが重要であると考えればこそ
ちのに事務戦費を削っても我々に送金してくれているのです
三国通覧図説には「日本橋より唐おらんだまで境なしの水路なり」とあります。
海国兵談の末尾にもこうあります「この書で述べた計画を今から幕府が五十年かけてやり遂げれば
鎖国だけが問題だったわけではない。鎖国していてもやりようはあったのだ
六十年前のことならまだ諦めもつくが
これまで幕府は逆コースを撮り続け最も大事な人物ばかりを迫害し殺し続けてしまいました
その人達のおかげでこの国が救われたというのに
二度とこの失敗を繰り返すわけにはイカぬいよいよ国際社会の荒海に乗り出したのだからな
中世以降の中国の科学が著しく衰退した現象を思い出さされるんだわ。
元来中国って、火薬・紙・印刷を発明したりと、中世まではダントツで欧州にも(技術的な意味で)勝っていたのだが、
その後明らかに逆転され、最終的には植民地化されるほどの憂き目を見る。
・・・なぜか?
専制君主の定着と
なぜなら、専制君主だと簡単に開発が止められてしまうからだ。
鄭和が中国から、アフリカまで欧州より遥かに大きく技術的にも優れていた大船団で
航海出来たのも、(正直、欧州より先に世界分割出来てても可笑しくはなかったのに)
時の皇帝に止められてしまった。
だからこそ数世紀後、立場が逆転する・・・・。
文化圏において、結合度合いが小さいのから大きいのまであるけど、
一番発展するのは
大きめだが政治的に分割されてるってとこみたいなのさ。(このへんはシャレド・ダイアモンドの本に譲る)
だからオーストラリアやパプアニューギニアの人口過疎の人々が技術も作れず、
原始時代よろしくの生活を送っていたし、
食料豊富な古代イラクやエジプト、中国、インドにおいて、初期文明が発達した。
しかし政治的結合が強くなりすぎると、
それ周辺に在り、なおかつ、彼らより政治的結合が弱い国々、つまりヨーロッパとか日本とか
が台頭してくる。
・・・・自由なきところに技術は育たないから。
そして現代。
自分のブログではあれだけ自信たっぷりに自分の法解釈がいかに正しいかをアピールして
返す刀で原告の弁護士らを口汚く罵ってたのに、判決が出たとたん、
って、「潔い」というよりも、しっくりこないわ。
橋下にとって、頭を下げるということの重みってどんなもんなんだ?
それから、結局、被告になったのは橋下一人だったから良かったものの、
ことによると懲戒請求を出した2000人余りの命運がかかったかもしれない事件だったんだが。
あんなに「大船に乗った気でいてください」的なノリでいたのに
あっさり負けを認めるのな(完敗を認めながら控訴はするってのも不可解)。
橋下にのった懲戒請求者は裏切られた気持ちなのでは?