はてなキーワード: ロードサイドとは
て言うか飲むだろうよ。
宣言して飲まなくなるんだったら、とっくにやめれてるっつーの。
↑あの頃一世を風靡したお笑いの人とか、今どうしているんだろう。
そのスーパー店内に入ってみると、男客が一人二人いるだけ風。
探しづらい。
最近よく思うのだが、スーパーでもコンビニでも、俺みたいなおっさんが一人でウロウロしているのをよく見かける。
大変見苦しい。
って俺も思われているんだろうね。
海外映画では、そう言うとこからドラマが始まったりするじゃないですか。
そのスーパーには、いつも飲んでるやつの500mlが売ってなかった。
350mlはあったので、それを3本。
全体的にちょっと高い感じがした。
車に戻って入り口を見ると、2人ほど、(やっぱりおっさんが)その付近を歩いていた。
て言うか何か、今書いてて思ったけど、あの駐車場暗いな。
帰宅。
買ってきたそれを飲む。
そして飯を食う。
しばらくTVを眺める。
https://anond.hatelabo.jp/20190331124330
普段は、山田うどんをすすって、草加煎餅をバリバリ、所沢だんごをむしゃむしゃetc…
地元の人は、所沢だんごなどと言わず、たんに焼きだんごと呼んでいる。
大抵の団子屋のメニューは焼き団子の1種類のみ。
ロードサイドにあることが多い。
地元民はわざわざ車でこのシンプルこのうえない食べ物を買いにくる。
埼玉県の北のほうに行くと、具がネギしか入ってないお好み焼きの出来損ないみたいな食べ物を食べる。
そう書くと、「だんごは所沢だけ」「煎餅は草加だけ」「フライは行田だけ」と埼玉県民のなかでも「あんなクソ田舎と一緒にしないでくれ。私は限りなく都民だから」と自己弁護し始めるのが埼玉県民の特徴。
他県から移り住むと「彩の国」ってのを頭につけたがるのがダサい。
埼玉の埼は彩の字じゃないだろと。
埼っ字にコンプレックスがあるの?
所詮、マックがあるだけマシだよって言われるような田舎レベルだけど。ロードサイドは同じ店ばかりで、味も変わらなくて店員はパートで働く主婦達で。新しいお店ができれば、それがし◯むらだろうと求人は何倍にもなるんだよ。
スーパーは歩けば10分で着く距離だけど、ここではいつだって車で移動するしね、お金もやることもない高校生は近くのコンビニの前でたむろするわけ。会話だって大したことなくて、親の愚痴とか見かけたイケメンの話になるんだけど大体知り合いの知り合いだから元カノがあの子かー。なんてなれば狭い世界に溜め息がでるよ。
東京に住んでる子に言われたんだ、私にとっては田舎だって面白い人との出会いがあって新鮮。だってさ。
住んでる人にしか分からないよね、この気怠げな空気と、ここから永遠に抜け出せないんじゃないかって恐怖。
ここは退屈。
わかる、が、そもそもシネコンっていう文化がそうなんだよ。「いま売れ筋の主にファミリーもしくはカップルが見る映画を最大公約数で上映する多スクリーンの映画上映施設」でさ。周辺に複数映画館があるんで、上映作品で住み分けようとか、都心部のあれのほうがむしろレアで(悪い意味ではないけれど)異常な行動なんだよ。「自分のところだけで映画需要のマスを完結させる」のがシネコンなわけだから。
だから地方都市とかは、エリアあたりの映画館がシネコン一つだけで、そのエリアの映画文化をシネコンひとつで支えるとか、そういう構造になってる。
そういう意味合いで言えば、東東京のシネコン増加は、都市文化ではなくてロードサイド文化の文脈だって言う見方もできるとおもうよ。事実客層なんかもそんな感じでしょ。亀有アリオは毎週のように行く地元民だけど、客の大半は千葉方面からマイカーで来るひとだよ。
あれいる?
いるんだろうな、好きな人はきっと。
あれがなくちゃダメだ、とかあれがついてるからこのセットを選んだって人が。
仕事柄か大抵昼は外食で、行くのは中華料理の定食とかロードサイドの焼肉屋とかそんなもんでめちゃくちゃ良い店になんていきゃしない。
ラーメンでも炒飯でも中華丼でもそこそこ喰えて腹が膨れれば良いわってな具合でさ。
仕事の合間の休憩も兼ねてるし、たまたま入った店が思ったより美味しいなとか、あんまりだったなとかそんな小さい事に一喜一憂する小市民ですよ。
ただ俺が行くような台湾とか中国からやってきて同じ食材とか看板とか使ってる系の中華料理屋はかなり多くの店でデザートに杏仁豆腐がついてきやがる。
喰えないんだ俺は、匂いも食感もきらいなんだ。
だから残すんだけどそれも気悪いでしょ?
初めからつけてくれるなって言えばいいんだけど、注文時は何食うかに意識行ってて忘れてしまうのよ。
で、申し訳ないなと思いながら残すんだ、あれ。
欲しい人だけ頼めばいいんだよなぁ、サービスならテイクフリーにしてさ。ダメか?場所も取るし?
けど残すより喜ぶ人だけに提供した方が良くないか?面倒かもしれんけど。
似たようなので炒飯について来るスープな、味があんだかないんだかわからないタイプとか醤油ラーメンのスープそのままのタイプとか色々あるけどな、あれはとても好きだから今後もやめないで欲しい。
わがままでごめんよ。
【再掲】■アマゾンの「バックオーダー発注」廃止は、正味戦争の宣戦布告である
https://anond.hatelabo.jp/20170601214849
ここまでに集まってきた情報を集約し、どう対応するのが出版社にとって得策なのかを考えたい。前回同様、「僕と契約してe託出版社になってよ」と囁く声に揺れている人に向けてこれを書く。出版社が死に絶えた先に本の未来があると信じる人は、そう行動すればいい。私はそれに賛同しないし、その人たちのために論考を書く気もない。
5月から出版社に向けて五月雨式にアマゾンから「説明会」の案内が送られている。内容はここ数年繰り返されてきたのと同じ取次流通への悪口雑言と、「このままでは貴社の流通が危ない! さあe託契約を! 6月中なら特別条件で!」というものだ。
目新しい情報といえば、日販の在庫率が出版社の規模によって違う、つまり、「あなたたち中小は差別されていますよ」という煽りだ。しかし、先般日経新聞に出ていたアマゾン負担による集荷構想は、小規模出版社には適用されないという。なんのことはない。アマゾンだって差別をやっているのだ。説明会の案内が来ない出版社には特別条件も提示されないし、説明会に参加することも許されない。質問しても答えも来ない。
日販はここに至っても、対応についてなんら説明を始めていない(大手にはしているのかもしれないが)。この沈黙は組織としての老朽化を実感させる。なので筆者としては、ことさらに日販を擁護するつもりもない。ただ、説明会でのアマゾンの弁によれば、今春にヤマト運輸と期を一にして、日販も条件改定の交渉を切り出したとのことだ。アマゾンから執拗に「在庫の拡充」を求められ、その原資を求めたのだろう。本件において日販は、愚鈍ではあるが邪悪ではない。むしろ、これまで一般書店そっちのけで利益の低いアマゾンを優遇してきた不正な状況を改善しようとしたと言える。
業界紙『新文化』5月25日号記事「アマゾンジャパン、「日販バックオーダー発注」停止の真意/バイスプレジデント・村井良二氏、事業企画本部長・種茂正彦氏に聞く」でも、日販に在庫要望を繰り返したことは明言されている。
この記事で可笑しいのは、アマゾンが40万点やら200万点やらのアイテムについて「精度の高い需要予測を持っていて、その数量の在庫を持つよう日販に求めたが、応じてもらっていない」と不満を述べているところだ。この主張こそが、アマゾンが求めているものが読者の利益でも流通の速度や確実さでもないことを裏付けている。
それだけ確度の高い予想をもっているのであれば、現在の在庫を3~4倍増し、6~8週間の需要予測分を仕入れて在庫すればいい。調達日数は8-10日くらいなのだから、需要のスパイクもほとんどがそこで吸収でき、欠品率は80%以上向上するだろう。アマゾンは「ロングテール」を誇っているのだから、たとえ予測が大きく外れても、100週間くらいのうちにはあらかた消化できる。もちろん経費はかかる。しかし駅前やロードサイドの一等地に店舗を構える書店にくらべれば、はるかにコストもリスクも低い。しかし、その在庫経費を日販に求めようとする。お門違いとしか言いようがない。
だから、前回に言ったとおり、アマゾンが求めているのは経費の負担であり、流通の改善などではない。これは正味戦争なのだ。(前回のエントリで「正味戦争」という言葉を知らない業界人が多いことを思い知らされた。61年の雑誌戦争、69年のブック戦争を総称して正味戦争と呼ぶ。書店による一斉販売拒否などの実力行使を含む激しい闘争であったが、当事者間で情報が共有されオープンな話し合いがもたれただけ、今回の戦争より公正であった。)
さて、戦争の状況を概説したい。アマゾンが提示している中小出版社への「特別条件」は65%である。個別交渉で時限ながら68%を獲得した社もあり、前述のとおりオープンな条件ではない。アマゾンは各方面で為される「条件切り下げ」の指摘を気にかけているようで、「全アイテムの登録・週5日の出荷回答・2か所(+1か所になる場合あり)への納品」の3条件が遵守されるかぎり、この条件を「変えるつもりはない」と語っている。
しかし、条件が遵守されているかの判断権はアマゾンが握っているし、「変えるつもりはない」というトークを明文条項に盛り込んで契約できた社はない。なによりe託契約は「完全なる合意」を条項に謳っており、個別の覚書や担当者との口約束等は意味をなさないとされている。
これらの条件を「6月末日までですよ」と決断に期限をかけ、「もうこの条件は出ませんよ。いますぐ契約を!」とテレビショッピングのようにプレゼンしているのがアマゾンの説明会である。まともなBtoB商売のセンスではない。
これは商売の正味の話だ。だから、検討する人は正味の損得を計算するのが最初にやることだ。しかし、この件についてあちこちから相談を持ちかけられるが、自分で計算をしている人があまりに少ない。
週5回2~3か所に宅配便で出荷する経費は、送料・梱包手数料・資材費を計算するとかなり大きな割合を占める。60%掛に切り下げられたときに、実正味がいくらになるのか。それはアマゾンでのカゴ落ち失注を防ぐ(e託で防げるとも限らないが)ことで割にあうのか。宅配便の追加納品先が突然鳥栖に切り替えられても大丈夫か。冷静に計算してみることが必要だろう。
アマゾンでの失注は、100%が失われる売り上げではない。そのうち、切実な需要の分は、他の身銭を切って在庫をもっていたり、迅速な調達に努力していたりする書店にまわるのだ。アマゾンが在庫と調達に不熱心な書店である事実が広まれば、その率はますます高まるだろう。
当方ではエクセルの計算シートでそれらの要素を試算し、パラメータが変わるごとの得失がわかるようにした。より汎用性の高いものに改善でき次第、近日中に本項への追加として公開することにしたい。大して複雑な計算ではないが、自力での計算方法に自信がもてない方は、それまで決断を待ってはどうだろうか。
なお、匿名性の高いspreadsheetの公開方法を募集中である。
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最近の日本のゲームがメチャクチャ品質に優れてると思うのは、表現のリアルさだな。表現の良いものを据置機・携帯機で販売し、その補助としてPCゲームを利用している。1970年代からトンデモ文化だったゲームは今や大衆文化。従来型ゲームを残し、進化させたことが奏功したともいえるよね。リア充の人は、アニメを見て、そこからPCのオンラインゲームなりスマホのゲームをしている人がいると思う。パズドラを深く楽しみたい人は3DSのみならずスマホを買う。ソシャゲとはオンラインゲームに近いスケールのものであって、中毒性質のない古典型とは違う。オタクならよくわかると思う。ゲーオタにとって任天堂やソニーのそれはXBOXとともに本格的にゲームを楽しむための機械。事実上のネトゲであるソシャゲは難易度が低く、リア充の遊びであって敷居が低い。深く味わうにはPCゲーム買うほうがよほど効率的だ。
こうしたゲームを含んだサブカルオタク圏というものがあり乗り物文化・非大衆文化がある。さらにそれと構造を共有する文化があって、それは「サブカル性」の存在が日本文化の繁栄を実現している場所なのだ。問題は、それ以外のもの。そこには深く楽しむのための技術がない。
たとえば中国には据置機ゲーム開発メーカーがないという。PCソフトゲームこそあるが、その品質も据置機にすら負けていることは、マリオを愛する日本の人間にはよくわかっている。ソシャゲ嫌いがほとんどだからね。韓流台流ゲームはアメリカ流のそれと比較するべき水準ではなく、どちらかというと和製オンラインゲームと似ていると思う。サブカルの拡張ために発展した据置機文化と共有できる要素がない。単に特殊アイテムを買うときだけに金を払わせるので収益性がない。ミーハーはともかく硬派からの評価は高いといえない。
アジア諸国の交通が長い間道路に依存していてそれを鉄道が補っているように、韓国や台湾や中国は鉄道オタクに対する理解が遅れている。アジア諸国はマイルドヤンキーが多いから、中韓台より事情は悪いかもしれない。「日本は異常なんだからいいだろ!」とヤンキーに言われそうだけど寛容性は大事よ?大卒の元ギャルにお世話になったことがある。ギャルはいい文化だと言っていた。誇らしげだった。しかし「リア充」という感覚ではなく「元ギャルの人」という意識があるような感じだった。鉄道好きだって「鉄道オタクではなく元変わり者」という感覚が古い世代にはあるはずだ。車・バイク好きのオタクに以前噛みつかれたが、それこそヤンキー文化のソフト版が車・バイクカスタムフェチでしょう。痛車好きは一応オタク文化だが、敷居が低いこと、イメージの悪い時代の存在、極めて似ている。鉄道好きも車・バイク好きもマイルドヤンキー化しているし硬派の存在を無視した大衆化だそう。道での繋がり傾向のサブカルとは違うのだ。
2000年代に不良の衰退でまともになった点や文化的歴史の位置づけにおいて、バイク文化とキモヲタ文化は似ている。どちらもへそがないものだ。しかしこれらはマイルドヤンキーとは違い、縦方向の上下があり、そこでは繋がりが途切れることない。バイクは1970~1990年代世代、キモヲタは1990年代世代が変わり者の集まりになっている。一方、鉄道路線と鉄道趣味の人口密度の関係はどうか。負の相関関係にあることは誰にでもわかる。とにかく地方ほど鉄道好きが多い。おまけに観光地化も進んでいる。足を引っ張る人間もいる。都会にこそアンチがいるどうもバイクよりかは可愛いバッシングに思える。
ソシャゲが生誕10周年を迎えるが普遍的なビデオゲームとの性質の違いがはっきりしているように、将来この溝は埋まらないと思う。そして、2000年代以降の最近に量産された書物にはこういうパターンが多い。物凄い売り上げになるが、誰にも知られない…。この手の似非サブカル文化がよくないのは、サブカルとは消費者の構造の違いがありすぎるのに、内実を伴う本当のオタク文化のようにビジネスの方向性として普遍化してしまうこと。しかし財界の都合はどうであれマイルドヤンキーの割合が高くなり、民度もばらつきが出てしまう。そこに道の繋がりはなく、完全な単細胞になる。
結果的にハイカルチャーでもなければ、サブカルでもない中途半端なサブカルチャーが寂れる。ギャル文化は(業界面で)のイメージが凋落して久しいがその人達の評判もクソッタレてるでしょ?ヤンキーみたいな末路を追うことになるんです。いい加減な文化はみんなどこも。もちろんアニメ好きや鉄道好きに対するバッシングもあって1989年の宮崎勤ショックや2002年の西武鉄道ショックがまさにそうなのだが、低迷期はわずか10年弱だったし、現在ではむしろ好かれている文化ので、私たち鉄道好きはほんとはめちゃ好かれ者なんだよね。「汚い日陰者」から一転して大成功ってすごすぎるよ。
最近の都市部では駐車場や駐輪場料金も安くなっているのに、いざ買うとなるとかなりの金額がかかり、トータル費用が原付バイクだけとっても最大で10万円台はいささか敷居が低いとはいえない。ロードバイクですら5万円以内で始める事等やろうと思えば可能だ。持続的に利用できて、かつ一定の敷居の高さがあればいいわけ。鉄道は厳かな仕来りを残しつつ観光要素があるのは非常に優秀で、バスもその点では平成以降は充実の流れがある。
最近流行っている鉄道不買運動は、田舎や外国から来たよそ者が参加できない、敷居が高い。しかし難易度の面でも非常に中途半端。ひどいと最低限度の駐車場駐輪場はおろかガソリンスタンドが整備されておらず、都会特有の曖昧な道路交通マナーとあって運転もめちゃくちゃ大変なのである。あれは遅かれ早かれにわかに終わる運命にしかないと思う。別に日本の大都会で増え続ける都市鉄道嫌いと車・バイク好きをDISってるわけじゃないが、日本ではロードサイド文化もろとも車社会は終わる運命にあるし、車やバイクは都市部ではスポーツ用具以外もはや意味ないし、アジア諸国を手本にした再開発を実行したらその発展の犠牲で欧米由来の都市文化の居場所が消えうせるのは必然でしかない。したがって現代であれば満員電車も大量の外国人も必要悪なので、日本は本当の意味で観光大国化がしたいなら防災などの予算などで余った分を人口増加対応に充てればいいと思う。歩道と車道を分離して歩道の容量を拡張する。近年では鉄道の整備に努めているようだが、例えば鉄道だけを取って鉄道の女性専用車が役目を終えたら、その跡にグリーン車を設置したらいい。乗客を分散させるのだ。
神奈川県の横浜の郊外はかつて、関東特有の田舎文化があった。昔の相鉄はローカル線同然だった。それが昭和時代の経済成長で都会の仲間入り。どれ程すごいかと言うと、昔は関東の仙台同然だった横浜の郊外が仙台市とは比べ物にならないような高度なニュータウンへと変貌したというのだ。話がそれてしまった。
電車男でサブカル文化が変わり、鉄道に対するイメージすらJR九州の躍進で変わった。縁の下の人を守り続けることが日本文化の持続可能性のポイントであり、もちろんそれを各現場の人が一番わかっていると思うんだよな~
http://anond.hatelabo.jp/20161130113432
試される大地へようこそ! 1月にいらっしゃるとのことで、お勧めのお店を紹介します。
ここの「ガタタン」を食え。「ガタタンラーメン」がスタンダードだが、個人的には「ガタタン」をチャーハンにかけたものが好み。
「ガタタン」は塩味のあんかけなのだが、ほとんどこの芦別でしか食べられない。戦後、満州から引き揚げてきた人が中国料理をアレンジした料理を蘆別で始めた。これが「ガタタン」。
炭鉱で栄えた芦別。炭鉱マンをあったかくする為に「ガタタン」は食べられてきた。そして近年ではご当地グルメに。
そんじょそこらの粗製乱造されたご当地グルメには叶わない、引き揚げ~炭鉱労働という、戦後北海道の歴史のド真ん中を歩いた食べ物といえる。
これを味わいながら、北海道の近代史というものに思いを馳せてほしい。
今ではめっきり少なくなった、ただの食堂。ラーメンがメインで、二人のばあさんが作っている。
化学調味料主体の、懐かしいラーメンを食べたかったらここ。醤油を頼め。チャーシューが激烈に、懐かしい。
昼時に行ってみてほしい。近くの道の駅に大型トラックを止めた運転手さんや、地元の昼間っから道楽してるおっさんを眼にすることができるだろう。
ここから北見に抜ける運ちゃん、阿寒に抜ける運ちゃん、帯広に抜ける運ちゃん。今も昔も、足寄は人間交差点なのだ。
いいか、北24条の「三船」に行くんだぞ。「三船」を冠する店は何件かある。美唄焼き鳥の元祖三船福太郎氏にあやかったものだ。
由緒論はえてして混迷を極める。ここは伝統だとかじゃなく、純粋にうまいところを紹介する。それが24の三船だ。
ここ、メインメニューが美唄焼き鳥の鳥串で、サイドメニューも大変豊富。そしてどれもとっても美味しい……のだが、サイドメニューは頼みすぎないほうがいい。
鳥串が美味しすぎて、何本でも食べられてしまうのだ。6人で行って、一時間半でお通しと串120本と酒だけで帰ったことがある。それだけ串がめちゃくちゃ美味い。
札幌でザンギを食べたいならここ。ザンギって鳥の空揚げの親戚みたいな北海道グルメだが、その王道、典型と言えば松のザンギ。
ただしここはまっとうな居酒屋なので、酒もちゃんと頼むべきだし、注文しないでずっと居座るようなことをしてはならん。
食事メインなら正直いかないほうがいい。あと和風パブっていってるが普通の居酒屋だから気負うことはない。
道北や道東のいなかには美味しい蕎麦屋が点在しているが、ここは士別市の郡部にあるお蕎麦屋さんだ。
田舎のロードサイドってのがどんなものが味わうに格別の場所。②のあさの食堂と似てるんだけど、こっちのほうが人の往来が多い気がする。
ここの主人は、道外からやってきた人。多寄の食材に惚れ込んで移り住んだ。この多寄、蕎麦は生産するが、それはどこか遠くへ運ばれるだけだった。地元産の店を、超田舎で提供する試みが始まった。新しい移住・挑戦の歴史を感じたいならばここだ。
焼き魚を食べたいならここだ。目の前で焼いてくれる感じだ。私は山育ちなので、豊富な魚メニューのどれが旬なのかさっぱりわからない。けれど、いつも頼んだものは絶対に激烈においしい。
近くに道の駅があるから、そこも見学しよう。そしてこの界隈には美術館がたくさんありますわ。いずれも郷土の画家ですの。お嬢鯖も大満足間違いなしですわよ!
ニシンの時代は遠くなった。最近はまた増えてるらしいが。では漁村では何が行われているのか。それは、ニシンが群来(くき:大量にやってくること)ていた時代から培われた「水産加工業」だ! そんな歴史はともかくだ。札幌から200キロ程。ここまで離れると海鮮丼が安い! 「羽幌丼」を食べよう。地元産にこだわりたいなら「甘エビ丼」だ。食べ終わって満足したら、付設の直売所を見に行こう。水産加工のテクニックを直に感じて、お土産を買って帰ろう。
食事して、芦屋にあるフランク・ロイド・ライトの建築を見学して感動して、ついでに六麓荘の超高級住宅街を冷やかして。
車の中で、あ、あれ〇〇の社長宅だよ!〇〇だ!〇〇!とかくだらないこと言って、とっても楽しかった。
無人のフロントで、部屋をパネルからボタンで選ぶ、よくあるシステム。
三連休のまんなかだからか、安い部屋はけっこう埋まってて、高い部屋しか選べない。
ぎゃー、この部屋、サウナあるんだって。すげー。部屋の写真、なんかすごいよ。どないしよ。とか言って、部屋選んで。
一階のホールにウェルカムドリンクバーみたいなのがあるの。アイスクリームまでサービスで置いてあるの。
でかいピノみたいなアイスをカゴに入れて、ジュースを入れて、ふたりでエレベーターに乗った。
最上階について、どんな部屋だろってワクワクしながら廊下を歩いてたら、そこで、従業員が出てきて、男同士のご利用はお断りしてますって言われた。
つれが、あ、そうなんですかって言って、僕は何にも言わないでそのままエレベーターに戻って、一階まで降りて、カゴからアイスクリームを冷凍庫にもどして、ドリンクバーのコップはどこに返したらいいのかわからなかったから、サーバーのとなりに置いて、ふたりで駐車場に戻った。
恥ずかしいみたいな気持ちになって、その次に、あ、差別されたんだなあって気がついて、全身を墨で塗ったみたいに重たくて暗い気分になってしまった。
それで、きのうはなんかずっとしんどくて、寝れなくて、今これを書いている。
なんとなく、自分は差別されても論破できるだけの理論武装してるつもりだったけど、実際に差別されると、脱力して、すごく落ち込んだような気分になって、戦う怒りも気力もぜんぜんでなかった。情けなかった。
1955年、バスの白人専用座席に座り続けて、逮捕されても戦ったローザ・パークスのようには、僕はなれなかった。
2016年、異性愛者専用のホテルで性別を理由に宿泊を拒否されて、ぼくは抗議もしないですごすご出て行ったのだった。
ぼくはどうすればよかったのか、性別を理由にした宿泊拒否は違法性がないのか、違法性があるのだとしたらどこに通報するのが効果的かなど、詳しい方がいらっしゃったら教えてください。
すこしでも戦いたい。
たくさんのブクマありがとうございます。つづきを書きました。
みんな大好き宇多丸師匠の最近のおすすめ邦画を集めてみたよシネマハスラー時代のは10以内にしてます。
みんなどれだけ見てるかな~?
2010
ヒーローショー
仮面ライダーW FOREVER A to Z 運命のガイアメモリ
http://www.tbsradio.jp/utamaru/2010/12/20101218.html
2011
サウダーヂ
http://www.tbsradio.jp/utamaru/2011/12/20111217.html
2012
http://www.tbsradio.jp/utamaru/2012/12/20121215.html
2013
http://www.tbsradio.jp/utamaru/2013/12/post_884.html
2014
そこのみにて光り輝く
http://www.tbsradio.jp/utamaru/2014/12/2014_2.html
2015
きみはいい子
http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65854456.html
読んだ。以下長い。
まずミスドがじわじわ削られてる理由だが、これは「選択肢がミスドしか存在しなかった」状況だと、商圏がもんのごっつ広大だったのが、コンビニでも(質はどうあれ)置いてあるとなると、遠方の人間は「しょうがない、コンビニでいっか」ということになるからで、実質的に商圏が狭くなっているせいだと思われる。
商圏ってのは物理的な距離もそうだが、心理的な距離も影響する。たとえば東京都内に住んでいて「徒歩25分」は論外で商圏外だが、田舎に住んでて車で25分は商圏になりうる。で、物理的心理的な面を含めて商圏から外れた人たちからミスドから離れていくということである。行くの大変だから。
ミスドの売上が「じわじわと」削られている理由はそんなところかと。
で、実質的にコンビニとミスドでドーナツが競合しているかというと、俺はかなり怪しいものだと思う。というのは、買う理由がぜんぜん違う。ミスドに行くときに「ドーナツは目的じゃない」という人はわりと少ない。わりと、というのはミスドは業態として「コーヒー一杯でゆっくりする」というのも店舗によってはけっこうあるからだが、売上全体に対しての比率としてはかなり少ないんじゃないかと思われる(ここ完全に憶測)(データ知ってる人いたら補足してください)。
ということは、ミスドに行く人は相当の高確率で「ドーナツを買うよ!!!」という気で行くということだ。対するに、コンビニで「ドーナツを買うよ!!!」という人はかなり少ない。ほとんどがレジカウンターに什器が置いてあることによる衝動買いだ。つまり「買う気がなかった人が買う」ということになる。もしそれが潜在的にミスドの客になりうる人間だったとしたら、とりあえずその人のドーナツ欲みたいなものは収まるので、結果としてミスドの売上を削ったということはいえるかもしれない(現状ではまだその比率は無視していいほど低いと思ってる)。
で、さて、コンビニのドーナツが売れない理由なのだが、実は味はあまり関係ない。味や、健康へのよしあしについては、そのことに意識的な人間が客層として多く含まれる場所に限って影響する。つまり都心のオフィスや、比較的若い客層が多い場所などだ。あとはあれか、新興住宅街とかで平均世帯所得が比較的高い地域。しかし日本にはそうでない場所のほうが圧倒的に多いし、そうでない人口も相当の比率を占める。そっちのほうが多数派なんじゃねえかな。とりあえず「ロードサイド」っていう言葉でも放り込んでおきますね。
で、そういう層に対してより意味を持つのは「味強い」「甘い」「食いごたえある」のほうである。なんだかんだいって健康にいいものって売れない。たとえば、週に100個単品で売ろうと思ったら、よほどのオフィス立地でない限り難しいはずなのね。でも健康に悪いもの100個売るのは、展開によってはわりと簡単。これは上述のオフィス立地を含めての話。
そういう意味ではセブンのPBでもヤマザキでもなんでもいいんだけど、ああいう菓子パンベースのドーナツって実はけっこう強い。なにしろ甘くてくどい。そりゃミスドとコンビニのオールドファッション並べて食いくらべたらミスドのほうがうまいってのはだれにでもわかることなんだけど、そもそもコンビニのメインの層のうち、何割が「ミスドのオールドファッション」の味を記憶として保持してるのかって話。なにしろ母数違うから。ミスドは老若男女だれもが頻繁に利用する場所じゃない。コンビニはだれもが頻繁に利用する場所。
つまり、母数が違っていて、しかもコンビニにおけるその母数の大部分が「味とか大して気にしない」「ミスドを日常的に利用しない」層である以上、コンビニのドーナツはそれらの客にリーチする可能性はあるってわけ。
でも現実的にはしてない。売れてない。らしい。
じゃあなにが問題なのかって話なんだけど、ひとつにはやっぱブコメにも指摘があったように「ミスドというブランド」が強すぎるんだと思う。味の直接的な記憶はなくても「ドーナツっていったらミスドでしょ。次にミスド行く機会があったら食えばいい」ということになる。つまり「ミスド=美味しい」っていう信仰だよね。買うか買わないかっていうのは、ものすごく細い尾根道を歩いてる人をどっちに突き落とすか、みたいなところがあって、わずかな揺れで買うほうへ、あるいは買わないほうへ転がっていく。そこでミスドが抑止力になってるんだとしたら、このブランド力はすさまじいということになる。
次に単純にオペレーションの問題。早い話「買いづらい」。レジにおける客の動きとか雰囲気ってここ10年くらいでえらい変化した。昔は2台それぞれに並んでいるどころか、どうかすると1台のレジで4人並んでいてももう1台を開放しないところなんかザラだった。ところが現在ではけっこうな確率で櫛型に並ぶし、客のほうも列を維持することに自覚的。そして自覚的であるぶんだけ「ルールを守らない人間」を非難する空気は強くなってる。レジで揚げ物を買いづらいなんてのもこのへんが理由になってるフシが強い。
ましてドーナツである。それ単体で何種類もある。どのタイミングで種類をチェックすりゃいいのか。上にメニュー看板があるわけでもない。単純にいうと、衝動買いメインである商材なのに、その衝動買いを起爆させるための導火線がまったく設置されてない。導火線は基本的に揚げ物なんかにつながっている。客の店内における動線ってのがある程度は定まってる(そういうふうに売場は作られている)以上、導火線も何本も設置するわけにはいかないんである。そして衝動買いが発生しない以上、その先にある目的買いも発生しない。そういう理屈になる。
つまり、客に買わせるためのシステム作りが拙い。俺はそう考える。種類がある商品は「選ぶ」という行為と「買う」という行為の距離が近くないとだめ。コンビニにおけるドーナツは、その二者のあいだに距離がありすぎる。
じゃあどうすりゃ売れるのかということになるんだが……。
いくつか考えられるが、どれも現実的ではない。
・価格アホみたいに下げる
・店内調理を取り入れる
・客がセルフで取れるようにする
とまあ、ざっとこんなところだ。ほかにもまだあるが、ネタの領域に近づくので書かない(まあ現実的にはその「ネタとしか思えない」の領域から新しいやりかたが出てきたりもするんだが)。
そんで、俺の考えるコンビニのドーナツの今後である。基本的に業界の動向を決めるのは某7の数字がつくチェーンなので、あそこの動向だけ見ていればよい。
とっとと諦める可能性はゼロではない。あの程度の投資など撤退したところで別にどうってことないだろう。あのチェーンなら。扉のない平置きタイプの冷凍庫なんてドーナツ什器とは比較にならないくらい高い。そういうもんを、増えた電気代もろとも吸収するチェーンである(もちろんそのぶん売上は上がってるだろうが)。ドーナツ什器くらい「だめだった♪いっけなーい♡」くらいの勢いで捨てる。
諦めなかった場合だが、店内調理とか価格破壊なんかは比較的可能性が低い。あのチェーンは伝統として店内調理に関心が薄い。某青いチェーンとかヤマザキデイリー(特に後者の一部店舗)が店内調理に関して、進化の袋小路みたいな実験を繰り返し、その一部をレギュラー店にも還元しようとして失敗してるのを横目に、某11の数字がつくチェーンはほとんどそういうことしない。
可能性としていちばん高いなと思うのは「新しいドーナツ体系」を作ってくるということだ。それがどんなもんかは俺にもわからん。が、あのチェーンの歴史ってのは基本的に「消費者の潜在欲求に触手を伸ばしその触手から”君が欲しいのはこれだね……これなんだね……”といやらしい粘液を送り込んで消費者を触手なしでは生きていけなくする」という手法で成立している。あのチェーンがすごいのは、その触手の性能である。太くて、長くて、しかも粘液の量多い。絶倫である。ほかのチェーンはや業態もあわててまねをするのだが、しょせんまねごとの触手であるため、かえってオリジナルの養分にされて終わる。「やっぱセッッッッブンイレブーーーーーンヌだよね!」という消費者の暗黙の賞賛を売上というかたちで得てしまうのだ。
もしドーナツについて例のチェーンが本腰を入れてくるなら、その「だれも考えてなかったが、いわれてみればこれだった」という手法を何年かけてでも見出してくるに違いない。
そう。何年かけてもだ。あのチェーンほんといやな。ミスドがんばって。
久しぶりに帰省して、久しぶりに兄の運転で遠出したんだけど、
交通を読んでうまく走れる人って察する能力が高い人なんだなと思った。
あと信号ふたつで右折だから右車線を走っていればいいのに、ふいに左車線に移る。
「なんで?」って聞いたら、兄が答える前に、
右車線で前を走ってた車がロードサイドのファミレスに右折で入るために停まった。
兄はそれをやり過ごしたら速やかに右車線に戻る。かっこいい。
なんでわかったのか聞くと、二台前は普通に走ってるのに、
前の車だけブレーキも踏まずに速度が落ちてきたから、とのこと。
わかんねーよ。
兄は昔から、よく気が利くって言われていて、実際気が利くやつだと思う。
この遠出だって、親戚巡りで辟易してた俺を兄が気を利かせて誘い出してくれて、
前の車や対向車がなにをしたいのかを読んで、
周囲の車のおかしな挙動は見逃さず、相手の意志が見えるまでは距離を置く。
逆に自分が何をしたいのかは早めに周囲に意思表示して、必要なときに譲ってもらいやすくする。
こういう気の使い方って、奥さんとか彼女にできるととてもいいと思うのだけど、
世の中ままならない。
順番を違えて先に結婚する不孝な弟を許してください。
シロクマセンセが自分の職業および観察と称してやってきたことを棚上げし「メンタルヘルスの色眼鏡で見ない」と言っているのは、単に究極の護身が完成しているだけだわ。
レッテルで物を見ない、というのは、職業上あるいは自分の専門分野なら当たり前に普通に人はするものだが、そこを通り越して、「配慮しない」というのは、「何故病名をつけるのか」を理解していない。専門家としての見識を疑わざるを得ない。
シロクマセンセのしでかしたことは、「先入観でみさわさんを見誤った」のであり、それは先のしょうもない「自分が嫌うところの先入観だけパージした」せいでもある。
それに、「シロクマセンセ」こそが「ロードサイド」や「ロールモデル」など、バリバリ「偏見まき散らして突っ込まれても応答しなかった」んであり、最悪なことに、「承認欲求」ですら、学術的用語として注意深く正確に運用してはいなかったんだぜ。
まあ、この二日でも、他の人がした指摘を「餌を与えるな」程度にしか思ってなく逆ギレしたという、「個人なんか全然見ずに自分の意見押し付けたまま、それを三年も維持していた」人が、「メンヘラ~」とか言っても何の説得力もないって。