はてなキーワード: twEetとは
詰みですね。立法事実がなければ閣議決定も検察庁法案も速やかに撤回するのが筋。
またしても拓くんのお手柄。すばらしい😇 https://t.co/AMVkAqvGxh— Hiroshi Takahashi (@SeroriHitomi) June 4, 2020
きついジョークを海外の政治家と飛ばしあえる麻生大臣凄い!っだってさ
いやいや麻生太郎氏の発言さ、
「お前らだけ薬を持ってるのか」って相手がジョーク言いながら電話かけてきて、麻生さんもジョークで返してるだけでしょ。
ジョーク飛ばし合う仲なんだから問題ないし、むしろ複数の外国人とそんな仲になれる麻生さんのコミュ力尊敬するわ。https://t.co/ob2SleQKMI— 小鳥𓅫 (@kotoRichanPPP) June 4, 2020
うるせー耳舐めVTuberが耳舐めを辞めた時、TwitterではBOOTHかCi-enでR18作品を販売し始めましたとTweetされることになるだろうってヨハネの黙示録にも書いてあるだろうが
81歳女、アベノマスク窃盗疑い 京都府警が逮捕 https://t.co/VWHeShTTfe— 共同通信公式 (@kyodo_official) June 4, 2020
麻生氏。なぜ日本は人口比でコロナの死者数が少ないかについて他国の人に
「お宅の国とは国民の民度のレベルが違うんだっていつも言ってやると、みな絶句して黙るんです。後の質問が来なくなるんで1番簡単な答え。このところ、その種の電話もなくなりましたから定着しつつある」参厚労委— 三輪さち子(朝日新聞記者) (@MIWAsachik0) June 4, 2020
通訳の人も大変や
すいません、三色チーズ牛丼の特盛りに温玉付きをお願いします。
チー牛ってネットスラングをググッてみたら「こういうタイプの人って結構いるね!」って凄く納得してしまった。
画像は元ネタと言われる書き込み、絵を描いた人、チー牛と呼ばれるタイプの解説。#チー牛 #三色チーズ牛丼 #牛丼 #特盛 pic.twitter.com/AQhLgORzq8— Tsunex (@eightbridges_88) April 20, 2020
これはミラーリングなんですが、セックス実践主義者のみなさんも真面目な小児性愛者の方々を見習って、実在他者との性的接触はやめるべきだと思う。性というのは他の誰でもなく自分だけのものなのに、それを誰かと共有しなければ気が済まないなんて野蛮ですよね。「合意があれば」と言い訳する人も多いけど、真に客観的な合意なんて存在しないし、それを許すことで異常な犯罪者は「如何にして合意を捏造するか」に精を出すようになるだけ。そういうことは実際に起こってる。
まともな価値観を持った人ならラブドールで満足できるはずなんですよ。生きた人間の身体を擦り合わせなければ性的に満足できないなんて、野蛮な風習は過去のものとすべき。それをやめることで、少しでも性犯罪が減るなら、直ちにやめるのが社会の構成員としての責任だと思う。
父親がこんなこと言ってたら私絶望するわ。児童を性的に見る人の価値観を通して学べとかどうかしてるで https://t.co/Sxu3glPqu2— Arata (@jbnrsk_arata) June 3, 2020
夏の熱中症対策にトイレ用エアコンが発売中です!
熱交換をトイレ水タンクにて行うため室外機は不要で、スペースも取らないので簡単に設置できます(`・ω・´)https://t.co/P2Fz3A7CNE pic.twitter.com/S7k6Bten8D— DMM.com (@DMM_com) August 14, 2019
欲しい!
売り切れ!
ご報告。 pic.twitter.com/n4Pp8WfBO2— 勝海麻衣 / Mai Katsumi (@katsumi60411) April 2, 2020
えーっと...
何件かこのアカウントに悪口が届きまして。
絶対に人から恨まれないような聖人君子ではないわけですが、身に覚えもなかったので悪口の内容から検索したところ、テラスハウスの訃報に同姓同名の方が関係しているようです。大変悲しいニュースだなと思っていたところにこんな形で繋がるとは思っておらず驚いております。まずは木村花さん、ご冥福をお祈りいたします。
ご存知だと思いますが念のため申し上げますと、人違いです。私は全くの別人です。
また、テラスハウスを見ていないのでどちらが悪いとかどちらの味方とかそんな気持ちは全くありませんが、この事件は誹謗中傷が招いた事件なようです。
それに対して誹謗中傷するという無限ループ、どうか本物の小林快さんにも誹謗中傷はやめてあげてください。同姓同名からのお願いです。
本物の小林快さんってなんか俺が偽物みたいで変だけど、ニュアンスで伝わるからいいよね。
— 小林 快 (Kai Kobayashi) (@e_kai_k) May 27, 2020
この人が一番かわいそうだと思った・・・
ネットでキャンパスとキャンバスみたいな言葉を混同して使ってるとキャンパス警察みたいな人たちが「間違ってますよ!」とだけ言いにくる。新たに間違える人は尽きないから、新しい知識を仕入れることなく彼らは無限にマウントできる。つまり、一見さんだけを相手にし続けるぼったくりバーと同じ構造。— やねうら王 (@yaneuraou) June 2, 2020
ぼったくりバー : 営業努力をせずとも騙される一見さんの客は尽きず、高い利益が期待できる
なんとか警察 : 新たな勉強をせずとも新たに間違える人はネットには尽きず、確実にマウントしつづけられる— やねうら王 (@yaneuraou) June 2, 2020
Devastating to see the development taking place in the USA.
Centuries of structural and systematic racism and social injustice won’t go away by itself.
We need a global structural change.
The injustices must come to an end. #BlackLivesMatter pic.twitter.com/V5NWJFm0Qh— Greta Thunberg (@GretaThunberg) May 30, 2020
「アンティファ」所属を自称し暴力を扇動するTwitterアカウントが実際には白人至上主義団体によって運営されている事実が判明、アカウントを凍結したとTwitter広報が発表。https://t.co/TABQ5DOGEX— deepthroat (@gloomynews) June 2, 2020
YouTubeのLiveにて、「ちゃんと野菜摂っててえらい」と言うリスナーにブチ切れるホリエモン。
「死ね」を連呼し、何度もカメラを殴るなど。 pic.twitter.com/edQzmOPHVk— M (@mikiyadayo555) June 1, 2020
わかってしまうのが辛い。だからこそ小児性愛者に味方したいとは思うけど、一方で、LGBT系の人々が「小児性愛者と一緒にされたくない」と言ってしまうことも責められないだろうとも思うんだよな。まあ歴史を見ると名誉白人とかカポーとか、そういう分断統治が虐待を悪化させた事例は少なくないが、LGBT系の人々が「他のマジョリティ以上に」小児性愛者を差別しているような実態は少なくとも今のところ見たことはない。マイノリティ同士で争ってる場合じゃないだろう。異性愛を批判しよう。成人性愛を批判しよう。
俺も小児性愛者が主人公の漫画描いた後に「まぁ俺は小児性愛者ではないですけどね」「え、普段ですか?オスの犬とかに欲情してますけど」「二次元ではロリいけますけど、いや小児性愛者ではないです」とエクスキューズ連発してたんで、小児性愛者と同一視されると社会的に困るって気持ちはわかります。— Naoya (@Naoya_Starlight) May 22, 2020
💩をした後に覗き込むのやめて pic.twitter.com/U3xBNHIZw2— オズとゆかいな魔法使い (@OZnyanKenobi) May 27, 2020
音楽作家、
#除染活動 #音楽業界をより安全に #音楽家 #音楽スタジオ #音楽制作 #コロナウイルス #感染予防 #対策案 #作曲家 #アレンジャー #作詞家 #タレント #演奏家
pic.twitter.com/8j0QvfWDEr— clammbon mito (@micromicrophone) April 9, 2020
To be silent is to be complicit.
Black lives matter.
We have a platform, and we have a duty to our Black members, employees, creators and talent to speak up.— Netflix (@netflix) May 30, 2020
一方、
株式会社はてな「………………」
あのさぁ、はてな君さぁ、、
おいおいおいおいおいおいおいおい。
わざとか?
https://twitter.com/Jeremy_L_Mercy3/status/1265605108164816896
元垢は鍵つけたが↑を見ればわかる通りその画像は5月26日の投稿。
https://twitter.com/kazuuuuuuuus/status/1262321710990348288
なぜラブドールが話題になっているのか、なぜ非難するツイートが多いのか?ですが。
「女児体型のラブドールを『合法レイプ』という売り文句で販売していた」
というのが発端です。
犯罪行為を「夢」と表すのは度を過ぎている。 pic.twitter.com/dNLLKhTUsA— ああいうこんなへんな不良品権利保障外蛆虫マスクから溢れたギロ (@giro_switch) May 28, 2020
「小児性愛のカジュアル化」に問題があると考えるのは、対人性愛優位を自明視した認知の歪みでしかない。問題があるとしたら、「性愛のカジュアル化」にある。セクシャルマジョリティが主導して守ってきた性の規範を、マイノリティが拒絶することにより、「性愛のカジュアル化」が現象として起こっているという事実はあると思う。しかしそれ自体がセクシャルマイノリティの「政治活動」としての側面があり、一方的に断罪することはマジョリティの傲慢である。「批判するな」とは言わないが、慎重になるべきだし、そうした政治性に注目することなく「批判」に終始するなら「ただのポジショントークだ」との誹りは免れないだろう。
批判者が「小児性愛のカジュアル化」と呼ぶものの一つに次の事例がある。
「娘の成長を見てくれ」と言って筐体で遊ぶ小さい娘さんの写真を2枚貼ったツイートにも、リプ欄で「えっちです」ってのがあったんだけど、こういうコメントを気軽に送れちゃうのも社会で小児性愛がカジュアルになりすぎた結果だと思うんだけど— E (@nice_comp_net) May 29, 2020
しかし、これは所謂「キャットコール」と呼ばれるセクハラの一種であり、「対象が児童だから」問題なわけではない。批判者も、「対象がもし成人ならば何も問題はない」とは言わないだろう。このような事例は「性愛のカジュアル化」によって支えられる悪しき文化であり、批判すべきは「性愛」であり「小児性愛」ではない。これを以って小児性愛を批判するのは無理があるし、「小児性愛は悪だから悪なのである」というトートロジーに陥ってるようにも見える。では、なぜ彼らは小児性愛を殊更に敵視するのか? 以下は既存の議論焼き回しである。
小児性愛と成人性愛の本質的な違いはただ一つ、「児童との合意は(少なくとも現代の倫理規定では)成立することがあり得ない」という点である。児童との間に「合意のようなもの」がいくら存在したとしても、それらは全て「合意」とは見なされないし、見なすべきでない。(「合意」の定義と児童保護について慎重に議論を重ねた未来では何らかの変化があるかもしれないが、それについて議論するにはあまりにも論点がずれているし、ここでは触れない。)しかし、「故に小児性愛は許されない」と主張するには論理の飛躍がある。ここまでの前提の下で自明と言えるのは、「児童との性的接触は許されない」という一点である。
「児童との性的接触は許されない」と「小児性愛は許されない」はもちろん同値な命題ではない。彼らがこれを同値と見なすのは何故か?それは彼らが、「性的欲望とは常に性的接触によってのみ満足するものであり、それ以外の性的行為は全てその為の準備に過ぎない」という偏見を抱えているからであろう。今回、多くの人形性愛者、フィクトセクシャル、さらにはアセクシャルを自認する人々からも批判が殺到した理由はそこにある。
「(実在児童を対象としない、無機物を対象とした)児童ポルノは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」と主張する人々は、「成人と性的接触を行うことは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」とは言わない。なぜなら、彼らにとって「性的接触」はそのまま「性的満足」とイコールであり、それが「ゴール」であると無根拠にも信じているからである。
前節では、問題の本質は「小児性愛のカジュアル化」ではなく、「性愛のカジュアル化」であると言った。では「性愛のカジュアル化」は本当に問題なのか? 結論としては、確かに問題であると私は思う。うぐいすリボンの荻野さんも以下のように言っている。
逆に、実質、ポルノとしてマーケティングするものであるのなら、18禁でなくとも、広告だけでなく、表紙の陳列やらまで含めて、賢明にどんどんゾーニングして頂くというのが、多分最適解なんだけどねぇ。— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) November 13, 2019
その理由としては例えば、①性的プライバシーの問題、②依存性の問題、などが挙げられる。あるいは、「そのような問題を内包する言動」こそを「性愛のカジュアル化」と呼ぶべきである、という定義づけも可能だろう。
①を語る言葉として「性的自己決定権」「私の身体は私のもの」などがある。余談だが、これは、ラブドールのような性的表象、および自慰を愛好する人々にとっても重要な概念である。実際、他人の自慰を制限しようという試み自体が「性的自己決定権」の侵害であり、セクハラだという批判もあり得る。(参考↓)
「男女を問わず、自慰は最も内密の行為である。誰の権利も侵害せず、自分の性的趣向と欲望を満足させる行為であり、性的自己決定権の領域に入っている。女性を卑下するという理由で自慰道具を禁ずるとしたら、女性を卑下せずに可能な自慰行為とは何なのか?」 pic.twitter.com/3lyXymSaF0— NPOうぐいすリボン / Uguisu Ribbon Campaign (@jfsribbon) May 29, 2020
話を戻そう。性とはそれ自体が深くプライベートなものである。故に、他人の性的領域に、物理的にも精神的にも安易に踏み込むことは許されない。「性愛のカジュアル化」には、その越えてはいけないハードルを下げてしまう効果があるのではないか。自らのプライバシーを切り売りしている限りは「下ネタ」であっても、他人のプライバシーを暴いたり、そこに土足で踏み入るような言動は「セクハラ」になる。(「下ネタ」を話題にすること自体が話題への参加を強要し得る文脈において、それらの区別は曖昧だが、それを語り尽くす労力は私には残っていない。)お互いのパーソナルスペースを尊重する文化を守るためには、適切なゾーニングを守り、強行的な「性愛のカジュアル化」を防ぐことも大切だと私は思う。
②の問題は意外にも語られることが少ない。これは、「ポルノにはなぜ年齢制限が設けられるか?」の問いに対する答えでもある。逆に言えば、「未成年にポルノを見せるべきでない」理由として、「正しい性教育」的なものを挙げるのは、性のスティグマ化に資するのみで未成年に良い影響を与えはしないだろう。
ここまで、「性愛のカジュアル化」は問題であることを述べた。一方で、それらを安易に断罪することもできない事情もある。それは次節で述べよう。
荻野さんは次のようなことも言っている。
いわゆる2次元系の性表現が、本当に純粋に「ポルノ消費」されてるだけなら、こんなには揉めてないんだよね、というところを、表象を批判する側だけでなく、擁護する側もなかなか自覚できないというのが、この話の味噌なんじゃないかねぇ。— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) October 22, 2019
ここで、各国のゲイ・パレード、プライド・パレード(LGBTパレード)の様子を見てみよう。
https://www.huffingtonpost.jp/letibee-life/taiwan-lgbt_b_8448268.html
https://lifevancouver.jp/pride_parade_vancouver
https://rocketnews24.com/2012/06/30/224561/
https://www.youtube.com/watch?v=MWiZwUFWs5E
やはり、非常に過激でセクシーなファッションに身を包む参加者のことが目に留まるだろう。しかしだからと言って、彼らに向かって「ゾーニングを守れ!」と叫ぶことがどれだけ暴力的か、理解していただけるだろうか?
彼らがこのような「性」を明け透けに表現しているのは、それ自体が政治的意味合いを持っているのである。それ自体が政治的表現なのである。そして我々の「性」の表現にもまた、そのような側面があることは決して無視できない。対人性愛的なものに背を向け、「オタク」的な性表現をオシャレなものとして、隠語的なコミュニケーションのために消費する文化がウケた理由は、人々がそのような政治性を間違いなく見出したからである。それは単なる「ポルノ」ではなく、「我々の性のあり方」をありのままに表現した、アイデンティティそのものなのだ。
とはいえ、我々の消費する全てがそのような政治性を帯びているわけでもないし、また全てがポルノ的でないわけでもない。実際のところ、単なるポルノが悪ふざけで表に出てくることもあるだろう。しかし、それらの区別は決して容易ではない。物理的には全く同じインクの配列であるものが、文脈や作者の意図次第で、時にポルノであったり、時に政治的であったりする。それらは私やあなたが独善的な基準で決めつけていいものではない。「法的規制に反対する」という言葉は、私刑を推奨する標語であってはいけない。表現の正しい用法用量というのは、表現者と受け取り手一人一人の良心に委ねられるべきなのである。
さらに言えば、政治性とポルノ的であることが、多くの場合両立してしまっているところにこそ問題の複雑さがある。その区別について「語るべきでない」とは言わないが、本質的に「区別は不可能である」ことを前提に、慎重に語る必要がある。そのような必要な慎重さを欠いた言説こそが、「差別だ」と糾弾される所以なのである。
誤謬を見出して批判することは容易である。しかし、否定することが目的化した人々で集まって、こちらの政治性を矮小化するような言説ばかりぶつけられては、議論にならない。「我々が言いたいこと」は、この文章を通しても伝わるはずであると信じている。